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文化系寄り道倶楽部

アラフォーで2児のパパであり、80年代の音楽をこよなく愛し、ガンプラを愛で、パソコンをいじくり倒し、台所を妻から奪い取り、キングの小説におびえ、究極超人あ~るで笑いころげ、夜な夜なUST配信をしている

「胡蝶の夢」(こちょうのゆめ)は、中国の戦国時代の宋国(現在の河南省)に産まれた思想家で、道教の始祖の一人とされる人物である荘子による説話である。荘子の考えが顕著に表れている説話として、またその代表作として一般的にもよく知られている。

wikiより


蝶になった夢をみる。そして夢から覚めて思う。

私が夢を見て蝶になったのか それとも蝶が私になった夢を見てるのか?


こんな話、みなさんどこかで聞いたことありますよね?


僕はといえば、いろんな場面でこの話を聞いていたのだけれど、まったく頭に入っていなかった

たとえ話としては よくわかるけど いつ誰が どんな意図で語った話かは 興味がなかった


「へぇ これが荘子なんだ」

それはある本 ずっと気になっていたある本を図書館で借りて読んで、ほんのさわりの部分で紹介されていた。その本は

人生は愉快だ/池田 晶子

¥1,575
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僕はアメブロで知り合ったある方の記事を読んで、この本を読みたいと思った
ところが近所の本屋は貸し出し中・・・

で、忘れていたこともあったんだけれど、やっとこの週末に図書館から借り出した。


で、この話に出会う

それは奇しくも・・・僕が書いている小説「静かなる老人」という作品のある場面に、なんとなく蝶のイメージがあって、それを書くかどうか 迷っているときだった


あー、あの蝶は そういう存在だったんだ!

って、それはまるで神のお告げ 天の声のようなものだった 或いは『サイン』

サイン [DVD]/M・ナイト・シャマラン,メル・ギブソン,ホアキン・フェニックス

¥1,500
Amazon.co.jp

http://ameblo.jp/makake/entry-10509597011.html

↑昔、書いた記事ね

で、悩みをぶっとばして、胡蝶の夢のエピソードをその小説に昨日盛り込んだわけだけど・・・サインはそれでは終わらなかった。

その夜、ちょっとした探し物をしていて、あるゲームソフトに目が留まる

PS版「女神異聞録 ペルソナ」

ペルソナ/アトラス

¥5,229
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↑リメイク版ね


そういえば、このゲームクリアーしてなかったなぁと思い、オープニングだけでもちらっと見たくなって、ゲームを始めてみる・・・あらあら、こんなところにも「胡蝶の夢」のお話がw


なんでしょうね

最近、僕の周りではこんなことばかり起きます


無意識に支配された行動

そう解釈するか

神のお告げ 天の声 或いは「サイン」

と解釈するか


僕はそのどちらも ありだと思う

それこそが真の意味での「胡蝶の夢」じゃないかなぁ


池田晶子さんは、こんなふうに著書の中で述べてます

生と死 もしくは夢と現実 もしくは自己と他者というものは、どうもうまく分けられなくなる。
何が何であるかを 言えなくなるのである。
言葉すなわち論理でいえない
こういう混沌の領域は、しかし、いきなりそこに飛び込むよりも、やはり荘子がそうしたように
常に論理に立ち戻りつつ進んだ方がずっと面白い。

「万物斉同※」の妙味はいや増すのである。


※「万物斉同」とは
人はとかく是非善悪といった分別知をはたらかせるが、その判断の正当性は結局は不明であり、また、一方が消滅すればもう一方も存立しない。つまり是非善悪は存立の根拠がひとしくて相対的であり、それを一体とする絶対なるものが道である。

wikiより



ふむふむ

さもありなん
なんでそんなことを・・・

子供には本を読ませたい と思うのが普通なのかな

まぁ、それはそうなんだけど


僕としては 本も漫画も どっちも大事かなぁと思ったりする


文字だけで表現される本
でも、そこに挿絵なんかがあって、それがなんとも自分のイメージとまったくあっていなくて、がっかりすることがある。もちろんばっちり会うことのほうが多いような気もするけど、それはもしかしたら表紙を見ている段階で刷り込まれているかも・・・とか

