メキシコ回想記33.ビジャエルモッサ
タバスコ州都のビジャエルモッサという町は比較的裕福に見える。特別大きな街ではないが、どこか平和な匂いがする。この近くにはメキシコ油田があるから、石油で裕福なのかもしれない。ちなみにタバスコというとタバスコを思うが、あのタバスコとは何ら関係がないらしい。
ビジャエルモッサに着いたのは、2004年1月20日の事だった。朝早くベラクルスを出発したが、この街に着いたのはもう日も暮れていた。
長い移動時間だった。バスは、トラコタルパンに行ったときのような水の多い大地を走り、熱帯林を抜けていった。メキシコシティから西側の乾いた大地とは違い、こちらは木々も高く、たとえばブラジルのアマゾンのようなイメージの密林が存在する。
そんな大地を抜け、平野に煙を吐く工場地帯が見え、やがてビジャエルモッサの街に着く。7.5時間の移動だった。
ビジャエルモッサではガイドブックを見て泊まろうとしたホテルに行ったが、その隣のホテルの方が安かったのでそっちに目移りした。
入った隣のホテルから出てきた禿頭のおじさんは気さくな感じで、気分を和ませてくれた。
部屋に入ると部屋は真っ暗だった。電機を付けても付かない。これは失敗だったと思うが、仕方なくフロントに電話を掛ける。おじさんは何かを言っているがうまく言葉が通じない。するとこっちまでやってきてくれた。
ツインの部屋だったのだが、そのベットとベットの間にあるスイッチがあり、そこをオンにした。すると電機は付いた。どうやら入口のスイッチじゃなくて、こっちのスイッチがあると説明していたらしい。
僕は、「わかった。なるほど」と言って、おじさんは笑顔で帰っていった。
夕食を食べようと街に出ると、街ではカーニバルが行われていた。
メキシコでは2月~3月に掛けて、そこかしこでカーニバルが行われる。ドンスカドンスカ、打楽器を叩く音が鳴り響いて、メキシコのダンスを踊りながら、若いメキシカンガールが道を踊り回っている。日本では、よさこい祭りみたいな感じだ。ブラジルならサンバカーニバル。どちらの踊りとも違うが、若者は派手に踊り回っていた。
ファミレスみたいなところでビーフステーキを食べ、インターネット屋に行って、ホテルに帰った。途中、街のお姉さんに英会話の広告を配られた。お姉さんは僕の顔を見直して、メキシコ人じゃないと思うと、笑って広告を取り戻した。
どうやら僕は若干メキシコ人化しているのかもしれない。夜の暗い中ではあるが、肌もかなり焼け、髪形もオアハカ以来メキシコ人になっている。濃い顔もあって、自分がメキシコに来た縁を少し感じてしまう。
翌日は、ラべンタ公園という公園に行った。街からは離れているので、タクシーを使った。タクシーには散々やられていたのでちょっと心配だったが、運転手は明るく道案内をしながら進んでくれた。値段もぜんぜんぼったくっていない感じだ。
この街は裕福なんだろう。人々がどこか穏やかで、殺伐としていない。
ラべンタ公園は、動物園とオルメカ文明というメキシコではかなり古い文明の発祥の地の遺跡がくっついた造りになっている。しかもたいていただで回れる。
ここの動物園はおもしろく、鳥の園は大きな植物園のような場所に入れて、そこに鳥が自由に飛んでいる。カラフルなトゥカンという鳥やフラミンゴやサギの仲間、その他の小鳥やら何やらが大きな空間で一緒に暮らしている。その他の場所も比較的、檻に囲まれているようなこともなく、大きなワニや動物を観る事ができた。
ジャガーだけはしっかり檻の中にいた。夫婦と思われるジャガーは、まったく迫力がなく、ぐうたらしている。オスのジャガーと思われる方がメスのジャガーに近づくのだが、メスが嫌そうにしていて尻に敷かれているみたいだ。迫力どころか、むしろ笑える光景だった。
オルメカ文明はピラミッドみたいなものは無く、巨顔像という大きな顔の像がある。たくさんある大きな顔の像を見て回って、それもそれでなんだか笑えた。
最後は自然史博物館に入って楽しんで帰路に向かった。
またタクシーに乗って、ホテル付近まで戻った。
それからは街を歩いて、適当に過ごした。カテドラルや眺めのいい橋に行って、見て回った。とても暮らしやすそうな街だ。
ここは特別有名な観光名所があるわけでもないけど、住むには良い都市だと感じた。ただ、メキシコらしい汚さがないのもなんかちょっと飽きてしまうような気もした。
翌日は移動予定だったが、この先どういうルートで進むかには少し迷っていた。
内陸に進むと、パレンケという大きなピラミッドがある遺跡に着く。そこからグアテマラに行き、ティカル遺跡という最も見ごたえがあるという遺跡に行くルートを取ることとなる。そしてそこからカリブ海に面した小国ベリーズに抜ける。
海沿いを進むと、ユカタン半島に入り、カンペチェという街に着く。この付近にもマヤ文明の中規模のピラミッドがたくさんある。
さて、どうしようと考えたが、メキシコから出ない方向で進もうと、カンペチェへ行くことに決めた。こっちの方がゴールには近い。旅の目的は、もうゴールに着くことしか残されてもいない。それがそっちのルートを選んだ理由だ。
あの日、僕が別の道を選んでいたらどうなったことだろう?
