小説と未来 -15ページ目

メキシコ回想記18.ガナファト その4ホームステイ

エレナおばあちゃんの家は、ガナファトを囲む山のある通りを上っていった頂上の方にあった。
ミチさんに連れられて、訪れた家は、おばーちゃんとその娘とその息子、娘の子(孫)が暮らしていた。
彼女たちは特に挨拶するわけでもなく、普段通りの暮らしを送っている。もちろん会った最初の時は、ムーチョグースト(はじめまして)と言って、挨拶をする。でもそれくらいで、それから特別な会話をするわけではない。

夕食時はみんなで集まって、メキシコ家庭料理を囲って、団らんした。
最初はいろいろと話をしようと、僕に話しかけてくるが、あまりスペイン語が話せないことがわかると会話も止まって、それぞれで話し出す。彼女らはホームステイの人がいることに慣れている。だから相手がどんな程度の人かと理解して、それなりの対応を取るのだろう。
団らん後は、エレナおばーちゃんの部屋でテレビを見る。彼女は歳よりで、背が丸まっていて、ぽっちゃりしている。動きも緩やかで、本当におばーちゃんだ。
「エレナ!」と僕が言うと、にこりと笑って、こっちを向く。あの優しい笑顔を思い出すと、心が和む。他の人はちょっと冷たい感じだが、まあ、知らない外国人が家にいると思えば、自分もそういう態度を取るかもしれない。
部屋は家の外に用意されていた。裏口から出た所に別の部屋があった。シャワーもトイレもそっちにあって、個室でゆったり過ごせる。互いに気を使わなくていい造りになっているみたいだ。普段なら何人かがここでホームステイしているらしいが、こんな年末時期に来る人は少ないらしく、僕はそこで一人部屋を自由に使う生活を送れた。

スペイン語学校では、もう一人、通い出した女の人がいた。
ジュンさんは、年齢秘密の女性で、僕より年上との事だったので、30くらいの女性だった。彼女はマイペースによく話す女性で、いろいろと自分の話をしてきた。
かつては、スペインでフラメンコを習っていたという。今回は、スペイン語をもっとちゃんと話せるようにしたいと、ここに来たそうだ。3か月くらいびっちり勉強するらしいから、僕とは短い期間の出会いだ。
さすがに前にスペインにいたこともあって、講義でもそれなりの会話ができる。考えながらではあるけれど、講師のイメルダさんやマリソルさんと、ちゃんと会話ができている。
僕は、少しは質問ががわかってきたが、返す言葉が出てこない。相変わらず片言だ。

3時間の講義を終えて、坂道を上る。息が切れる急な坂道を上り切って、電柱を目印に右へ曲がる。そしてエレナおばーちゃんの家へと着く。
そしてまた夕食をして、エレナおばーちゃんとテレビを観る。テレビは何だかわからないドラマをやっている。しばらくして僕は自室へ戻る。宿題をして、一日が終る。
22日、23日が過ぎた。

翌日はクリスマスイヴ。
ミチさんが、ホームステイでクリスマスを楽しめるよう、キリスト教徒の家を選んでくれた。エレナおばーちゃん家は、キリスト教らしい。
いつも朝になると、エレナおばーちゃんが朝食を用意してくれる。普通に食パンとベーコンエッグを食べる。特別なメキシコ料理ではない。
そしてスペイン語学校に出かける。いつものようにお勉強をする。たったの一週間程度だが、もう少しでここの勉強も終る。
ミチさん、イメルダ、マリソル、それからジュンさんともお別れだ。何だかあっという間の出来事だった。

夜は、クリスマスイヴでたくさんの親戚が集まっていた。僕もその親戚に混じって、静かなクリスマスイヴをご一緒する。とは言っても、ただ料理を食べて、ラムコークを飲んで、過ごす。日本でいうと、お正月に親戚同士が集まる感じで、特別何か儀式をするわけではない。
深夜0時、「フェリスナビダ(メリークリスマス)」と言って、もう一度乾杯し合う。ハッピーニューイヤーと変わらない。
親戚同士で語り合い、子供たちは自室でゲームをしている。
メキシコの温かい家庭。家族とはいいものだ。

