小説と未来 -5ページ目

記憶の記録 24.五年秋

わたしはメモリアルレコードライター、人の記憶を本にする文筆家だ。

人の記憶に潜り込む作業において、私は経験がないからわからない、

という言い訳は許されない。

気持ちがリンクするわけでもない。

もっと平淡に読み取って、誰かの感情をそっくりそのまま文に込めていく。
 

産休を開けて在宅勤務に切り替えた。

基本のやり取りはテレビ電話で行えるから会社へ通う必要はない。

実際にこの仕事は在宅の人が多い。
 

「わかってるの、ねえ」
不機嫌そうなマダムはテレビ画面の向こうからこちらを見て語りかけてくる。
「ええ、もちろんです」
そうは答えるけど、実際には彼女の感情を捉えきれてはいない。

泣き出すかもしれない我が子を側に寝かせて集中力も湧かない。

在宅といえども育児との両立は負担が大きい。

・・・

彼は白樺に囲まれた高原をスタスタと進んでいく。
「ねえ、待て」と私は彼を追いかける。
黒いダウンジャケットが似合っている。相変わらず少しだけ髪の右後ろに寝癖がある。朝直したはずなのに直っていない。


白鷺は今にも飛び立ちそうに羽を広げ、浅い水辺を細い足で歩いて進む。
彼は太陽を背に私の方を見て微笑んでいた。
「今日はいい天気で良かったな」と言った。
太く大きな手が私の方に伸びてきて、私はその手に掴まった。

そして彼にしがみついて、大きく笑みを浮かべ、木々に囲まれた足場の悪い道を歩んでいった。


「ねえ、幸せね?」と尋ねる。
「ああ、とっても楽しいね」と答える。
この時間がいつまでも続けばいい。

冷たい空気を吸い込んで、彼の温かい体に触れる。心はときめく。
 

・・・


50代のマダムは新婚だ。若い旦那を捕まえたばかりで、

楽しかった旅行の思い出を本にしてほしいと言う。
「この白鷺のところ、なんか邪魔なのよね。確かにその話はしたけど、要らなくない?」
「情景も入れた方が綺麗さが際立つかと思いまして入れたのですが」
「そう、まあいいわ」

・・・

夜は小さなホテルの一室で、貴方と二人きり、誰も邪魔の入らない部屋で愛を擦り付け合う。
甘いブランデーの香りが残っていて、暗闇の中で戯れる素肌に溶け込み、より一層の熱を増す。
貴方の火照った身体が私の身にまとわりついて、これ以上にない快楽へと堕ちていった。

・・・

「あら、なかなかいいじゃない。あなたの好み?」
「いえ、そういうのではないのですが」
直接的な表現を書き込むにはあまりに淫らだ。

やりたくない仕事の一つではあるけれど要望があれば組み込むしかない。

表現の自由とかは関係なく、ただ相手が気に入ってくれるかどうかで表現してみる。

「おぎゃあ、おぎゃあ」
澄音はそんな時に泣き出す。テレビ電話の向こうにも聞こえる大きな泣き声だ。
マダムは少し不機嫌そうな顔で睨み付ける。
「あっ、すみません」と謝る。
「いいわよ。早くいってらっしゃい。待ってるから」


作業台を離れてすかさずベビーベッドへ。

泣き出した澄音をあやす。

オムツも濡れてないし、ミルクの時間でもない。

最近こうして理由なく泣き出すときがある。

そんな時は母の胸に落ち着かせれば泣き止む。

眠るまでは抱いているしかない。

 

仕方なくそのまま作業台に戻る。
「すみません」
「いいわよ。在宅勤務で零歳児がいるのは了承済み」
「では仕事の続きを」
「ねえ、男の子?ちょっと顔を見せてみて」
「あっ、はあ」
嫌とは言えずに息子の顔を見せる。

 

「あなたに似てないわねえ。父親似なの?」
ちょっとチクリときたが素直に頷く。澄音はほとんどみかげ君そのものだ。
「私だって、いろいろあって、子供が嫌いなわけじゃないのよ。

前の夫とは、いろいろあって出来なかったし、今からじゃねえ。

だから目一杯私なりに楽しんでいるのよ」
マダムは少し悲しむように羨ましそうにそう言った。

 

