山梨県南都留郡道志村・小倉美咲ちゃん行方不明事件その31(「足跡」の件、続き) | 雑感

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小倉美咲ちゃん行方不明事件

この記事は一つ前の記事からの続きとなります。どちらも内容は長いのですが、お時間ある時にでも一つ前の記事とあわせてお読みいただけますと幸いです。)

さて美咲ちゃんの件から脱線してしまい私事でもあり恐縮なのですが、私は人の目を見るのが好きでして大の視線フェチです。
人の目やその周りを観察することでその人の内面についての勝手な憶測を巡らせることが楽しかったりします。
リアルで相手の目をガン見するのは相手に対して失礼なので、そこは常識的に不快感を与えない程度に、適当に目を逸らしたりしながらコミュニケーションをとるわけですが、
テレビやネットの動画、写真の場合はガン見ができるので便利です。そんな時はもうほとんど「目しか見ていない」という感じです。
その人の温かい心などが感じられて心地よい視線もある一方で、見た瞬間にその人の心の暗さを感じて目を背けたくなるような視線の人物にも---そこまでのレベルには滅多にお目にかかれないのですが---出くわして衝撃を受けることもあります。

話を美咲ちゃんに戻すのですが、
ネット上には自分の思いつかなかったような視点からのコメントも散見されてよく参考にさせていただいているのですが、
例えば先日記事にした例の「足跡」の件にしても、あの「足跡」はある男性が椿林道を奥地に入ったぬかるみ上で2019年9月23日(美咲ちゃんの行方不明2日後)に発見したということなのですが、しかしこれについて、
美咲ちゃんが行方不明になった日の翌日(22日)、翌々日(23日)には現地はが降っていたのであり、その割には発見されたあの『足跡』は縁(ふち)がえらくクッキリしているのではないか?(雨に晒されていたのだから、縁というのか輪郭がもっとぼやけた窪みになるのが自然ではないか?)
という指摘がありました。
これなども、「なるほど確かにそうかもしれない」と思わされた指摘でした。
そこで過去の気象データを見てみますと、道志村椿沢上流あたりをピンポイントで観測したデータなどは無いのですが(個人の方が記録したデータはあるのかもしれません)、
道志村に比較的近い
「大月市」
「河口湖町」
「山中湖村山中」
などの観測点でのデータは存在しており、
それによるとそれぞれの観測点でやはり22日(失踪翌日)と23日(「足跡」発見日)には雨が降っており、問題の椿沢上流付近の天気もそこからある程度は推し量れるものがあると考えました。
以下に表を掲載させていただきますので参照いただければと。
(大月市や河口湖の降水量は、数値上はマックス2.5~3mmと小さく見えますが、これでもけっこう侮れない数値かと思います。ググってみていただければと。山中湖村山中はかなり本格的に降ったことが見て取れるかと。)

大月市
小倉美咲ちゃん行方不明事件

河口湖町
小倉美咲ちゃん行方不明事件

山中湖村山中
小倉美咲ちゃん行方不明事件

あと天気とは別の話になるのですが、私は件の「足跡」を発見したという男性がテレビのインタビューで証言されていた
(足跡の大きさは)20cmいくか、いかないかくらい
という言葉がどうしても気になるというか、
なんといいますか、人って物の長さについて単なる目視で「20cmいくか、いかないかくらい」という微妙な判断は、なかなかできないと思うのですよ。
日ごろからよほど「20cm」と縁のある、その数字(20cm)に密着した仕事・生活をしている「20cmの達人」「20cmのプロ」というような特殊な人物であれば対象を一瞥しただけで
「この長さは20cmいくか、いかないかくらいだ」
と達人的な判断を下せる場合もあるいはあるのかもしれませんが、
しかしその種の特殊な人物でなければ、普通はただの目視で「20cmいくか、いかないかくらい」とはなかなか判断はできないような気がするわけです。
何が言いたいかというと、あの男性が用いた「20cmいくか、いかないか」という表現は、その「足跡」に実際にメジャーを当てたうえで
「長さは19.8か19.9・・・、いや、図りようによっては20cmギリと言ってもいいかな・・・」
というような、20cmあるかないかの判断が微妙な状況の時に出てくる言葉だと思うのであり、
メジャーを当ててみた結果20cmを2~3mmでも明確に超えていたときに出てくるような言葉ではなく(それならば「20cmちょっと。2~3mm出ているくらい」というような表現になるのでは?と考えます)、
ましてや、単なる目視によってはじき出すことのできる言葉ではないと思うわけです。
つまり、あの男性がそういう言葉(20cmいくか、いかないかくらい)で「足跡」の長さを言い表している以上は、実際に「足跡」にメジャーを当てるなりしてご自身で計測されたのだろうと思うのですが、
仮にそうだとすると、男性が発見した「足跡」の長さが、長めに見てギリ20cm、おそらくはそれより微妙に小さめだったであろう(あの「20cmいくか、いかないか」という表現からしてそうだと思われる)というのはやはりご本人の言葉通り間違いのないところであろうと思われ、
その「足跡」の長さ(19cm後半~ギリ20cm)から推測される靴のサイズは、やはり一つ前の記事でも申したように幼稚園児(年少~年中組)程度のそれで、下手をすると3歳児もあり得る(つまり美咲ちゃんの靴のサイズとはかけ離れている=美咲ちゃんのものではない)、ということになるのかなと思うわけです。
それに加えて最初にも触れたとおり、あの「足跡」は9月22日~23日とに晒されていたにもかかわらず妙に縁のくっきりした不自然さのある窪みであることから、
美咲ちゃんの行方不明直後(21日午後4時ごろ)に椿林道奥の地面に刻印されたものとみるのは無理があるのでは?という気が改めてしてくるわけです(いろいろと不自然)。

