小説と未来 -14ページ目

メキシコ回想記23.メキシコシティその4

メキシコシティには、その後、4日まで滞在した。

2日は、ソナロッサというメキシコの繁華街に行った。日本の銀座?新宿?のような中心街なのだろうけれど、その日は閑散としていた。店はどこも休みのようだった。
それでチャプルテペック公園という非常に広い公園の方に行った。通常の旅行者はここで、国立人類学博物館に行く。アステカ帝国やその他様々なメキシコの古代文明の発掘物が展示してある。
でも僕は数日前からのテンプルマヨールやテオティワカンの遺跡でそう言ったものに飽きていた。だから自然史博物館に入った。そこは子供が生物の勉強をする程度の展示があるだけで、興味をそそるような珍しいものはなかった。

夜は、日本人宿に滞在する方々と、メキシコプロレスを観に行った。その日本人宿にも、オクさんというプロレスラーの方が滞在していてその日のショーに出るのだという。メキシコのプロレスは試合とは言えず、完全なショーだ。コミカルで、飛び技が多く、日本のプロレスのような熱さはない。
それから覆面。これがメキシコプロレスのポイントだ。プロレス会場の周りには覆面を売るたくさんの露天商がいる。ミルマスカラスもあり、誰かがその覆面を買っていた。
プロレス会場内は、金網で覆われていて、少し高いところから中心のリングを観る。
だいたいタッグ戦で、おデブのコンビやヒーロー役などがいる。オクさんは確か異国の人間だけあって悪役だったと思う。ヒーロー役の覆面レスラーにやられていた。でも鮮やかな身のこなしでリングを駆け回り、技を掛け合うショーはとても楽しかった。
帰りには夜の酒場が集まる広場でマリアッチを観た。メキシコ衣装を来て、メキシコの陽気なラテン音楽をギターで奏でる。僕らはコロナビールを飲みながら、そんな夜を楽しんだ。


3日の事はよく覚えていない。
僕はコヨアカン地区というメキシコでは裕福な人が住む場所を一人歩いていた。街はおだやかで平和な雰囲気だったことをなんとなく覚えている。後はどうしたろう。
コルテスの宮殿があった。広場の前だった。そのイメージはあまりない。宮殿の中には入れなかったと思う。その広場でぼおっと過ごしていた気がする。石畳の広場で太陽の日差しを浴びて、日が沈むのを待っていた。そんな無駄な一日だった。

日本人宿では幾人かの人に出会った。一人旅をする神戸の女性もいたし、ヒッチハイクで旅をする二人組もいた。この間も話したか。他にもいろいろな人がいて、いろいろな人と話をしたのだけれど、この期間の出会いは少し印象が薄い。あまりに多くの日本人に会い過ぎたせいかもしれない。たくさんの人がいると一人一人と関係した時間が少なくなる。
そして、3日の午後には、多くの人が宿を出て行った。日本へ帰る人もいたし、次の旅へと行く人もいた。仙人とコマちゃんだけはそこにいつまでも住み続けるようだった。いや、仙人はマサトランにバカンスに行くと言って出て行ったような気もする。

4日を迎えた。僕もおよそ1週間ほど滞在した日本人宿を出ていくこととなった。去る時は何とも呆気ない。タクシーを呼んでもらって、バスターミナルまで、確か誰かとそこまで一緒だった気がするが、覚えていない。
旅はあまり長居し過ぎるのも良くないのかもしれない。メインイベントを過ぎると、後は惰性になってゆく。
でも風邪もすっかり治ったし、日本語で気ままに話せて心もリフレッシュできた。きっといい休息だったに違いない。

旅ももう折り返しに近い。長いような短いような、2005年のメキシコ旅は続く。

メキシコ回想記22.メキシコシティその3.テオティワカン

1月1日の元日、日本では初詣で、神社に行くのが習わしだ。
メキシコでは教会かもしれないが、僕らはピラミッドへと行く。

ピラミッドと言えばエジプトかもしれないが、メキシコのピラミッドも有名だ。メキシコを含む中米にもたくさんのピラミッドがある。大小サイズは様々だ。

メキシコシティから一番近い場所にあるピラミッドがテオティワカンだ。テオティワカンはメキシコの大部分を支配していたアステカ帝国よりも、古い歴史の遺跡だ。アステカ帝国の遺跡はテンプルマヨールのように見る影もないのだが、テオティワカンはほぼ当時のままに残っている。なぜ残されているのかはわからないが、中心地より少し離れていたし、スペイン人が統治する頃にはすでに廃れてしまっていたのが理由なのかもしれない。

