メキシコ回想記38.カンクン~その2
カンクンの二日目、その日はケイ君とアユさんと一緒にいた。
カンクンの通りを歩き、カンクンのリゾートホテルが立ち並ぶ砂洲地帯へと向かった。
アユさんとは途中で分かれ、ケイ君と二人、ホテルゾーンを歩く。一泊数万円するホテルゾーンは僕ら数千円で泊まっている人々とは違う旅行者が泊まっている。無理をすれば泊まれなくはない。
でも恰好が違う。アロハシャツに短パン姿で、サングラスを掛け、帽子を被っている。いい時計をして、ネックレスなんかして、トランクで旅行をする。汚いバッグを担いでなんていない。場違いな場所に泊まると、むしろ寂しくなるだけだ。泊まることは忘れよう。
ホテルのビーチは場所によっては入ることができる。完全にプライベートビーチとして囲まれた場所やビーチがあるのにプールがある別にあって、カリブ海の透き通った海を観ながらプールで遊ぶ連中もいる。そこには入れない。
砂洲は20kmにもなるけれど、ほとんどホテルが立ち並び、景観は大してよくない。たぶん昔は美しかったのだろうと思う。しかもホテルが出来たせいで、砂浜が削られ、だんだんビーチが狭くなっているのだ。
人はいろいろな物を使い捨てにするが、綺麗な景観や自然も使い捨てにする。やがて砂浜はなくなってしまうか、なくならずともどこか別の所から運んでくるようになるかもしれない。
そんな景色を眺めていた。
カリブ海の浜辺は白いサラサラした砂でとても綺麗だ。海は青からコバルトブルーといった感じだ。メキシコ湾の海とは違う。カリブの海は日本の海とも違う。とても綺麗だ。
ここへ来たもう一つの目的は、スキューバダイビングのライセンスを取ろうと考えたためだ。ここにも日本人のダイバーがいて、体験ダイビングやツアーがある。そしてライセンスを取ることもできる。いくらか確認してみると、4万5千円程度だった。他の所では2万5千円で取れるとケイ君は言う。しかし日本で取るよりは安いし、安いところは日本語が通じない。僕の英語レベルでは苦しい。そう考えて、ここで取る方向で進めてみようと考えた。
その後は砂洲をバスで南に向かい、ラグーンを一周した。ほとんどホテルで景観はホテルしか見えなかった。
それで適当にウィンドウショッピングをして、日本人宿に戻った。
日本人宿では引っ越しとなった。新しい場所に引っ越しだ。そこからは歩いて、1kmくらい離れた場所に移動になった。
新しい場所は、オーナーいわくもっと早く引っ越すつもりだったらしいが、新しく建てるのに全く工事が進まず数カ月遅くなったという。しかも引っ越した日も、まだちゃんと照明が付いておらず裸電球だったり、内装がちゃんとしていなかった。それでも扉やなにやらセキュリティ面は整ったので移動することになった。
二階建ての建物で、一階はオーナーさんの部屋となっていて、二階にバックパッカーが泊まる部屋がある。男部屋と女部屋に別れていて、真ん中には共同のダイニングキッチンとソファーのあるリビングがあった。
そして猫が何匹がいて、歩き回っている。
屋上に行くことができて、そこは何もないが、のんびりと風を感じることができた。
部屋には7~8人分くらいのベットがあって、さして泊まる人はいなかったが、自分のベッドはいい場所に確保しておいた。
それから夜になり、ケイ君とアユさん、それからその日来た看護師のカヨさんと一緒にチキンのお店に出かけた。
そこで雑談をしながら飯を食べ、ビールを飲んだ。
カヨさんは後から友人が来て、ホテルゾーンに移るそうだが、こういう場所が好きで、先に一人で来て泊まったと言う。昔ワーキングホリデーに行っていたそうで、ケイ君と話が合った。今は仕事を一時的に止めているそうだ。看護師は一度止めてもすぐに別の仕事に就くことができるという。何もない僕にはうらやましい話だ。
そんな四人でいろいろ話をしながら、楽しい時間を過ごし、その日は過ぎていった。
明日からはスキューバライセンス取りが始まる。だからその日は宿に戻って早く寝た。
2005年1月29日、僕はメキシコで残り時間を楽しんでいた。
カンクンの通りを歩き、カンクンのリゾートホテルが立ち並ぶ砂洲地帯へと向かった。
アユさんとは途中で分かれ、ケイ君と二人、ホテルゾーンを歩く。一泊数万円するホテルゾーンは僕ら数千円で泊まっている人々とは違う旅行者が泊まっている。無理をすれば泊まれなくはない。
でも恰好が違う。アロハシャツに短パン姿で、サングラスを掛け、帽子を被っている。いい時計をして、ネックレスなんかして、トランクで旅行をする。汚いバッグを担いでなんていない。場違いな場所に泊まると、むしろ寂しくなるだけだ。泊まることは忘れよう。
ホテルのビーチは場所によっては入ることができる。完全にプライベートビーチとして囲まれた場所やビーチがあるのにプールがある別にあって、カリブ海の透き通った海を観ながらプールで遊ぶ連中もいる。そこには入れない。
砂洲は20kmにもなるけれど、ほとんどホテルが立ち並び、景観は大してよくない。たぶん昔は美しかったのだろうと思う。しかもホテルが出来たせいで、砂浜が削られ、だんだんビーチが狭くなっているのだ。
人はいろいろな物を使い捨てにするが、綺麗な景観や自然も使い捨てにする。やがて砂浜はなくなってしまうか、なくならずともどこか別の所から運んでくるようになるかもしれない。
そんな景色を眺めていた。
カリブ海の浜辺は白いサラサラした砂でとても綺麗だ。海は青からコバルトブルーといった感じだ。メキシコ湾の海とは違う。カリブの海は日本の海とも違う。とても綺麗だ。