夜が更けて、日が上る。
翌日はお休みだから、エレナおばーちゃんの息子さん、ルーベンさんが僕を小観光に連れて行ってくれた。
20キロ以上走ったトヨタのバンで、ドライブだ。ガナファトから少し離れたバレンシアーナという地は、銀鉱山になっている。ガナファトは、かつてはこの銀鉱山で栄えた街だ。僕はかつて鉱物の勉強をしていたことがあったので、気になって銀鉱山の中にも入ってみた。
中は涼しく、細い通路が続いていた。中には坑道の教会があり、ここでお祈りをして、鉱山の安全を祈ったのだろう。
そこまで行って、地上に戻った。
ルーベンさんはお土産に金のネックレスを選んでいた(金も採れる)。僕には買えるものではないが、もちろん日本で買うより90%オフといった値段だろう。
それから、プラッサデオロという場所に言った。ガナファト現地人の人気観光地らしく、美しい湖の風景が見られる。
ガナファトはどこへ行っても美しい街だ。
それからガナファトの街をドライブ。遺跡のような街のトンネルを右へ左へ抜けてゆくと、街へと戻っていた。
この街は本当にどこも美しく素敵な街だった。

旅の中で、大きな思い出を残す街となった。
一人でウロウロしていた頃の旅に比べれば、そこには明確な思い出ができた。

いつもその時は気づかないけれど、気が付くと過ぎてしまう。
そこには良き出会いがあったのかもしれない。どの出会いも素敵な出会いであったことだろう。
でも、旅での偶然の出会いは、儚い良き思い出として取っておくくらいがいい。

25日の夜も、親戚が来ていて、クリスマスの夜を楽しんだ。

そして翌日の朝、僕は再び旅に出る。
ルーベンさんがバス停まで見送ってくれた。
「ブエンビアヘ」と言われて、「ブエンビアヘ(良い旅を)」と答えてしまった。「それは君が言う言葉じゃないだろう」と言われ、あいかわらずスペイン語が上達していない自分に笑って「さよなら」をした。

この世界で、出会える人は、わずかな人しかいない。その瞬間、その時、その場で、僕らはすれ違う。
僕の出会った素晴らしい人々。僕は彼ら、彼女らにとって、どんな人間だったろう。ふとそうも思う。
そして、少しは自分も、誰かに素晴らしい人だったと思われるような人間になりたい。そうも思ったに違いない。
今も、これからも、僕はそうあろうとできるだろうか。そしてまたどこかで、素敵な人に出会える時がやってくるのだろうか。
若かりし青春だろうか。年老いても、死ぬまで、また新しい、素晴らしい人と出会えたらいい。死せるその日まで、素晴らしいと思える何か、心を持てる大人になりたい。

メキシコ回想記17. ガナファト その3生まれた環境

日本人宿での数日が過ぎる。
その日は、ショーコさんという30代くらいの女性の方がお泊りになっていた。
ミキとサヤもまだいる。
男は僕一人だ。この宿は男性より女性が多いのか、たまたまなのかは不明だ。

だから、まずは一人で過ごす。スペイン語学校の宿題もまだ終わっていない。
その日は、スペイン語学校もお休みだ。

しばらくして、宿題も終ったので、みんなが集まるリビングに移動してみた。すると、ミキが涙を流して泣いている。
『な、なんだ?』と思う。
女性同士のゴタゴタ?とか思っていていると、どうも違うらしい。
ショーコさんの話を聞いていたら、ミキが泣いてしまったのだ。

ショーコさんはメキシコに住んでいて、今まで教会で、親のいない子の面倒を見ていたと言う。彼女の話では、アメリカ人の仲間とある教会で、恵まれない子の面倒を見始めた。初めは、なんとかやっていたらしいが、教会で子供の面倒を見ているという噂が広まったのか、いつの間にか、200人にも増えてしまったと言う。
それからはもはや手に負えない状況に陥り、これ以上続けても、ただ増えるだけで、もはやどうにもならない状況になってしまった、という悩ましい話だ。
結局、彼女は自分が面倒を見るのをあきらめ、教会を去ったと言う。
メキシコで、どれだけ恵まれない子がいるか、その事実を知ったとき、ミキは涙が止まらなくなってしまったようだ。
メキシコのストリートチルドレンは、数え切れないほどいる。それは救いようのないほどの人数だ。