メキシコシティから北へ1,2時間、バスで移動すると、そこにテオティワカンがある。すっかり都会から離れたど田舎で、渇いた大地に広大なテオティワカンが現れる。
ピラミッドは主に三つある。ケツアルコアトルの神殿、太陽の神殿、月の神殿、広大な敷地で、左右1キロ以上はあっただろう。

そこには、正月休みで、一人旅で日本時宿に泊まっていた2人の男旅人と一緒にやってきた。一人は新潟のナカさん、もう一人は昔南米を旅したことのあるコバさん。ナカさんはテンションの高い人でガテン系な感じの人だ。全てが豪快な感じで、スペイン語も喋れないのに度胸がいい人であちこちに話し掛けていたイメージがある。コバさんは落ち着いていて、緩やかな人だが、スペイン語の話せる人だったと思う。ナカさんが向かっていって、コバさんがフォローする。そんな両極端ながらにバランスの取れた二人だった。二人とも30代だったと思う。
彼らは本当に旅行者だ。観光を楽しむ目的で来ている。僕は旅行者と旅人に、じゃっかんの違いを感じる。僕は、テオティワカンを目的としていない。旅の途中で、旅行者が行こうとしていて、ついでに立ち寄る感じで来ている。テオティワカンも行こうと思っていたが、目的はもっと別の場所にある。旅は長く、観光地の一つを目的としていないのだ。
僕は旅の途中で、旅行をしている感じで、彼らは旅行に来て、旅行をしている。

さて、あの日僕はどんな旅行をしただろう。狭いバスに揺られ、テオティワカンまでやってきた。立ちっぱなしだったような気もする。途中に小さな町があった。まだ朝早かった気がする。
そこは乾いた大地だった。辺りは何もなかったような気がする。たくさんの観光客がいた。たぶんたくさんの露店があって、物を売り歩く現地の商売人がたくさんいたはずだ。だけどその広大さはたくさんの旅行客を十分に受け入れる広さがあった。

入口を入って、最初に出迎えるのは、ケツアルコアトルの神殿だ。
ケツアルコアトルとは蛇の神であり、コルテスがスペインから来た際、モクテスマが間違えた神だ。この神殿は他のピラミッドに比べて小さいが、入ってきて最初に観る印象は強い。そのケツアルコアトルについて知っていれば興味も増す。
メキシコの古い歴史。アステカ帝国の神話の基とも考えられるテオティワカンの遺跡は何とも広大で、神秘的で強大な印象を与えられる。ケツアルコアトルは、モクテスマがコルテスを神と間違えた神だ。その歴史の何百年も前から神話としてこの地で崇められていた。
神話には魅かれるものがある。ギリシャ神話や日本の古事記などと同等に魅力的だ。

テオティワカンの遺跡はケツアルコアトルの神殿からずっと左へと拡がっている。中央の広大な拓けた幅数十メートルにもなる道の左右にいくつものピラミッドが囲っていて、中央付近に太陽の神殿があり、最奥の正面に月の神殿がある。
僕らはなぜだが中央をずっと歩いてゆかずに、大きなサボテン生える裏道を歩いた。やがて正面に最も高いピラミッド、太陽の神殿が見える。メキシコのピラミッドは多くの場合、上まで上る事ができる。
僕らは高さ50mを超える、その太陽のピラミッドを上ってゆく。
上まで辿り着くと、そこではお祈りを捧げる集団がいた。今も、メキシコの宗教は残っているようだ。全てがキリスト教となってしまったわけではない。日本でも、神道と仏教が共存しているように、メキシコでも古い宗教とキリスト教が共存している。古い宗教は、キリスト教を受け入れる寛大さがあったのだ。これは日本の神道の八百万の神に近い。
メキシコの歴史には何となく親近感を覚える。

見渡せば遥か遠方までの景色が見渡せる。短い木しか生えない乾いた大地と、北方に山々が望める。そこでしばらく上り切った疲れを癒しながら、涼しい風に吹かれて時を送る。それは青空で暑くもなく寒くもなく心地よい一日だった。

その後は、博物館に入り、何を観たか覚えていないくらい慌しく出た。遺跡は広いので歩きまわっていると結構時間がかかるのだ。
せっかく来たので、今度は二番目に高い月のピラミッドにも上る。こっちは太陽のピラミッドより修復されておらず、上りにくかったが上り切った。
また景色を見渡す。今度は遺跡の全貌が真っ直ぐ見渡せる。中央に伸びる道に、太陽のピラミッド、一番奥が今度はケツアルコアトルの神殿になる。これはこれで上ったかいがある。とてもいい眺めだった。