ここへ来たもう一つの目的は、スキューバダイビングのライセンスを取ろうと考えたためだ。ここにも日本人のダイバーがいて、体験ダイビングやツアーがある。そしてライセンスを取ることもできる。いくらか確認してみると、4万5千円程度だった。他の所では2万5千円で取れるとケイ君は言う。しかし日本で取るよりは安いし、安いところは日本語が通じない。僕の英語レベルでは苦しい。そう考えて、ここで取る方向で進めてみようと考えた。
その後は砂洲をバスで南に向かい、ラグーンを一周した。ほとんどホテルで景観はホテルしか見えなかった。
それで適当にウィンドウショッピングをして、日本人宿に戻った。
日本人宿では引っ越しとなった。新しい場所に引っ越しだ。そこからは歩いて、1kmくらい離れた場所に移動になった。
新しい場所は、オーナーいわくもっと早く引っ越すつもりだったらしいが、新しく建てるのに全く工事が進まず数カ月遅くなったという。しかも引っ越した日も、まだちゃんと照明が付いておらず裸電球だったり、内装がちゃんとしていなかった。それでも扉やなにやらセキュリティ面は整ったので移動することになった。
二階建ての建物で、一階はオーナーさんの部屋となっていて、二階にバックパッカーが泊まる部屋がある。男部屋と女部屋に別れていて、真ん中には共同のダイニングキッチンとソファーのあるリビングがあった。
そして猫が何匹がいて、歩き回っている。
屋上に行くことができて、そこは何もないが、のんびりと風を感じることができた。
部屋には7~8人分くらいのベットがあって、さして泊まる人はいなかったが、自分のベッドはいい場所に確保しておいた。
それから夜になり、ケイ君とアユさん、それからその日来た看護師のカヨさんと一緒にチキンのお店に出かけた。
そこで雑談をしながら飯を食べ、ビールを飲んだ。
カヨさんは後から友人が来て、ホテルゾーンに移るそうだが、こういう場所が好きで、先に一人で来て泊まったと言う。昔ワーキングホリデーに行っていたそうで、ケイ君と話が合った。今は仕事を一時的に止めているそうだ。看護師は一度止めてもすぐに別の仕事に就くことができるという。何もない僕にはうらやましい話だ。
そんな四人でいろいろ話をしながら、楽しい時間を過ごし、その日は過ぎていった。
明日からはスキューバライセンス取りが始まる。だからその日は宿に戻って早く寝た。
2005年1月29日、僕はメキシコで残り時間を楽しんでいた。
メキシコ回想記37. カンクン~その1
2004年1月28日午後、カンクンまで到着した。
この場所に着くには予定よりも1,2週間早まる結果となった。メキシコだけをバスでゆっくりと横断する旅は気持ちの落ち着かない思いでゴールまでやってきてしまった。
あと、どうやって、ここで過ごせばいいのか、日本への帰路まではあと半月ほど残っている。その期間、カンクンで過ごすのだろうか?僕の旅はもう終わっているのに。
そんなふうに考えながら、とりあえず、宿に向かった。
カンクンでは日本人宿に泊まることとした。最後まで出会いの旅を求めてみることとした。
日本人宿は数日後に引っ越すという状態になっていた。なんとも微妙なタイミングだ。
まず、宿に着くと、メキシコ人の女性が出てきて、不機嫌そうに対応してきた。引っ越しの準備で忙しいのか、ただ単に気分が悪いだけなのかは分からなかった。
それで一人ランドリーで洗濯をし、居間に行ってみた。居間には定年過ぎの夫婦が寛いでいた。奥さんは旅行好きのようで、今までもあちらこちらへ旅をしていたそうだが、夫の方が定年になって時間ができたので最近は夫婦で旅をするようになったという。なんともうらやましい老夫婦だ。定年過ぎるまで仲良く暮らしている。こういう夫婦はほんとに素敵だ。
そんな夫婦とお話をしていると、今度は、一組の若いカップルがやってきた。カップルかと思ったがカップルではなく、旅慣れたケイ君と、結婚前の一人旅に来たアユさんとの事で、この日本人宿で会って、この日は二人でふらりと散歩していたようだ。
そのまま、その日は日が暮れていた。
だからとりあえず夕食にした。その日はどこに出かけるわけでもなく、カップラーメンとかで済ませ、それからケイ君の旅行話を聞いていた。
カンクンからだとキューバにも行けるらしく、ケイ君はキューバから戻ってきたという。キューバは何もなく別世界で一度行ってみるといいと勧められた。
そんな所へキューバ兄妹と言われる姉妹が返ってきた。
この二人は長い事、キューバに暮らしていらしく、たまにカンクンに買い物に来るという。すでに人間性が日本人離れしていて、なんともお気楽な感じがキューバ人化している。
キューバは社会主義国だが、財政難で仕事がなく、キューバに行くと多くの人が仕事をせずにふらふらしているという。それでも社会主義国だから配給やなにやらで生きてはいけるのだ。
キューバ兄妹はフワフワで超フランクな口調で話をする。キューバ人は同じスペイン語でも歌っているような喋り方をして可愛いとか、キューバでは車がほとんど走っていないとか、確かそんな話をしていた。
そして最後にはウクレレみたいな小さなギターを奏で歌い出した。意味不明な明るさ。自分の色々な悩みが実にバカバカしくなってくる。
あとは結婚前のアユさんは、スキューバに来たと言う。カンクンを訪れる人は多くの人がスキューバダイビング目的で来るらしく、皆楽しいと言う。
ロスカボス以来のスキューバも楽しそうだと、僕も感じ、スキューバはしてみようと思った。それからいろいろなポイントを教えられ、まだまだ旅はここから楽しめるな、と思い直した。
やはり日本宿はいい。いろいろな情報が得られ、なによりいろいろな人と出会える。
僕の終ったと思えていた旅は、最後の旅に向けて再度準備し出すこととなった。
つづく
この場所に着くには予定よりも1,2週間早まる結果となった。メキシコだけをバスでゆっくりと横断する旅は気持ちの落ち着かない思いでゴールまでやってきてしまった。