 それでも敢えてあのぬかるみ上の「足跡」を「美咲ちゃんのものである」と仮定して、あの「足跡」が地面に刻印された時の状況を妄想してみるとするならば、
次のようなものであれば可能性があるのかなと思いましたので、やや長くなりますが以下にそれを書かせていただきます。
つまり---これは本件について「遭難事故」ではなく「誘拐殺人事件」であるとの前提のもとでの妄想にはなるのですが---9月21日に美咲ちゃんを何らかの方法で拉致し自宅に連れ帰った末に殺害した犯人は、遺体遺棄の方法をどうするかについて思いを巡らせていたところ、ふと、
仮に将来遺体が発見されても『道迷いの末の遭難死であった。事件性はなく捜査は終了である』と結論付けられるような形にすればいいのではないか
ということを思いついた。
実際、遺体遺棄については他にもそれなりの方法を考えないでもなかったのだが、仮にまったく遠方の山にでも埋めて運悪く野犬にでも掘り起こされ露見するところとなれば事態は完全に事件化されるのではないか、それでは今一つ寝覚めが悪い、
ならば、もし将来遺体が発見されたとしても遭難事故扱い(捜査終了)されるよう椿荘オートキャンプ場近くの山林に(しかもすぐには発見されず、何年か後に見つかったとしてもその時には全ての人為的な痕跡が消え去っているような自然環境を有する場所に)遺棄すればいいのではないかと考えた。
あるいはもしかすると犯人は常日頃から登山に親しんでいる人物であり、遺棄方法の候補の一つとして「遭難の偽装」というアイデアはごく自然に頭に浮かんできたのかもしれない。
遭難を偽装するとなれば遺体はキャンプ場近くの山林中の、一度は警察や自衛隊・消防などが捜索をした場所に遺棄する形になるであろうが、
考えてみればまさに一度大掛かりな捜索をされた場所こそが将来再びの捜索を免れる真空地帯となるのであり、それはまさに盲点であり人々の意表を突く形とも思えた
また将来そこ(一度大規模捜索をしたはずの場所)から遺骨などが出てくれば世間の人々は
「思い込みで捜索範囲から外していたのではないか?」
「見落としがあったのではないか?」
「ミスを認めよ!」
等々と警察の初期捜索の不手際を罵倒する展開が予想されたが、それは犯罪者心理として愉快と思えないこともなかったのである。
こうして、キャンプ場近くの山林に遺棄する方針は固まった。
具体的に遺体を山林のどの場所に遺棄するか・・・これについては犯人は後で考えることとして、遭難死を偽装するための前振りとしてまず思いついたのが、
美咲ちゃんが自ら一人で山に入ったように見せかけること
すなわち、山中へと続く林道か登山道の上にでも美咲ちゃんの靴(アキレス瞬足、20cm)を用いてそれっぽい「足跡」を付けておくことだった。
その「足跡」を付けておけば、やがてそれを警察・自衛隊・消防あるいは捜索ボランティアの誰かが発見し、
「山中へと向かう道の上で、子供の足跡らしきものを発見した」
として、捜索隊の中には「美咲ちゃん=道迷いによる遭難」の雰囲気が醸成されるであろうし、
仮に将来、山の中から遺骨が発見されたとしても
「やはり山に入っていたのだね(山に向かう道上に足跡があったからね)」
と、世間の人々の考えを「美咲ちゃん=道迷いによる遭難死」という方向に収束させることができるのである。
そこで犯人はリュックの中に美咲ちゃんの靴を忍ばせ、通りすがりの登山者になりすますか、あるいは捜索ボランティアなど数多(あまた)の善意の捜索人の中に紛れ込みながら、他人に見られずに「足跡」の工作ができる適当な場所を求めて現場周辺を歩き回った。
やがて椿沢奥の問題の場所にまで潜り込み、周囲に人目のないことを確認したうえでリュックに忍ばせていた美咲ちゃんの靴を取り出し、
靴の中に手を突っ込み、体重をかけてぬかるみの上に押し当てたのである。
「一つだけでは不自然すぎるか」
そう考えた犯人は、その周辺にもそれっぽく薄い「足跡」を10個程度付けてはみたが、
そこまでに至る道とその先に続く道に何百何千という「足跡」を延々偽装することなどできるはずもなく(幼い子供が登山靴でもないスニーカーで少雨続きの湿り気を帯びた急斜面を登っていけば随所で滑りまくって斜面の土や砂、落ち葉などを後方に引っ掻き飛ばしたり地面についた手で落ち葉をむしり表土が露出したような痕跡がそこかしこに残るのが自然と思われるが、そうした痕跡が見られたという情報は一切ない)、
その偽装分の約10個の「足跡」のほかには前にも後ろにも子供の「足跡」らしきものが一切見つからないという摩訶不思議な状況となったが、
いずれにしてもこれにより「遭難偽装」の前振りとしてのトリックは完了したのであった。
犯人が「足跡」を偽装した日は、おそらく9月23日(行方不明2日後)の未明から早朝にかけてであり、
それは捜索ボランティアの男性が「足跡」を発見する直前ともいえるような時間帯だったのではないかと思う。(だからこそ、捜索ボランティアの男性によって発見され画像として残された「足跡」の一つの縁は、前々日からの降雨にもかかわらず不自然な明確さを保っていた。一方でその現場に「犯人のものと思われる大人の足跡」が発見されたという情報が一切ないのは、おそらく当時その現場に向かった人々は「子供の足跡を探す」ということに意識が集中しており大人の足跡の有無を冷静に観察したり現場保存したりというところまで気が回らなかったか---警察とすら情報共有できてなかったという話がある---あるいは犯人は足跡を消すことのできるマジックシューズを履いていた、ということで十二分に説明可能ではないかと思う。) 
またその後に「足跡」を発見した捜索ボランティアの男性が、その大きさについて「20cmいくか、いかないかくらい」として美咲ちゃんの靴の足跡サイズ(それは実際は23cmを超えるものと予想)としては小さく見積もった原因は、
おそらく犯人による偽装の仕方が甘かったか(ぬかるみへの押し当て具合がいま一つ甘くつま先のほうが若干不明確になってしまった)、
あるいはもしかすると、犯人は美咲ちゃんの靴の実物を用いて偽装したのではなく、何か別の物体をぬかるみに押し当てて偽装した、
そしてその時に犯人は「美咲ちゃんの靴のサイズ=20cm」という自分(犯人)の知りえた事実にとらわれ過ぎていたが故に「アウトソール長」のことにまで思いが至らず、ついうっかり、長さがジャスト20cmになるくぼみを作ってしまった
(犯人が多少頭の回る人間であれば23cmはあるくぼみを作るべきであった)・・・ということだったのかもしれない。
いずれにしてもその後の展開は犯人の狙い通りとなった。
偽装した「足跡」は捜索ボランティアの男性によって23日早々に発見され、その「足跡」情報を共有した捜索関係者たちの間では何となく「道迷いで山に入ったのか?」というような気分が醸成されたのである。
それは将来近くの山から遺骨が発見されたときに炸裂する時限爆弾となった。
その後は犯人は人々の必死の捜索や母親のとも子さんを犯人扱いして糾弾する世間の声をせせら笑いながら、遺体遺棄のタイミングを気長に待つだけでよかった。
それが、大規模捜索もとうに終わって山林内が閑散とした2019年の秋冬のことであったか、それとも翌年のことであったかはわからない。
そのいずれかの時期に、なんらかの形で隠ぺい保持していた遺体をリュックに詰め(すでに遺骨の形だったかもしれない。また人為的な痕跡が明らかに残っている部分については別途処分したものと想像する)、人の立ち入り困難といわれるあの涸れ沢に果敢に踏み入り、
一度にか、あるいは数度に分けてかは不明ながら、沢内の適当な箇所に分散して投げたり置いたり軽く腐葉土の下に埋めたりし、これも雨水によって流され、泥流によって巻き込まれ、土砂に埋められ、あるいは動物によって咥えられ分散したかのような形に偽装したのであった。
闇夜に紛れて遺棄したか、あるいは日の光のある時間帯に遺棄したかは不明ながら、仮に後者の時間帯(朝昼夕)に遺体入りのリュックを背負って涸れ沢に入り込んでいるところを現地人に見られたとしても、