そう考えることはたくさんあるのだけれど、どう選んでも自分が自分であることに変わりはなく、どこへ行っても僕は僕らしく行動していただろう。だから選んだ道の結果は大きく変わりはしないのかもしれない。ただ、残された思い出が変わっただけだ。
あの時選んだ道に後悔はない。その先に見た景色を、僕は今も好んで覚えている。あの時の選択は成功だった。今はそう思える。
ビジャエルモッサに着いたのは、2004年1月20日の事だった。朝早くベラクルスを出発したが、この街に着いたのはもう日も暮れていた。
長い移動時間だった。バスは、トラコタルパンに行ったときのような水の多い大地を走り、熱帯林を抜けていった。メキシコシティから西側の乾いた大地とは違い、こちらは木々も高く、たとえばブラジルのアマゾンのようなイメージの密林が存在する。
そんな大地を抜け、平野に煙を吐く工場地帯が見え、やがてビジャエルモッサの街に着く。7.5時間の移動だった。
ビジャエルモッサではガイドブックを見て泊まろうとしたホテルに行ったが、その隣のホテルの方が安かったのでそっちに目移りした。
入った隣のホテルから出てきた禿頭のおじさんは気さくな感じで、気分を和ませてくれた。
部屋に入ると部屋は真っ暗だった。電機を付けても付かない。これは失敗だったと思うが、仕方なくフロントに電話を掛ける。おじさんは何かを言っているがうまく言葉が通じない。するとこっちまでやってきてくれた。
ツインの部屋だったのだが、そのベットとベットの間にあるスイッチがあり、そこをオンにした。すると電機は付いた。どうやら入口のスイッチじゃなくて、こっちのスイッチがあると説明していたらしい。
僕は、「わかった。なるほど」と言って、おじさんは笑顔で帰っていった。
夕食を食べようと街に出ると、街ではカーニバルが行われていた。
メキシコでは2月~3月に掛けて、そこかしこでカーニバルが行われる。ドンスカドンスカ、打楽器を叩く音が鳴り響いて、メキシコのダンスを踊りながら、若いメキシカンガールが道を踊り回っている。日本では、よさこい祭りみたいな感じだ。ブラジルならサンバカーニバル。どちらの踊りとも違うが、若者は派手に踊り回っていた。
ファミレスみたいなところでビーフステーキを食べ、インターネット屋に行って、ホテルに帰った。途中、街のお姉さんに英会話の広告を配られた。お姉さんは僕の顔を見直して、メキシコ人じゃないと思うと、笑って広告を取り戻した。
どうやら僕は若干メキシコ人化しているのかもしれない。夜の暗い中ではあるが、肌もかなり焼け、髪形もオアハカ以来メキシコ人になっている。濃い顔もあって、自分がメキシコに来た縁を少し感じてしまう。
翌日は、ラべンタ公園という公園に行った。街からは離れているので、タクシーを使った。タクシーには散々やられていたのでちょっと心配だったが、運転手は明るく道案内をしながら進んでくれた。値段もぜんぜんぼったくっていない感じだ。
この街は裕福なんだろう。人々がどこか穏やかで、殺伐としていない。
ラべンタ公園は、動物園とオルメカ文明というメキシコではかなり古い文明の発祥の地の遺跡がくっついた造りになっている。しかもたいていただで回れる。
ここの動物園はおもしろく、鳥の園は大きな植物園のような場所に入れて、そこに鳥が自由に飛んでいる。カラフルなトゥカンという鳥やフラミンゴやサギの仲間、その他の小鳥やら何やらが大きな空間で一緒に暮らしている。その他の場所も比較的、檻に囲まれているようなこともなく、大きなワニや動物を観る事ができた。
ジャガーだけはしっかり檻の中にいた。夫婦と思われるジャガーは、まったく迫力がなく、ぐうたらしている。オスのジャガーと思われる方がメスのジャガーに近づくのだが、メスが嫌そうにしていて尻に敷かれているみたいだ。迫力どころか、むしろ笑える光景だった。
オルメカ文明はピラミッドみたいなものは無く、巨顔像という大きな顔の像がある。たくさんある大きな顔の像を見て回って、それもそれでなんだか笑えた。
最後は自然史博物館に入って楽しんで帰路に向かった。
またタクシーに乗って、ホテル付近まで戻った。
それからは街を歩いて、適当に過ごした。カテドラルや眺めのいい橋に行って、見て回った。とても暮らしやすそうな街だ。
ここは特別有名な観光名所があるわけでもないけど、住むには良い都市だと感じた。ただ、メキシコらしい汚さがないのもなんかちょっと飽きてしまうような気もした。
翌日は移動予定だったが、この先どういうルートで進むかには少し迷っていた。
内陸に進むと、パレンケという大きなピラミッドがある遺跡に着く。そこからグアテマラに行き、ティカル遺跡という最も見ごたえがあるという遺跡に行くルートを取ることとなる。そしてそこからカリブ海に面した小国ベリーズに抜ける。
海沿いを進むと、ユカタン半島に入り、カンペチェという街に着く。この付近にもマヤ文明の中規模のピラミッドがたくさんある。
さて、どうしようと考えたが、メキシコから出ない方向で進もうと、カンペチェへ行くことに決めた。こっちの方がゴールには近い。旅の目的は、もうゴールに着くことしか残されてもいない。それがそっちのルートを選んだ理由だ。
あの日、僕が別の道を選んでいたらどうなったことだろう?