あと、どうやって、ここで過ごせばいいのか、日本への帰路まではあと半月ほど残っている。その期間、カンクンで過ごすのだろうか?僕の旅はもう終わっているのに。
そんなふうに考えながら、とりあえず、宿に向かった。
カンクンでは日本人宿に泊まることとした。最後まで出会いの旅を求めてみることとした。
日本人宿は数日後に引っ越すという状態になっていた。なんとも微妙なタイミングだ。
まず、宿に着くと、メキシコ人の女性が出てきて、不機嫌そうに対応してきた。引っ越しの準備で忙しいのか、ただ単に気分が悪いだけなのかは分からなかった。
それで一人ランドリーで洗濯をし、居間に行ってみた。居間には定年過ぎの夫婦が寛いでいた。奥さんは旅行好きのようで、今までもあちらこちらへ旅をしていたそうだが、夫の方が定年になって時間ができたので最近は夫婦で旅をするようになったという。なんともうらやましい老夫婦だ。定年過ぎるまで仲良く暮らしている。こういう夫婦はほんとに素敵だ。
そんな夫婦とお話をしていると、今度は、一組の若いカップルがやってきた。カップルかと思ったがカップルではなく、旅慣れたケイ君と、結婚前の一人旅に来たアユさんとの事で、この日本人宿で会って、この日は二人でふらりと散歩していたようだ。
そのまま、その日は日が暮れていた。
だからとりあえず夕食にした。その日はどこに出かけるわけでもなく、カップラーメンとかで済ませ、それからケイ君の旅行話を聞いていた。
カンクンからだとキューバにも行けるらしく、ケイ君はキューバから戻ってきたという。キューバは何もなく別世界で一度行ってみるといいと勧められた。
そんな所へキューバ兄妹と言われる姉妹が返ってきた。
この二人は長い事、キューバに暮らしていらしく、たまにカンクンに買い物に来るという。すでに人間性が日本人離れしていて、なんともお気楽な感じがキューバ人化している。
キューバは社会主義国だが、財政難で仕事がなく、キューバに行くと多くの人が仕事をせずにふらふらしているという。それでも社会主義国だから配給やなにやらで生きてはいけるのだ。
キューバ兄妹はフワフワで超フランクな口調で話をする。キューバ人は同じスペイン語でも歌っているような喋り方をして可愛いとか、キューバでは車がほとんど走っていないとか、確かそんな話をしていた。
そして最後にはウクレレみたいな小さなギターを奏で歌い出した。意味不明な明るさ。自分の色々な悩みが実にバカバカしくなってくる。
あとは結婚前のアユさんは、スキューバに来たと言う。カンクンを訪れる人は多くの人がスキューバダイビング目的で来るらしく、皆楽しいと言う。
ロスカボス以来のスキューバも楽しそうだと、僕も感じ、スキューバはしてみようと思った。それからいろいろなポイントを教えられ、まだまだ旅はここから楽しめるな、と思い直した。
やはり日本宿はいい。いろいろな情報が得られ、なによりいろいろな人と出会える。
僕の終ったと思えていた旅は、最後の旅に向けて再度準備し出すこととなった。
つづく
メキシコ回想記36.メリダ_セレストゥン
2004年1月27日はセレストゥンを訪れた。
メリダからユカタン半島西端方向に2時間くらい行くとある海辺の観光地だ。人のいない静かな町を想定していたが、結構な観光地だった。
見所は、フラミンゴの群だ。
セレストゥンの町に着き、お土産屋やレストランの立ち並ぶ通りを抜けると浜辺に出る。そしてその辺りにボート屋さんがいて、ボート屋がツアーを運営している。そこで待っていると数人が集まり、集まった所で、7~8人乗りの小型ボートに乗り込み出発する。
この辺りは遠浅の海になっていて、浅い海がどこまでも続いている。
ブウゥーンと響くボートの音を耳に、風を感じながら、青い空の下、青い海をボートは走ってゆく。やがてあちらこちらに似たような観光用のボートが浮かんでいる場所に着く。
そこからはボートがゆっくりになる。遠くには鳥の集団とおぼしき姿が見える。途中にはペリカンがやたらいっぱいいたが、遠くに見える集団はあのペリカンとは異なる。
ボートはエンジンを掛けずにゆっくりと潮を流れに任せて、その集団に近づいてゆく。
ピンク色の鳥が徐々に姿を現す。一か所に何十羽という群をなしてフラミンゴの集団が目に映った。美しいというよりは優雅に感じる。集団は何か所か別々に、それぞれが何十羽~百羽くらいの群をなしている。
たくさんのボートがそれぞれのターゲットを目指して近づいている。
僕は確かにその光景を目にした。その瞬間に特別な感情はなかったけれど、その景色は僕の脳裏に焼き付き残っていた。
それからボートはまた走り出した。今度は木々の群がある方向へと進んでゆく。
最初にやってきたのは、海の塩が地表に入り込んだ場所で、そこでは死んだ木々が白い沼地に伸びていた。とても不思議な場所だった。
そしてボートはマングローブの間を抜けてゆく。ボートの左右は木々に覆われているが、ここの木々は生きている。海水よりも真水に近いのだろう。海と川の間、木々が辺りを覆い、森になっている。
やがてジャングルの中のような場所にボートは着岸する。
ボートの案内人と、二組の若いカップルと、女子二人、そして僕が一人そのボートに乗っていた。ボートを下りると皆、服を脱ぎ出した。「何!」と思ったが、そこはジャングルの中のプールのようになっている池があった。どうやらここで泳ぐのが恒例となっているようだ。
皆、水着姿になって、ジャングルの中の池にダイブ。ピラニアやワニが出てきそうな場所だが、そこにはいないようだ。
しかし確かワニはいた。そこは深いからいないのかもしれない。浅い川べりにはワニがいたような気がする。僕は水着を持ってこなかったので、一人ジャングルを探検していた。
ワニはいなかったかもしれない。後から勝手に作られたイメージだろうか?