それから、キョウコさんが、ストリートチルドレンの話を始めた。
確かに、まず始めに、ストリートの子を受け入れるのはいいことなんだけど、次に、その子たちを自立させないといけない。
彼女もまた、恵まれない子たちを助けてきたのだろう。
自立への道は、物売りだ。街にはお菓子を売ったり、お土産を売ったりする子がたくさんいる。支援者がお菓子やお土産を子供たちに渡し、売っている。それは子供たちに労働を強いているようにも見えるが、そうではない。子供の頃から労働してお金を稼ぐ、生きていくための知恵を与えているのだ。そうやってちゃんと生活の方法を身に着けられる子供はまだいいのだ。
16歳くらいまでにこういった事ができないと、闇の世界の人間に連れられてしまう。麻薬に染められ、麻薬の売人やなにやらにさせられてしまうのだ。社会になじめず、仕事もできないとそうなってしまう。
そうでなくても、スリや盗人になって暮らすこととなる。治安も悪化する。
働いて、ぼろくても家に住めるようになる子供はまだいい。仕事をして家で生活しようともせず、路上でだらだら生活してしまう子供たちも多いと言う。どんなに手を差し伸べても、それを断る子もたくさんいる。
キョウコさんには、寝床も持たずに路上で暮らしたがる子供の気持ちがわからないと言う。
どんな恵まれた環境でも不良はいるが、恵まれない環境の不良は救いようがない。

そんな話をしていたら、ミキとサヤはさらに涙ぐむ。
僕は、ロスカボスで会ったお土産を売る兄妹を思い出していた。彼らが闇に堕ちず、ちゃんと暮らしていけることを願う。
商売を楽しんで、腐らずに、笑顔で暮らしていければいい。


その日は、それから一日、ガナファト観光をした。街中の資料館や石畳の街並みを歩いて、一日を過ごした。
夜はミキとサヤとまたご飯を食べに行って過ごした。
そして夜は更け、眠りに就いた。

また次の日になった。
まずはミキとサヤを見送った。前日、午前は泣いていた彼女たちだが、午後は僕と別行動で観光していて、またいろいろな人と出会って、いつの間にか元気になっていた。喜怒哀楽の激しい子たちだった。
そして、それから今度は、僕が日本人宿を去ることとなった。でもガナファトにはまだ一週間くらいいる。僕の場合は、ホームステイ先への移動だ。
キョウコさんともお別れ、最後は手を振って、さようならだった。
まずは、スペイン語学校へ。ホームステイ先への移動は3時間の授業が終ってからという事だ。
その話はまた次にしよう。

生まれてきた環境、運命。
日本の格差なんて微々たるものだ。
この時代の富に、私利私欲に生活してはいけない。
今ある平和に感謝。もし余裕があるのなら、人に分け与えられればいい。
あの日、僕が感じた事を思い出す。
歪になりつつ、現代社会に流されてはいけないな。
家に暮らし、食に困らない生活。それだけで、与えられた幸運な運命ですから。

メキシコ回想記16.ガナファト その2

静かな夜明け。
メキシコの朝は、ゆっくり始まる。外がまだ暗い中、新聞屋が声を上げる。
「オーーーーー、オーーーーー」
新聞屋だったと思う。「オー、オー」と言っていたような覚えがある。
暗がりの中、石畳の街を窓から覗く。外灯はまだ消えていない。新聞屋が新聞を持って歩き回っている。
僕のガナファトでの朝、それが僕の思い出だ。

朝はヒロ君と、パン屋へパンを買いに行く。昨日も同じ朝で、翌日も同じ朝。この日本人宿ではお決まりの店があり、そこに行くことが習慣になっている。
パンを買って、日本人宿のリビングでコーヒーを飲みながら食事を済ます。

朝9時に日本人学校へ行く。
教師は丸っこい体系のイメルダさんだ。昨日は全くもってバラバラだった。今日をテキストを基に進める。
単語を組み合わせて、スペイン語にしてゆく。2時間の授業。とても疲れた。

12時に日本人宿に戻ると、ヒロ君が出発の準備を始めている。まずはエクアドルに行くらしい。情報をインターネットで調べて、治安を気にしていた。コロンビアはもっとやばいらしいが。
そして、キョウコさんと共に、バス停までお見送り。
この旅の中で、長い時間を初めて過ごした旅行者だった。彼は自由人だ。だが、この旅を終えると日本で就職する。彼はもう長い旅をする事なく、
普通の日本での生活を送るのだろう。(そうとも限らないかも?)