いやいや、まぁ、そこはどうでもいいのだけど


漫画ね 漫画

僕は子供のころほとんど漫画を読んでいなかった

読むときは、そう 床屋さんで待っているときくらいかな

それで、なんでかそこには少年キングが置いてあって・・・
ブラックジャック ドカベン エコエコアザラク なんかが好きだった

ともかく中学を卒業するまでは、自分で漫画を買うことなんかなかった

漫画好きの友人のところで一日中漫画を読んだりしたこともあったけど・・・

で、それは コブラ だったり 気分はグルービー だったり あだち充の作品を読んだのもこのころかな? あと麻雀漫画ね

ともかくそのあたりをきっかけに、高校生くらいから漫画を少しずつ読むようになった

究極超人あ~る や BB TO-Y なんか読んでた あれ サンデーばっかだw

そうそう、サンデーね マガジンは読んでなかったし、ジャンプは弟が買っていたのを読んでた

好きな漫画を列挙すれば、それなりに数は上がるけど、僕はやっぱり この作品っていうのがいくつかあって


究極超人あ~る と 俺たちのフィールド は 大好きな作品で小説が並んでいる棚に一緒においてある それから 哭きの竜 ね


そこに新たに加えているのが 藤田和日郎の うしおととら


うしおととら (第1巻) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)/藤田 和日郎

¥710
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一匹の妖怪と少年の物語

獣の槍によって500年の間、封印されていた妖怪 とら
少年 うしお は仲間を助けるために槍を引き抜き、妖怪の力を借りる
しかし、それはあるおおきな運命の中の宿命的な出会いであることを、二人はまだ知らない

妖怪と少年の奇妙な友情
獣の槍に隠された秘密をめぐり、さまざまな人間、さまざまな妖怪に出会いながら、時には反目し、ときには協力し、絆を深めていく二人

そして、その二人と出会ったことで運命を変えられた人々、そして妖怪が、やがて白面の者(はくめんのもの) という恐ろしい強大な敵とともに闘うことになり、その中でうしお少年は死んだとされていた母の秘密、それを隠してきた父の秘密を知ることになる


この作品のすばらしいところは・・・
・一つ一つのエピソードがきちんと伏線となり、中盤で一気に物語が動くあたりのダイナミックさ
・人でも妖怪でも闇の部分がしっかりと描かれ 暗部を描く絵の迫力があり美しいこと=つまり怖い
・張り詰めた空気とゆるゆるな場面との落差が大きい=おちゃめ
・ほどよいエロ=重要な要素だ 健康的

うん、それはそうなんだけど、もっと重要なこと

それは 子供を怖がらせよう としていること

そして、その恐怖に打ち勝つための方法をいろんな形で描いているところだろう

そこは、きっと僕の中に共通して存在している大きなテーマ

恐怖はある

それをみとめて 逃げないで真正面から受け止めることで、克服することができる


かな

そして、そのためには時には何かを犠牲にしなければならないし、時には自分が変わらないといけない

そういうところを、子供たちが読み取ってくれたらいいなぁと 思ったりしてます
「バースデイを祝う」という文章の中で、「どうぞBDをお楽しみください」という言葉があった

もちろん前述で「バースデイ」という言葉を使っているため、文字数を稼ぐためにBDと略したのだけれども、僕はてっきり


誕生日プレゼントにブルーレイディスクをプレゼントしたものだと 勘違いしてしまった


直感的な思い込み


最近、twitterやメールなど 文字数を少なくするために略語を使う機会が多い

しかし、こちらが思ったような意図で伝わらないことも、あるかもしれませんね


DM=ダイレクト・メッセージだって、ダイレクト・マッサージだと思い込む人だっているかもしれない・・・いませんねw

また、こんな話もあります


先日ラジオで、HNのことを「ホームネーム」とDJの方が読んだように思い、あれ?と思いました
なんで、あれ?って思ったかといえば、そのかたがそれなりに英語が達者なか方だったので、もしかしたら、英語圏ではHN=ハンドルネームではなかったりするのかな?

で、調べてみると、HNはやはりハンドルネームであっていたのですが、しかしですね。そこには諸説書いてありました。

Handle Name は間違った英語か
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/mendoxi/bug/handle-name.html


HNをハンドルネームというのは 「handle name」 で 「handle」だけで 「肩書き」って意味がある

通常は「handle」だけで通じるからハンドルネームは「肩書き名前」といっているようなのでおかしい
間違った使い方だ 和製英語だ という指摘があったりするという話

で、実際は、そんなことないのだけれども


うん


なかなかに興味深い


そういばと ある 末広がりなチャンネルのアナウンサーが 「墓穴を掘る」を「はかあなをほる」 と読んでいたが

まぁ、これは 文脈からすると間違いだったが、たしかに どちらでも読める

墓穴

と、呟いても どちらかわからない

ぼけつ と はかあな では 同じ意味でもニュアンスがちがう

で、ちなみにニュアンスとは

意味合いの微妙な違い、感覚の僅かな差異など。フランス語由来の英語だが、もとをたどるとラテン語の雲(nubes)からきている。

だそうだ


ちなみに僕は アンニュイはずっと日本語だと思って40年近く生きてきた男だ

案似意とか案如意とか そんな漢字だとずっと思っていたのだが


ニュイ という 漢字は 一語でも二語でも存在しないみたい


似た響のある言葉に「鵺」というのがあるが

サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビ
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で、なんで「夜の鳥」なんだろうね

夜に鳴く鳥は姿が見えないから そういうものを想像したのかな?