その言葉に、マダムの見た目がまた違って見えた。

どこかでこの人の生き方を否定していたのかもしれない。

それは自分の卑しき部分だと反省し、わたしは少し顔を赤らめた。

 

記憶の記録 23.五年夏

生まれてきた命の誕生の瞬間について、

目映い輝きを持って、取り上げられた赤子の姿はこの目にはっきり焼き付いている。
 

分娩室に泣き声が響き渡り、

「男の子ですよ」と助産師は言った。

目を開いたわたしの目の前には、

高々と抱え上げられた目の開かない、

しわしわの顔をした、口の大きな赤ちゃんがいた。
 

光は分娩室の蛍光灯に重なったものだろう。

だけどわたしにはそれが神々しく輝いて見えたのだ。

もう理由は要らない。ただ甚だ嬉しく、ひとしお安心して、

紛れもない幸福を得ただけのことだ。

それから早2ヶ月が経つ。ベビーベッドには我が子が眠っている。
慌ただしく過ぎていく毎日は、みかげ君に支えられ成り立っている。

それからわたしの両親や彼の両親が入れ替わり立ち替わり現れて、

お料理やお掃除をしてくれて、何やらかにやら言い残して帰っていく。
 

・・・
 

ぼくは、今日ここに生まれてきた理由を知りたかった。


「あなたはね、母の願いと共に生まれたのよ。

 お父さんは笑っていて、怒ることのない人だったのよ」
母はぼくにそう教えてくれる。

 

だからぼくは笑顔を見せて、大きな目と口を開いて、
「ああ、ああ」

と行って答えて見せる。
 

「そう、そうなの。良かったわね」
母も笑みを見せて笑う。

 

赤ん坊の世話に疲れたのか、少し皺が増えたみたいだ。

白髪も最近は増えたし、お化粧もずっとしていない。

たまにはゆっくり休ませてあげたい。

だけどぼくは母の事が一番好きだから、まだ独り占めしていたんだ。
 

そして泣きわめく。

だってオシッコが出てオムツが汚れてしまったんだ。

ぼくは敏感だから、年々進化するサラサラオムツでさえ、

その変化に納得いかないんだ。
 

母はそれに気づいて僕のオムツを換えてくれる。

そして僕はまた笑顔をあげる。
 

・・・
 

我が子の気持ちを勝手に読み取って、物語の主人公にしてみる。

なかなかうまく読み取れていたろうか。


そんな遊びをしながら子育てを楽しもうとする。

我が子と初めて家に帰って来た日はどうしていいかわからなくてあたふたしたし、

数週間は泣きわめく理由がまったくわからなくてイライラするばかりだったかな。
そこから始まった我が子の物語。

少しは寄り添い、気持ちを察するようになれたかな。

あなたが生まれたのは夜明け前だった。

その日は夜から雨が降っていて、ざあざあ強い雨が路上に降り注いでいた。
みかげ君は傘も差さずに慌ててやってきたという。

そして長い間、わたしの傍にいてくれた。
 

あなたが生まれたときにはみかげ君の姿が消えてしまっていた。

どこへ行ってしまったのかと後で聞いたら、病院の外にいたという。
 

雨はすっかり上がっていて、冷えた空気が爽やかな朝を迎え入れようとしていた。

小鳥の囀りが聞こえた。

澄んだ空気に冴え渡る美しい音色だったという。

 

すみわたるおと。

すみと。

澄音。

それがあなたの名前。
 

「君の名前も、お父さんが、生まれた日の雰囲気で決めたものだろう?

 僕もそうやって決めていいかな。

 いろいろ考えていた名前は全部飛んでしまって、その名前にしたいと思ったんだ」
彼は決死の覚悟をするかのように、わたしに言った。

だからわたしは笑顔で答えた。
「いいよ。すみと。いい名前だね」
みかげ君は安心してほっとした表情を浮かべた。

あなたもその名前を聞いてすやすやよく眠っていた。

その名前がいいと安心したように、父の顔によく似た表情を浮かべていた。

 

記憶の記録 22.五年春

やっと春がきた。

お腹が膨らんで、目覚めはぼやっとしていて、

みかげ君が玄関のドアを閉める音がすると、私の朝が始まる。

雀がベランダでチュンチュン鳴いていて、

近くの保育園からは母親と保育士が挨拶をする声が澄んだ朝空を伝わってくる。
天気はいいようだ。お布団くらいは干そう。

 

