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まめストリート・ジャーナル 〜無料で情報が買える唯一の新聞〜

新聞を読みたいけれど時間が無い。新聞は高いから購読していない。政治から経済、映画や音楽、株式投資、お得なマネー情報、本のレビューまで1つのテーマを1分くらいで紹介。新聞や本の代わりとしていかかでしょうか?

朝日新聞などの一部報道によると、東京大学と米国のスタンフォード大学などの研究チームが、「液体のり」の成分(合成樹脂ポリビニルアルコール(PVA))を使って、白血病の治療に必要な「造血幹細胞」成分を短期間で培養することに成功したと発表したそうです。それまで、白血病に必要な成分は培養が難しく、0.5リットルで数万の費用がかかり、治療に高額な費用が必要だという事が課題でした。この発見により、短期間かつ低コストで白血病の治療が可能性があると注目を集めています。詳細は、権威のある科学誌「ネイチャー」に掲載されるそうです。

 

市販「液体のり」、白血病治療の救世主に? 専門家驚嘆

https://www.asahi.com/articles/ASM5X6HTMM5XULBJ01H.html

 

まさに、セレンディピティです。

 

話は変わりますが、化学や医学の発展において偶然(セレンディピティ)は意外と多くのケースが存在します。

今では、医学の世界で当たり前となった「ペニシリン」もブドウ球菌の培養中に偶然カビ菌がペトリ皿に落ちてしまい、その周囲だけにカビ菌が発生しない事から生まれました。日本でも、ノーベル賞を受賞した田中耕一さんも、タンパク質を検出する装置を研究中に、「間違えて」グリセロールとコバルトを混ぜてしまい、「どうせ捨てるのも何だし」と実験を試みたところ、タンパク質の検出に成功した事がノーベル賞級の結果になりました。

 

「セレンディピティ」とは、偶然の発見を示す言葉として有名ですが、これは科学や医学に限らず、人生の色々な場所で起こります。

それは、ビジネスでも同じです。企画会議で良い企画が思い付かないという場面も多いですが、その時にはデスクで悩むよりも、場所や方法を変えると意外なひらめきがある事も多いです。

 

例えば、ビジネス系の雑誌や本しか読まない人が、女性ファッション誌を読むと意外なアイディアが生まれたり、日常でも行き帰りの道中を変えてみる。普段は入らない飲食店で食事をする。有名な名著「アイディアのつくり方」という本には、「アイディアは何かと何かの組み合わせである」と書かれています。つまり、どんなに素晴らしいアイディアも既存の組み合わせでしかありません。

 

もし、アイディアが出ずに困っている人がいたら、家やオフィスから出て新しい発見をする事は大切です。

 

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ジャーナリスト池上彰さんと言えば、もはや国民的な人気者でニュースを分かりやすく解説する事で有名ですが、その池上さんの情報収集術が狂っているという記事を見ました。記事によると、池上さんの情報源は以下のようになるようです。

 

(1)休日はケーブルテレビでアメリカのCNNを流しっぱなしにする。

(2)新聞は毎日、全ての全国紙を読む。

(3)書店では売られない直接購読限定の専門誌は5冊購読。

(4)毎日3店の書店を訪れて隅々までチェックする。(年300冊は読破)

 

この記事を読んで、ネット上では「絶対に無理」「池上さんだから出来るんだわ」のようなコメントが寄せられていたそうです。この件に関してホリエモンが最新の著書で、このような事を言っています。

 

「あれぐらいのアウトプットをするなら、これくらいインプットして当然」

 

賛否両論でしょうが、編集長まめタンク的にもこの意見には同意です。

池上さんの場合は大学(東工大)の教授ですし、テレビや公演もあるでしょうから凄いと思いますが、情報を発信して生きているのであれば、これぐらい当然ですし、逆にまめタンク的には(えっこれだけ?)というのが正直な感想です。まめタンクも年間に300冊以上は読破してますし、雑誌は家電から女性誌まで楽天マガジン(買うのは恥かしいので・・)で読んでます。

 

その昔、貴族階級の時代はその家庭に生まれるのかが貧富の差の重要な要素でした。漫画のワンピースでいう天竜人でしょうか?しかし、今は知識の差が貧富を分ける時代になりました。つまり、良い情報を仕入れてそれを活用する人が成功者なわけです。

