(大西有紀ちゃん行方不明事件「その6」からの続き)
その日、男はタケノコを掘りに来ていた。
タケノコ掘りイベントの参加者だったのか?
というと、決して、そういうことではないと思う。
個人でこっそり掘りに来ていた、
ということを前提に、話を進めてみたい。
男をあえてプロファイルしてみると、
年齢は10代~20代または30代~40代もしくは50代~60代以上、
職業はサラリーマンか自営業、場合によっては学生、無職ということも考えられた。
その日、なにをきっかけにタケノコ掘りを思いついたかはわからない。
朝の情報番組でタケノコ料理の特集をしていたのか、
正午ごろに食べた昼食にタケノコがないのを物足りなく思ったのか、
それともGW初日、好きな山歩きのついでに、夕食のネタでも仕込んで来ようと思ったのか。
いずれにしても、その日のスケジュールは決まった。
場所は五色台の竹林と決めていた。
春から秋にかけては、五色台の山々をトレッキングすることなどもあり、
勝手知ったる我が家の庭のようなものだった。
「タケノコ掘ってくるわ」
家族にそう言い残し、竹林をめざして車を走らせた。
ビジターセンターに到着したのが、午後1時少し前だった。
広い駐車場が完備されていたが、そこはやり過ごし、
さらに奥にある休暇村(讃岐五色台)から約100メートルほど手前に下ったところにある、
人気の少ない、道路わきの駐車場を目指した。
こっそり掘って、こっそり帰ってきたかった。
駐車場からは、竹林へと向かう遊歩道が続いていた。
男は遊歩道へと足を踏み入れた。
背には50Lを超えるかと思われる、大きなリュックを背負っていた。
タケノコの5~6本でもぶち込もうかと、その日、
棚から久々に降ろしてきたものだった。
午後1時ごろに、竹林に到着した。
「妙に人が多いな」
訝しがっていると、想定外の事態が発生した。
知り合いに出会ったのだ。
その知り合いとは誰でもいい。
近所のおばさんでも、職場の同僚でもなんでもいい。
とりあえずは、学生時代のワンゲル部の後輩(S君)だったとしてみたい。
お互い、地元に就職していたのだった。
「XX先輩、お久しぶりです」
思わぬ方向から声をかけられた。
目をやると、見知った顔が笑いかけていた。
「あれ~久しぶり!」
思わず大きな声が出た。
「こんな山の中で知り合いに遇うなんて、世間て狭いな。元気にしてた?」
軽く近況を確かめ合ったのだが、
「それにしても」
と、Sはやや不思議そうな顔をして訊いてきた。
「先輩も今日はイベントですか? 気づかなかったな。午前中から、おられましたっけ?」
午前中は野山の観察会、午後1時~2時までがタケノコ掘り・・・というのが、
その日のイベントのスケジュールだった。
「イベント?」
男はきょとんとした。
「いや、俺は、今一人で来たばっかりだけど・・・」
「ああ、そうなんですか」
Sはそう言って、今日は五色台連絡協議会主催によるタケノコ掘りのイベントが行われていること、
そして、自分もその手伝いで参加中である、ということを話した。
「なるほど・・・」
男はようやく合点した。
そういえば、市の広報にそんなことが書いてあったような気がする。
「あのイベントが、今日だったわけだ」
急に不安になってきた。
「俺も、採ってもかまわないのかな?」
確認する相手が違っていた。
「さあ、それは・・・」
Sは苦笑した。
自分に訊かれても困る・・・
そう顔に出しつつも、先輩相手に、無下には答えられないらしかった。
「別にいいんじゃないですか。個人で食べる分くらいでしょうし、みんなに混ざって採ってしまえばいいと思いますよ」
男は安堵した。
「そうだよな」
自分の考えすぎを笑った。
気持ちも急に景気がよくなってきた。
「Sも休みの日に大変だね。また連絡するから、飲もうよ。おごるからさ」
そう言って、その場は別れた。
「誰に咎められるはずもない」
参加者らに紛れて、竹林の中を物色し始めた。
(中略)
竹林の中で、奇妙な光景が展開していた。
一人の男が、タケノコとは違う何かを追ってうろつきまわっていた。
視線の先には、イベントに参加し親と一緒にタケノコを掘る女児らの姿があった。
男はどうやら、幼い女の子を追いかけているらしかった。
さっき一人でタケノコ掘りに来た、あの男だった。
「すべては、想定外だった」
今となっては、男はそう言い訳したいかもしれない。
タケノコ目当てで来た、そのこと自体に偽りはなかった。
しかしいざ物色を始めると、想像もしていなかった光景に心はかき乱された。
目を上げると、あちこちに小さな手でスコップを握り、
可愛くしゃがんで、無心にタケノコを掘る幼い姿があった。
男はたちまちタケノコ掘りに身が入らなくなった。
物色の対象は、いつしかタケノコから別のものに切り替わっていた。
「ちょっと見るだけだ」
