小説と未来 -9ページ目

記憶の記録 4.零年秋

ミントグリーンのカーディガンを白いシャツの上に着て、チェックの長いスカートに

細いベルトを巻いている。
目の前で肘をついて、こっちをじっと見つめている。
丸眼鏡を掛けて、髪は後頭部でぐるぐると丸めてゴム紐で止めている。
その顔の表情は、少し母親に似て見える。

隅田川沿いのおしゃれなカフェで時間を潰す。
日差しは10月になりすっかり勢いを失った。
今日も優しく窓辺を照らして、すでに西の方向へ傾き落ちている。

「ああ、もうすぐ、めぶきの誕生日だったね。おめでとう」
「ありがとう。ママからプレゼントもらったから」
「ごめん。父さんは、忘れていたわけじゃないんだ。何を買っていいかわからなくて」
「いいわよ、別に」
腕にかかるカーディガンの袖を捲り、
それからアイスコーヒーのストローに口を付ける。


「今日がそのお祝いなんでしょ」
素っ気ない無表情でこちらに向かって答える。
なんだか娘は今日のお出掛けが少しつまらなそうだ。
この歳になって両親なんかとデートするのはあまり
気が進まなかったのだろう。

・・・

わたしたちは墨田の水族館で親子水入らずの時間を過ごした。
一番はしゃいでいるのはいつも母だ。
暗い水族館の中で、チンアナゴに喜ぶ母はいつも明るい。


「ねえねえ、チンアナゴ!超かわいくない。私大好きなの。ちょっとカメラ!」
『パシャ』
「ああ、暗くて綺麗に撮れない。かなしい」

東京に両親が来るのは久しぶりだ。もともと東京で暮らしていた
わたしたちだけれど、
父親が仕事をリタイアすると共に、
既に東京で働き出していたわたしを残して、東京を離れた。

遥か遠い場所に越したわけではないけれど、
年老いた両親はめったなことでは東京には来ない。
特に父が来るのはいつ以来か覚えていない。

10月の晴れた日にわたしは生まれた。
名前は春っぽいけど実は秋に生まれた。

「めぶきが生まれた日はよく晴れていた。春の始まりのような日だった」

父は口癖のように言うからわたしは忘れない。
今日もよく晴れていて、もうすぐわたしは30代を迎える。

誕生日にはみかげ君がわたしをレストランへ連れていってくれる。
だからこの三十路に気重な感情はない。
ただただ、三十年も生きてきたんだな、としみじみ思う。

目の前に座る父は顔のシワも増え、髪も無くなっていき、かなしい限り年老いた。

いつも笑顔の父をわたしは嫌ってはいない。
好きと言わないのは、なんだかファザコンみたいで嫌だからだ。
別に特別好きなわけでもない。

わたしたちが仲の良い家族だとは、大人になってしみじみ感じる。
こうして三人でこんな歳まで出歩くことも他の家族にはないことなのかもしれない。

「おまたせー」母が手を振りやってくる。「スッゴいトイレが混んでて」
「ああいいよ。ゆっくりしていこう。今夜はめぶきの家だから
焦ることもないだろう」
「あら、あなたはいいわよ。座ってるだけなんだから。

わたしたちはご飯作る準備しないとならないのよ」


「ごめん」
母が怒って父が謝る。なんだかいつも見る家族の光景。わたしは少し嬉しく、少し寂しい。
少しずつ年老いてゆく両親。こういう生活もやがて終わるのかと、少し感じる。

・・・

娘は笑った。
その笑みが生きている糧になる。そこにある姿がいつも嬉しい。

 

