待ってました!

五月團菊祭の演目、

主だった配役が発表されました。

團菊揃った團菊祭!さすがに豪華!




取り急ぎ、演目についての資料です。

(追記もすると思います。)


⭐️松也、右近、萬太郎の常磐津、長唄で。

鴛鴦襖聞睦
おしどりのふすま きいたむつごと

金井三笑
1754(宝暦4)年11月中村座上演の『三浦大助武門寿(みうらのおおすけぶもんのことぶき)』で立作者に次ぐ二枚目の狂言作者としてデビュー。翌1755(宝暦5)年6月中村座で上演した『江戸鹿子松竹梅(えどがのこしょうちくばい)』の中の舞踊、富本「夏柳夢睦言(なつやなぎゆめのむつごと)」が出世作となります。中村座の四代目市川團十郎、市村座の初代尾上菊五郎らと組んで活躍し、のちに鶴屋南北作品で名を挙げる初代尾上松助を最初に見出したのも金井三笑でした。生涯で100本以上の作品を書き、濠越二三治(ほりこしにそうじ)と並んで江戸の二大作者と称されますが、台帳(現在の台本にあたるもの)が残っているのは『卯しく存曽我(おんうれしくぞんじそが)』の二番目だけだといわれています。長唄、常磐津、富本などの作詞にすぐれ、現在でも河東節「助六由縁江戸桜」は「助六」の出端で演奏されます。1792(寛政4)年引退し、1797(寛政9)年に亡くなりました。

【代表的な作品】
江戸鹿子松竹梅(えどがのこしょうちくばい)の所作事、富本「夏柳夢睦言(なつやなぎゆめのむつごと)」 1755(宝暦5)年6月
菜花隅田川(なのはなすみだがわ) 1759(宝暦9)年1月
曽我万年柱(そがまんねんばしら) 1760(宝暦10)年6月、長唄鐘入解脱衣(かねいりげだつのきぬ) ※歌舞伎十八番「解脱」の初演
江戸紫根元曽我(えどむらさきこんげんそが)の所作事、河東節「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」 1761(宝暦11)年1月
百千鳥大磯流通(ももちどりおおいそがよい)の所作事、大薩摩「夏柳烏玉川(なつやなぎうばのたまがわ)」 1763(宝暦13)年5月 ※歌舞伎十八番の内「蛇柳」の初演
色上戸三組曽我(いろじょうごみつぐみそが) 1765(明和2)年1月
降積花二代源氏(ふりつむはなにだいげんじ)の所作事、常磐津「蜘蛛糸梓弦(くものいとあずさのゆみはり)」 1765(明和2)年11月
花相撲源氏張胆(はなずもうげんじびいき)の所作事、富本「四十八手恋所譯(しじゅうはってこいのしょわけ)」1775(安永4)年11月 ※長唄・常磐津「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)」の原曲
卯しく存曽我(おんうれしくぞんじそが) 1790(寛政2)年1月


⭐️四世市川左團次一年祭追善狂言
粂寺弾正・男女蔵🎉 鏡の前・男寅
後見・團十郎!
その他素晴らしい配役!


⭐️これ好きです!待ってました!

團十郎襲名されてから初の幡随院!

菊之助が水野!幡随院女房お時・児太郎🙌






ブログでも大興奮してました😅




菊之助の政岡!團十郎の仁木弾正!歌六の八汐😅



四千両小判梅葉

牢名主・歌六、彌十郎、・梅枝親子、嬉しく楽しみ

團蔵さんのお名前も、、




おでん屋台でてくるので、おでんや、



お味噌の話も面白い😅





河竹黙阿弥


たくさん通いたいです!

それまでに完治したいなぁ。