私が実家に帰った時です。私の母が私たち家族を乗せて車を出してくれました。
私の母は運転が荒いのです。
スピードを出すのではなく、急発進、急ブレーキが激しいのです。
私はまだ平気でしたが、同乗している私の家族はこれで車酔いしてしまいます。
なので、私が母に「おばあちゃん、運転荒い、急発進、急ブレーキもうちょっと柔らかくして。」と言うと、
母は苦笑いして、「ああ、そうか。」と言った後、自動車教習所時代の話をし始めました。
そして、教官の人に対して「あのおっさんは・・・」と言い出したり、
教習所で使っている車に対して、「あんなボロ車、乗れるか!」などと言い出したのです。
お分かりでしょうか。
一旦、母は話を受けるのですが、その後、母は教習所の話にすりかえてしまいました。
そして母の持っている優劣感を見せつけられました。
これがずらしであり、すり替えなのです。
この例を読まれて、どんな感じがしましたか?
私の例でお話しすると、
息子が保育園に通っていた頃、
園長先生が、パンツ一丁で顔を真っ赤に塗った怖い鬼に扮して出てきて、
年長の子は、年下の子を守る為に必死に戦わなければならない
とても怖い節分がありました。
息子は節分の前になると、怖いから行きたくないと何日も前から訴えていたのですが、
私は息子の怖い気持ちに寄り添うことはできずに、
なんとかして保育園に行ける方法や、園長先生扮する鬼と闘って勝てる方法など、
そんなことばかり話していました。
この時のことを思い返すと、
息子の節分が怖い、保育園に行きたくない気持ちに寄り添うと、
息子が保育園を休んで、私が仕事に行けなくなる
病気以外で休むことを許すと、今後もズルズル休むのではないか?とか
イヤなことを我慢できないと、将来大変なことになるという不安…
こんな感じで、私自身に不都合な状況になったり、
自分が感じたくない感情を感じるのを避けるために、
無意識に息子に共感することを避けていたのですね。
先ほどの例の運転が荒いと指摘されたお母さんだったら、
自分の非を認めてしまうと、さらに注意されるというような不都合な状況を避けたり、
自分の運転のせいで、孫達が車酔いしてしまうという罪悪感、
自分が気が利かないなどという劣等感
孫達が車酔いしたらどうしよう…という不安
などを感じるのを無意識に避けて、
今の自分の運転のせいで車酔いする話とは直接関係ない、
昔の自動車学校の話にすり替えてしまったのですね。
もし、自分もこれやっているかも…と気づいた方、
自分は何を感じたくなくて、お子さんの話をすり替えて答えているのか
自分の心の奥に聞いてみると、いろいろな気づきがあると思いますよ^^
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応援ありがとうございました^^