月のピラミッドを下りてきたところで、お土産を買った。ちゃんとしたお土産屋ではなく、その辺りをふらふらしている露天商からだ。一つはナカさんがTシャツを買おうとして、いくつか買ってくれれば安くするという話になったので、僕も合わせ買った。1枚700円くらいだったかな。これは黒字に白いトカゲのプリントがしてある奴だった。おそらくメキシコの古い神話の神様なのだと思う。
それからキーホルダーも別の露天商から買った。これは一つ200円くらいだったと思う。踊るアステカ人が色の付いた石で模様にされた奴だった。

それからどうしたろう。どこかで飯を食べて帰ったのかもしれない。
よくは覚えていない。だけど、僕はそんなふうに二人の旅行者とその旅行を楽しんだ。楽しい旅行だった。
風邪もすっかり治っていたようだ。あの日一日はとても楽しかった。

2005年の始まりだった。あの年の、新しい一年の始まりはそんな楽しい一日だった。

メキシコ回想記21.メキシコシティその2.正月

2004年12月31日、メキシコシティで大晦日を迎えていた。
あの日、僕は酷い風邪を引いていた。ケレタロからずっと引きっぱなしで、その日はやっと治りかけの気配を感じていた。

メキシコシティのドミトリーで昼まで眠り、昼間起きた。
シティについて2泊しかしてないが、僕はすでにその場に住み慣れていた気がする。

昼過ぎに起きて、ネットカフェに行った。
2004年頃はネット社会が根付いてきていて、世界どこからでもメールで連絡が取れることがすでに分かり始めていた頃だ。
ただ、時差はある。日本ではすでに2005年を迎えている。新年を迎え、もう眠りについている時間だろう。
僕はあの日、あけましておめでとうと、友人や家族にメールしたのだろうか?よいお年を、とメールしただろうか?記録は残っていないので覚えていない。

その日は日本人宿の近場でダラダラと過ごした。
ウォールマートに行って、食品や旅の備品を買い込む。スーパーは新年前でたくさんの人でにぎわっていた。雰囲気に違いはあるけれど、日本とさして変わらない。どこの国の人もみんなやる事は同じだ。
日本に比べれば暖かいけれど、メキシコシティも高地だけあって、冬は寒い。日本の11月下旬くらいの気温だろうか。あまり外にいたくはない。
15時過ぎからは、日本人宿の居間にいて過ごした。それからどう過ごしたかはあまりよく覚えていないが夜が近づくにつれ、大晦日の宴会の準備が始まった。
宿の人に常連客が集まり、その他の旅人と共に夕食の準備が並ぶ。メキシコだけど、年越しそばもあれば寿司もある。準備は万端だ。
19時からは宴会だ。酒はやはりキューバリブレだ。もちろんビールもある。そこはじゃっかん日本と異なった。
でも衛星テレビで紅白歌合戦を観る。やはりここはもはやメキシコとは思えない。この日本人宿の中はほとんど日本になっている。
21世紀。地球は国の垣根を越え始めていた。

夜も遅くなった時間に、カテドラルまで行こうという事になった。こまちゃんとよしさんという旅人と一緒にカテドラルまで歩いて向かう。
カテドラルは昨日行ったテンプルマヨールがある場所の傍。つまりはメキシコシティの中心地だ。
夜のメキシコシティは危険との事だが、大通りや人の多い場所を歩いている分には危険はない。さして間違った行動を起こさなければ危険には合わない。それなりに治安は維持されていた。
外灯の照らす古い石畳の街を歩いてゆく。やがてソカロに辿り着く。石畳の広場ではメキシコの人々が集まって、新年が来るのを待っていた。
日本人宿に泊まる他の人たちを合わせ、7,8人となり、そこで新年を待つ。
しばらく待つ。人々がざわめく。
カテドラルの鐘の音が鳴り出す。
「ガーンゴーン、ガーンゴーン」
2005年だ。人々が歓声を上げる。抱き合う恋人たちもいる。
小さな花火が打ちあがる。
「フュルルル~」という小さな音の花火だ。
「ハッピーニューイヤー」
僕らも挨拶をして、新しい年を分かち合った。
それから僕らはカテドラルに入った。中にはたくさんの人がいて、メキシコ人のキリスト教徒や観光客の人々が集まっている。
ゴスペルか何かをやっていたろうか。覚えはない。ただたくさんの人がいて、たくさんの人が喜び合っていて、僕らは直ぐにカテドラルを出た。
そこでは日本人宿に泊まっている何人かと一緒だった。覚えは定かではない。僕らは歩いて、日本人宿に帰った。

