小説と未来 -7ページ目

記憶の記録 14.三年春

花咲く草原にウェディングドレスを着飾る。

青空に白い綿毛が飛んで、新郎新婦の姿がフォーカスされる。

 

あれはいつの結婚式だったろうか。
わたしは幾人かの式をメモリアルレコードとして書き収めてきた。

 

海岸沿い一直線の道路をオープンカーに乗って

日差しを浴びながらチャペルへ向かう。

 

そんなイメージを描いたこともある。そうやって幾つかの式を経験した。

いつも観る側の結婚式としてだ。

式には写真やムービーがあるからイメージは付きやすい。

いつもそれが自分を客観的視線に追いやる。
 

ああ素敵だな。

そうやって観る結婚式の光景は華やいでいて

彩られている。

わたしはいつも大勢の列席者側から彼女らを見ていた。



「では化粧しますね」
目の前にいる美容師さんはわたしに伝えていた。わたしは少し戸惑い頷いた。
控え室は慌ただしく、わたしの衣装の準備を進めている。

華やいだ結婚式の表舞台とは対照的にこの控え室は荷物や着替え、

式の備品に溢れてごちゃごちゃしている。


今日ばかりは式を主観できている。

当たり前だ。今日は、わたしとみかげ君の結婚式なのだから。
 

袴姿のみかげ君は扇子を振り翳して

まんざらでもなさそうに笑みを浮かべていた。
わたしのおしろい、角隠し、白無垢姿

並んで鏡の前に並ぶ。
 

「似合ってる?」とわたしは聞く。
「似合ってる。スッゴクいい」
みかげ君は嬉しそうに笑顔を作る。珍しく、みかげ君の顔が格好よく見えた。

 