それからは単独行動をした。
ガナファトの街を囲う山々の方へと上ってゆく。最初に上った辺りは、壁に落書きがしてあったり、家々も簡素で治安のよくないあたりのようだ。
狭いガナファトにも、金持ちの住む場所と普通の人が住む場所、貧乏人が住む場所に別れている。メキシコはどこへ行っても格差社会だ。

日本人宿に戻ると、今度は2人の背の小さい女子大学生がいた。
ミキとサヤはオレゴン州に留学していて、冬季の休日で、メキシコへと遊びに来たそうだ。そして僕はキョウコさんから、この女子2人のボディーガードの役を任命させられる。
僕がここに来た日もヒロ君に任されたが、今度は僕が任された。
「治安が悪い場所もあるから。遅くなると危ないから」
そんな理由だ。

彼女たちは観光をしながら、ピピラという街が一望できる場所に行きたいと言っていた。
実はさっきの単独行動で行っていたが、ボディーガードとして付き合わないわけにはいかない。
そんなわけで、今度は彼女らとガナファト観光。
彼女たちはデジカメを持っていて、常にカメラを構えて、あちらこちらをカメラに納める。2004年当時、まだフィルムカメラだった僕にはできない技だ。
いやそれ以上に彼女たちは写真を撮りまくる。カフェでも頼んだコーヒーやらケーキやらを取り、可愛らしい子供を見つけては、一枚写真撮っていいと言って、カメラを構える。
僕の淡々とした一人行動と違って、わずかな場所で多くの時間を費やす。石畳の街並み、立ち並ぶ店、小道、様々な場所をゆっくりと歩いた。
それからピピラへはケーブルカーで上った。単独一人行動では歩いて上ったが、このペースではとても時間がかかる。
上に上って世界遺産の絶景を堪能する。あちらこちらを撮りまくる彼女らに付き合っていたら、日が暮れて、ガナファトの夜景が一望できた。さすがにこれはとても綺麗な絶景だった。僕のカメラもフラッシュした。
そこではペペさん夫妻とフアン一家と話をした。あちこちの子供に写真を撮る彼女らはあちらこちらの人と仲良くなる。
スペイン語は全く話せないが、英語は堪能だ。どんな話をしていたか、聞き取れなかったのか、覚えていないのか、どちらにしても深い意味のない話だった。僕も習いたてのスペイン語で多少は話をした気がする。
それから、夜が更けて、マリアッチという音楽のパレードに参加する。つばの大きいメキシカンハットを被って、ギターやらマラカスやら楽器を持ったカラフルなスーツを着た男性数人が、歌いながら1kmほどの石畳の狭い道を歩いていく。それもまた楽しい時間だった。
そんなわけで、その一日は楽しい一日になった。夜はミキがサルサを踊りたいと言うので、踊れるお店に行ってみたが閉まっていたので、近くの生演奏しているレストランバーで、カクテルを飲みながら過ごした。雰囲気の良い夜だった。
これが、旅行だ。僕の旅の中で、とても楽しい一日となった。

彼女たちは一週間ほどの旅、楽しみたい気持ちが多かったのだろう。旅慣れてもいない。新鮮さが違う。確かにガナファトは綺麗な街だ。もっと感動すべき場所だろう。
僕はヨーロッパを旅し、二度目の旅、その旅もすでに1ヶ月近くが経とうとしている。ここへ来るまでは時間を掛け過ぎたのかもしれない。いや、すでに新鮮さを失っていたのだろう。ヨーロッパに初めて行った時の感動を獲たい。そんな気持ちもあったろうけど忘れていた。2度目の長期の旅、やはり感動は薄まる。20歳前後で海外を旅をするのとは違いがあるのだろう。
でも、彼女たちと一緒にいる事で、その感覚を少し思い出した気がする。
旅は楽しいものだ。僕はまた、そう思えた。

メキシコ回想記15.ガナファト その1

標高およそ2,000mに位置するガナファトは、コロニアル都市と呼ばれ、世界遺産の都市である。コロニアル都市とは、スペイン人がメキシコにやってくる以前の文明で造られた石造りの街を解体し、その石材を利用して、西洋風に再構築した街並みの事だ。メキシコ全体として、そういう造りの街並みはあるのだが、たいていはより現代化した建物が造られているが、この町は400年以上前の街並みを大部分で残している。それが山に囲まれた狭い土地にある。この町はこれ以上広くはなれないし、その街並みの美しさから狭くなることもないだろう。