そう考えることはたくさんあるのだけれど、どう選んでも自分が自分であることに変わりはなく、どこへ行っても僕は僕らしく行動していただろう。だから選んだ道の結果は大きく変わりはしないのかもしれない。ただ、残された思い出が変わっただけだ。
あの時選んだ道に後悔はない。その先に見た景色を、僕は今も好んで覚えている。あの時の選択は成功だった。今はそう思える。
メキシコ回想記32.ベラクルス_トラコタルパン
トラコタルパンは、ベラクルスから東へ2時間、海辺の道をバスで行くとある。
平坦でもないが、大きな山もないでこぼこした大地をバスは行く。アルバラードという海辺の街があり、石壁造りの家々が並ぶ美しい街並みだが、バスはそこをスルーして、そこから川沿いを陸の方へと進んでゆく。
雨のトラコタルパン。ペンキ屋さんの多い町。
晴れてトラコタルパン。雄大なるパパロアパン川の流れ。
僕はその街でそう詠う。
トラコタルパンに着いたときは曇っていた。トラコタルパンは小さな町だが、世界遺産の町だ。どこが世界遺産かというと、町の家々はそれぞれ単色の色鮮やかな原色で、黄色や青や赤に塗られていて、とてもカラフルな町並みになっている。車も走らないような静かな町で、中央広場の周りを小さな家々が取り囲む。狭い路地を抜け、歩く町並みは何とも風流だ。
町はパパロアパン川という大きな川の中州だというが、中州が大きすぎてよくはわからない。ただ大きな川のほとりにある。川の流れはとても穏やかで、ゆったりとしている。
しばらく街を歩いていると、雨が降ってきた。それもざあっという大雨だ。2月ごろは乾季でほとんど雨は降らないのだが、この町はちょっと違うようだ。これだけの雨は旅の中で珍しい。この雨が、雄大なパパロアパン川を作っているのだろうか?
町には観光客もほとんどいなかった。
実に静かな一日だ。日は2004年1月19日だった。あと2週間ほどすると、この町では牛追い祭りが行われるらしく、町の人はその準備で、町の飾り付けや町の家のペンキの塗る直しをしている。
たぶん今日のような中途半端な日には観光客も来ないのだろう。
雨の降る間、僕は黄色い壁のカフェの中で、ゆっくり日記でも書きながら、静かな時間を送っていた。観光客はいない。暇そうな店員と、僕と、地元の人が少しは居たろうか。
ざあざあと雨が降り、少し寒い。傘は持っていなかったから、その時はそこで過ごすしかない。
それから雨は急に止んで、晴れ空が一面に拡がっていた。
大雨の後の、晴れた空。なんとも清々しく気持ちいい。日差しも暖かい。
特に何をしたわけでもないけれど、僕はその日、トラコタルパンで一日をのんびり過ごした。
最後はバスが来るまで、雄大なパパロアパン川の流れを観ながら時間を過ごした。
帰りのバスに観たアルバラードから見えた街並みも綺麗だった。
石造りの街の向こうに、でこぼこした大地があって、その向こうに陽が沈もうとしている。そんな夕陽を追いかけながら、バスはベラクルスへと戻った。
ベラクルスはトラコタルパンに比べてすっかり当たり前の街に見えた。
僕は長い間、ここに住んでいたかのように、朝出発したホテルに戻った。
この2日間、僕の心は何となく落ち着いた。
再び旅を続ける。最終地点まで向かってゆく。
平坦でもないが、大きな山もないでこぼこした大地をバスは行く。アルバラードという海辺の街があり、石壁造りの家々が並ぶ美しい街並みだが、バスはそこをスルーして、そこから川沿いを陸の方へと進んでゆく。
雨のトラコタルパン。ペンキ屋さんの多い町。
晴れてトラコタルパン。雄大なるパパロアパン川の流れ。
僕はその街でそう詠う。
トラコタルパンに着いたときは曇っていた。トラコタルパンは小さな町だが、世界遺産の町だ。どこが世界遺産かというと、町の家々はそれぞれ単色の色鮮やかな原色で、黄色や青や赤に塗られていて、とてもカラフルな町並みになっている。車も走らないような静かな町で、中央広場の周りを小さな家々が取り囲む。狭い路地を抜け、歩く町並みは何とも風流だ。
町はパパロアパン川という大きな川の中州だというが、中州が大きすぎてよくはわからない。ただ大きな川のほとりにある。川の流れはとても穏やかで、ゆったりとしている。
しばらく街を歩いていると、雨が降ってきた。それもざあっという大雨だ。2月ごろは乾季でほとんど雨は降らないのだが、この町はちょっと違うようだ。これだけの雨は旅の中で珍しい。この雨が、雄大なパパロアパン川を作っているのだろうか?
