記憶の記録 13.三年冬 | 小説と未来

記憶の記録 13.三年冬

明け方の冬は色が薄い。鮮やかさに欠いている。

水溜まりの鳥は冷たい水を啄み、喉を潤す。

夜の明けたばかりの薄明かりだ。

わたしは住み慣れた町を散歩する。もうすぐこの町ともお別れだ。
そう遠くに越すわけでもない。それでも8年間住み続けた町を移るのは寂しい。

父と母が田舎に引っ越したときは、

育った家の近くにアパートを借りてしばらく暮らしていた。

前の家からの通勤時間と今の通勤時間はさして変わらない。

なのに会社の近くとして探して、家賃の都合もあって、

ふと住み始めたのが墨田区だった。
 

ここへ越すときには父と母もやって来て引っ越しの手伝いをしてくれた。
「狭いんじゃない?」

と母はあまり気に入っていない様子だった。

一人暮らしを始めたときの部屋と広さは変わらない。

 

一階二階に1DKの部屋が真ん中の階段を挟んで左右あるアパート。

隣と距離があるから音を気にしなくていいのが魅力的なところだ。

わたしの部屋は二階の右手だ。
小さなリビングに小さなベッドとテーブルを置く。

タンスを置くともう部屋はめいっぱいだった。
 

大きな窓を開けると光が差し込み、風が入ってくる。

狭い路地を入った場所にあるから人の視線はない。

周りも住宅ばかりで、大きな道路もないから近辺は静かだ。

そんなお家をわたしは気に入っていた。

みかげ君と住む賃貸マンションは今より少し北に位置する足立区にある。

ここからそう遠い距離ではない。
 

 

北区に住んでいたみかげ君は12月に新居へ引っ越しを終えている。

恐ろしく持ち物の少ない彼は軽トラの運送屋さんでさささと引っ越し、

新しい2LDKのお部屋は

まだ寂しい限りの空きスペースを存分に残している。
彼のお母さんもやって来ていたのだけれど、居心地悪そうにそそくさと帰っていった。

わたしは義母がその姿に見えなくなったあと噴き出して笑った。

「もうすぐ来るからしばらく待っててね」
そして1ヶ月が過ぎた。



「もう片付いてるの?わたしが来た意味ないじゃないの」
母はわたしに変な難癖を付ける。
「だから来なくてもいいって言ったじゃん」
最初から来なくてもいいと言ったのに、勝手に来たのは母の方だ。
「もう!」
ふくれ面をする母は怒っているふりで本当は怒っていない。

すぐに目じりに皺をよせ笑顔を作る。
 

わたしたちは

ダンボールとビニールシートにくるめられた家具に囲まれた部屋で待ちぼうけ。

 

今日はみかげ君が軽トラを借りてやってくる。みかげ運送を待っている。
 

「あぁ、寂しいねえ」

と、母が言う。
「なんで?ママ、ここ気に入ってなかったでしょ」
「ええ、なんで?わたしこの窓とか、風通しの良いとことか、好きだよ」
「そうなの?いつも来たとき、狭くてやだなって顔してたよ」
「狭いのがいやって言っただけだよ。

後は好き。最後に来て良かったわ」
わたしは8年間も勘違いしていたみたいだ。

母もこの部屋が好きだったのだ。


窓の外に小型の白いトラックが見えた。

空は晴れ渡っていて、空気は澄んでいる。少し寒いけど、重い荷物を運ぶ重労働には汗をかくからこのくらいがちょうど良い。
「来たみたい」
母が言う。
「さて、始めますか」
わたしは玄関の方へ向かい、ドアを開ける。
「すみません。お待たせしました」
本当に引っ越し屋みたいな態度でみかげ君は現れる。
「あら、みかげ君、変わらず大きいわねえ」
母は久しぶりに会った幼馴染みの子に声を掛けるみたいに挨拶をする。
みかげ君は遅くなったことを詫びながら笑顔を浮かべた。

 

ひととおりの荷物を積み上げて、最後に忘れ物がないか、一人確認に戻る。

家具もダンボールも無くなった部屋はまずまず広く見える。
ひとしきり端から端まで一周して、玄関で靴を履き、その部屋を出る。
「さようなら、わたしの部屋。ありがとう」
そう別れを告げるとわたしは少しだけ涙が出た。

そして笑顔を戻して、光の注ぐその家を出ていった。