記憶の記録 3.零年夏

僕は大学生になり、彼女のことを思い出す。
蝉がジージーと羽を鳴らし、
その合唱が始まると、
高校の教室が頭の中に浮かぶ。

一番前の席に座る僕は一つ後ろの席の友だちに

用もないのに話しかけ、一番後ろの席に座る君をチラリと見つめる。
「よそ見をしない!」と、国語の女教師に怒られて、
君がこっちを見る目を奪う。

僕はおどけ笑ってまた黒板に目を移す。
そしてチラリと見た、君の大きな瞳を、

眉に掛かるくらいに揃えられたストレートの前髪、
袖から伸びる細く白い腕、
襟から覗く頸元、
緩く結ばれた赤いリボン、
白く皺のない綺麗なワイシャツ、
笑ったときに零れる白く整った歯を思い返す。

あの時の僕は、

僕が君を好きであったと、

はっきりと頭の中で認めようとはしなかった。
そしてもし

君が僕のことを好きでいてくれても、

僕は君と付き合おうなんて考えもしていなかった。

大学へ行けば離ればなれになる。
君は地元に残り、僕は東京の大学へ行く。
もし付き合ったとしても別れるのは必然だったろうと考えていた。

 

・・・
 

「思いは伝えなかったんだ」
メモリアルレコードライターのわたしは、大学三年の客の彼に訊ねた。
「だって、大学に行けば、また別の出会いもあるって信じてたから。
僕は彼女をそんなに好きなわけじゃないって思ってたから」

・・・

でも、僕は君を、忘れられなかった。
君よりも好きになれる女性はこの世にいないんだと気づいた。


夏が来ると思い出す。
波止場の防波堤の上を君は歩く。
制服のスカートがチラリと揺れて、
僕はそれを見ないように下の道を歩いていた。

「すっかり夏だねえ」
「今年は勉強で終わりだけどね。受験だから」
「A・Mくんは、やっぱり東京の大学受けるんだ」
「ああ、まあね。T・Sさんは?」
「わたしは、(地元の)県立大」
知っているけど僕は聞き、
予想どおりの回答に胸がチクリと少し痛んだ。
一緒に東京の大学受けないかって言えばよかった。

防波堤の向こうでは、
太陽の光に海面がきらめいていた。
海鳥がクアクアと鳴いた。
磯の風が潮の香りをのせてやってきた。

何かを伝えなければと思ったのに、
でも声にはならないままだった。

海鳥は再び鳴いた。
波音がひたすら続いた。
帰らない夏は終りを告げた。

・・・

「そして、君は夏が来るたびにその夏を思い出す。
 夏の補習で、二人きりになった日の出来事を」
彼はうなずく。
わたしは尋ねる。
「ねえ。この思い出を本にするのもいいけど。やっぱり、
彼女に思いを伝えてみたら?」

まだ間に合う。
わたしはわたしの無駄に過ごした二十代を思い、彼のこれから来る
二十代をとても勿体なく思う。

「いえ。彼女には別の彼氏がいますから。そういうのいろいろな繋がりで

みんなわかってますから」
それはそうかとわたしは悩む。
「これを本にしてどうするつもり?
仕事だからやめましょうとは言えないけれど、なんとなく、つらいだけかな、

と思って」
「わからないけど、僕は残したいです」

まだ大学生の彼に記憶の本はとても高額だ。
初めて彼が来た日のことを思い出す。
「夏が来ると思い出すことがあって、
どうしても、それを形に残さないと、自分がつぶれてしまいそうだから、
どうしても本にしてほしいので」

暗い面持ちで彼は言った。
でも今は少し違う。
「これでよかった。ありがとうございます」
晴れやかまでとはいかないけれど、夏の蝉が彼を苦しめてはいないようだ。

自分の中のわだかまりを外に出して捨てることができたのだろうか。
わたしにはわからない。
ただ彼の苦しみを和らげられたなら、わたしはこの仕事をしてよかったと、
少しだけ安らかな気持ちで彼を見送った。

 

記憶の記録 2.零年春

「あなたは文を書くのが上手ね」

と進路支援者に言われて、
メモリアルレコードライターになった。記念の記録文筆家ともいう。
本当はトリップアドバイザー(旅行相談者ともいう)になりたかったのだけれど。