毎年思うのだが、新年を迎える日も、いつもと変わらない夜が来て、いつもと変わらない朝が来るだけだ。特別何かをしなければ、何の思い出もない普通の一日だ。12月31日になって、また1月1日に戻るだけの事だ。その日をそういう日とルールで決めただけだ。
いつも地球は変わらない速度で、変わらない軌道で回り続けている。本当はそこに大晦日も新年もないのだけれど、地球は太陽の周りを一周して、人はその終点起点を12月31日、1月1日と分けている。

2005年、僕は新しい一年の始まりを、15時間遅れて迎え、メキシコの人々とそこにやってきた日本人達と共に、新しい年の始まりを喜んでいた。

メキシコ回想記.20 メキシコシティ その1

2004年12月29日、メキシコシティーに辿り着いた。
バスは中心地から離れた郊外のターミナルに着いた。大きなターミナルだった。人がごった返すようにたくさんいる。東京に初めて行った日のように、その人の多さ、慌ただしい人々に戸惑いを感じていた。

メキシコシティは世界でも最大級の高人口都市だ。人に溢れている。
ここに着くまでに、メキシコシティは危険な街だと言われ続けていたから、緊張感が走る。着いた時間はまだ午後の早い時間だったので危険な時間ではない。
タクシーチケットを買い、タクシー乗り場に並んで、目的地へ行く。タクシーの運転手に騙されたグアダラハラの時のような失敗はしたくない。しかもメキシコシティはさらに危険が伴う。ここはしっかりと安全な道を進む。

安全なタクシーに乗って着いた場所は、日本人宿だ。前日から予約をしておいた。
しかし入口は宿らしい佇まいではない。厳重に閉まっていて、中が見えない。何の目印もない。ただ住所は確かにそこだ。
近くで掃除していた女性はここで合っていると言う。だからブザーを鳴らす。女の人が、僕が日本人である事を確認すると、扉は開けてくれた。その人はオーナーの奥さんでメキシコ人だった。そこは日本人のオーナーとメキシコ人の奥さんが経営している。奥さんは妊娠中でお腹が大きかった。さばさばした感じの人だった。
家の中は吹き抜けの広いリビングがあって、周囲を部屋が囲んでいた。2階以上は個室になっていて、1階にはドミトリー(共同部屋)がある。そこではドミトリーに泊まる予定だ。お金の節約もあるが、大部屋で知らない人と話をするのも楽しい。

何人かの旅人に会う。
2人のバックパッカーは僕と同じルートだが、ずっとヒッチハイクでメキシコシティまで来たと言う。テレビ番組でもないのに結構な度胸だ。2人は今後、別々に行動するか迷っているようだ。僕はかつて友人と2人で旅をした話をした。別々に行動したこともあったけど何だかんだ再会して最後は一緒に帰ったと言う話をした。
こまちゃんという女の子は、もはやメキシコ人のように肌が焼けて、髪の毛の短い子で、僕の大学の後輩だった。何だかメキシコに興味があって、しばらく住み着いている。
つーさんという30代後半の人は、仙人と呼ばれていた。もはや旅が人生になっている人で、旅をして、たまに日本に帰って金を稼ぎ、また旅をする。旅をしている間もバイトをして、どうしても困ったら日本で仕事をしてお金を稼ぐ。そんな人だった。
ここには様々な日本人が集まってきていた。
もはや正月休み時であったこともあり、僕はここで多くの人に出会うこととなる。でもその話はまた後としよう。

12月29日は風邪を引いた状態で、体調が悪く、その日は早く寝てしまった。

翌日、
風邪は治らなかった。でも、ずっと休んでいるのももったいないので一人観光に出かけた。
治安は気になったが、恐ろしく悪いわけではない。電車にはスリがいるし、怪しい通りは入らない方がいい。でも大部分は注意をしていれば危険な目に逢うことはない。少なくとも若い男性にとってだ。女性や高齢者は狙われやすいので注意だ。

僕はその日、テンプルマヨールという遺跡を訪れた。シティの中心にある遺跡で、ここがかつてモクテスマがいた場所だ。
話の冒頭に戻るが、ここがスペインの先駆者コルテスとアステカ王国のモクテスマ王が出会った場所だ。
しかしテンプルマヨールはもはや遺跡というほどの跡もほとんど無い。メキシコシティはかつて湖の中の都市だったが、今はほとんど全てが埋め立てられ、平らな土地になっている。遺跡ももはや土台となる石を詰めて固めた原型が残るのみで、建物も残っていない。当時の景色を窺い知るには難しい姿に変わり果てている。
そこはもはや、神の去った神社のように、何も感じられない場所だった。何も感じない。
併設する博物館には遺跡から出てきたたくさんの出土物が見られた。土器や彫像がたくさんあって、アステカ独特の愛嬌のある像は何だか愛嬌があり、可愛らしさもある。メキシコの遺跡の出土物は結構、愛らしく面白い。そこは好きだし、楽しい。
でもそこに、僕が望んだメキシコでの運命の出逢いは感じない。

