この映画が公開された当時、オトナでも子供でもない中間くらいの年齢でした。(心は完全に子供でしたが、、。)
簡単にあらすじを説明すると、子供時代に戻りたい大人たちと、未来に希望を抱く子供たちの戦いを描いた作品です。
最近、WOWOWでクレしんの劇場版が一挙放送されていたので、改めて再見しました。当時は、子供視点でしたが、今は完全に大人視点です。
この映画の見どころは、未来を生きると決意した野原一家(特に、しんのすけが)が東京タワーのような鉄塔で、オトナ帝国のボス(チャコとケン)と戦うシーンです。
鼻血を出してボロボロになったしんのすけは、チャコの(どうしてそこまでして未来を生きるの?)という問いかけに対して、こう言います。
オラ、父ちゃんと母ちゃんとシロとひまわりと、一緒に居たいから。
綺麗なお姉さんといっぱいお付き合いしたいから。
と、、。
このシーンを見た子供時代の自分は共感できました。当然、そこには未来があったからです。
でも、大人になって考えると、それは正しい選択なのか?と疑問に思います。
父親のひろしは、洗脳された昭和の街並みの中でこう言います。
(ちくしょ、この臭いを嗅いだら頭がおかしくなっちまう)
と、、。
大人になって見返すと、ひろしのこの言葉には非常に共感できます。
東京の商社に勤める父ひろしにとって、未来には少なからずの絶望があります。
毎日の電車通勤、上がらない給料と35年の住宅ローン。
ひろしにとって、しんのすけとひまわり(妹)を授かった事はかけがえの無い幸せです。
でも、しんのすけも5歳です。15年もすれば、自宅を巣立ち東京に越すかもしれません。映画のセリフのように、綺麗なお姉さんとお付き合いしているかもしれません。
そうなると、ひろしとみさえは春日部の自宅の住宅ローンを20年も払いつ続ける必要があります。
しんのしすけも結婚し、子供が出来てひらしと同じように、住宅ローンを組めばオトナ帝国の大人たちと同じ事を言うかもしれません。
つまり、「オトナ帝国の逆襲」はある種の幻想と現実が入り混じった作品であって、大人は素晴らしいという幻想と子供時代は楽しかっという現実が交差しています。
そう考えると、未来とは何か?という非常に難解な問いかけをしている映画とも言えます。
この映画が問いかけるメッセージはこうでしょう。
未来は希望かもしれないし、絶望かもしれない。
けれど、未来は変えられる!
ただし、未来を変えようと思った人だけが、、。
クレヨンしんちゃん「オトナ帝国の逆襲」は非常に哲学的で難しい作品です。
あなたは、大人ですか?子供ですか?