町には観光客もほとんどいなかった。
実に静かな一日だ。日は2004年1月19日だった。あと2週間ほどすると、この町では牛追い祭りが行われるらしく、町の人はその準備で、町の飾り付けや町の家のペンキの塗る直しをしている。
たぶん今日のような中途半端な日には観光客も来ないのだろう。
雨の降る間、僕は黄色い壁のカフェの中で、ゆっくり日記でも書きながら、静かな時間を送っていた。観光客はいない。暇そうな店員と、僕と、地元の人が少しは居たろうか。
ざあざあと雨が降り、少し寒い。傘は持っていなかったから、その時はそこで過ごすしかない。
それから雨は急に止んで、晴れ空が一面に拡がっていた。
大雨の後の、晴れた空。なんとも清々しく気持ちいい。日差しも暖かい。
特に何をしたわけでもないけれど、僕はその日、トラコタルパンで一日をのんびり過ごした。
最後はバスが来るまで、雄大なパパロアパン川の流れを観ながら時間を過ごした。
帰りのバスに観たアルバラードから見えた街並みも綺麗だった。
石造りの街の向こうに、でこぼこした大地があって、その向こうに陽が沈もうとしている。そんな夕陽を追いかけながら、バスはベラクルスへと戻った。
ベラクルスはトラコタルパンに比べてすっかり当たり前の街に見えた。
僕は長い間、ここに住んでいたかのように、朝出発したホテルに戻った。
この2日間、僕の心は何となく落ち着いた。
再び旅を続ける。最終地点まで向かってゆく。
メキシコ回想記31.ベラクルス_ラアンティグア
バスはオリサバ山の下で雲に包まれ、その不思議な世界にいた。何日ぶりかに雨も見た。大地に広がる雲とそこに生きる草木。雨が樹木を育てている姿を嬉しく見つめていた。少し日本にいるようにも思えた。気温も秋のような感じだった。その涼しさが少し心地よかった。
オリサバ山を下り下りて、ベラクルスのバスターミナルに着く。
また、タクシーに乗って、失敗する。タクシーチケットだったから値段は問題なかったが、「セントロ(中心地)のホテルまで行って」と行ったのに、適当な所のホテルで下ろされた。郊外とまではいかないが、中心地からはまだ遠い。もっとしっかり場所を指定しないといけなかったのだ。
でもまあそれを知るのは後の事で、『バスターミナルからセントロ、結構近いなあ』とか思って、そのホテルに決めてしまったから今更移動するわけにもいかない。
その日はその辺りで、その夜を過ごして過ぎた。
翌日、僕は朝から、ラアンティグアという場所へ向かった。
コルテスの旅の最終地点と言ってもいい。正しくは、コルテスの旅の最初の地点だ。
1519年、コルテスはベラクルス郊外のラアンティグアという地に降り立つ。ここが彼が初めて降り立ったメキシコの大地だ。
朝11時頃だった。静かな朝で、人も少ない。ラアンティグアはジャングルの奥地のように、巨木が伸びた木々に囲まれている。
コルテスが最初に暮らしたという家も木々に埋もれた廃墟になっていた。僕がジッとその家を見ていると、現地人がガイドをしようとしてやってきた。でも彼の説明がわかる気がしなかったので、僕はそのガイドを断った。
旅の中で、僕の中で日本語やスペイン語が入り乱れ、この時の僕は日本語モードになっていた。
プエブラのホテルあたりから、スペイン語がうまく話せなくなっている。ホテルの女の人に何度も聞き返され、なんか嫌な感じになって、それからあまりスペイン語を話したくはない。ガナファトで習った頃の方がもう少しうまかった気がする。
でもスペイン語が下手になると、日本語がうまくなる。しばらくの間、上手に書けなかった日記が逆にスラスラと日本語で書けるようになっていた。
やはり僕は日本人だ。日本に帰ろう。そう思う。
コルテスの旅もここで終りだ。
ラアンティグアにはロサリオ教会というアメリカ大陸最古のキリスト教の教会がある。それはとても小さな教会で、白壁の清楚な造りだ。メキシコ旅行で多くの教会にも立ち寄った。黄金の教会もあったし、巨大な教会、装飾の鮮やかな教会、いろいろあったけど、僕はこの教会が一番好きに思えた。
中には誰もいなかった。狭い教会には何列かの席があり、質素に飾られた祭壇がある。
『ああ、僕はここに来たかったんだ』
僕のコルテスの旅は終った。
遥かスペインの地よりやってきたコルテス。その初めの地に造られた教会。そこで感じた物を僕は確かに受け取った。
ここにかつていた気がした。そんな気のせいを受け取った。そんな気のせいの自分の遥か昔の記憶を受け取った気がした。
ベラクルスに戻って、水族館に行った。