8ヶ月を過ぎて産休に入っていた。
「おはよう」
毎日お腹の子に挨拶を欠かさない。柔らかい光が包み込む。
春は美しい。
仕事のストレスからは解放され、

ほのかな寒さの残る部屋で、東に昇り始めた陽光に包まれて、

のんびりとノンカフェインのコーヒーを口にしている。
リビングの端には両方の親から送られてきたベビーグッズが山積みになっている。
だけどわたしはまだ想像できない。

このお腹の中にいる赤ちゃんが、

お腹の外に出てきて、

そこに新しい命を宿った子が生きているなんて。

母は昼すぎにやってきた。またたくさんのベビーグッズを買い揃えて。
「ねぇ見て、これ。哺乳瓶。

 赤ちゃんの口に合いやすいように、吸い癖に合わせてくれるのよ」
母は自分で買ってきたグッズを広げて、一つ一つ説明を始める。
「これはすごく素材のいい服なの。

 あなたが赤ん坊の頃は肌荒れしやすかったでしょ?

 きっとその子も同じ体質だと思うわ」
彼女はわたしの幼い頃の話を何度も繰り返すけど、当然わたしは覚えていない。

だから何となく冷ややかな気持ちで聞いてしまう。


高齢出産だった母は我が子を育てるのがいかに大変だったかをレクチャーする。

その恩義を被せようとしてくるのだけれど、それがやたらと面倒くさい。
「うん、うん」と素直には聞いてみるが、だんだん疲れてくる。
「もう、少し静かにして!」
最後にはそう言ってしまう。
「まあ、この子ったら、そうやってすぐに言うんだから。ほんと、嫌になっちゃう」
言い返される言葉も決まっている。
ギクシャクしているようだけれどそうでもない。これはいつもの決まり事。

長い年月が作り出したわたしと母との関係なのである。

光輝く空だ。暖かな春だ。
「出来たらうっしっし。そうやって笑ってあなたは生まれたのよ」
母とわたしはお散歩しながらスーパーへ、夕方の食材を買いにいく。
「ああ、山菜たくさんある。ここのスーパーいいねえ」
母は大好きな山菜を買い漁る。

わたしは余計な買い物をし過ぎる母の見張り役だ。

昔っからちっとも変わらない。
「筍も出てるねえ。筍ご飯にしようかしら?」
「山菜蕎麦だけでいいんじゃない?」
「筍ご飯もあった方がいいでしょう?」
「じゃあ、それだけね」
「わかった」
そう頷く母だけど、好物のヒラメのエンガワと、デザートのあんみつが追加された。

 

「あなたが生まれた日は春のような暖かい日だったわ」
帰り道で行きにしていた話に戻る。
「何度も聞いたよ」
「生まれるまでのたくさんの苦労話も覚えている?

 不妊治療に何度も失敗して、お父さんと泣きながら過ごしたの。

 それでお父さんは禿げちゃってね」
しっかり落ちまで付ける母。

わたしは3年間の不妊治療の末に生まれた。

母はその経験からわたしの子宝祈願を何度も願った。

1年間出来なかっただけで、母のしんどかった気持ちは想像がつく。


「そして、やっと、めぶきは生まれた。生まれてからも大変だったわ」
「それはそれは、どうもありがとうございます」
あまり聞きたい話ではないけど、ここは感謝の言葉を伝えておく。
「あなたももうすぐ生まれてくれば、その苦労もわかるから」
わたしは膨らんだお腹を見つめる。ここには我が子がいる。

 

母がわたしを育てたように、わたしも育てられるだろうか。

そう不安を抱くと、

母がいつもより、少し強く見えた。年老いた母の背中をわたしは押す。
「我が子共々、これからもよろしくね」
母は笑った。
「任せなさい」と胸を叩いて、また笑った。
春の日差しが明るく私たち親子を包み込んでいた。

 

記憶の記録 21.五年冬

冬の頬っぺたが赤く色づいて、白い霧が朝焼けに広まった。

だから私は急いで貴方のいる場所に走り出した。


夢を見ていたかった。

冬の汽車は汽笛を鳴らし、車輪はシュゴシュゴと音を立て回っていた。
霧に染まる大地を引き裂いて、私たちの待つ駅舎までやってきた。

 

