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市原市「マナビオ」のブログ

マナビオは、課題に適した「考える方法」を学び「自ら考えること」を習慣に。自分の考えを「他者に分かり易く伝える力」「自分で考える」「人に伝える」「手を使う」をキーワードに、「自ら考える力・言葉にする力」を育むプログラムでお待ちしています。

 小学校の理科では「昆虫は頭・胸・足に分かれている」ことや「足が6本ある」こと、「足は胸から生えている」と学びます。マナビオの理科実験教室では、実物のコオロギを観察して昆虫について学びます。

 

 今の時代ですから、テレビやYoutubeで見て「知っている」と言う子どもは多いです。しかし、知識はあっても道理を理解している子どもは少ないです。

 

 「知識」とは、言ってみれば、パターン化された約束事の集合体です。知識を収集・蓄積するだけでも、ある程度の学びを得ることはでるでしょう。しかし、理想をいえば、獲得された知識から別の知識を紐づけできる「理解」するところまでに子ども達に体験してもらいたいものです。

 

 子ども達がコオロギをスケッチしています。実験教室を終え、子ども達に

「カブトムシの足は胸から生えている?」

「クモって昆虫?足は何本?」

と問うと、子ども達は

「あれっ?」

と思います。そこで、改めてカブトムシやクモを見れば、

「ああ、そうなんだ。」

となるでしょう。

 

それが「理解」なのです。

コマ回しロボ「ベイスピナー」

「分からない!」

と質問する子どもによくかける言葉に

「よく見たの?」

というものがあります。何度も言われている子ども達は、

「よく見たけど分からない!」

と言うくらいです(笑)。

 

 具体性にかけるコーチの声かけは、あまり褒められた指導ではありません。また、テキストを見ながらロボットを組み立ててることを知っている保護者が聞くと

「学校のテストでも問題文を読まないんです。だからテキストも...」

と言われそうですが、マナビオが伝えたいことはそうではありません。言葉の真意は「現実をよく見たのか?」ということにあります。

 

 体験を通じて、動かないロボットの原因を探ったり、形状の間違いを見つけることは、ロボット教室の重要な学びです。テキストには詳細な「組み立て方」が記されています。しかし、読みとるべきは、目的の機能を得るための「作り」であって「組み立て方」ではありません。

 

 ロボット教室に通う子ども達が学んでいることは、学校で学ぶことが難しく、かつ、人工知能などに取って代わられる恐れのない能力なのです。

 

 今月のベーシックコースはコマ回しロボット「ベイスピナー」です。皆、コマ回しに夢中になっています。

個別進度学習・自立学習

 市原市内の公立中学校では、2学期中間テストの時期です。

 

 子育ても同じだと思いますが、学び方は、子どもの年齢によって変わります。小学生のころ、彼らは「自分で考える」ことを学びました。そして、中学生になった彼らは、異なるステージへと移り、今は「自学する」ことを学んでいます。

 

 与えられたものを消化するだけでは、自学する中学生にはなれません。また、プリントを整理したり、記録をつけることが自分でできて、かつ、効率や合理性を正しく判断できる能力が養われていないと、思いのほか手こずることになります。

 

 マナビオでは、普段する学習の内容や、テスト前の自習計画は、話し合って生徒に決めさせるようにしています。自ら進度を把握し、記録し、次にすべきことを明らかにしながら学習できるように工夫されているのが、個別進度学習の特徴です。

第1回子ども白熱会議

 人工知能についての課題記事を読んで自分の意見を述べる「第1回子ども白熱会議」が2016/10/16(日)、区立日比谷図書文化館にて開催されました。

 

 パネラー審査に通ったことを生徒達と一緒に喜びましたが、会議に備えて具体的に何を準備すべきなのかよく分かないまま当日を迎えました。本人(+保護者(?))たちも不安が大きかったと思います。しかし、子ども達は、パネリストの役割をそれぞれ立派にこなしてくれました。光の当たる檀上でマイクを持って発言する姿は、マナビオにいる時とは少し違ってみえました。「大したものだな」と関心しました。

 

 進行役の市川力先生は、5人いる子どもパネリストの性格を短時間に把握されていました。難しい問題を議論するため、子ども達に簡単な言葉で語りかけながら意見を引き出していく方法はとても見事でした。

 

 日本で教育を受けた人は、総じて議論が苦手です。それは大人になっても変わることはありません。問題は、自分の考えを述べたり、議論する機会が小学校で極めて少ないことにあります。優れた進行役を加え、議論する機会さえ増えれば、子ども達は能力をもっと伸ばすことができると強く感じました。

選択がもたらすもの

 市原市の公立小中学校は2学期制です。体育の日を挟んだ短い秋休みを終え、学校では2学期が始まりました。

 

 個別進度学習教室にやってくる小学生達に学校の様子をきくと「学級委員を決めた」という話が、度々でます。

 

 「委員長はAちゃん、副委員長はBちゃんとCくん。」

とある生徒が教えてくれました。

「選ばれたのは"学級委員"って見えるしっかりした子?」

ときくと、

「え~!!しっかりした子もいるけど、そうでもない子もいるよ。Cくんなんてね...」

と続きます。そんな時する、子どもの人物評価は、結構、するどいものがあります(笑)。また、「学級委員」たる人物に求められるものが何であるのか、子ども達は良く分かっています。

 

 「(本人の名)は?」

とたずね、

「え~!!」

と驚く子どもにつづけて

「"ハイッ!私がやります!!"って言ってもよかったんじゃない?」

と言うと、

「そんなの絶対ムリだよ。候補者に名前が挙がったわけでもないのに...」とポツリ。

 

 ムリに子どもの背中を押すつもりはありません。学級委員になることが正解とも思っていません。ただ、「"状況に従った"と思っているかもしれないけれど、実は自分で選択しているんだよ」ということを伝えたい気持ちがあります。

 

 そのように日常を見ることができると、子どもにも行動の選択肢が想像以上に多いことが分かります。そして、学習においても、問題を解決するために、選択肢を探す努力を怠らないようになるのです。