空に浮かぶ雲に枕し、眠ることができたらなぁ。
あれは「わたあめ」ではなくて、「わた」だと思うの、きっと。
雲のことばかり?
空の青さはって?
それは彼に任せてしまおう。
彼とは誰だって?
空の青さの意味を知っている人に。
ふぁ、眠い。
あと少しで、私もやっと蝉のように鳴ける?
それは夜ごとの夢が教えてくれているはず。
自分の詩や他の人の詩を見ていて、やっぱり個性ってあるなぁって。
昔はそうでもなかったけれど、最近の私の詩には、「わたし」と「あなた」の対比だったり対立だったり交錯だったりする傾向が強いなって。僕と君、あなたと私、私と僕、彼女と私……
だからって二人の人間が出演するから恋愛詩かというと、そうでもなかったりする。恋愛詩のことだってあるけど、簡単にそれだけじゃなくて。結局私がやりたいことは、この対立・対比・交錯、別の軸が関わることによって起こる、自己の内面の模索だったりするのかな。
だけど、詩には、恋愛詩の他に抒情詩だったり抽象的な前衛的なものもある。様々なジャンルが混在する。
詩というよりも、教訓めいたものもジャンルに入ったりもする。
詩という形の形式が開放されたからこそ、起こっている氾濫。
どこまで、私はそれを泳ぎきれるのかな。
そしてどこに辿り着くのかな。
私にとっての詩は、感情の表現で。
それを越えることは、ないのかもしれない。
母から、「これは凄く良いから!」と勧められてたものの、時代小説だからという理由で読んでいなかった一冊の本。それが、今回紹介する「卵のふわふわ」です。
かんたんなあらすじ。
時は江戸。夫との心の擦れ違いに悩むのぶに、いつも舅の中右衛門は美味しいものをねだりながら、のぶをたすけてくれる。一風変わった江戸を彩る食べ物を巡りながら、人の心の温かさを描いた作品。
この、「卵のふわふわ」。
読んでいて、無性に泣けました。時代小説とかなんとか、関係ない。心が温かくなって、でも切なくて、素敵なお話です。
のぶ、という女性の視線から物語は語られるので、女性の受けはいいと思いますが、男性的にはどうなのかな。正一郎の気持ちにうんうんと頷けたなら、男性でも読めると思うのですが。
のぶの、狭い世界。そこから語られる断片的な、主観の入った世界。それが、はらりはらりとめくれ上がりながら、あの時の正一郎はこんな気持ちだったんだ、とあとになって分かる。その瞬間が、私はたまらなく愛おしかったです。
正一郎の、不器用な気持ち。その伏線に気がついて、人の想い方を考えました。
文庫本ですが、表紙ののぶと正一郎。
まさにふたりは、こんな感じだったのですね。とても作品にあった表紙だと思います。
じんわりと心が暖かくなる、「卵のふわふわ」。
読んでみて、私も卵のふわふわを食べてみたくなりました。
卵のふわふわ 八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし (講談社文庫)/宇江佐 真理