ボートの観光はそうして終った。
また、観光地の海辺に戻り、遅い食事をして、メリダの街に戻った。
あとの事は覚えていない。
メリダの街の思い出は少ない。忘れてしまうことは全て忘れてしまう。
きっとそんなものだ。
でも、印象深い事は何となく覚えている。何となくの思い出、それがとても大切だ。
僕はそう思う。
メリダからユカタン半島西端方向に2時間くらい行くとある海辺の観光地だ。人のいない静かな町を想定していたが、結構な観光地だった。
見所は、フラミンゴの群だ。
セレストゥンの町に着き、お土産屋やレストランの立ち並ぶ通りを抜けると浜辺に出る。そしてその辺りにボート屋さんがいて、ボート屋がツアーを運営している。そこで待っていると数人が集まり、集まった所で、7~8人乗りの小型ボートに乗り込み出発する。
この辺りは遠浅の海になっていて、浅い海がどこまでも続いている。
ブウゥーンと響くボートの音を耳に、風を感じながら、青い空の下、青い海をボートは走ってゆく。やがてあちらこちらに似たような観光用のボートが浮かんでいる場所に着く。
そこからはボートがゆっくりになる。遠くには鳥の集団とおぼしき姿が見える。途中にはペリカンがやたらいっぱいいたが、遠くに見える集団はあのペリカンとは異なる。
ボートはエンジンを掛けずにゆっくりと潮を流れに任せて、その集団に近づいてゆく。
ピンク色の鳥が徐々に姿を現す。一か所に何十羽という群をなしてフラミンゴの集団が目に映った。美しいというよりは優雅に感じる。集団は何か所か別々に、それぞれが何十羽~百羽くらいの群をなしている。
たくさんのボートがそれぞれのターゲットを目指して近づいている。
僕は確かにその光景を目にした。その瞬間に特別な感情はなかったけれど、その景色は僕の脳裏に焼き付き残っていた。
それからボートはまた走り出した。今度は木々の群がある方向へと進んでゆく。
最初にやってきたのは、海の塩が地表に入り込んだ場所で、そこでは死んだ木々が白い沼地に伸びていた。とても不思議な場所だった。
そしてボートはマングローブの間を抜けてゆく。ボートの左右は木々に覆われているが、ここの木々は生きている。海水よりも真水に近いのだろう。海と川の間、木々が辺りを覆い、森になっている。
やがてジャングルの中のような場所にボートは着岸する。
ボートの案内人と、二組の若いカップルと、女子二人、そして僕が一人そのボートに乗っていた。ボートを下りると皆、服を脱ぎ出した。「何!」と思ったが、そこはジャングルの中のプールのようになっている池があった。どうやらここで泳ぐのが恒例となっているようだ。
皆、水着姿になって、ジャングルの中の池にダイブ。ピラニアやワニが出てきそうな場所だが、そこにはいないようだ。
しかし確かワニはいた。そこは深いからいないのかもしれない。浅い川べりにはワニがいたような気がする。僕は水着を持ってこなかったので、一人ジャングルを探検していた。
ワニはいなかったかもしれない。後から勝手に作られたイメージだろうか?
ボートの観光はそうして終った。
また、観光地の海辺に戻り、遅い食事をして、メリダの街に戻った。
あとの事は覚えていない。
メリダの街の思い出は少ない。忘れてしまうことは全て忘れてしまう。
きっとそんなものだ。
でも、印象深い事は何となく覚えている。何となくの思い出、それがとても大切だ。
僕はそう思う。
メキシコ回想記35. メリダ_チチェン・イツァー
チチェン・イツァーはメキシコで最も有名と言っても過言ではないピラミッドがある。
マヤ文明の天文学が詰まった最高傑作というようなピラミッドは、テレビでもちょくちょく出てくる観光スポットだ。
コルテスとモクテスマの旅も遠ざかった。
ユカタン半島では、マヤの遺跡を堪能するのが一番いい。カラクムルのような遺跡もあるが、メキシコに来たからにはぜひ行っておこう。
ただの観光だ。
チチェン・イツァーは、メリダとカンクンの間にある。
メリダはユカタン半島で一番の都市だが、カンクンが観光都市として有名になったため、カンクンの方がメジャーな街となってしまった。街は海辺から離れていて、遺跡からも離れている。それなりの歴史都市となっているが、ここまでに幾つも渡り歩いたメキシコの都市からすれば、辿り着いたこの街は一般的なメキシコの、栄えている都市に思えた。
この街の利点は、ユカタン半島のいろいろな場所に行きやすいという点だ。チチェン・イツァーには2時間半、カンペチェからも4時間、カンクンまでは6時間くらい、そのほか数多くの遺跡や観光地の拠点として機能している。
チチェン・イツァーにもホテルはあるが、観光用で高いし、泊まる場所も少ない。カンクン側から来る観光客もたくさんいる。チチェン・イツァーをカンクンへ向かう途中として寄ることもできたが、ここはメリダに泊まって一日掛けて遺跡巡りをしてみようと考えた。
そんなわけで、メリダについて、ホテルに泊まる。
2004年1月25日は、メリダで過ごす。
まずは街を歩いて、州庁舎の観光案内所でガイドブックを手に入れて、ユカタン歴史博物館に行く。レストランでカレーのかかったステーキを食べ、市場をウロウロして黒いコーヒーを飲む。夜は、無料で観れる劇場に入って、トリオのメキシコ音楽を聴いて、それからまたレストランで夕食をする。
一人旅の一日はそんな風に過ぎてゆく。
翌日は朝早くから、チチェン・イツァーに向かった。現地の人に混じった二等バスに揺られ、やがて遺跡近くのバス停に着く。
光景は、観光地だ。たくさんのツアー用の観光バスが並び、アメリカ人やその他の国々の人々がそれぞれにまとまっている。
やはりここはメキシコ最大の観光スポットかもしれない。そう思う。