 

そこに貧富の差はありません。図書館に行けば無料で本が借りられますし、ネットも無料で情報が手に入ります。つまり、今の時代、特にAI時代は努力こそが差です。

 

ビル・ゲイツやウォーレン・バフェットが読書家として有名ですが、池上さんも含め頭の良い人が努力しているのですから、努力しない人が貧困や貧乏に陥る。もしくは格差が広がるのは当然でしょう。

 

差は努力で埋めれれる、特に今はそうです。

楽天ブックスの調査によれば、日本のビジネスマンの6割は1ヵ月に1冊も本を読まないそうです。つまり、世の中なんてのは以外とちょろいもんです。

 

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ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」は世界30ヶ国以上で出版され日本でも50万部近く売れ話題を呼びました。オバマ前大統領やビル・ゲイツ氏が絶賛した事でも有名ですが、人類の歴史を壮大なスケールと独創的な発想で描いた事が最大のポイントです。

 

一番有名なフレーズはこれでしょう。

 

「ホモ・サピエンスが繁栄したのは虚構(嘘)を信じる事が出来たからだ」

 

ここだけ知ってる!という人の方が多いのかもしれません。

 

・人は小麦の奴隷となった。

 

たた個人的に本書(特に、上巻において)個人的に印象的だったのが、人類が定住し家畜や栽培を始めた部分です。ハラリ氏はこう言っています。

 

「人類は小麦の奴隷となった」

 

どういう事でしよう?曰く、人類が定住するまでは食物は熟れた果実や狩で得た動物の肉でした。多い時では、数十種類の食べ物を摂取していた。つまり、バランスの取れた食事をしていたのです。しかし、人類は定住し小麦などの食物を栽培すようになると1日の大半を栽培に使うようになった。その一方で、口に出来る食べ物は小麦や家畜の肉に偏り始めるわけです。

 

人類は小麦を栽培する事で、小麦を家畜化していると思ったけれど、実は人類は小麦の奴隷となったという説です。

 

・人類はスマホで奴隷となった。

 

ここを読んで思った事は、

 

「人類はスマホの登場によってスマホの奴隷になったのではないか?」

 

という説です。

 

スマホは確かに便利です。けれど、それが本当に必要なのか?と問われると疑問です。LINEでのやりとり、Facebookの投稿、インスタのいいね!これが人生にどれだけ恩恵を与えるのでしょうか?10年前までスマホは存在していませんでした。けれど、10年前が今よりも不幸だったのか?と問われると疑問です。歩きスマホという言葉もありますが、歩いてまで収集する価値に値するのでしょうか?赤ちゃんを抱きながらLINEのやりとり必要ですか?

 

一方で、我々が使った多量の情報や時間の恩恵を受けているのは、GAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)です。

 

我々は人生の限られた時間をGAFAが利益を得るために提供している。

 

ハラリは続編?「ホモ・デウス」の中で、今後は人類の中で多くの人が役立たず階級に属すと言っているそうです。

 

その昔、農場で働いている奴隷は自分が奴隷だと知っていました。

 

今の奴隷は、自分が奴隷だと知りません。

 

本当にそれは必要か?人生という限られた時間は唯一、我々が選べる自由です。

 


 


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クレヨンしんちゃんの名作「オトナ帝国の逆襲」をオトナ視点で見ると、色々と思う事があります。

この映画が公開された当時、オトナでも子供でもない中間くらいの年齢でした。(心は完全に子供でしたが、、。)

簡単にあらすじを説明すると、子供時代に戻りたい大人たちと、未来に希望を抱く子供たちの戦いを描いた作品です。

最近、WOWOWでクレしんの劇場版が一挙放送されていたので、改めて再見しました。当時は、子供視点でしたが、今は完全に大人視点です。

この映画の見どころは、未来を生きると決意した野原一家(特に、しんのすけが)が東京タワーのような鉄塔で、オトナ帝国のボス(チャコとケン)と戦うシーンです。

鼻血を出してボロボロになったしんのすけは、チャコの(どうしてそこまでして未来を生きるの?)という問いかけに対して、こう言います。

オラ、父ちゃんと母ちゃんとシロとひまわりと、一緒に居たいから。
綺麗なお姉さんといっぱいお付き合いしたいから。

と、、。

このシーンを見た子供時代の自分は共感できました。当然、そこには未来があったからです。

でも、大人になって考えると、それは正しい選択なのか?と疑問に思います。

父親のひろしは、洗脳された昭和の街並みの中でこう言います。

(ちくしょ、この臭いを嗅いだら頭がおかしくなっちまう)