犯人:「ああ、こんにちは。美咲ちゃんが見つからないんですよね」
地元民:「ああ、あの子ね。まだ探してるの? 熱心だねえ。でもここにはいないんじゃないかな。ここは我々でもめったに入り込まないようなところだよ。それに、ここはもう警察か自衛隊が探してるんじゃないかなあ」
犯人:「ええ、確かに7歳の女の子が入り込みそうにもないところですよね(と、周囲に散在する巨岩を見渡しながら苦笑い)。こんなところまで探すなんて、自分でもおかしなことしてるなって思います。でも、僅かな可能性にでも賭けてみたいんですよ、あの子がとても不憫で・・・」
地元民:「へえ~優しいね。でも、こんなこと大きな声じゃ言えないけど、おそらく連れ去りじゃないのかなあ、あんな年端もいかない女の子を・・・、まったく、酷い奴がいるもんだ。君みたいな優しい若者ばかりならこんなことも起きないだろうにな・・・」
犯人:「いや~そんな・・・(照れ笑い)。でも有難うございます、そう言っていただけるとファイトがわいてきますよ。もう少し、その下のほうまで探してみます」
地元民:「おう、頑張ってよ。足場がこれだから、転んで怪我しないよう、気をつけてな」
犯人:「ええ、有難うございます(笑顔)」