チチェン・イツァーのピラミッドは、周りを木々で覆われているので、着いた瞬間にピラミッドに来た!という感じはない。荒野の中に観光地があって、観光客がたくさんいて、まずはそれに出会う。そういう場所だ。
観光客に混じって、エントランスゲートを潜り抜け、遺跡の中に入る。
もはやメキシコをあちこち回ってきた僕にとってはとりわけ感嘆するような感情は沸かない。敷地は広々としていて、ピラミッド以外にもたくさんの遺跡が残っている。
見ごたえのあるなあ!という感想は持つ。僕の旅行はもはやツアーガイドが見学に来ているような域に達している。
マヤ文明のピラミッドは、メキシコシティやその周辺のピラミッドとは石が違う。テオティワカンなどの遺跡はレンガを積み上げたような色や形のピラミッドだが、こっちのピラミッドはお城の城壁のような岩を積み重ねてできた美しさがある。
日本でお城巡りをする人もいるが、メキシコではこうしてピラミッド巡りをして、その違いを見比べるのだろう。と思う。
チチェン・イツァーのピラミッドはそれなりに大きいが、テオティワカンを見てしまうと中くらいに感じてしまう。
魅力は大きさではない。四方対照で、太陽の沈む方向や位置が計算されているらしく、そのフォルムがとても綺麗なところにある。
頂上までの階段を上ると、上には二方向に突き抜ける祠のような空洞があって、ある日時になるとちょうど太陽の光が通り抜けるようになっている。もちろんその日は、その特別な日時ではないので、祠の中は真っ暗だった。
ピラミッド上からはチチェン・イツァーの全体が見渡せる。下から見るのに美しいピラミッドだが、上から見る密林の中の遺跡の全貌も悪くない。カラクムル遺跡は完全に高木に覆われてしまっているが、ここは短木なので全体がよく見渡せる。
ピラミッドの後は、いろいろな遺跡を見て回った。
壊れてはいるが石像も文明があった頃と同じと思われる位置に置いたままになっている。観光客を忘れ、自分の世界に入り込めば、その時代の中に生きているかのような気分に浸ることもできる。
最後の見所は大きな泉である。ユカタン半島はセノーテと呼ばれる天然の地下水路があり、これがいくつかの泉として表に出て見えている。雨季と乾季を繰り返すこの地ではこうした泉の近くに大きな都ができて、チチェン・イツァーではこの泉を中心に反映したということだろう。
ここの泉は特別に大きい。
一通り見終えて、僕は一人、遺跡の中のメインスポットから離れたジャングルを歩いていた。すると当時の世界観に堕ちてゆく。
そこに住んでいたマヤ人が、遠い前世の記憶として、僕の中に入ってきたかのように。
芝生の大地が語っていた。
君の残像が太古の昔に残っていた。
僕は大切な鏡を割ってしまい、のけ者にされていた。
君は暗い顔の僕をからかった。
「孤独がどれだけつらいのか、君はわかるのかい?」
と僕は怒って言った。
「皆、孤独よ」
と君は真顔で答えた。
君は少しだけ僕の傍にいてくれた。
それから君は、別の男と結婚した。
僕は闘いに敗れ、殺された。
それでもかなり長い間、逃げ回ったっけなあ。
どこまでもどこまでも。
君に再び会うために。
そんな空想が浮かんで、ここもまた、僕の来たかった場所なんだと解釈した。
僕の旅はまだ終わっていない。最後まで、自分がここに来た意味を探そう。
観光客の賑わう遺跡で、僕は一人遠い過去と向き合っていた。
マヤ文明の天文学が詰まった最高傑作というようなピラミッドは、テレビでもちょくちょく出てくる観光スポットだ。
コルテスとモクテスマの旅も遠ざかった。
ユカタン半島では、マヤの遺跡を堪能するのが一番いい。カラクムルのような遺跡もあるが、メキシコに来たからにはぜひ行っておこう。
ただの観光だ。
チチェン・イツァーは、メリダとカンクンの間にある。
メリダはユカタン半島で一番の都市だが、カンクンが観光都市として有名になったため、カンクンの方がメジャーな街となってしまった。街は海辺から離れていて、遺跡からも離れている。それなりの歴史都市となっているが、ここまでに幾つも渡り歩いたメキシコの都市からすれば、辿り着いたこの街は一般的なメキシコの、栄えている都市に思えた。
この街の利点は、ユカタン半島のいろいろな場所に行きやすいという点だ。チチェン・イツァーには2時間半、カンペチェからも4時間、カンクンまでは6時間くらい、そのほか数多くの遺跡や観光地の拠点として機能している。
チチェン・イツァーにもホテルはあるが、観光用で高いし、泊まる場所も少ない。カンクン側から来る観光客もたくさんいる。チチェン・イツァーをカンクンへ向かう途中として寄ることもできたが、ここはメリダに泊まって一日掛けて遺跡巡りをしてみようと考えた。
そんなわけで、メリダについて、ホテルに泊まる。
2004年1月25日は、メリダで過ごす。
まずは街を歩いて、州庁舎の観光案内所でガイドブックを手に入れて、ユカタン歴史博物館に行く。レストランでカレーのかかったステーキを食べ、市場をウロウロして黒いコーヒーを飲む。夜は、無料で観れる劇場に入って、トリオのメキシコ音楽を聴いて、それからまたレストランで夕食をする。
一人旅の一日はそんな風に過ぎてゆく。
翌日は朝早くから、チチェン・イツァーに向かった。現地の人に混じった二等バスに揺られ、やがて遺跡近くのバス停に着く。
光景は、観光地だ。たくさんのツアー用の観光バスが並び、アメリカ人やその他の国々の人々がそれぞれにまとまっている。
やはりここはメキシコ最大の観光スポットかもしれない。そう思う。
チチェン・イツァーのピラミッドは、周りを木々で覆われているので、着いた瞬間にピラミッドに来た!という感じはない。荒野の中に観光地があって、観光客がたくさんいて、まずはそれに出会う。そういう場所だ。