ジュゴンやサメ、アロワナがいて、楽しい水族館だったけど、プエルトアンヘルで海にぽっかり浮かんでいたカメを思い出すと、そこはとても窮屈な場所に思えた。
それからはセントロを歩いた。海に浮かぶ要塞やら何やらがあり、それはアメリカと争っていた頃のものなのだろうけど、その辺りの歴史にはなんら興味を持てなかった。
アルマス広場では、老人たちが木琴やギターやドラムやらの楽器で演奏していた。空は曇っていたが陽気な感じで暖かかった。僕は広場に並べられたオープンカフェの座席で、黒いコーヒーを飲みながら、そんなのんびりとした時間を過ごして寛いでいた。
ホテルに戻る頃に雨が降り始めた。
部屋に戻って、サッカーの試合を観ながら、あとは適当にビールでも飲みながら過ごした。
明日はまた別の場所へと行ってみよう。後は適当に旅行するだけだ。
2004年1月18日、僕は自分のルーツを勝手に見つけた気がして納得していた。
オリサバ山を下り下りて、ベラクルスのバスターミナルに着く。
また、タクシーに乗って、失敗する。タクシーチケットだったから値段は問題なかったが、「セントロ(中心地)のホテルまで行って」と行ったのに、適当な所のホテルで下ろされた。郊外とまではいかないが、中心地からはまだ遠い。もっとしっかり場所を指定しないといけなかったのだ。
でもまあそれを知るのは後の事で、『バスターミナルからセントロ、結構近いなあ』とか思って、そのホテルに決めてしまったから今更移動するわけにもいかない。
その日はその辺りで、その夜を過ごして過ぎた。
翌日、僕は朝から、ラアンティグアという場所へ向かった。
コルテスの旅の最終地点と言ってもいい。正しくは、コルテスの旅の最初の地点だ。
1519年、コルテスはベラクルス郊外のラアンティグアという地に降り立つ。ここが彼が初めて降り立ったメキシコの大地だ。
朝11時頃だった。静かな朝で、人も少ない。ラアンティグアはジャングルの奥地のように、巨木が伸びた木々に囲まれている。
コルテスが最初に暮らしたという家も木々に埋もれた廃墟になっていた。僕がジッとその家を見ていると、現地人がガイドをしようとしてやってきた。でも彼の説明がわかる気がしなかったので、僕はそのガイドを断った。
旅の中で、僕の中で日本語やスペイン語が入り乱れ、この時の僕は日本語モードになっていた。
プエブラのホテルあたりから、スペイン語がうまく話せなくなっている。ホテルの女の人に何度も聞き返され、なんか嫌な感じになって、それからあまりスペイン語を話したくはない。ガナファトで習った頃の方がもう少しうまかった気がする。
でもスペイン語が下手になると、日本語がうまくなる。しばらくの間、上手に書けなかった日記が逆にスラスラと日本語で書けるようになっていた。
やはり僕は日本人だ。日本に帰ろう。そう思う。
コルテスの旅もここで終りだ。
ラアンティグアにはロサリオ教会というアメリカ大陸最古のキリスト教の教会がある。それはとても小さな教会で、白壁の清楚な造りだ。メキシコ旅行で多くの教会にも立ち寄った。黄金の教会もあったし、巨大な教会、装飾の鮮やかな教会、いろいろあったけど、僕はこの教会が一番好きに思えた。
中には誰もいなかった。狭い教会には何列かの席があり、質素に飾られた祭壇がある。
『ああ、僕はここに来たかったんだ』
僕のコルテスの旅は終った。
遥かスペインの地よりやってきたコルテス。その初めの地に造られた教会。そこで感じた物を僕は確かに受け取った。
ここにかつていた気がした。そんな気のせいを受け取った。そんな気のせいの自分の遥か昔の記憶を受け取った気がした。
ベラクルスに戻って、水族館に行った。
ジュゴンやサメ、アロワナがいて、楽しい水族館だったけど、プエルトアンヘルで海にぽっかり浮かんでいたカメを思い出すと、そこはとても窮屈な場所に思えた。
それからはセントロを歩いた。海に浮かぶ要塞やら何やらがあり、それはアメリカと争っていた頃のものなのだろうけど、その辺りの歴史にはなんら興味を持てなかった。
アルマス広場では、老人たちが木琴やギターやドラムやらの楽器で演奏していた。空は曇っていたが陽気な感じで暖かかった。僕は広場に並べられたオープンカフェの座席で、黒いコーヒーを飲みながら、そんなのんびりとした時間を過ごして寛いでいた。
ホテルに戻る頃に雨が降り始めた。
部屋に戻って、サッカーの試合を観ながら、あとは適当にビールでも飲みながら過ごした。
明日はまた別の場所へと行ってみよう。後は適当に旅行するだけだ。
