山梨県南都留郡道志村・小倉美咲ちゃん行方不明事件その36(涸れ沢での捜索終了、その他) | 雑感

雑感

たまに更新。ご覧いただきありがとうございます。(ごく稀にピグとも申請をいただくことがあるのですが、当方ピグはしておりません。申請お受けできず本当にすみません)

小倉美咲ちゃん行方不明事件

ずいぶん間が空いてしまいました。
この間、美咲ちゃんの関連で思ったこと気づいたことといえば、まず事件考察家JJチャンネル氏の考察が素晴らしいというか、特に「なぜあの涸れ沢への遺棄だったのか」という部分ですね、同氏によると
「ペドフィリアによる犯行であり、コロナ禍で外出自粛のなか子供相手の犯行を行いにくくなり性欲が抑圧されていた犯人にとっては、遺骨や遺留品を再度犯行現場近くに遺棄しなおすことが犯行の再現となり性欲の満足につながるから」
という意味のことを言われていたのですが、私はもっと浅く「事故に見せかけるためと、わざと見つけさせれば世間が騒いで面白いから」くらいに考えていたのですが、
JJチャンネル氏によると犯人にしてみれば(抑圧されたものの解放というか性欲の満足という意味で)より切実な理由を抱えていたということで、私にはとても深く感じられ勉強になったと。
(ただ私的には、遺棄のタイミングはJJ氏が言うよりももっと早いタイミングだったのではないか---例えば2019年~2020年中とか---とは思っていますが・・・)

あとは例の369の約束手形氏の一連の動画でしょうか、
あれを見て分かったこと思ったこととしては、一つは「登山素人」を自称している369氏がヒルに咬まれながらもどうにかこうにか西山の急斜面をよじ登ってピークに達した後は、とくにザイルなど使わずとも涸れ沢の捜索地点にまで問題なく行ったり帰ったりできているということでしょうか、
本人も「危険極まりないのでロープが必須だ」などということも一言も言われてはいません。
あれを見る限り、はっきり言って遺骨遺留品をリュックに入れて(なんならご遺体入りの大型リュックを背負ってでも)立ち入ることになんら困難はなさそうな現場であり、「現場に立ち入るにはロープがないと無理」というような話は間違いであるのだなと。
あとあの一連の動画に映る涸れ沢の地面を見ていて思ったのですが、その地形は当然ながら公園の滑り台のようなツルツルの真っ直ぐではなく、カーブあり段差あり、あるところは広く、またあるところは狭く・・・といった具合に複雑な形状をしており、そこに大小の石が転がり、中には流れを堰き止めるかのような大きな岩が鎮座しており、大小の倒木もあり、
要するに何が言いたいかというと、そうした地形の中で最下流の林道わきの地面上に後頭骨の一部がポツンと一つのみ存在していたということに、やはり不信感を覚えてしまいました。あの地形で、それ一つがあそこまで流れ着き、しかもちゃっかり地表に出ているものかなと。動物が咥えて運んだということもあり得るかもしれませんが、まあ私としては不思議に思ったと。

あと大きな動きとしては、警察による涸れ沢での捜索が終了したということでしょうか。
「また何かあったら捜索再開する予定」とする記事もありますので、永遠に打ち切るということではなく、建前としては「ひとまず終了」くらいのニュアンスなのかなと。とりあえず以下にこの件に関する読売の記事を掲載させていただきます。(太字部分)

「道に迷い滑落してしまったのでは」…山梨女児不明、県警「合理的範囲の捜索終えた」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
7/2(土) 13:27配信 読売新聞オンライン
「2019年に山梨県道志村のキャンプ場で行方不明になった当時小学1年の小倉美咲さん(千葉県成田市)を巡る捜索が1日、終了した。県警は約2か月に及ぶ捜索に区切りを付けたが、今後も美咲さんの死因や足取りを調べるための捜査を続けていくとしている。
県警によると、捜索は子供の後頭部とみられる骨が見つかったキャンプ場の東約600メートルのかれ沢を中心とする山中約1万1000平方メートルで行われた。大月署員や県警本部の捜査員に警視庁の応援も加わり、延べ約2150人が投入された。
現場は急斜面で、県警の山岳救助隊員がザイルで降下して堆積した落ち葉や土をそぎ落とし、崖下の捜査員がふるいにかけて骨や遺留品を捜した。沢周辺からは、DNA型鑑定などで美咲さんのものと特定された9点を含む計18点の人骨や、衣服や運動靴などの遺留品5点が発見された。
県警捜査1課の奥脇龍起課長は1日、報道陣に対し「遺留物があると合理的に考えられる場所、範囲の捜索を終えた」と説明。新たな情報や発見物があれば、捜索再開も検討するとした。
美咲さんは19年9月21日、家族や友人とキャンプ場を訪れ、午後3時40分頃に行方が分からなくなった。ある県警幹部は『道に迷っているうちに日が暮れ、明かりを頼りに山を下ろうとするうちに滑落してしまったのではないか』とみる。
県警は今後も当時の状況について情報提供を呼びかけるとともに、事件と事故の両面で捜査を続ける方針。」(読売記事終わり)