そんなガナファトに着いたが、その日の僕には街並みを気にすることもなく、とにかくスペイン語を覚えたくて仕方なかった。日本語の通じる日本人にも会いたかった。
日本人学校を探していたが、どこだかよくわからない。片言のスペイン語で辺りのおばちゃんや何らに聞きまくって、日本人かとわかると、あっちだのこっちだの言われて、何とか日本人学校の辿り着いた。
学校は、前髪を揃えた日本人の女性がやっていて、体格のいい小学生の子供がいた。その学長のミチさんと受付と思われる部屋で簡単な雑談をしながら、いつからどんな風に勉強し、いつまで居るかと言った話をした。
その日は、2004年12月16日だった。10日ほどガナファトで勉強し、ホームステイもしてみることにした。
なんとなく予定が決まるとホッとした。この旅が始まって、流れ流されていた。自分で予定を決めて組んで進んでいるつもりでいたけれど、その全てが不安で仕方がない。他人に決められたプランは確実で安心できる。この10日間は安心して過ごせる。
ホームステイも急きょ話したので、泊まり先が決まっていなかった。とりあえずは日本人宿があるので、そこに泊まることにしていた。

荷物を背負ってやってきた日本人宿は、キョウコさんという人が営んでいた。この方はまた、落ち着きのない喋り方をする方で、不機嫌のようにも見える。が、まあ、部屋を案内してくれて、そこにはヒロ君という先客がいて、後は任せたという感じで客に僕を任され、自室へ戻っていった。
ヒロ君は、大学卒業前に旅をしている。ただ休学だのなんだので、1年以上は旅をしていた。南米の方が好きらしく、メキシコは南米に向かう前の準備地みたいな感じで寄ったと言う。
「僕は、今回はメキシコだけなんだ」と言うと。
「勿体ないですね。2、3か月旅するんなら、南米へ行った方がいいですよ」
「本当はアルゼンチンにも行ってみたかったんだ。南極の氷が溶けるところとか」
「あれは、見た方がいいですよ。なんていうか、何も言えないですよ。言葉では言い表せない。とにかく、すごくいい」

たしか彼とはそんな話をした。2016年になろうとしているが、未だアルゼンチンに行ったことはない。もはや行く事はないかもしれないが、あの時の話は忘れられない。

ヒロ君はマチュピチュやブラジルにも行ったと言っていたと思う。今回は、コロンビアに行きたいと言っていた。
「コロンビアは危険な国じゃないか?」と聞くと。
「でも行ってみたいんですよ。ただ、コロンビアの映像で、船にたくさんの人が乗っていて、左右で重心を掛け合いっこしていて、揺れるのを遊んでいたら船が傾いて沈んじゃったのを見たんですよ。あいつらバカですよね。そんな国行ってみたいと思って」
彼には、恐怖より好奇心の方が強いらしい。根っからの旅好きなのだろう。僕のような臆病者には、そんなあほで危険な奴らのいる国は無理だと感じる。
日本人からしたら、メキシコも南米の国々も同じように感じるかもしれない。でも南米に行った人に聞けばメキシコ人は暗いし、つまらないと言う人もいる。確かにメキシコ人は根っから明るいわけではない。意外とシャイな部分があるのかもしれない。
彼は、この日本人宿は前にも来ていて、もはや慣れているらしい。宿主のキョウコさんにも慣れている。彼女は少し変わったところがあるが、悪い人ではない。むしろ彼女に会いに来た部分もあると言う。
その日は、ヒロ君と一日過ごし、とは言っても、もはや日暮れであったが、翌日となった。

翌日は、日本人学校へ行った。学校と行っても塾のような場所だ。
最初は、メキシコ人の女の人とマンツーマンの授業だったが、僕がスペイン語をほとんど喋れないとわかると、ミチさんがやってきて、初歩からのやり直しとなった。
日本で勉強をしていたので、単語だけはやたらと覚えていたが、ヒアリングにスピーキングができない。話しても単語の羅列にしかならない。さて、これから一週間ほどでどこまでできるようになるか、頑張りどころだ。
そしてホームステイ先も決まった。