その仕事は他人の人生を、本にする仕事だ。

一部の思い出もあれば、人生の初めから終りのものもある。
値段も安いものから高いものまで様々で、有名なライターが書けば高くなるし若手が書けば安め。さらにAI品は一桁落ちる安物となる。


零年春はもう過ぎていった。
今年は神田川の川面に、散る桜の花いかだを見た。
花びらは
散る。
川面に、路面に、君の髪に、彼の肩に、女の子の掌に。
木の根元の上に、橋の欄干に、自転車の荷台に、桜の幹に。
また吹き巻いて、風に飛び去りどこまでも、
屋根の上に、電車の上に、枕木に、
どこまでも散って広がった花びらを、その日ずっと追いかけた。

これはわたしの記憶の記録である。隣にいたあなたの記憶とは、

また違うものなのだ。
知っている。

記憶は人それぞれ違ってしまう。人はたくさんの嘘に塗り固められている。
でもそれは虚偽ではない。
彼は、はたまた彼女は、それを本当と信じているのだから。

わたしは走り出したチンチン列車の中にいた。

走り出しの過重がかかり体を少し突っ張らせ、

体は太陽の方向へと引っ張られていく。走り出しの方向にいる

大きな体に少しだけ寄り添い、

わたしは安心してガタガタ揺れる列車の中で笑みを溢した。

混み合う列車はガッンゴットン、ゆっくり揺れて、乗客を次の駅へと導いていた。
わたしはこの春を綴る。明日にはまた忘れてしまうだろうから、忘れる前に、わたしは
わたしの記憶を記録しよう。


川石みかげに初めて会った花見の日の出来事だ。
古墳とされる、その小山は、今は桜の名所として栄えている。
彼を見つけるのは至難の技、

ではなかった。
広場の中央に突つ、イメージよりも大きいフォルムに、わたしの目は

すぐに吸い寄せられた。
 

「大きいねえ」
「大きいだけで役には立たないんです。

運動音痴で部活に勧誘されても役立たずでした」
「でも、高いところにあるものを取ってもらうには役立つよ」
「任せてください。そのくらいはやります」
出会って最初の会話は、やはり188センチある、
その背についてだった。

 

「190はないんです。中学校の時はサッカー部でキーパーでした。

で、守ろうと動き回ってたら逆にうすのろくて点入れられて。キャプテンに
『おまえは動くんじゃねえ。でんと立ってた方が相手のプレッシャーになるんだよ!』
って怒られました。
それ以来ずっと補欠で。

 

高校は文科系の部活に入ろうと文学部に入りました。

特に本が好きだった訳じゃなくて友達になった友人に誘われたからなんですけどね。

すみません。

プロフィール目立ちましたか?」
「ああ、いいんです。わたしも文学が好きで今の仕事をしている訳じゃないから。

ただ少し、国語の成績が良かったってだけの理由なんです」
 

そういってわたしたちは笑い合った。
わたしたちは互いに、

もやっとした者同士だったから仲良くなれたのかもしれない。

夏の近づく夕暮れ時は好きだ。
まだ日の長い青空を見上げることができる。
雀に、メジロ、キジ鳩も嬉しそうに鳴いている。

記憶の記録 1.零年冬

はぁっと息を吹き出せば、

白くモワッとしたものがフワリと現れて、すぐに冷たい空気に包まれ、消えてなくなる。

その年の冬はほぼほぼ雪も降ることなく、寒さのわりには日照りもよいまま終りを迎えようとしていた。

春の始めに雪が降る日もあるからまだわからないけど、この冬を思い返せば雪のない年というのが当てはまる。
そんなふうに季節を観察しながら、葉のない枝を突き出した木々がぬくぬくと生い茂る森林公園を歩いていた。