生まれたての日から

今日にまで命を繋ぎ止め育ち誇り、

花咲き飾り、

今、ひとしおに完熟れう時を迎えようとしている

娘は美しい。
 

その想像は遥か永遠の未来にあり、訪れるにはいたらない

天上の渇望かのように感じていたものに、

ここにはその光景が広がっている。
 

白染めの衣まとい、ちよりちよりと歩を進め、

神殿の間に向かう姿は春仄かこの季には

艶やかすぎずに淑やかに尊い。
 

儀を慈しみ、舞い踊る巫女の様相、

境内は煌々と神降臨したかのように光射し込み、

今照らされるは二人の未来への道標を指すかのごとく、

神秘的境内の光と影を映してしていた。
 

父は恍惚としていた。

わたしは潤わずにはいられない。今日を迎えられて甚だ嬉しい。
 

でも時は慌ただしくも過ぎて行く。

わたしは神殿を後にし、すぐに披露宴会場の控え室へと戻される。

トイレへ行く間も急かされて、装いは白き胸元を広げたウェディングドレスへと変わる。

少し照れる姿だけれど、一度はこういう格好もしてみたい。

わたしの興奮値に折れたみかげ君が衣装代ばかりは頷いてくれた。
 

そんな姿に喜ぶ暇もなく連れられてお披露目。

広くはない会場だけれども、

少ない友人だけれども、

まづるも、ほのかも、

みんなみんな集まって、わたしたちを祝福してくれている。
 

興奮の高まり、舞い上がる歓喜、

この日を迎えた人は皆、こんなに嬉しかったんだね。
わたしは涙ぐむ。幸せを感じた。

いつまでもこの時間が続けばいい。そんな気持ちもあった。
 

乾杯に、友人スピーチ、

カラフルな黄色いドレスに衣装を替えて、

キャンドルサービス、ケーキ入刀、テーブルラウンド、

休む暇もなくイベントは続き、

わたしは両親に向けて手紙を読んだ。

想いを込めた気持ちもあったのに、読むことで精一杯。

感情はうまく込められず、

涙を堪えながら、淡々と手紙の文面を読み進めていた。
場内はしんとしていた。

そしてやがて拍手に包まれた。

感情は伝わったのかな。

言葉じゃない何か、

もっと単純なものが、声となり伝わったのかもしれない。


華やかな式も終わる。

わたしは今日という日を忘れることはないだろう。

人生はいつだって自分が主役だ。

記憶の記録 13.三年冬

明け方の冬は色が薄い。鮮やかさに欠いている。

水溜まりの鳥は冷たい水を啄み、喉を潤す。

夜の明けたばかりの薄明かりだ。

わたしは住み慣れた町を散歩する。もうすぐこの町ともお別れだ。
そう遠くに越すわけでもない。それでも8年間住み続けた町を移るのは寂しい。

父と母が田舎に引っ越したときは、

育った家の近くにアパートを借りてしばらく暮らしていた。

前の家からの通勤時間と今の通勤時間はさして変わらない。

なのに会社の近くとして探して、家賃の都合もあって、

ふと住み始めたのが墨田区だった。
 

ここへ越すときには父と母もやって来て引っ越しの手伝いをしてくれた。
「狭いんじゃない?」

と母はあまり気に入っていない様子だった。

一人暮らしを始めたときの部屋と広さは変わらない。

 

一階二階に1DKの部屋が真ん中の階段を挟んで左右あるアパート。

隣と距離があるから音を気にしなくていいのが魅力的なところだ。

わたしの部屋は二階の右手だ。
小さなリビングに小さなベッドとテーブルを置く。

タンスを置くともう部屋はめいっぱいだった。
 

大きな窓を開けると光が差し込み、風が入ってくる。

狭い路地を入った場所にあるから人の視線はない。

周りも住宅ばかりで、大きな道路もないから近辺は静かだ。

そんなお家をわたしは気に入っていた。

みかげ君と住む賃貸マンションは今より少し北に位置する足立区にある。

ここからそう遠い距離ではない。
 

 

北区に住んでいたみかげ君は12月に新居へ引っ越しを終えている。

恐ろしく持ち物の少ない彼は軽トラの運送屋さんでさささと引っ越し、

新しい2LDKのお部屋は

まだ寂しい限りの空きスペースを存分に残している。
彼のお母さんもやって来ていたのだけれど、居心地悪そうにそそくさと帰っていった。

わたしは義母がその姿に見えなくなったあと噴き出して笑った。

「もうすぐ来るからしばらく待っててね」
そして1ヶ月が過ぎた。



「もう片付いてるの?わたしが来た意味ないじゃないの」
母はわたしに変な難癖を付ける。
「だから来なくてもいいって言ったじゃん」
最初から来なくてもいいと言ったのに、勝手に来たのは母の方だ。
「もう!」
ふくれ面をする母は怒っているふりで本当は怒っていない。

すぐに目じりに皺をよせ笑顔を作る。
 

わたしたちは

ダンボールとビニールシートにくるめられた家具に囲まれた部屋で待ちぼうけ。

 

今日はみかげ君が軽トラを借りてやってくる。みかげ運送を待っている。
 

「あぁ、寂しいねえ」

と、母が言う。
「なんで?ママ、ここ気に入ってなかったでしょ」
「ええ、なんで?わたしこの窓とか、風通しの良いとことか、好きだよ」
「そうなの?いつも来たとき、狭くてやだなって顔してたよ」
「狭いのがいやって言っただけだよ。

後は好き。最後に来て良かったわ」
わたしは8年間も勘違いしていたみたいだ。

母もこの部屋が好きだったのだ。


窓の外に小型の白いトラックが見えた。

空は晴れ渡っていて、空気は澄んでいる。少し寒いけど、重い荷物を運ぶ重労働には汗をかくからこのくらいがちょうど良い。
「来たみたい」
母が言う。
「さて、始めますか」
わたしは玄関の方へ向かい、ドアを開ける。
「すみません。お待たせしました」
本当に引っ越し屋みたいな態度でみかげ君は現れる。
「あら、みかげ君、変わらず大きいわねえ」
母は久しぶりに会った幼馴染みの子に声を掛けるみたいに挨拶をする。
みかげ君は遅くなったことを詫びながら笑顔を浮かべた。

 

ひととおりの荷物を積み上げて、最後に忘れ物がないか、一人確認に戻る。

家具もダンボールも無くなった部屋はまずまず広く見える。
ひとしきり端から端まで一周して、玄関で靴を履き、その部屋を出る。
「さようなら、わたしの部屋。ありがとう」
そう別れを告げるとわたしは少しだけ涙が出た。