日本人宿では、ヒロ君以外の客もいた。
ユミさんという人は、マサトランに友人がいて、メキシコまで遊びに来たと言う。メキシコシティからなるべく日本語の通じる場所を転々としてここに来たそうだ。
それからメキシコに住んでいる子連れの女の人が来ていた。スペイン語の通訳の仕事をしているそうだが、今の場所が良くないので別の仕事場を探していると言う。
こうして見ると、どこも女の人だらけ。日本人学校、日本人宿、住んでいる友人に会いに、さらに通訳。女性の方が逞しい。僕とヒロ君は現実離れして、ただふらふらしている感じだ。

長く一人で孤独だった時間から解放されて、日本人と会い、会話して時間を過ごす。情報交換であり、気分転換でもある。ここで会った人たちはまたそれぞれ旅へと旅立ってゆく。
それぞれの目的を持った人たちとの出会い。希望と勇気に溢れる。裏には不安と恐れのだけれど。

メキシコ回想記14.グアダラハラ

メキシコにはメキシコの神がいた。マヤ文明やアステカ文明における神々は、日本の八百万の神々に近い。太陽の神、月の神、作物の神、様々な神様がいる。
スペイン人がメキシコへとやってきて、キリスト教が広まった。初めてやってくる異国の神をメキシコ人が受け入れるにはそう時間は掛からなかったらしい。神はあちらこちらにいるのだから、キリストの言う神が神であっても不思議ではないのだ。
日本に初めて入ってきた異国の神は仏教だった。神道の神々においても、また異国の神を受け入れる要素があったのだろう。
メキシコはスペイン人に侵略されてゆくのだが、すでにメキシコにあった文化の中に、異国の文化が混ざり込んでいる。

グアダラハラでは観光をした。
カテドラル(大聖堂)を訪れた。そこでは祈りを捧げる人がいた。その日は水曜日だったが神に祈りを捧げる人がいる。教会には神聖な空気が流れている。そんな空気の中で、その雰囲気は僕の悩みを増幅させる。僕は神に問いたい気持ちになっていた。
神に問い掛けた。

金(かね)とは何なのだろう。どうして貧富があるのだろう。たかが金なのに、人はそれで変わってしまう。
神は一つでないといけないのでしょうか。どうして神を一つにしようと、あなたはするのか。
人は地球になぜ生まれてきたのか。意味があって生まれてきたのか。僕はなぜ生まれてきたのか。僕は何ができるのか。
僕は、なぜ、ここに来たのか。僕は誰のためにここに来て、何をすればいいのか。
全ては、何もかもが、個人のエゴに思える。僕もエゴばかりだ。
なら、何を求めればいいのか。

教えてほしかった。答えてほしかった。でも、神の声は聞こえなかった。
人々が集まり、やがてミサが始まった。僕は聖堂を後にした。

そんなおごそかな雰囲気とはまた異なり、今度はリベルタ市場という巨大なメルカドを訪れた。日本で言うと、アメ横のような場所だ。小さな店がたくさん連なっている。ただ3階建ての建物になっている。
今度は雑多で面白い感じだ。
僕は、神への祈りを忘れ、今度はウィンドウショッピングを楽しむ。食堂ではタコスを食べ、革製のショップでは革の小銭入れを買う。
それから、すっごく革臭いサンダルを作っているオヤジの店が気になる。ごっつい革を切り刻み、カシメを打ち付け、形作っている。サンダルはすでにサンティアゴで買ったので要らなかったが、欲しくなって買ってしまった。ごっつい革のサンダル。値段は2千円くらいで高くはない。オシャレさは全くないが、何とも長持ちしそうなサンダルだ。

結局何の悩みも忘れてしまう。神に問い、また人間生活を営む。
最近、神は必要だと思う。そして、どんな神でも構わない。個人が祈る、個人それぞれの神がいればいい。そして、様々な悩みを問い、自分を見つめ直せればいいのではないかと思う。

グアダラハラの静かな夜は更けていった。街は思ったより安全で、夜も20時くらいに散歩した。特にどこを立ち寄るわけでもなく、石造りの街並みの夜景を眺めて、ホテルに戻った。

翌朝、グアダラハラを離れた。
ホテルではまたよくわからないボーイがやってきて、荷物をタクシーに運ぶんで、結局またチップを払い、タクシーは800円くらいのちゃんとバスターミナルまで送り届けてくれた。やはり一昨夜のタクシーは異常だった。
バスはプリメーラプラスという会社のバスで、かなり座席がしっかりしていて乗り心地が良かった。
そして、日本人学校のあるガナファトへ。
また新たな出会いに溢れた、あの時間を、次回、思い出そう。