2004年1月18日、僕は自分のルーツを勝手に見つけた気がして納得していた。
メキシコ回想記30. プエブラ
メキシコの南部をくるっと回って、メキシコシティに近いプエブラまで戻ってきたのは、2005年1月16日の事だった。
オアハカからバスで揺られ、隣にはぽっちゃりしたメキシコガールが座っていた。
ふとそんな事を思い出す。
プエブラはメキシコ料理の街として知られているらしい。
チレエンノガデス
大きな青唐辛子に肉が詰まっていて、ザクロのトッピングがしてあるホワイトソースで頂く。青唐辛子だが辛くはない。ピーマンの肉詰めのようだが、味はちょっと違う。ししとうという感じか?それに甘みのあるソース。ザクロの酸味。絶妙な合わせ技だ。
モーレソース
チョコレートのソースで、肉に掛けて食べる。甘みと苦み、辛みが絶妙にマッチしている。別の場所でも食べたがくそまずかった。たぶんいろいろなスパイスとの配合の問題だろう。この街で食べたものは初めて味わう美味だった。
ソパデポブラノ
プエブラ風のスープ。ただのあっさりしたスープだが、美味しかった。
テキーラ
メキシコといえばテキーラだ。ここでは一番安いヒマドールという銘柄のテキーラを食前酒として飲んだ。日本ではただ酔うための酒ってイメージが強いが、メキシコでは食前酒だ。彼らはたくさんあの強いテキーラをがぶ飲みしたりはしない。普段はキューバリブレやメキシコビールばかりを飲んでいる。
メキシコ人は日本人と同じで、もともと黄色人種だから酒に弱い人も多い。ここは意外とイメージと違うところだ。
プエブラではタコス以外のメキシコ料理が楽しめた。それだけで、他に観光はしていない。
ソカロ(中央広場)の周辺でぶらりと散策した程度だ。街は石畳の綺麗な造りをした街だ。オアハカよりも綺麗な印象がある。立ち並ぶお店の中にはメキシコらしい色彩の強い縫物のお店があった。僕はその縫物が気に入って、緑色のマフラーとカラフルな黄色や赤の毛糸のお手玉を買った。
夜は古いホテルに泊まった。夜中じゅう、赤子の鳴き声がしていた。少し怖い感じだった。
プエブラは一泊のみだった。
翌日、今度はベラクルスに向かった。メキシコ湾沿いの港町だ。プエブラからベラクルスに出るには、オリサバ山という5,000メートル級の山の側を越えていかなくてはならず、メキシコでもとりわけ寒くて険しい道を、バスは抜けていった。霧も濃く、今までのメキシコとは少し違う雰囲気の高山地帯を抜けていった。
そしてベラクルスに着いた。
今回の話は、これだけだ。
オアハカからバスで揺られ、隣にはぽっちゃりしたメキシコガールが座っていた。
ふとそんな事を思い出す。
プエブラはメキシコ料理の街として知られているらしい。
チレエンノガデス
大きな青唐辛子に肉が詰まっていて、ザクロのトッピングがしてあるホワイトソースで頂く。青唐辛子だが辛くはない。ピーマンの肉詰めのようだが、味はちょっと違う。ししとうという感じか?それに甘みのあるソース。ザクロの酸味。絶妙な合わせ技だ。
モーレソース
チョコレートのソースで、肉に掛けて食べる。甘みと苦み、辛みが絶妙にマッチしている。別の場所でも食べたがくそまずかった。たぶんいろいろなスパイスとの配合の問題だろう。この街で食べたものは初めて味わう美味だった。
ソパデポブラノ
プエブラ風のスープ。ただのあっさりしたスープだが、美味しかった。
テキーラ
メキシコといえばテキーラだ。ここでは一番安いヒマドールという銘柄のテキーラを食前酒として飲んだ。日本ではただ酔うための酒ってイメージが強いが、メキシコでは食前酒だ。彼らはたくさんあの強いテキーラをがぶ飲みしたりはしない。普段はキューバリブレやメキシコビールばかりを飲んでいる。
メキシコ人は日本人と同じで、もともと黄色人種だから酒に弱い人も多い。ここは意外とイメージと違うところだ。
プエブラではタコス以外のメキシコ料理が楽しめた。それだけで、他に観光はしていない。
ソカロ(中央広場)の周辺でぶらりと散策した程度だ。街は石畳の綺麗な造りをした街だ。オアハカよりも綺麗な印象がある。立ち並ぶお店の中にはメキシコらしい色彩の強い縫物のお店があった。僕はその縫物が気に入って、緑色のマフラーとカラフルな黄色や赤の毛糸のお手玉を買った。
夜は古いホテルに泊まった。夜中じゅう、赤子の鳴き声がしていた。少し怖い感じだった。
プエブラは一泊のみだった。