タケノコを探すそぶりをしながら、女児への接近を繰り返した。
帽子に作業着、長靴、背中には大きなリュック、
手にはスコップや鉈といういでたちだった。
不審者というにしては、あまりにイベントの参加者達に溶け込み過ぎていた。
怪しむ者は誰もなかった。
女児らの移動に合わせて男も移動した。
何食わぬ顔で女児らの後方(側方)約10メートルあたりに身を置き、横目でチラチラ見ていた。
用意していたリュックには、一向にタケノコが入らなかった。
午後1時半が来た。
「もう1本探してくる!」
竹林奥でタケノコを掘っていた大西有紀ちゃん(当時5)は母親にそう告げると、
一人、遊歩道のほうへ走って行った。
今日5本目のタケノコを求めて、遊歩道を反時計回りに回り始めた。
一人歩きする女児の姿は、たちまち男の目に留まった。
男は尾行を開始した。
ほどなくして女児はタンベ池の岸部にほど近い、ベンチのある個所に差し掛かった。
ベンチには、女子中学生と思しき少女が座っていた。
女児はその少女に話しかけた。
男は後方で立ち止まった。
何食わぬ顔で、遊歩道わきのタケノコでも物色するような仕草を見せていた。
会話はすぐに終わり、女児は再び歩き始めた。
男も後を追った。
人目はなかなか途切れなかった。
やがて女児はふれあい広場に差し掛かった。
タケノコは見つからなかった。
女児はあきらめてUターンした。
Uターンした女児と男がすれ違った。
何食わぬ顔でやり過ごし、直後にUターンして女児の後を追った。
再びあのベンチのある個所に差し掛かった。
今度は女子中学生の姿はそこになかった。
女児はベンチの前から遊歩道を逸れて、タンベ池の方向に足を踏み入れた。
男は周囲を見回した。
人目は途切れていた。
思い切って声をかけた。
「タケノコ、探してる?」
問いかけに女児は首肯した。
「もう4本掘ったんだけど、最後の1本が見つからない」
そういう意味のことを言った。
様子はどこか誇らしげだった。
「へぇ、凄いね」
男は適当にほめて、お母さんはどこにいるのか、と訊いた。
「あっち」
女児はある方向を指さした。
どうやら母親は、女児がもと来た方向にいるらしかった。
男の目に何かが浮かんだ。
「ここはもうみんなが採っちゃったから、タケノコは、ないんじゃないかな」
男は言った。
「あっちの竹林なら、まだ大きいのがいっぱいあるよ。行ってみよう?」
指さした先は、タンベ池の対岸方面だった。
大きいタケノコがそこらじゅうに・・・女児の心に、たちまちその風景が広がった。
「行ってみる!」
怪しむ様子はみじんもなかった。
怪しむはずがなかった。
「遅くなるとお母さんに怒られちゃうよ。時間がないよ。急ごう」
男は女児を抱きかかえた。
時刻は午後1時45分、
竹林の中にぽかりとあいた小さな空間での出来事だった。
男はタンベ池の岸部を北に向かって歩き始めた。
対岸を目指す気は毛頭なかった。
藪の中をかなり進んだ。
「人目は、もう届かない」
そう見て取るなり、抱えていた女児を地面におろした。
(中略)
横たわり、動かなくなった女児を前に、男は焦っていた。
「えらいことになった」
朝には想像すらしてなかった光景が、目の前にあった。
女児を放置して一刻も早く現場を離れたかったが、それは危険だと思い直した。
放置すれば早晩見つかる。
見つかれば事件化され、犯人の痕跡は探られる。
そこには間違いなく、自分の痕跡が存在するのだった。
さっき出会った後輩Sの顔が頭に浮かんだ。
「不審者を見なかったか?」
「イベント参加者とは別に、誰か、竹林に出入りした者を見なかったか?」
警察のその問いに、Sは証言するであろう。
現場にいた者の一人として、自分は早期に特定される。
玄関のドアを叩き、髪の毛や口腔粘膜の任意提出を求めてくる、刑事の姿が頭に浮かんだ。
あるいはもしかすると、男自身、
過去にDNAあるいは指紋を警察に採取されているという自覚があったのかもしれない。
その場合は、男には女児への性的いたずら~窃盗などの逮捕・補導歴があったのかもしれないが、
いずれにしても、女児をその場に放置して逃げるのは、男にとってあり得ないオプションだった。
「隠さなければ」
男は周囲を見回した。
隠す場所はなかった。
持ち去るしかなかった。
幸い背中にはリュックがあった。
しかも空だった。
女児の尻を追いかけるのにかまけてタケノコ掘りをさぼっていたことが、
ここにきて男の都合にはさいわいした。
いや、1本くらいは入っていたかもしれない。
しかしその辺に投げ捨ててしまえば、怪しまれるものでもなかった。
男は背のリュックを下した。
震える手で女児をリュックに入れ終えた。
再び背に負い、草木の中に足を踏み入れた。
顔面は蒼白だった。
これでもかというほど帽子を目深にかぶっていた。
遊歩道には戻らなかった。
西側の車道の方向にあたりをつけ、ひたすら藪をかき分けた。
