差別を無くせない前提から始めるリアリズム | ひらめさんのブログ

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魚鱗癬と生きる ~遼くんが歩んだ28年~|TBSテレビ:ドキュメンタリー「解放区」

魚鱗癬という皮膚の難病がある。遺伝子の異常で鱗のように硬くなった皮膚が剥がれ落ちていく。伝染はしないがその外見から差別的な視線を受けてしまうのだ。そんな病を生まれ持った梅本遼さん(28歳)のドキュメンタリーである。

 

幼児期には常にかさぶたが出来ている状態で包帯を取るときに強い痛みを伴う。また皮膚のバリア機能が弱いために感染症によって入院することも多かったようだ。好奇の眼で見られながらも通常の幼稚園に通ったのだが、小学校では悩んだ末に養護学校を選択したのであった。

 

実は私の小学校時代に恐らく同じ病を持った級友がいた。梅本さんとは違って、皮膚が剥がれるようなことはなかったので軽症ということだったのかもしれないが、勉強に付いていけないこととも相俟って、公立の小学校ではやはり差別的な扱われ方をしていたのである。

 

当時「少年チャンピオン」を購読していたのだが、連載されていた「ブラックジャック(もちろん手塚治虫 著)」でこの魚鱗癬が取り上げられたことがあって、級友の症状と符合したのである(素人の勘違いかもしれないが)。

 

私の母は養護教諭で共産党員。”差別なんてもってのほか”という意識高い家庭で育った私だったから、その級友を差別することはなかった。他の級友たちのように彼の異形をあげつらうことなどはなかったという意味である。

 

だが、伝染への警戒心という本能レベルの差別意識を修正することは出来なかった(先述したように”伝染はしない”のだが)。生来の潔癖症とも相俟って、彼に触れたら可及的速やかに洗浄したい欲求を抑えることは出来なかったのだ。隣の席になった時には進んで勉強を教えていた(当時の私は成績が良かった)のにである。

 

中学になって彼とは別のクラスになって、意識することもなくなっていったのだが、そのうちに良からぬ道に進んでいることを聞くようになった。だが「ケーキの切れない非行少年たち(宮口幸治 著)」など知ることもなかった当時、私は彼を縁の無い者として切り捨てるだけだったのだ。恐らく他の級友たちもそうだったのだろうと思うのである。

 

番組に戻って梅本遼さんの話である。先述したように小学校進学を期に養護学校に進むこととなった。ご両親は普通の小学校に進ませたいと考えていたが、教育委員会は難色を示したのである。母親の千鶴さんは当時を振り返りこう言う。「アトピーだとどんなに重症でも普通小学校に行けるのに、何で魚鱗癬だったら受け入れられないんですか」と。気持ちは大いに分かる。

 

だが、遼さんと三年間接してきた幼稚園の中尾暢宏園長はこう言うのだった。「遼君に接してくれる人たちがどういう思いを持って接していってもらえるのかというところ。これは相手があることですから、何らかの方法が無ければこれから先も学校生活を送るのが難しいと思いますから、養護学校に入った方がいいんじゃないだろうかと考えています」

 

「相手があることですから」これは大切な視点である。相手がたとえ間違っていようとも、それを改めさせる権利など無いのである。”異形をあげつらうこと”を禁止するぐらいならコンセンサスを得ることも出来るだろうが、私の”伝染への警戒心”となると、それを禁止することは私の負荷が過剰となってしまうからである。

 

少々脱線するが、ハンセン氏病患者に対する隔離政策(らい予防法)は否定されて然るべきとされている。だが誤解を恐れずに言えば、そこにこの園長のリアリズムと重なるものを感じるのは私だけだろうか。もちろん選択の余地も無いことは現在の価値観からすれば問題はあるだろう。しかし、私には異形の患者が市中に住むことのデメリットはメリットを遥かに上回ったように思われてならないのだ。

 

話を梅本さんに戻そう。遼さんはドラムを趣味としてきたのだが、それが縁で桃香さんという配偶者を得たのだ。子供には50%の確率で同じ病を持つ可能性がある。それはもちろん気がかりなことだろうが、遼さん自身が自分の半生を肯定出来れば解決する問題でもあるのだと思う。

 

遼さんがドラムに出会えたのも養護学校を選択したことが遠因になっている気がする。その対人ストレスに占められない僅かな余裕によって”楽しさ”を見つけられたと思えるからである。それは私のかつての級友には見つけられなかったものだと思えるのだ。

 

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