観光客に混じって、エントランスゲートを潜り抜け、遺跡の中に入る。
もはやメキシコをあちこち回ってきた僕にとってはとりわけ感嘆するような感情は沸かない。敷地は広々としていて、ピラミッド以外にもたくさんの遺跡が残っている。
見ごたえのあるなあ!という感想は持つ。僕の旅行はもはやツアーガイドが見学に来ているような域に達している。
マヤ文明のピラミッドは、メキシコシティやその周辺のピラミッドとは石が違う。テオティワカンなどの遺跡はレンガを積み上げたような色や形のピラミッドだが、こっちのピラミッドはお城の城壁のような岩を積み重ねてできた美しさがある。
日本でお城巡りをする人もいるが、メキシコではこうしてピラミッド巡りをして、その違いを見比べるのだろう。と思う。
チチェン・イツァーのピラミッドはそれなりに大きいが、テオティワカンを見てしまうと中くらいに感じてしまう。
魅力は大きさではない。四方対照で、太陽の沈む方向や位置が計算されているらしく、そのフォルムがとても綺麗なところにある。
頂上までの階段を上ると、上には二方向に突き抜ける祠のような空洞があって、ある日時になるとちょうど太陽の光が通り抜けるようになっている。もちろんその日は、その特別な日時ではないので、祠の中は真っ暗だった。
ピラミッド上からはチチェン・イツァーの全体が見渡せる。下から見るのに美しいピラミッドだが、上から見る密林の中の遺跡の全貌も悪くない。カラクムル遺跡は完全に高木に覆われてしまっているが、ここは短木なので全体がよく見渡せる。
ピラミッドの後は、いろいろな遺跡を見て回った。
壊れてはいるが石像も文明があった頃と同じと思われる位置に置いたままになっている。観光客を忘れ、自分の世界に入り込めば、その時代の中に生きているかのような気分に浸ることもできる。
最後の見所は大きな泉である。ユカタン半島はセノーテと呼ばれる天然の地下水路があり、これがいくつかの泉として表に出て見えている。雨季と乾季を繰り返すこの地ではこうした泉の近くに大きな都ができて、チチェン・イツァーではこの泉を中心に反映したということだろう。
ここの泉は特別に大きい。
一通り見終えて、僕は一人、遺跡の中のメインスポットから離れたジャングルを歩いていた。すると当時の世界観に堕ちてゆく。
そこに住んでいたマヤ人が、遠い前世の記憶として、僕の中に入ってきたかのように。
芝生の大地が語っていた。
君の残像が太古の昔に残っていた。
僕は大切な鏡を割ってしまい、のけ者にされていた。
君は暗い顔の僕をからかった。
「孤独がどれだけつらいのか、君はわかるのかい?」
と僕は怒って言った。
「皆、孤独よ」
と君は真顔で答えた。
君は少しだけ僕の傍にいてくれた。
それから君は、別の男と結婚した。
僕は闘いに敗れ、殺された。
それでもかなり長い間、逃げ回ったっけなあ。
どこまでもどこまでも。
君に再び会うために。
そんな空想が浮かんで、ここもまた、僕の来たかった場所なんだと解釈した。
僕の旅はまだ終わっていない。最後まで、自分がここに来た意味を探そう。
観光客の賑わう遺跡で、僕は一人遠い過去と向き合っていた。
メキシコ回想記34. カンペチェ_カラクムル遺跡
2004年1月22日、ユカタン半島のカンペチェまでやってきた。
まだ3週間以上残った旅行でここまで来てしまったのはとても早い。広いメキシコで、あと残り大半の時間をこのユカタン半島で送ることとなる。
まず、カンペチェでは、ユースホステルに泊まることとした。ひさびさのユースホステルだ。
特に出会いを求めていたわけではない。カンペチェからはカラクムル遺跡というピラミッドに行こうと考えていたからだ。そこへ行くにはバスなどはなく、ガイドツアーに申し込むしかない。ユースホステルに行けば、ツアーの申し込みもやっているので手っ取り早い。
カンペチェのユースホステルでは、パパイヤ鈴木さんみたいなメキシコ人がレセプションで出迎えてくれた。キャラも明るく似ていて、もはやパパイヤ鈴木が実はメキシコ人だったという風にしか見えなくなっていた。ただ彼は日本語が喋れない。日本語は忘れてしまったのだろうか。
そんな話はともかくとして、彼はカラクムル遺跡のツアーに申し込んでくれた。他に行く人はいないようで、ガイドと二人旅になりそうな感じだった。
その夜はカンペチェの街を歩いて過ごした。カンペチェはメキシコ湾沿いにあり、海辺まで歩いて行ける。大きなヤシの木が風に揺られて、その向こうにメキシコ湾が見えた。
ビジャエルモッサも大きくはない町だったがお祭りをしていて近代的で騒がしく感じた。それに比べてカンペチェはとても静かな街に感じられ、穏やかな時間が流れていた。
ドミトリーの部屋にはブラジル人の男の子がいた。
僕が日本人だというと、「聖闘士星矢は好きか?」と聞いていた。その当時はブラジルで聖闘士星矢が流行っていたらしい。
世界を旅するとだいたいアニメの話が出てくる。
翌日、カラクムル遺跡に出発。
ロビーを出ると、ガイドのフアンさんが入口で待っていてくれていた。
一緒にアブリータという名のおばあちゃんがいた。彼女もツアーに加わったらしい。そんなわけで旅は三人旅となった。
アブリータはグアダラハラに住んでいる白人のメキシコ人で、ぽっちゃり体型の裕福そうなメキシコ人だ。よく喋るおばあちゃんで、車の中ではずっとアブリータにあれやこれやと聞いていた。僕は理解できるかぎりのスペイン語を聞きながら、なんとなく頷いていた。
カラクムル遺跡はカンペチェの町から車で5時間くらいかかる。2002年に世界遺産になったばかりの世界遺産ではあるが、近くに町もなく、いろいろと整っていないために行く人は極めて少ないようだ。