途中で獣道らしきものに突き当たり、それを辿ると車道に出ることができた。
そこに車が通りかかった。
とっさに顔を伏せた。
運転手に見られたかもしれない。
そう思ったが、気にする余裕はなかった。
「大丈夫。顔までは覚えられてはいない」
自分を納得させ、歩道を北に向かって歩き始めた。
誰に見咎められるでもなく、駐車場にたどり着いた。
車の背後に回り込み、身を隠すようにしてトランクを開けた。
背中のものを降ろし、車に乗り込み現場を離れた・・・
という流れが想像されたが、あるいはもしかすると、
背中のものを自分のテリトリー(トランク)に隠しおおせたという安心感から、
男には大胆さが芽生えていたかもしれない。
つまり、「タケノコを掘ってくる」と家族に言った手前もあり、
またさっき出会った後輩のSにアリバイを印象付けるためもあり、
リュックの中身をトランクに開けると、再び竹林に舞い戻るべく、
遊歩道に足を踏み入れたかもしれなかった。
仮にその場合は、竹林に到着したのは、午後2時20分前後ではなかったかと思う。
すでに現場は騒然としていた。
タケノコ掘りどころの空気ではなかった。
異様な空気の理由は訊くまでもなかったが、
男はあえて後輩のSを探し出し、何事が起きたのかと訊いてみた。
女の子が一人いなくなった、皆で手分けして探すのだ、という。
男は神妙な顔つきで聞いていた。
「それは心配だね。この山は北側が深いから迷い込んだら大変だ。俺も手伝おう」
男は善意の協力者を装って捜索に加わったかもしれなかった。
一人の女子中学生が皆の前に進み出て、ベンチの前で女児と会話したことを証言した。
「そのベンチの前から岸のほうに歩き出て、池に落ちてしまった可能性もありますね」
男も沈痛な面持ちでそう進言し、
池に落ちたとなれば事は一刻を争うことを説き、
警察が到着するまで、池の周囲を重点的に捜索してみては、と提案した。
竹林の中にぽかりと開いたあの空間は、多くの捜索人に踏み荒らされ、
目も当てられないことになった。
午後3時45分には警察が到着、
午後5時頃には地元の消防団が到着し、
警察犬も投入しての本格的な捜索が開始された。
警察犬は女児のたどったルートを正確にトレースしたものの、
竹林の中にぽかりとあいたあの空間で追跡すべき臭気を失い、
虚しく立ち止まるのみだった。
男は捜索隊に混ざって奮闘していた。
行く手を遮る木々の枝を払い、草の根をかき分け、大声で女児の名前を連呼した。
「こういうことになったのは」
流れ落ちる汗を拭いながら男は呻(うめ)いた。
「自分も含めた大人たちの無関心のせいですよ。一人歩きの小さな女の子に、誰一人として気づいてやれなかったなんて・・・」
痛恨の面持ちでそう自己批判し、周囲の共感を呼んだりしていた。
捜索は夜9時まで続いた。
見つかるはずがなかった。
探しているものは男のトランクにあったからだ。
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と、想像してはみたものの(言うまでもないことですが、すべては妄想、フィクションです)、実際はより単純だったかもしれない。
例えば、有紀ちゃんが5本目のタケノコを探し求める中で道に迷い、竹林横のオートキャンプ場(あるいは車道でもいいが)まで出てしまったところを、たまたまそこにいた男が、手早く車に乗せて連れ去ってしまったのかもしれない。
この場合は、リュック男は事件とは無関係、という可能性が高いかと思う。
いずれにしても、女児を煙のごとく消し去ったやり方は、犯人のためには役立ったと言わざるを得ない。
なぜなら肝心の女児本人が見つからない以上、この事案はいわゆる「事件化」されず、おそらくは「特異行方不明者」というくくりで対応されてきたものと想像するが、それだと捜査本部は設置されず、必要に応じて情報収集や捜査・捜索を行うということに過ぎず、その種の活動は、最初に行われた山狩りやタンベ池の水抜き、ビラまきなどでほぼ尽きており、今現在は、すでに捜査らしい捜査はなされていないと想像されるのだった。
犯人は、すでに安全地帯へと逃げおおせたかにも思える。
しかし、過去の事例を振り返ってみると、2005年12月に栃木県旧今市市で発生した吉田有希ちゃんの事件など、発生から8年以上を経て、誰もが迷宮入りを思い浮かべる中、思わぬ別件から容疑者が浮かび上がってきた、ということもある。
また仮に、(有紀ちゃんが)どこかで生きて暮らしているような場合には、かつて新潟県三条市~柏崎市で発生した少女拉致・監禁事件のように、9年の時を経て発見・保護に至った事例もある。
タケノコ事件についても、10年の経過で諦めてしまうのはまだ早い、と思う。
状況は厳しいが、何をきっかけに事態が動き出すかはわからない。
今後の急展開に期待したい。