そして笑顔を戻して、光の注ぐその家を出ていった。
 

記憶の記録 12.二年秋

その日は気温30℃を越える10月秋の真夏日だった。汗ばむ体を冷やしに、

スタバでグランデサイズのアイスラテを飲みながら執筆活動を続けた。
ここ最近は、こういう昼過ぎの生活が多い。

外食と外仕事は自由だけど食事代とお茶代は自分持ちになるから

こんな生活を続けていたら赤字になってしまう。

結婚資金を貯めるべく、と考えていたのに

これではいつまで経っても式を挙げられそうにない。
 

窓越しの座席からはビルの隙間にちょうど東京タワーが見える。

赤くそびえ立つ鉄塔もまだまだ現役だ。

ノスタルジックを好む昔の人には人気がある。

 

わたしはこの生活が好きだ。

メモリアルレコードライター。

この仕事はカメラマンのように今そこにある真実を枠にして切り取るのではなくて、

誰か一人の記憶の断片を繋ぎ合わせて作り上げることにある。

誰かから二時間の思い出話を聞いて、それを文に起こしていく。

真実の記録である写真や動画とは違って文章の記録は作り直すこともできる。
大切なのは真実ではなくて、

いかに誰かの記憶を忠実に再現できるかということだ。
「自分でブログを書くからそれでいいんじゃない?」

と言った人もいた。

わたしはそれを否定しない。

求める人がいるからその要望に応えている。求めない人に無理強いはしない。

それでも営業担当がさして求めていない人の仕事を持ってくることもある。

 

ところが彼らは楽しそうに過去の思い出を語り出す。

そしてそれをわたしが文章に書き起こすと、彼らは黙ってそれをじっくりと読み出す。
「ああ、でもここはちょっと違うかな」とか

「他にも思い出したことがあるんだ」とか言って、

自分の物語にのめり込んでいく。

そして最後には、

たいていのお客様が「ありがとう」と言って帰っていく。


多くの人は、今を語り続ける。

今日や昨日、せいぜい一週間前の出来事を記録に残す。

わたしはそれより過去を掘り返して記録にする。その違いもあるのかもしれない。
『あなたの忘れかけていた記憶を記録にします』
何年前かの当社のキャッチコピーだ。
わたしは今日も誰かの記憶を綴る。

本当か嘘かは関係ない過去の記憶を形作っていく。

一生という人生、

一生という長い時間のうちの記憶に残る部分、

記録に残したい部分、

忘れ去りたい部分、

出会う人は皆、それを一つ一つ考えている。

一人一人の人生があり、

一人一人の記憶がある。


わたしは人の中に潜り込んで旅をする。

そこにある喜びやそこにある悲しみ、感情に触れて、

その時見た景色、

その時触れた温かみ、冷たさ、

肌触り、

良い香り、臭気、

様々なものに気づいた瞬間を感じようとする。
 

光は希望に溢れていて、人の温もりはただ優しい。

雨は冷たく心を沈ませ、鳥の囀りは心を和ませてくれる。

偶然の出逢いに心ときめかせ、必然の生活に幸せを感じる日がある。
皆同じ人間で、同じように感じているんだ。

わたしはそのことにホッと安堵する。

アスファルトを転がるタイヤの音とスーツ姿の人々の靴が叩く足音だけ響く大通りを、

東京タワーの赤い姿が見える方面へと歩いていく。

何かに吸い寄せられて、わたしはあの鉄塔まで行ってみたくなった。
心臓の鼓動を高め、体が少し火照ってくるのを感じるくらいの早歩きで向かう。

いくつかの交差点を渡って、緑に囲まれた公園の歩道を歩いていくと、

丘の上にそびえ立つとんがり三角形を見上げられた。
やっぱり大きいな。

わたしは丘の道を上りながら少しずつ大きくなるその物体を見つめた。

長い間東京に住んでいるのにここに来たのは初めてだ。
そして人も疎らな鉄塔の下から、透けた鉄筋の隙間の真上を眺める。

真下から見るそいつはただの鉄の塊で、頂上がよくわからない。
 

「ああ、そうか」
わたしはそうつぶやいていた。そして何かに満足していた。

だから展望台までは昇らず、

そのままだだっ広い空間で、一人ポツリと立ち尽くしていた。


東京にいる。今ここで、一人暮らしている。

記憶の記録 11.二年夏

「めぶきの好きな季節はいつ?」
「うーん、春かな?」
わたしの名前は山野めぶき。だからやっぱり春が好き。
「嫌いな季節は?」
「嫌い?嫌いは、難しいなあ。それぞれに良さがあるから」
「じゃあ、月で考えたら、好きな月と嫌いな月」


