台風10号の影響を心配しながら迎えた朝、成田に向かうお昼過ぎには雨は止み、着いたら成田は晴れてました。不思議、、


駅からのタクシーも並ばず乗れ、成田国際文化会館へ。この祝幕をみるのは、二月の御園座以来。今日からの秋の巡業はここ成田だけしか行か(け)ないから、次にみられるのは10月の松竹座。



襲名披露公演が開催されるのは成田屋は二度目。これは稀なことで、團様も不思議だそう(口上に笑う)



次は中三日で青森。宮城と続き、七日八日は島根、鳥取、中二日で、神戸、広島、、、、終着地は小松・團十郎芸術劇場うらら。



祝成田櫓賑 は右團次さんはじめ、成田屋一門が、

たっぷり踊る。右團次さんの三つのお面を使っての踊り。



口上 團十郎さんと梅玉さん

天衣粉上野初花 河内山 

        簡単にいうとこんな感じ 笑

原作 松林伯円の講談 「天保六花撰」明治5年

「雲上野三衣策前」芝の河原崎座で初演

これが 九代目市川團十郎の河内山。

7年後大改訂され、今の形となる。



成田のご案内人でもある十三代目だけに、行事や成田山のちらしに新勝寺さまの開運箸までお土産にいただく。



成田 音 歌舞伎 は知らなかった。涼しくなったらお詣りに行こう。



河内山は、

上州屋質見世はでないが、かわりに河内山に雇われた悪仲間・九團次によるわかりやすい解説がある。

(やはり質見世はあった方がいい)

松江邸広間の場

松江邸主人・松平出雲守(梅玉)が意にしたがわない腰元浪路(莟玉)を手討ちにしようと追いかけ広間に追い詰める。近習頭、宮崎数馬(廣松)が止めるが、重役の北村大膳(市蔵)は数馬と浪路の不義をいいたて、二人は窮地においこまれる。家老の高木小左衛門がこれをいさめる。そこに上野寛永寺からのお使い僧がやってきたとの知らせ。寛永寺の門主は将軍の親戚で、大変な権力をもっており、一同に緊張はしる。

同書院の場

緋色の衣に頭を綺麗に剃ったお使い僧北谷道海(きただにどうかい)に化けた河内山宗俊(團十郎)艶やかに花道(下手壁際の小さなエプロンステージ)に登場。手付けにもらった百両で支度を整えやってくる。家老に任せていた松平出雲守だがそうも行かなくなりしかたなく対面。河内山は最初は穏やかに浪路を返すよう言うが、出雲守が強きではねのけるので「このこと老中に伝えるがいいのか」と切り出し、とうとう浪路を返す事を承知させる。談判の後次々と出されるご馳走は断り「相なるべくは山吹色の茶を一服所望」と金を要求し、さっさと帰ろうとする。

松江邸玄関先の場

玄関先で北村大膳にみやぶられ、もはやこれまでと開き直り玄関にどっかと座り込んで啖呵を切る河内山。そこへ家老の高木が進み出て、「騒ぎ立ててはお家の恥」と、北村大膳の非礼を詫びこの場をおさめる。河内山は大膳と奥から顔を出した出雲守にむかって「馬鹿め」と一喝して悠然と引き上げる。


玄関先の場 名セリフ

昭和40年3月歌舞伎座 宗俊・11代目市川團十郎


面白く拝見。河内山苦手と仰る方意外にめ多い。河内山は悪いが、権力者であろうと向かっていくのは痛快。團十郎の河内山、いいと思う。磨きがかかるのが楽しみ。


團十郎の直侍がみてみたいので、いつか通しでやってほしいと思っていたら、考えてるようで嬉しい。



初日の幕が無事開き、よい公演が始まったと旅のはじまりを見送れた。この一ヶ月でどう進化していくのか気にならなくもないけれど、きっと近く歌舞伎座でもみられそうな気がする。期待をこめて。