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空に浮かぶ雲に枕し、眠ることができたらなぁ。
あれは「わたあめ」ではなくて、「わた」だと思うの、きっと。
雲のことばかり?
空の青さはって?
それは彼に任せてしまおう。
彼とは誰だって?
空の青さの意味を知っている人に。

ふぁ、眠い。
あと少しで、私もやっと蝉のように鳴ける?
それは夜ごとの夢が教えてくれているはず。


 



自分の詩や他の人の詩を見ていて、やっぱり個性ってあるなぁって。

昔はそうでもなかったけれど、最近の私の詩には、「わたし」と「あなた」の対比だったり対立だったり交錯だったりする傾向が強いなって。僕と君、あなたと私、私と僕、彼女と私……

だからって二人の人間が出演するから恋愛詩かというと、そうでもなかったりする。恋愛詩のことだってあるけど、簡単にそれだけじゃなくて。結局私がやりたいことは、この対立・対比・交錯、別の軸が関わることによって起こる、自己の内面の模索だったりするのかな。


だけど、詩には、恋愛詩の他に抒情詩だったり抽象的な前衛的なものもある。様々なジャンルが混在する。

詩というよりも、教訓めいたものもジャンルに入ったりもする。

詩という形の形式が開放されたからこそ、起こっている氾濫。

どこまで、私はそれを泳ぎきれるのかな。

そしてどこに辿り着くのかな。


私にとっての詩は、感情の表現で。

それを越えることは、ないのかもしれない。




 


桜貝を爪にして
陶磁器を肌にして
生糸を御櫛にして
紺瑠璃を瞳にして
水蜜桃を唇にして
それから
あとの美しいもので
形作られた乙女は
手を組み祈りを宿らせて
一度も笑うことがない

久遠の前かその後に
瞳を揺らしたことはあっても
それは時計も忘れてしまった出来事
乙女は笑うことがない


祈りが届いた暁には
苦渋に満ちたその顔を
ぎこちなく動かすことも
あるだろうけれど
乙女は一度も笑うことがない
祈りは祈りでしかないのだから


 



母から、「これは凄く良いから!」と勧められてたものの、時代小説だからという理由で読んでいなかった一冊の本。それが、今回紹介する「卵のふわふわ」です。


かんたんなあらすじ。

時は江戸。夫との心の擦れ違いに悩むのぶに、いつも舅の中右衛門は美味しいものをねだりながら、のぶをたすけてくれる。一風変わった江戸を彩る食べ物を巡りながら、人の心の温かさを描いた作品。


この、「卵のふわふわ」。

読んでいて、無性に泣けました。時代小説とかなんとか、関係ない。心が温かくなって、でも切なくて、素敵なお話です。

のぶ、という女性の視線から物語は語られるので、女性の受けはいいと思いますが、男性的にはどうなのかな。正一郎の気持ちにうんうんと頷けたなら、男性でも読めると思うのですが。

のぶの、狭い世界。そこから語られる断片的な、主観の入った世界。それが、はらりはらりとめくれ上がりながら、あの時の正一郎はこんな気持ちだったんだ、とあとになって分かる。その瞬間が、私はたまらなく愛おしかったです。

正一郎の、不器用な気持ち。その伏線に気がついて、人の想い方を考えました。


文庫本ですが、表紙ののぶと正一郎。

まさにふたりは、こんな感じだったのですね。とても作品にあった表紙だと思います。


じんわりと心が暖かくなる、「卵のふわふわ」。

読んでみて、私も卵のふわふわを食べてみたくなりました。



卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし (講談社文庫)/宇江佐 真理

¥560
Amazon.co.jp



 


この数瞬の輝きがあるのは
数え切れぬ憂いがあるから
冴え冴えと夏はその横顔を曇らせて
命を燃やし尽きることを問うた
結果蝉は鳴き蛍は光り
あくがる命は体ばかり残した
その先に繋がれた
連鎖に濃い影を落としながら


この数瞬の輝きが
夏の影を色濃くさせる
それを知る頃我らの夏は
頭上をのったりと覆っているだろう