一年の始まりには目標を立てた。
『今年は少し特別な年にしたい』
そういう明瞭なビジョンもない、気持ちだけが逸る漠然とした目標だった。

そこには少し怖じ気づいた気持ちが現れてしまった。
素直に言えば、結婚願望なのだ。でもまずは彼氏なのだけれど、それもまだ手の届かない遠くの虚構である気がして、
ならば男友達、
まずは恋活と、

徐々に萎み、
花から新芽まで逆回しに縮んだ想いは、
『今年は特別な年にしたい』

という
あやふやな目標にまでに落ち、わたしの気持ちをとどめた。

去年の冬の始まりに紹介された友だちの知り合いは、あっさりわたしに興味がない素振りを見せて、わたしの心に釘を打った。
冬はわたしを外に連れ出してくれない。寒さと共にベットが心身を縛り付ける。
夜の暗がりは早く、仕事終わりは足を帰路へと早めさせる。
クリスマスも終わった新年ではイベントもなく、元旦は実家で餅を頬張らせ、わたしの体を餅のように膨れさせた。
ふっくらした容姿に自信が持てず、より一層、冬はわたしを家にとどめたがる。

そして瞬く間に1月が終わり、2月も終わろうとしている。


梅がつぼみを付けて花が
ちらほらと咲き始めている。そのほのかな赤みが春の始まりを告げている。

さて、少しだけジョギングでもしますか。

少し痩せたら素敵な男性に出会う手はずを取ろう。新しい春には新しい出逢いが待っている。わたしは足を弾ませ、腕を振り、歩くよりは速いペースで動き出す。
まだ冬は終わらないけど、一足先に新しい季節の準備を始める。

 

体が温まり、樹木の立ち並ぶ
土の路面を走り抜けると
太陽の日差しをいっぱいに浴びる広い広場に出る。

どこかに素敵な男性を探しているのだけれど冬の朝は老人ばかりとすれ違う。
小犬を散歩する八十近い老人と行き違い、
わたしより走るペースが速い贅肉を持たない七十くらいの老人に追い抜かれる。
朝の公園は老人ワールドと化している。

たとえ爽やかな笑みを浮かべてジョギングしている同年代の男性とすれ違ったとしても、そこに恋への発展なんてありもしない幻想だろう。


今は走ろう。白い息を吐きながら、少し苦しくても、今はまだ梅もつぼみばかりの冬の終わりだから、
つくしが顔出し、
タンポポが咲いて、一面野が花で埋め尽くされて鮮やかな多色溢れる頃まで、
わたしは春芽吹く準備をする。

わたしの名前は、山野めぶき。
その名の通り、いつか芽吹く日を待っている。
冬の晴れた空に新たな一年をスタートさせる。

 

2019年も残すところ3か月となったところで

久しぶりに、ブログに小説を書いてみよう。

 

そう思ったのは、

2019年はとても遠い未来で、特別な何かが待っている年だと、

そんな余念が、頭の片隅にあったからだろう。

 

例えば今年は、僕が書いた物語の「新世界~夢世界」で未来

として描いている。

「雨に沈む町」という作品も、目立たず曖昧に表現しているけど

実は2019年が舞台となっている。

 

そんな2019年も、あっという間に10月を迎えた。

何かをしてやろうと、心の奥底で意気込んでいた感情は消え

失せて、

やはりかつての2019年を夢想した未来への憧れは、ただの

幻想なんだと、意気消沈しかけていた。

 

それで、ブログに小説を書こうと…。

まあ、安易ではある。

 

これから掲載する小説は、初めて女性を主人公としてみた。

「何気ない毎にちを貴方に伝う」の3編目では、

『君』という二人称で

女性をヒロインとしたけど、

今回は『わたし』を主人公としている。

内容については、基本的テーマは『家族』かな?と思う。

 

物語の原文はすでに半分ほど書けていて、

あと半分は掲載していきながら、

2019年から2020年にかけて、完成を目指して楽しんで

いきたい。

 

ここにまた新しい物語を綴れること、

過去に書いたものが残り、読み返すことのできることを

感謝したい。