といった他愛もない会話がなされるだけで「リュックの中を見せてみよ」などと言われるはずもなく、
視界が確保できるメリットのことも考え合わせれば、犯人にとっては日の光のある時間帯での遺棄にもさしたる抵抗は感じなかったかもしれない。
結果的に2022年4月後半以降、遺骨や遺留品の一部が発見されることになったが、
その時にはすべての人為的な痕跡は、おそらく遺棄完了後2年以上経過していたであろう期間に営まれた雨・風・雪・地形変化・動物・虫・バクテリアその他の自然の作用によって跡形もなく拭い去られていたのである。
遺骨や遺留品の収集は遅々として進まず、事件事故を見極めるための警察の鑑定は難航し、
キャンプ場近くの山から遺体が出てきた」という事実と、2年半前に仕込んでおいた「足跡」トリックの効果も相まって、世間の少なからぬ人々からは
道迷いによる遭難死
初動捜索のミス
の声が高まり、あまりにも筋書き通りの展開に「こうも上手くいくものか」と高笑いが止まらない犯人ではあったが、
一方で事件性を疑うしつこい連中の存在に苛立ちと若干の不安を覚えつつ、
万が一にも自分に捜査の手が及んだ場合に備えて、今現在、家じゅう徹底的に掃除機をかけ、壁や風呂場は磨きまくり、排水口にはハイターをドバドバと流しまくり、
車内にも掃除機をかけ、シートをコロコロでコロコロしたり大型リュックの中にもガムテープを突っ込んでペタペタする等、証拠の完全隠滅に向けて鋭意邁進中である・・・といったところが想像されるのではないかと。

