常陸国だいだらぼっち伝説・その1(仮題)水戸ダイダラボウ | 雑感

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霞ヶ浦


霞ヶ浦と筑波山の山陰に沈む夕日。


かつて伝説の大巨人だいだらぼっちが、筑波山に腰を下ろしつつ、


この霞ヶ浦で足を洗ったという。



※※ パソコンからご覧の場合で、画像によってはクリックしても十分な大きさにまで拡大されず、画像中の文字その他の細かい部分が見えにくいという場合があります(画像中に細かい説明書きを入れている画像ほどその傾向が強いです)。その場合は、お手数ですが、ご使用のブラウザで、画面表示の拡大率を「125%」「150%」「175%」等に設定して、ご覧いただければと思います※※



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霞ヶ浦と筑波山を、地図で見てみる。


常陸国_筑波山と霞ケ浦


北浦とかもひっくるめて霞ヶ浦とする場合もあるようです(そちらが正式?)。


霞ヶ浦あたりの衛星写真は、


霞ケ浦

(ウィキペディアより)


伝説の大巨人がその足を洗ったという霞ヶ浦も


真上から見ると、現代の巨人・曙氏がボブ・サップにKOされ


うつ伏せでマットに沈んだあの姿を連想させ、


霞ヶ浦2


またあるいは(上の曙氏とはまったく無関係の話ながら)、


推理ドラマの(殺人)現場検証などでよく見る、


霞ヶ浦3


遺体の形にかたどられたチョーク(ヒモ)の痕に似てなくもない・・・


という気がするのですがどうでしょう。


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さて常陸の国の巨人伝説といえばなんといっても


『常陸国風土記』(ひたちのくにふどき)


でしょうか。


今から約1300年前(奈良時代初期)に編纂されたこの風土記の那賀郡のくだりに、


「平津の駅家の西一二里に岡あり。名を大櫛という。上古人あり。体は極めて長大く、身は丘壟の上に居ながら、手は海浜の蜃を摎りぬ。その食らいし貝、積聚りて岡と成りき、時の人大朽の義を取りて、今は大櫛の岡という。その践みし跡は、長さ四十余歩なり。尿の穴の径は、二十余歩許りなり」


という記述があり、口語訳は、


「平津の駅家の西一、二里のところに、大櫛(おおぐし)といふ名の岡がある。昔、大男がいて、岡の上に立ったまま手をのばして海辺の砂浜の大蛤をほじって(くじって)食べた。その貝殻が積もって岡となった。大きくくじったことから、大櫛の岡の名がついた。大男の足跡は、長さ四十歩以上、幅二十歩以上で、小便の跡の穴は、直径二十歩以上ある。」


ということらしく、


いまではその貝塚の場所(水戸市塩崎町)やその近くに記念館やら公園、巨人像があるとのことで、


地図で位置を確認してみると、


常陸国風土記1


さらに、大串貝塚あたりを拡大したものが、


常陸国風土記2

(赤ピンの先が大串貝塚ふれあい公園、右側の大洗海岸との距離は直線で4.5km程度)


太古の昔、この丘に居座りながら海に向かって手を伸ばし、


大ハマグリをほじって食べては、その食べかす(貝殻)を積み上げ


やがて文献で確認できる最古の貝塚を形成したという、


その大巨人を想像して造られたのがこちらの像で、


常陸国風土記4ダイダラボッチ

(だいだらぼっち像。高さ15メートル超)


真上から公園を見てみると、


常陸国風土記3大串貝塚ふれあい公園


だいだらぼっちの足跡(足形の池)も確認できます。


別アングルから見てみると、


常陸国風土記5大串貝塚ふれあい公園2


常陸国風土記の記述---海に向かって手を伸ばし大ハマグリを採って食べたという話---にのっとり、


巨人像は海の方角を向いていると。


奈良の大仏よりも少し高い、というほどの巨大な像ですが、


実際のだいだらぼっちのスケール感からすれば、


これでもミニチュアというべきなのかもしれません。


それにしても、水戸市大串貝塚ふれあい公園は自由な雰囲気らしく、


常陸国風土記大串貝塚ふれあい公園3


ちょっと微笑ましい写真もストリートビューで拝見できました。


常陸国風土記大串貝塚ふれあい公園4


茨城県信用組合(本店水戸、1950年~)の創立60周年の寄贈品ですから、


2010年の寄贈になるんでしょうか。


かなりのプリケツといいますか、


子供体形にしては発育が良いような気がしますがどうでしょうか。


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いちおうこれが、


大串貝塚


大巨人作(by 常陸国風土記)という貝塚の断面で、


中からは、土器や骨角器、シジミなどの貝類、獣や魚の骨などが発見されているとのこと。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B8%B2%E8%B2%9D%E5%A1%9A

(大串貝塚wikipedia)


大串から東の大洗海岸まで、地図上では直線で約4.5キロ程度なので、


例えば、大串に居ながらにして大洗海岸まで手を伸ばしてシジミを漁ったとなると、


だいだらぼっちの手の長さは、少なくとも5千メートルかそこらはあったのかなと。


とすると、だいだらぼっちが直径3センチ程度のシジミをつまむのは、


我々普通サイズの人間が4~5ミクロン程度の物質をつまむのに似て難しく、


この大きさでは腹の足しにもならなかったのではないか、と想像しますが、


この点、後世の学者によると下の図のように、


縄文海進


大串貝塚が形成された頃はそのあたりまで海だったんだよ(縄文海進)、


ということらしく、


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%B5%B7%E9%80%B2


貝塚はだいだらぼっちではなく、


当時の海辺在住の縄文人のゴミステーションに過ぎない、との結論でした。


自分的には大巨人実在説のほうが夢があって面白く、


その説に固執したいと思うのですが。


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常陸国風土記ダイダラボッチ1

(だいだらぼっち♀のスケール感。想像図)