と、、。

大人になって見返すと、ひろしのこの言葉には非常に共感できます。

東京の商社に勤める父ひろしにとって、未来には少なからずの絶望があります。

毎日の電車通勤、上がらない給料と35年の住宅ローン。

ひろしにとって、しんのすけとひまわり(妹)を授かった事はかけがえの無い幸せです。

でも、しんのすけも5歳です。15年もすれば、自宅を巣立ち東京に越すかもしれません。映画のセリフのように、綺麗なお姉さんとお付き合いしているかもしれません。

そうなると、ひろしとみさえは春日部の自宅の住宅ローンを20年も払いつ続ける必要があります。

しんのしすけも結婚し、子供が出来てひらしと同じように、住宅ローンを組めばオトナ帝国の大人たちと同じ事を言うかもしれません。

つまり、「オトナ帝国の逆襲」はある種の幻想と現実が入り混じった作品であって、大人は素晴らしいという幻想と子供時代は楽しかっという現実が交差しています。

そう考えると、未来とは何か?という非常に難解な問いかけをしている映画とも言えます。

この映画が問いかけるメッセージはこうでしょう。

未来は希望かもしれないし、絶望かもしれない。

けれど、未来は変えられる!

ただし、未来を変えようと思った人だけが、、。

クレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」は非常に哲学的で難しい作品です。

あなたは、大人ですか?子供ですか?

未来という言葉を聞くとワクワクする。
人によっては絶望感を抱くかもしれないです。

子供の頃は、すべてが希望に溢れていた。
幼稚園から小学校に上がる時には、友達100人できるかな?の歌よろしく、学校に行く事が楽しみでしょうがなかった。

今日の給食はカレー、それこそが最強のバズワード。

ツイッターの話題もインスタのタピオカミルクだって敵わない。

小学校を卒業し、中学校に上がった。
色々な場所に毛が生えて、それはそれで大人なったような気持ちだ。

好きという感情が恋という感情に変わる。
高校生になると、恋が愛へと変化していく。
大学になると愛が信頼へと変わった。

大学生になると、将来への漠然とした不安を感じる。俺って良い大学に入れなかったから一部上場企業には就職できないだろうな、、。

とか、

今の月給が25万円だから将来はこうで、銀行で組める住宅ローンの限度額はこうだろうといった将来設計。

俺たち、私たちな未来って本当にミライなんだろうか?

クレヨンしんちゃんの映画「オトナ帝国の逆襲」では未来に絶望した大人と未来を信じた子供が戦いを繰り広げた。

でも、よく考えると未来というものは存在しているのだろうか?まだ来ない未、つまりは未来という。

未来に絶望する事は簡単だ。

布団を被って目を閉じれば、一時的に何かが解決する。布団の中でブルーライト満載のスマホ片手にYouTubeを見れば癒しだって感じられる。

未来を変える方法が確実にあるとすれば、こうだ!
未来というものは存在していない!
未来がミライなのではなく、今が未来なのだ!

今という確実な未来を変えること、それこそが最高の自己啓発であり、敗者と成功者を分ける。

絶望や悲観は過去の延長線上でしかない、未来ではないのだ。

未来を変えるのは、今この瞬間を全力で生きる事。

1ページでも本を読んでみる事だっていい。

改めて思う、未来というものは存在していない。今、この瞬間こそが未来であり、それをどう生かすかが大切なのだ。

未来は今そこにある。人生を変えたかったら今という未来を全力に生きるべきだ。

全力で生きたのなら後悔は無い。
全力で生きて失敗したのなら後悔は無い。

さぁ、今という未来を生きてみよう。
そこにこそ、ワクワクが隠されている。