とまぁ、


なんだか言葉で遊んじゃいましたが、BDは

「メガゾーン23」に出てくるところの声優塩沢兼人が演じた将校でもなければ
マイクロソフトが鳥山明を使って制作した評価は高いが今ひとつメジャーになれなかった「ブルードラゴン」でもないし、そこに出てくるモンスターに鵺ではなくドラゴンですw

震災があった日、僕は世田谷の豪徳寺周辺で仕事をしていた。


そこか、僕が落ち着けるようになったのは夜中の12時になるような時間だった。


小説などを書いている人間は、こういうとき、どこか度し難い部分=ネタを探すことをしてしまう。


そして、それが頭の中でしっかりと形になり、書き出したころ・・・自分が予測していたよりもはるかに現実のほうがSFじみていて、サスペンスみたいで、結局僕は、その作品を書くのをやめた。


妄想、想像から作り上げた作品を上回るような現実って、いったいぜんたい、ボクらはどんな世界に住んでいるのか?


そこで、僕は、もっと、もっと身近なテーマを書くことにした。
僕自身が体験したこと――まるでスピルバーグの「宇宙戦争」みたいに、街の中を逃げ惑う人々、3月11日に渋谷でみた光景は、まるで戦争のようだった。

「逃げ惑う」は適切な言葉ではない


想定外の出来事に戸惑い、さまよう様

茫然自失と大衆心理と情報格差


僕が見た風景は、ときに人は助け合い、ときに人は奪い合い、ときに人は労わりあう

その行動原理は、一定の非常事態の中での「助け合おう」という意識――いや、これは日本人の文化なのかもしれないが、同時に自分で判断する事ができず、その場の総意に流される弱さ――マスコミに対する情報の依存度が高い人ほど、その行動は混沌としていた。


僕は結局、今まで直接被災地に足を運んではいない
復旧と復興が進む中、現時点でもそれは非日常の有様に違いないし、見に行くべきなのだろう

しかし、「見なければ書けない」ということとは ちがう

見ないで書くことは 見ないうちにしかできない


これは いいわけだろうか?

実際僕は 見るのが怖い

言葉を失わないという 自信もなければ、リアルな現実の前にひざまずかない強さも持ち合わせていない


僕は、僕のできることを


そう、思いながらすごした半年は、常に被災地とは遠いところに自分の身を置いていた。たぶん、これからもそうだと思う。

僕はあの日みた、世界を描く

僕はあの日感じた、世界を描く

僕はあの日触れた、世界を描く


それが、描き切れたら、次のことを考えよう



心が通う・・・すごくきれいごとだよね


でも、みんな気づいているはず



そう、いう 瞬間は 日常に 埋もれている


逆説的には あれ?なんでわかってくれないのかなぁ

と そう落胆する 卑下する 非難する


でも、ほら、好きな音楽や映画や、役者のことを語るときって

心通って 共感して うれしくなって そうじゃない?


たとえば なにか自分の考えをブログやツイッターに書いてみる

そうしたら、誰かから そうだよね とか いや、そうじゃなくて こういうこともあるんじゃないかな

とか

そんな言葉をもらったとき

あー 言葉が通じた 言いたいことが伝わった

って、ところから始まって

共感しあったり、認め合ったり、視野が広がったりするよね

それって、とても素敵なことじゃないかな?

そうだと思う


きっと、そういう感覚を味わいたくて、自分はソーシャルを始めたのだと思う


もちろんだからこそ そうでないもの それを阻害するもの 悪用しようとするものには、大いなる警戒心と嫌悪と軽蔑を持ってあたるのだけれども


僕は、幸運にもそういうものにあまり出会ってない

これからも、そうであることを切に願うとともに じゃあ、やってみようかと思っていただいた方には、そうであってほしい。

僕はソーシャルネットワークからたくさんの勇気をもらった


それを少しでも多くの人に体験してほしい


今は、そう思える

心が通う瞬間が、そこにはある あったのだから・・・