その後、国立宮殿を訪れる。
そこにはディエゴ・リベラというメキシコの画家が描いた当時風景を描いた壁画があちらこちらに描かれている。
湖やピラミッドの景色がそこにある。
そこで僕は、不思議な感覚に捕らわれる。
懐かしいような、感動するかのような、そんな感覚だ。
ああ、そうだ。僕が求めたメキシコはこの街の風景だ。
僕は何を求めて、このメキシコへとやってきたのだろう。
コルテスとモクテスマの運命の出逢い。スペイン人の入植。
理由はない。僕は、その時代を思わせる感覚に、心が弾む。
スペインからメキシコへ。コルテスの人生を思う。その時代の冒険者たちの事を感じる。
たとえばかつて、僕もまた、スペインを旅立ち、メキシコへとやってきたスペイン人だったら、そこに観た異国の風景はとても神秘的だった事だろう。
それと同時に全く言葉も通じない異国の人間との出逢い。
『こんな僻地にも人が暮らしていたのか?地球は広い。まだ未開の地がこれほど広がっているとは驚きだ』
きっとそんなふうに感嘆しただろう。
未開の地へ向かう好奇心と不安、それは僕が一人海外を旅する気持ちとリンクしただけなのかもしれない。
でも、僕は感じようとした。たとえば前世があったとしたら、僕もここへとやってきた旅人だったのかもしれないと。だから、僕はメキシコへと来たのだ。自分の遠い前世の記憶を辿って。

そんな夢の幻想を感じながら、国立宮殿を歩いた。
やがて、一通り回ると、風邪を引いていた疲れがどっとやってきた。熱があるようだった。身体が熱くて怠い。鼻先で熱で痛い。風邪は悪化している。
それからすぐに日本人宿に帰って、ずっと寝ていた。まだ日の沈む前の夕方だったけど、それから僕は、その日を眠り続けた。

2004年が終りに近づいていた。
2004年12月30日、あの日、僕は僕の幻想的前世の世界にいた。人は生まれ変わるのだろうか。そんな事を考えていた。

メキシコ回想記19.ケレタロ

ケレタロという街の記憶はほとんどない。思い返そうと思ったけれど、どうしても大きな水道橋のイメージしか浮かばない。その景色は、『ケレタロ』とネットで検索すれば出てくる景色と一緒だ。

ケレタロでは、ガナファトのエレナおばーちゃん家で会った親戚のペペさんと会う約束をしていた。ペペさんはケレタロに住んでいる。カロちゃんという小学生くらいの女の子がいて、日本人宿のきょーこさんにもらったキティちゃんの絵葉書をその子にあげようと思ったのだ。
でも、ペペさんには会えなかった。ペペさんの家に電話したけど、会話が通じず、直接会いに行ったけど、玄関をノックしても誰も出なかった。

僕は孤独だった。一人だった。
風邪を引いた。体調が悪かった。

この一週間、ケレタロについて思い返そうとしていたけれど、2014年12月末のその街の記憶を思い起こすことはできなかった。
記憶は、出会った人の記憶と結合しているのかもしれない。僕は、その街で印象のある人と出会わなかったのだろう。
日記では、ホテルで日本への年賀状を書いていたとある。でも僕はそれがどんなホテルであったのか、思い出せない。年賀状を書くためのハガキをどこで買ったのか思い出せない。味のバランスが悪い夕食をどこで食べたか思い出せない。
サンタクルス修道院に行って、ケレタロ歴史博物館にも行った。その時撮った写真は残っているけど、思い出せない。

10年以上前の記憶は、もちろんほとんど思い出せなくて当然だ。
でもガナファトで過ごした時間は何となく思い出せる。同じ旅であっても、ケレタロは覚えていない。
やはり記憶は、出会う人と共に刻まれるものなのだろう。

誰のも出会わず、一人で過ごしていたら、日々の記憶は薄れてしまう。
たくさんの人に出会おう。良くも悪くも、いろいろな出会いが人生を彩る。

残念ながら、ケレタロは、人と出会えない場所だった。
記憶は失わてしまった。