僕がした旅の中で、もっとも訪れている人がいなかった世界遺産だと言って間違いない。
車は何もない平らな道を時速100キロ以上の速度でひたすら走ってゆく。途中に小さな町はあったが、そこにある小さな売店があるくらいで、そこで水と食料を買って、さらに何もない平野を走ってゆく。
そしてやがてジャングルの密林地帯へと入ってゆく。ジャングルというと密林の湿地帯を思わせるが、ここの大地は乾いたジャングルだ。見上げてもてっぺんの見えないほどの大きな木に囲まれているが、地表は乾いていて、自然のジャングルというよりは人工林のように感じる。
最初に案内された場所は、バラムク遺跡という小さな遺跡で、中には石を掘ったジャガーの形をした像がある。見どころはそこだけだ。
ジャングルの木々には、コカの木が多くて、大昔の人はここでコカでダメになっていたらしいとかいう話をフアンさんがしていた。冗談で「君もやってるのか?」と聞いたら、「いや捕まっちゃうよ」と言われた。コカの葉はそこら中に転がっているが、一般人には関係のない世界の話のようだ。
それから、カラクムル遺跡に訪れた。
世界遺産だけあって、結構広い。ジャングルの中に埋もれた遺跡で、ピラミッドは高さ数十メートルあり、結構でかい。そんな遺跡がジャングルの中に埋もれて幾つもある。
大きな飛べない鳥があるっていて、カラフルな鳥が鳴いている。手長猿の鳴き声も聞こえたが、どこにいるかはわからなかった。会いはしなかったが、ジャガーもどこかに潜んでいるらしい。
そんな遺跡を散策するとやがて広場に出る。半分くらいはジャングルの中だが、他の場所に比べて木々が少ない。目の前には一番大きなピラミッドが姿を現す。大神殿だ。
大神殿は上へ上ることができる。フアンさんから上ろうと勧められた。アブリータはお歳のため、そこへは上らないで待っていると言ったので僕らは上へと上っていった。
ピラミッドを上り切ると、絶景が待っていた。
数十メートルに伸びるジャングルの木々の上まで上ることができ、ピラミッドの頂上からは一面のジャングルが見渡せる。ピラミッドの幾つかがポツンと顔を出していて、それ以外は右も左も広大な密林しか見えない。
フアンさんは南側がグアテマラとの境界で、その遥か向こうにはティカル遺跡があるという。後で知った話では、カラクムルとティカルは敵対関係にあったマヤの文明らしい。当時もこうやってピラミッドの頂上に上り、遥か向こうのティカルの状況を窺っていたのかもしれない。
ただそこからティカル遺跡までは見渡せなかった。
そこでは、カンペチェの町に住む大家族とも出会った。
髭の蓄えたお父さんがいて、4姉妹と2兄弟の6人兄弟がいた。なにしろ他の観光客は全くいない。バラムク遺跡からここに来るまでほとんど人とすれ違っていない。会ったのはこの家族くらい。それくらい観光客のいない遺跡だ。
彼らとはすぐに仲良くなり、一緒に写真を撮った。そしてメールアドレスも交換した。なぜだか中学生くらいの三女にやたら好かれた。
帰りの車で、彼女たちはダットサンみたいな車の荷台に乗っていた。そして僕らの車はその後ろをずっと追いかけるように走った。三女の女の子はずっとこっちを見ているみたいだった。
その後、日本に帰ってきてからも彼女からの連絡があった。長いスペイン語で読むのに苦労した覚えがある。
日本へ行ってみたいとかそんな内容だった気がする。日本の写真を送ったら、「あなたの写真はなんだか暗い」とダメ出しされた。それきり連絡は取っていない。
そんなカラクムル遺跡の旅が終った。
フアンさんと別れ、アブリータとはカンペチェの街に戻ってからのレストランも一緒だった。今度、グアダラハラに遊びに来て、と言われ、住所を教えてもらった気がする。
もちろん行く機会は無かった。
ユースホステルでは多くの人がいて、英語で会話をしていた。
僕はすっかりスペイン語に慣れてしまっていて、全く英語が喋れない状態になっていた。だからほとんど人と関わる気になれず、一人で過ごした。
カンペチェの町にはもう一泊した。夕暮れ時にはメキシコ湾で夕陽を見たり、夜にはカンペチェの街の城砦に行って月を眺めたりした。綺麗な街だったが、深く思い出に残る箇所はなく、翌日はあっという間に過ぎた。
それでもオアハカからはずっと観光巡りをしていたので、久々に静かに過ごせた気がする。
人の少ない場所を旅するのは面白い。旅に余裕があるのなら、そういった場所に行くことはとても楽しい。
カラクムル遺跡の旅は僕の旅にまた一つ良い思い出を残してくれた。そんな場所だった。
まだ3週間以上残った旅行でここまで来てしまったのはとても早い。広いメキシコで、あと残り大半の時間をこのユカタン半島で送ることとなる。
まず、カンペチェでは、ユースホステルに泊まることとした。ひさびさのユースホステルだ。
特に出会いを求めていたわけではない。カンペチェからはカラクムル遺跡というピラミッドに行こうと考えていたからだ。そこへ行くにはバスなどはなく、ガイドツアーに申し込むしかない。ユースホステルに行けば、ツアーの申し込みもやっているので手っ取り早い。
カンペチェのユースホステルでは、パパイヤ鈴木さんみたいなメキシコ人がレセプションで出迎えてくれた。キャラも明るく似ていて、もはやパパイヤ鈴木が実はメキシコ人だったという風にしか見えなくなっていた。ただ彼は日本語が喋れない。日本語は忘れてしまったのだろうか。
そんな話はともかくとして、彼はカラクムル遺跡のツアーに申し込んでくれた。他に行く人はいないようで、ガイドと二人旅になりそうな感じだった。
その夜はカンペチェの街を歩いて過ごした。カンペチェはメキシコ湾沿いにあり、海辺まで歩いて行ける。大きなヤシの木が風に揺られて、その向こうにメキシコ湾が見えた。