翌日、今度はベラクルスに向かった。メキシコ湾沿いの港町だ。プエブラからベラクルスに出るには、オリサバ山という5,000メートル級の山の側を越えていかなくてはならず、メキシコでもとりわけ寒くて険しい道を、バスは抜けていった。霧も濃く、今までのメキシコとは少し違う雰囲気の高山地帯を抜けていった。
そしてベラクルスに着いた。
今回の話は、これだけだ。
メキシコ回想記29.オアハカ2.モンテアルバン~エルトゥーレ
オアハカの翌日は、モンテアルバンという遺跡行った。
古い遺跡で、オアハカからはそう遠くない。オアハカからバスで30分くらい小高い丘の上に上ってゆくイメージだ。
ここは、オアハカで有名な観光スポットなので、昨日のイエルベエルアグアのように一日一便ではなく、たくさんのバスが出ている。
一人そんなバスに乗り、坂道を揺られ、辿り着いた。
テオティワカンの遺跡を観た後だと、ここはとても小さく思える。小高い丘の上にあり眺めは良かった覚えがあるが、遺跡はそこまで広くはなく、大きなピラミッドもあるわけではないので、見どころは少なかった。
ここでの思い出は、僕にとって、マークというジャマイカ人に会ったことだ。背が高く、ほっそりしている白人で、陸上競技に出てくる足の速いジャマイカ人のイメージとは違う。母親か父親はイングランド人との事で、そのせいかもしれない。年齢は35歳とのことだったが、当時20代の僕にはそれほど年上には見えないイメージだった。
僕は同じく、一人旅をしている彼とバスで知り合った。
遺跡では互いに別行動だったけど、バスに戻ると、彼も同じバスに乗っていた。なんなく手を上げて挨拶をして、彼の横に座った。
「これからどこへ行くんだ?」という話になり、僕は特に決めていなかったが、彼は「エルトゥーレ」という樹齢2千年の巨木がある場所へ行くと言った。観光ガイドにも載っていたが、もともとは行く予定はなかったのだが、オアハカの市街に戻ってもやる事がないので、彼と一緒に行く事とした。
マークはとてものんびりした雰囲気の人だった。僕ものんびりした性格だが、彼には負ける。大きな巨木のエルトゥーレのように伸びた体でゆっくりと歩く。
エルトゥーレの巨木では、たくさんの小鳥が鳴いていた。いったい何百の鳥がその木に巣を作っているのか?と思わせるくらいの小鳥の囀り、かつて耳にしたことのないその鳥の音は今も11年経った今でも何となく思い返せる。
2千年の命が育んだ鳥たち家族の物語。その木に住む鳥は昔から先祖代々その木を住み家とし、その木と共に生きてきたのだろう。そんな事を思わせた。そこにある生命に、命の尊さを感じた。
マークは、キリスト教徒で、巡礼のような感じで、メキシコに来たらしい。もともとはジャマイカで教育関係の仕事をしていたという。昼間は一緒にレストランで食事をしたが、肉は食べないらしく、ウェートレスにいろいろと聞きながら料理に悩んでいた。僕には気にしなくていいと言っていた。
日本食の話をしたが、魚は好きらしく、とにかく肉はダメらしい。メキシコ料理は肉食が多いので苦手らしく、日本食は好きだと言っていた。単純にベジタリアンという訳でもないようだ。
そんなマークと、半日くらい一緒に過ごした。
オアハカの市街地に戻ってからは、市場に行ってみた。マークと一緒に市場まで来たのだが、マークはその汚い市場が嫌だったらしく、ちょっと別の買い物をするから、ここでお別れだ、と言って去っていった。
のんびり不思議なペースの人だったが、この旅の中で出会った外国人としてはとても親しくしてくれた人だし、僕は彼のその雰囲気が好きだった。とても思い出深い出会いとなった。
僕自身もその日は少し明るい気分だったし、そういったところで一緒に観光できたのだろう。
暗い雰囲気で旅をしていても誰も寄ってこない。旅は楽しくするのがいい。
それからは人混みでごちゃごちゃした汚い市場を歩いた。
メキシコの市場は意外と楽しい。グァダラハラの辺りから市場巡りが好きになっている。市場があるととにかく行ってみたい。どちらかというと食べ物の多い市場で、とくに買う物はなかったけど、メキシコ人の暮らしが垣間見れて楽しい。もちろん普通にスーパーマーケットもあるのだけれど、市場はその街の特色を見せているように思える。外国人が日本に来て、築地市場に行くのも頷ける。そういう感じだ。
そこでは、メキシコのラテンミュージックCDを一枚買った。売り手のメキシコ人のお兄さんは自分で曲を選曲したらしく、まあ正規のものではないのだが、その当時聞いたメキシコミュージックが短縮されて、凝縮して入っているCDだった。お兄さんは、親指を立てて、そいつはグッドだという感じで僕にCDを手渡した。