「やっぱり好きな月は3月。

 春がやって来て、つくしが顔出し、

 タンポポが花開いて、桜が開花する。

 新しい毎日」
 

嫌いな月を考える。すぐには思い当たらない。嫌いを選ぶのは難しい。
「今は?」

「今は8月。

 太陽が燦々と照り広がり、景色が露に輝く時期。

 わたしは8月も好き」


わたしはみかげ君と江ノ島へやってきた。

潮風を浴びて、海水浴を楽しむ若者が溢れるビーチを抜けて、

たくさんの観光客と一緒に島へと続く橋を渡る。
みかげ君は汗だらだらで、タオルが手放せない。

汗をあまりかかないわたしとは対照的に、青色のTシャツを藍色に変えている。
「いや、僕は夏の暑いのはちょっと苦手で」
そう言ってはにかむみかげ君は額から汗をこぼす。

おっしゃることはわかりますわ、と答えてあげたい。

でもわたしは8月も好きだ。
 

お店の建ち並ぶ上り坂の途中で、一歩細道を脇に入った海鮮丼屋に立ち寄る。

地ビールとしらす丼を頼んで夏の江ノ島を満喫する。

9月になれば少し涼しくなって中秋の名月が輝く。

10月は小春日和が続いてあちらこちらで運動会の音がして、

遠足に出掛ける子供たちの姿が目に付く。

11月は日も陰り、静かな空に葉が色付いてゆく。

どれも好きな月だ。


海鮮丼屋を出て、わたしとみかげ君は江ノ島の坂を歩いて上っていく。

この島は意外と坂道がきつく、みかげ君の消耗が激しい。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫。ちょっと運動不足だね」
頑張れ、みかげ!となんだか応援したい気持ちにさせられる。


12月、

そういえば、わたしはこの月があまり好きではないかもしれない。

澄んだ夜空に輝くイルミネーションは綺麗だけれど、それがわたしを物悲しくさせる。

毎年恋愛に急かされ、

成就せずに過ぎ去り一年が終る、その月が好きではない。
1月には新たな一年が始められて、

2月は春には早いが梅や河津桜が咲き始め、

春の準備を始められる。

神社を参拝して、さらに奥へ向かって、波に削られた崖が露出する海岸に出る。

日は4時でもまだ高く、海はザパザパ音を立てて揺れ動いている。

空にはトンボの群生が飛んでいる。
売店でかき氷を買って、ひんやり冷たい。
「あぁ生き返る」
みかげ君はジャングルに迷い混んだ生還者のように目を輝かせ、

笑顔を浮かべている。
「良かったね」とわたしは誉めてあげる。


4月は少し苦手だ。

桜が散ってしまって寂しいし、

新入社員の身を引き締める緊張感が周囲の空気を少し強張らせる。
5月は日差しが強まり暖かさも増して、

お散歩日和の日々が続くから好きだ。

6月の梅雨入りに雨がしとしと、紫陽花にカタツムリ。

雨の季節もわたしは嫌いじゃない。

7月は梅雨明けと共に広がる太陽。

飽和してもやっとした熱気も嫌じゃない。

断崖絶壁にある洞穴を散策して、少しひんやり涼んで、

日照りもじゃっかん弱まり、みかげ君の汗も少しおさまる。
 

「発表します」
帰り道の海辺のベンチに座って休んでいるときにわたしは言う。
「何を?」
「わたしの、嫌いな月は12月でした」
「まだそれ考えてたの?」
みかげ君はあきれて笑った。でもすぐに真顔に戻る。


「じゃあ、僕も発表しようかな」
「何を?」
「発表します。

 僕は、山野めぶきさんと結婚したいです。

 結婚させてください」
まさかのいきなりのプロポーズ。

 