この読売の記事から読み取れることとしては、結局、美咲ちゃんの死因も足取りも判らないままだったということかと。
にもかかわらず、記事によれば、とある「県警幹部」が「道に迷っているうちに日が暮れ、明かりを頼りに山を下ろうとするうちに滑落してしまったのではないか」という個人的な想像を述べたとのこと。
わたし的には当初この「県警幹部」の言葉を聞いた時に、(大げさではなく、また揶揄するとかでもなく)にわかには意味がわからずポカーンとしてしまい、
次にふと我に返ってその言葉の意味するところを手繰り寄せるべく「道に迷っているうちに日が暮れ・・・」と、あのキャンプ場およびその周辺の道を思い浮かべ遠い目をしながら頭の中でゆっくり反芻してみるも具体的なイメージを掴めるどころか
逆に語感の似た「つれづれなるままに日暮し・・・」であるとかダンテの『神曲(地獄篇)』の冒頭部分であるとかの全く無関係のものが思い起こされてくるばかりで---その意味ではこの「県警幹部」の言葉は内容といいその語感といい微妙にふんわりとした、いい感じの文学的な文章臭を帯びているような気がしますが---この「県警幹部」の言葉の実像が全く見えてはこなかったのでした。
そもそも「道に迷っているうちに日が暮れ、明かりを頼りに」とくればその次は「キャンプサイトに帰ろうとして・・・」などの言葉が続くのが普通の文章だと思うのですが、
この「県警幹部」の頭の中では「明かりを頼りに」の次に「山を下ろうとするうちに」として突如として場面が「山頂からの下山シーン」に飛ぶのですよね、
その「山登りに来たわけでもない、虫嫌いの7歳女児」が迷いようのない車も通れる一本道の林道の終点をさらに突き抜け西山の急斜面に取りつき落ち葉が堆積した吸血ヒルうじゃうじゃの道なき道を這い登り山頂に辿り着くまでの説得的な状況説明など全てすっ飛ばした具体性の全く伴わない空想性というのも、この言葉の具体的イメージを掴みにくい原因なのかなという気もします。
美咲ちゃんがどこをどう移動したのかその足取りも全く判らず、どのように亡くなったのかその死因も全く判らない中で発せられたこの「県警幹部」の
道に迷っているうちに日が暮れ、明かりを頼りに山を下ろうとするうちに滑落してしまったのではないか
という言葉をあえてもう少し詳しめに翻訳してみるとすると、
翻訳:『県警幹部である自分には美咲ちゃんがどのように移動しどこで道に迷ったかは全くわかっていないし彼女がどういう精神的肉体的状況だったかも全くわからないけれど、とにかく『沢遊びをしている友達に合流しようとして出て行った虫嫌いの7歳女児』がどこか判らないところで『道に迷った』挙句、曇り空の上に日暮れも近い斜度40~45度の鬱蒼とした、場所によっては(369の約束手形氏の動画によれば)地面に堆積した落ち葉に足が膝近くまでズボズボはまりスニーカーなどあっというまに脱げてしまう(脱げればその時点で動けなくなる)と思われる西山急斜面の道なき道をおもむろに這い登り始め、
無数のヒルに手足を食いつかれ(同じく369の約束手形氏の動画)血まみれになりながらもどうにかこうにか943ピークに到達した頃には日もとっぷりと暮れ果て、
四方を樹林に囲まれ人工的な明かりなどあろうはずもなく眼前にかざした我が手のひらさえ全く見えないという文字通りの漆黒の闇でライトなしには慣れた大人でさえ一歩動くにも躊躇すると思われる状況の中、それでも夜行性の獣並みの夜間徘徊能力・コウモリ並みのセンシング能力を発揮して問題の涸れ沢にまで歩を進め、
そこで美咲ちゃんの目の高さからあのド田舎の道志村のどの方角にどんな明かりが見えていたかは全くわからないけれども、とにかく文字通り「一寸先は漆黒の闇」という中どちらかの方角に遠く小さく見えているなんらかの『明かりを頼りに』涸れ沢をトボトボと下ろうとしたところ、
これまたどの地点からどんな風に滑落したかも全く不明であるし死因も全くわからないのだけれども、とにかく頼りにならないその遠くの小さな明かりを目指して手探り足探り状態で進む中その問題の運命の地点(崖?)まで奇跡的に移動し、そこで『滑落してしまった』のではないかと思った』
ということになるのかなと。
いずれにしても責任ある山梨県警の幹部の所感にしては平素妄想話を売りにしている私でさえ尻込みせざるを得なかったのではありますが、
しかし考えてみればこの「県警幹部」の言葉「道に迷っているうちに」「日が暮れ」「明かりを頼りに」「山を下ろうとするうちに」「滑落してしまった」というのは、大半のいわゆる「事故説」を唱えている人々の頭の中の論理そのものではあるのかなと思われ、
そういった意味ではこの「県警幹部」は大半のいわゆる「事故説」を唱えている人々の考えを簡潔に代弁した形ではあるのかなと。
思い起こせば去る5月ごろ、
涸れ沢については(警察の捜索隊は)上から見まわしただけだったから、捜索の見落としがあったのかも・・・
という(捜索時に現地で声を嗄らして美咲ちゃんの名を呼び続けていたであろう末端の捜索隊員達が激怒しかねないような)感想を述べた山梨県警の「県警幹部」がいたと記憶しているのですが、もしかすると同じ人物なのでしょうか? なにかこう、コメントの他人事感というか、掴みどころのないふわっとした感じが似ているようにも思うのですが・・・。
いずれにしても、先に掲載した読売オンライン記事の最後の部分、
県警は今後も当時の状況について情報提供を呼びかけるとともに、事件と事故の両面で捜査を続ける方針
の言葉があるわけですから、今後は「上から見まわしただけだったので・・・」と「県警幹部」が後々釈明しなくて済むよう、本気の捜査・捜索を期待するのみというところでしょうか。