 あるいは、上記の展開よりも可能性はかなり低くなるものの、次のような筋読みも考えられるかもしれない。
すなわち犯人は警察・消防などとともに、捜索ボランティアなど数多の善意の捜索人の中に紛れ込み美咲ちゃんを探すふりをしていたのかもしれない。
この事件では当初から冗談か本気でか
犯人が捜索ボランティアに紛れ込んでいる可能性もあるのではないか
などと噂されていた。
過去の事件でも「犯人その人が捜索隊の中に紛れ込んでいた」というケースは、そう多くはないながらも散見される。
かつてこのブログでも「タケノコ掘り事件」を扱った際に似たようなストーリーを書いてみたことがあったが、まさにそれと同じことが起きていたのかもしれなかった。
坂出市タケノコ掘り女児行方不明事件・その7 | 雑感 (ameblo.jp)
犯人としては、敵である警察の捜査捜索状況を知るには敵の懐に潜入して内部から観察するのが上策のようにも思われたし、
捜索隊に紛れ込み熱心に立ち働く姿を見せれば、人は「まさかこの人が」とも思ってくれる。
また犯罪者心理として、唯一真相を知る自分が何も知らず必死で探し回っている人々に紛れて熱心な捜索人を演じてみせるのは、なにかしら優越意識を覚えさせる愉快な体験でないこともなかったのである。
行方不明2日後のこと(2019年9月23日)、早くも犯人にとって耳寄りな情報が飛び込んできた。
ある捜索ボランティアの男性が椿沢の奥地から大室山へと向かう登山道のぬかるみ上に子供のものとみられる足跡を発見した、という。
この情報に犯人は思わず苦笑いした。真相は拉致した自分が知っている。子供は既に遺体となって自分の家にあるのであり、山へ向かう奥地に彼女の「足跡」などあろうはずもない。おそらく何かを見間違えたのであろうが、
「まてよ」
と犯人は思い直した。この情報は使えるのではないか。ちょうど遺体の遺棄方法をどうするかについて思いを巡らせていたところだった。
山へ向かう子供の足跡のようなものをご親切にも見つけてくれたというのであれば、それを利用して自然な形で事件性のない状況を装うこともまた可能になるのではないか。すなわち、女児は自らの意志で山に迷い込み遭難死したという、「遭難偽装」である。
それには遠方の山に遺棄するのではなく、キャンプ場近くの山に遺棄することだ。
遺棄方法に関する方針はこれで決まった。
はじめは苦笑して聞いた「足跡」発見の情報も、今や敵の懐に潜入して得た最大の戦果であるように思われた。
他人が発見してくれた「足跡」と、自分が行う「キャンプ場近くの山への遺棄」の合わせ技によって、仮に将来遺骨や遺留品が発見されたとしても、世間の人々の意識は完全に「女児=道迷いによる遭難死」の方向にミスリードされる。
あとは遺体を何かしらの方法で隠ぺい保持しながら、大規模捜索が終わり山が再び閑散とする遺棄のタイミングを待つばかりだった・・・。(以下略)

 もう一つ蛇足的に、件の「足跡」が美咲ちゃんの靴のそれであった場合の状況を妄想してみると、
例えば9月21日午後3時40分ごろ、キャンプ場「椿二の橋」近くで美咲ちゃんを拉致し大型のリュックに入れた犯人は、
それを背負って「白い家」横から延びる椿林道を南下し、やがて登山道に紛れ込んでいずれかの方面へと逃走した(登山道を降りた先に車を待機させていたのかどうか、それは分からない)。
道々犯人は遺棄の方法について思案していたが、そこで思いついたのが「遭難の偽装」ということだった。
とすれば遺体はキャンプ場近くの山林に遺棄することになるが、その前振りのトリックとして、まずはこの子自身が自らの意志で山に入ったことを偽装しておけばより完ぺきではないか・・・。
そう考えた犯人は登山道途中のぬかるみでおもむろにリュックを下ろし、美咲ちゃんに命じてその周辺にいくつかの足跡を付けさせ、再び美咲ちゃんをリュックに入れて逃走ルートを辿り始めた。
明日(22日)には「キャンプ場での女児行方不明」が報じられて全国的な騒ぎとなり、大規模な捜索隊が組まれて偽装されたこの足跡を発見し、捜索隊の中には「女児=道迷いによる遭難」の空気が醸成されるであろう・・・というものだが、
これでは「足跡」は21日午後4時前後に付けられたということになり、その時から23日午前に発見されるまで、時にに晒されながらもあの輪郭の明確さを保っていたということの不自然さはぬぐえない。
また、美咲ちゃんが付けた足跡だというにしては、サイズの点でも合わない(小さすぎる)。
よってこの筋書きは前二つよりも可能性は低いと思う。

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事件を前提とした話を長々と書きましたが、これは事件事故どちらかを考えるときに「何が何でも事件にして考えたい」ということではなく、
今後の捜索で様々な状況が判明していく中でたとえば絶対に滑落死以外にあり得ないような痕跡の残る骨が発見されたであるとか、
あるいは滑落した場所が明確な証拠によって特定され、頭を打ったであろう血痕の残る岩が発見される等した場合には「遭難死」という方に考えが傾くこともあるのかなとは思うわけです。
しかしそれとは別の問題として、あくまで件の「足跡」について言えば・・・(こういう言い方もあれなのですが)、「美咲ちゃんの足跡があったんですよ」「はあそうなんですか、それなら・・・」と無批判に真に受けて「遭難死」の根拠とすることは、自分の場合は遠慮したいのかなと。