ビジャエルモッサも大きくはない町だったがお祭りをしていて近代的で騒がしく感じた。それに比べてカンペチェはとても静かな街に感じられ、穏やかな時間が流れていた。
ドミトリーの部屋にはブラジル人の男の子がいた。
僕が日本人だというと、「聖闘士星矢は好きか?」と聞いていた。その当時はブラジルで聖闘士星矢が流行っていたらしい。
世界を旅するとだいたいアニメの話が出てくる。
翌日、カラクムル遺跡に出発。
ロビーを出ると、ガイドのフアンさんが入口で待っていてくれていた。
一緒にアブリータという名のおばあちゃんがいた。彼女もツアーに加わったらしい。そんなわけで旅は三人旅となった。
アブリータはグアダラハラに住んでいる白人のメキシコ人で、ぽっちゃり体型の裕福そうなメキシコ人だ。よく喋るおばあちゃんで、車の中ではずっとアブリータにあれやこれやと聞いていた。僕は理解できるかぎりのスペイン語を聞きながら、なんとなく頷いていた。
カラクムル遺跡はカンペチェの町から車で5時間くらいかかる。2002年に世界遺産になったばかりの世界遺産ではあるが、近くに町もなく、いろいろと整っていないために行く人は極めて少ないようだ。
僕がした旅の中で、もっとも訪れている人がいなかった世界遺産だと言って間違いない。
車は何もない平らな道を時速100キロ以上の速度でひたすら走ってゆく。途中に小さな町はあったが、そこにある小さな売店があるくらいで、そこで水と食料を買って、さらに何もない平野を走ってゆく。
そしてやがてジャングルの密林地帯へと入ってゆく。ジャングルというと密林の湿地帯を思わせるが、ここの大地は乾いたジャングルだ。見上げてもてっぺんの見えないほどの大きな木に囲まれているが、地表は乾いていて、自然のジャングルというよりは人工林のように感じる。
最初に案内された場所は、バラムク遺跡という小さな遺跡で、中には石を掘ったジャガーの形をした像がある。見どころはそこだけだ。
ジャングルの木々には、コカの木が多くて、大昔の人はここでコカでダメになっていたらしいとかいう話をフアンさんがしていた。冗談で「君もやってるのか?」と聞いたら、「いや捕まっちゃうよ」と言われた。コカの葉はそこら中に転がっているが、一般人には関係のない世界の話のようだ。
それから、カラクムル遺跡に訪れた。
世界遺産だけあって、結構広い。ジャングルの中に埋もれた遺跡で、ピラミッドは高さ数十メートルあり、結構でかい。そんな遺跡がジャングルの中に埋もれて幾つもある。
大きな飛べない鳥があるっていて、カラフルな鳥が鳴いている。手長猿の鳴き声も聞こえたが、どこにいるかはわからなかった。会いはしなかったが、ジャガーもどこかに潜んでいるらしい。
そんな遺跡を散策するとやがて広場に出る。半分くらいはジャングルの中だが、他の場所に比べて木々が少ない。目の前には一番大きなピラミッドが姿を現す。大神殿だ。
大神殿は上へ上ることができる。フアンさんから上ろうと勧められた。アブリータはお歳のため、そこへは上らないで待っていると言ったので僕らは上へと上っていった。
ピラミッドを上り切ると、絶景が待っていた。
数十メートルに伸びるジャングルの木々の上まで上ることができ、ピラミッドの頂上からは一面のジャングルが見渡せる。ピラミッドの幾つかがポツンと顔を出していて、それ以外は右も左も広大な密林しか見えない。
フアンさんは南側がグアテマラとの境界で、その遥か向こうにはティカル遺跡があるという。後で知った話では、カラクムルとティカルは敵対関係にあったマヤの文明らしい。当時もこうやってピラミッドの頂上に上り、遥か向こうのティカルの状況を窺っていたのかもしれない。
ただそこからティカル遺跡までは見渡せなかった。
そこでは、カンペチェの町に住む大家族とも出会った。
髭の蓄えたお父さんがいて、4姉妹と2兄弟の6人兄弟がいた。なにしろ他の観光客は全くいない。バラムク遺跡からここに来るまでほとんど人とすれ違っていない。会ったのはこの家族くらい。それくらい観光客のいない遺跡だ。
彼らとはすぐに仲良くなり、一緒に写真を撮った。そしてメールアドレスも交換した。なぜだか中学生くらいの三女にやたら好かれた。
帰りの車で、彼女たちはダットサンみたいな車の荷台に乗っていた。そして僕らの車はその後ろをずっと追いかけるように走った。三女の女の子はずっとこっちを見ているみたいだった。
その後、日本に帰ってきてからも彼女からの連絡があった。長いスペイン語で読むのに苦労した覚えがある。
日本へ行ってみたいとかそんな内容だった気がする。日本の写真を送ったら、「あなたの写真はなんだか暗い」とダメ出しされた。それきり連絡は取っていない。
そんなカラクムル遺跡の旅が終った。
フアンさんと別れ、アブリータとはカンペチェの街に戻ってからのレストランも一緒だった。今度、グアダラハラに遊びに来て、と言われ、住所を教えてもらった気がする。
もちろん行く機会は無かった。
ユースホステルでは多くの人がいて、英語で会話をしていた。
僕はすっかりスペイン語に慣れてしまっていて、全く英語が喋れない状態になっていた。だからほとんど人と関わる気になれず、一人で過ごした。
カンペチェの町にはもう一泊した。夕暮れ時にはメキシコ湾で夕陽を見たり、夜にはカンペチェの街の城砦に行って月を眺めたりした。綺麗な街だったが、深く思い出に残る箇所はなく、翌日はあっという間に過ぎた。
それでもオアハカからはずっと観光巡りをしていたので、久々に静かに過ごせた気がする。
人の少ない場所を旅するのは面白い。旅に余裕があるのなら、そういった場所に行くことはとても楽しい。
カラクムル遺跡の旅は僕の旅にまた一つ良い思い出を残してくれた。そんな場所だった。