そんな風にしてオアハカの時間は過ぎていった。
旅は明るくなったり、暗くなったりする。今思えばオアハカは比較的明るい時間だったと思う。その心の記憶を、ここでふと思い出すのだった。
古い遺跡で、オアハカからはそう遠くない。オアハカからバスで30分くらい小高い丘の上に上ってゆくイメージだ。
ここは、オアハカで有名な観光スポットなので、昨日のイエルベエルアグアのように一日一便ではなく、たくさんのバスが出ている。
一人そんなバスに乗り、坂道を揺られ、辿り着いた。
テオティワカンの遺跡を観た後だと、ここはとても小さく思える。小高い丘の上にあり眺めは良かった覚えがあるが、遺跡はそこまで広くはなく、大きなピラミッドもあるわけではないので、見どころは少なかった。
ここでの思い出は、僕にとって、マークというジャマイカ人に会ったことだ。背が高く、ほっそりしている白人で、陸上競技に出てくる足の速いジャマイカ人のイメージとは違う。母親か父親はイングランド人との事で、そのせいかもしれない。年齢は35歳とのことだったが、当時20代の僕にはそれほど年上には見えないイメージだった。
僕は同じく、一人旅をしている彼とバスで知り合った。
遺跡では互いに別行動だったけど、バスに戻ると、彼も同じバスに乗っていた。なんなく手を上げて挨拶をして、彼の横に座った。
「これからどこへ行くんだ?」という話になり、僕は特に決めていなかったが、彼は「エルトゥーレ」という樹齢2千年の巨木がある場所へ行くと言った。観光ガイドにも載っていたが、もともとは行く予定はなかったのだが、オアハカの市街に戻ってもやる事がないので、彼と一緒に行く事とした。
マークはとてものんびりした雰囲気の人だった。僕ものんびりした性格だが、彼には負ける。大きな巨木のエルトゥーレのように伸びた体でゆっくりと歩く。
エルトゥーレの巨木では、たくさんの小鳥が鳴いていた。いったい何百の鳥がその木に巣を作っているのか?と思わせるくらいの小鳥の囀り、かつて耳にしたことのないその鳥の音は今も11年経った今でも何となく思い返せる。
2千年の命が育んだ鳥たち家族の物語。その木に住む鳥は昔から先祖代々その木を住み家とし、その木と共に生きてきたのだろう。そんな事を思わせた。そこにある生命に、命の尊さを感じた。
マークは、キリスト教徒で、巡礼のような感じで、メキシコに来たらしい。もともとはジャマイカで教育関係の仕事をしていたという。昼間は一緒にレストランで食事をしたが、肉は食べないらしく、ウェートレスにいろいろと聞きながら料理に悩んでいた。僕には気にしなくていいと言っていた。
日本食の話をしたが、魚は好きらしく、とにかく肉はダメらしい。メキシコ料理は肉食が多いので苦手らしく、日本食は好きだと言っていた。単純にベジタリアンという訳でもないようだ。
そんなマークと、半日くらい一緒に過ごした。
オアハカの市街地に戻ってからは、市場に行ってみた。マークと一緒に市場まで来たのだが、マークはその汚い市場が嫌だったらしく、ちょっと別の買い物をするから、ここでお別れだ、と言って去っていった。
のんびり不思議なペースの人だったが、この旅の中で出会った外国人としてはとても親しくしてくれた人だし、僕は彼のその雰囲気が好きだった。とても思い出深い出会いとなった。
僕自身もその日は少し明るい気分だったし、そういったところで一緒に観光できたのだろう。
暗い雰囲気で旅をしていても誰も寄ってこない。旅は楽しくするのがいい。
それからは人混みでごちゃごちゃした汚い市場を歩いた。
メキシコの市場は意外と楽しい。グァダラハラの辺りから市場巡りが好きになっている。市場があるととにかく行ってみたい。どちらかというと食べ物の多い市場で、とくに買う物はなかったけど、メキシコ人の暮らしが垣間見れて楽しい。もちろん普通にスーパーマーケットもあるのだけれど、市場はその街の特色を見せているように思える。外国人が日本に来て、築地市場に行くのも頷ける。そういう感じだ。
そこでは、メキシコのラテンミュージックCDを一枚買った。売り手のメキシコ人のお兄さんは自分で曲を選曲したらしく、まあ正規のものではないのだが、その当時聞いたメキシコミュージックが短縮されて、凝縮して入っているCDだった。お兄さんは、親指を立てて、そいつはグッドだという感じで僕にCDを手渡した。
そんな風にしてオアハカの時間は過ぎていった。
旅は明るくなったり、暗くなったりする。今思えばオアハカは比較的明るい時間だったと思う。その心の記憶を、ここでふと思い出すのだった。