汗だくだくのみかげ君。

ちょっとはタイミングも考えてほしかったと冷静に見ている自分と、

心の臓から鼓動と共に喜び舞い上がり溢れる自分の両面が、

わたしの中で同居している。
 

「ありがとう」
わたしはそう答えた。

それがわたしにとっての心からのただ一つの回答だった。

記憶の記録 10.二年春

わたしは時々記憶を失う。

それは痴ほう症とかてんかんとかの、病気の類いではない。
いろいろな過去の出来事も、自分の経歴も理解できている。
ただその過去の記録は、
なにか、他人の過去のような、匂いがなく、光もなく、感触もない、
そういった記録だ。
記憶はどこへいってしまったのだろう。
それが失われてしまうと、
とても不安で、とても切なく、仕事もうまくいかない。

 

そしてわたしは美しいものを探そうとする。
美術や演劇や、音楽会や写真集、
そこにある芸術がわたしの心の壁を貫いて、
奥底にある動源に刺激を与え、
記憶のある場所へとエネルギーを行き渡らせてくれるまで、
わたしは潤いを求め続ける。
記憶の砂漠で、懐かしく麗しい記憶のオアシスを探し出す。


降り出した雨の冷たさが肌を湿らす。

まだ季節は肌寒い。
今日は降らないといっていた雨もしとしとと降り始め、

乾いた路上を濡らしていった。
わたしは呼吸をこの雨の音に合わせた。

すぅはぁ、すぅはぁと吸っては吐いて、
深呼吸とまではいかないくらいのゆっくりした呼吸をして歩いた。

 

川縁へ出て、また歩いて、

また歩いて、街へ戻った。
 

雑踏を雨に濡らされて急ぐ人の姿が目に付く。

ここにある不安を消せない。
車両の入れないアーケードの通りにあるベンチに座って呼吸を整える。
デニムの帽子に付いた雨水を払い、眼鏡と手足をハンカチで拭く。
雨雲の見えない高い天井のある空を見上げる。

人の行き交う音や話し声を耳にする。
音はタカタカ、ペチャクチャ、ハハハハと響き渡る。
わたしは今、いろいろな情報を捨てて、ここにいる。

「待たせたねえ。こんな日に呼び出してごめんねえ」
視点を合わせたそこには父の顔があった。
「ううん。待ってないよ」とわたしは答える。
父を母の日のプレゼント選びに呼んだのはわたしの方だ。

父はそれをなぜか自分が呼び出したと言っている。
少しだけ不安が消えた。そこにある年老いた親の姿に安心したみたいだ。

 

道路を挟んだ反対側の百貨店に、

雨に降られない屋根付きの高架通路を渡って入る。

広い空間には高級感漂うオシャレなブランドものの店舗が並んでいる。


「特に高いものじゃなくてもいいんだ。ママが喜ぶものがいいと思うんだ」
わたしも一緒に選ばせてくれ、と言ったのは確かに父だった。
二子玉川がいいと言ったのはわたしの方だけど、

確かに父が呼んだといえばそうとも言えなくもない。
 

「ママは洋服かな?」
「洋服はダメだ。自分で気に入ったのしか着ないから」
「アクセサリーは?」
「悪くはないけど、あまり高いものも、もったいないっていうしな」

 

わたしたちは母の喜びそうなものを話しながらお店を散策する。

母の趣味や母の好み、性格を分析しながら探し回る。
結局わたしたちは母が好きな化粧水のセットを選んだ。

・・・

デパート6階のモダンなカフェに入る。
めぶきは昔からカフェのパフェが好きだ。今日も迷ったあげく、

バナナのパフェを選んだ。
「仕事はどうだ?」と、私は娘に聞いた。
「うーん、最近いまいちかな?」
少し弱気なめぶきは声のトーンを低める。
「子供の頃は、何でも悩んだら人に相談して、

 親しくない人にまで尋ねる子だったんだけどな」

・・・

父はいつもの話を始める。わたしの記憶にない幼い頃の話だ。
それから中学生になって反抗期で全く話してくれなくなって、
別々に暮らすようになってからまた話をしてくれるようになった、
というお決まりの話をする。

 

わたしは特に父を嫌いになった記憶はない。
父の記憶とは少し違う。

父の記憶はわたしの記憶の袋を刺激する。
すると電気を帯びた脳の記憶は少しずつ呼び覚め始める。
「お待たせしました」
目の前に、バナナパフェが置かれる。

 

そうだ、わたしはこのパフェが好きだ。
少しずつ、わたしの記憶は開けてゆく。記憶は呼び覚めた。
わたしは笑顔になって、わたしの過去を父に語り始めた。