北海道の冬はとても寒い。

これは回想ではなく、私の妄想だ。

きっとそうだけど、

私はその妄想を忘れたくはない。

できれば綺麗な形で、私の枕元に飾っておきたい。
 

貴方は私の手を引いて、二人は大きな汽車に乗っかった。

汽車の中はとても暖まっていて、一気に汗ばむほどの熱が

体の内側から心身を暖めていった。
手の先だけがいつまでもかじかんでいて

紙コップに注がれた珈琲を手にするまでは冷たいままだった。


列車は白一面に覆われた白銀の世界を進んでいった。

やがて家々が増え、街が姿を現した。
私たちはお喋りせずに、ずっと車窓の風景に見入っていた。

その時間の光景がいつまでも忘れられず残るとは、

ほんのつい最近まで忘れていた。
 

二人は夢想の世界に誘われていた。

私はそれを貴方も見た夢だとは、

すっかり忘却して過ごしてきた。

「あれはだって、私たちが見た映画の世界を、

二人があたかも過ごしたかのようにはしゃいだ妄想だもの」

夫が思い出のように語ったその夢で、私は思い出した。

だから病室のベットに横になる主人にそう伝えた。
「ああ、そうだったか。あれは二人で過ごした旅の話じゃなかったのか」
「そうよ。残念?」
「いや、いいんだ。あれもまた、君と過ごした楽しい思い出だったのだから」
貴方はそう言って懐かしみ、また目を閉じた。
それが貴方が私とした最後のお話だった。


 

老婆は過去を懐かしみながら、穏やかにゆっくりと過去を語り続け、

わたしはその話を丁寧に文章へと作り上げていった。
「他に残しておきたいご主人との思い出はありますか?

時系列は構いません。後で編集できますから」
一通り話し終えた老婆に向けてわたしは尋ねた。
「ええ、思い返せば切りがなく、何しろ50年もの出来事がありますから」
わたしは頷く。

人には人それぞれの歴史があり、

その全てを思い返すことも、記録に残すこともできない。

たったのいくつかを記録に残すのなら、

それは始まりと終わりといくつかの転機ぐらいのものになってしまう。

だからあえて、それを度外視した記憶を記録に残したいと望む。
 


悲しい顔をしたとき、私は貴方を笑わすの。

どうしたら笑うか、たくさん考えて、

どうしても笑わなかったら、貴方をくすぐるの。
「何すんの!」って、貴方は怒るけれど、

顔は目尻が下がって口角を上げて、笑みをこぼして喜んでいるの。
ソファーに座る貴方は嫌がって身をよじらせて逃げていくの。

立ち上がって、居間を離れて寝室へ逃げ込む。

私は追いかけていく。

どんなに邪魔だと思われても、物思いになんて耽らせたりはしない。

意地になるの。

やがてあきらめて、

「何?散歩でも行く?」

と貴方は言うわ。私も笑顔で頷くの。
 

商店街を、

河原を、

私たちは何年もたくさんの場所を散歩した。

時々手を繋いで、

時々一列になって、

そんな風に過ごした毎日が楽しい思い出だった。


貴方は「何もしてあげられなくてごめんね」と謝ったけど、

私は「たくさんしてくれたじゃない」って答えた。

嘘じゃない。

「私を構ってくれてありがとう。いくつも時間を一緒に過ごしてくれてありがとう」

私は眠ってしまった貴方にそう答えたかった。

老婆は涙を流した。

静かな美しい涙が流れて、一つの記憶の記録が出来上がった。

記憶の記録 20.四年秋

表に出るとじとっとした湿り気はなくなり、乾いた風が吹くようになっていた。

この季節には、また一つ年を重ねる。

それから翌年までの次の一年を思い巡らせる。


新しいマンションに引っ越してから一年半があっという間に過ぎた。

みかげ君との新婚生活も極々自然の毎日となっている。
彼は朝が早く、わたしは遅い。

わたしは比較的一定の朝夕を過ごしているけども、

彼は不定期だ。互いに仕事をしていると、決まって一緒にいる時間は短い。

それが離婚の原因になるなんて話も聞くけど、

わたしたちはそうでもない。互いに一人の時間を過ごせるタイプだからかもしれない。


洗濯物の溜まった休日は洗濯をして埃の出てきた部屋を掃除する。

気が向いたら料理もする。簡単にうどんをこしらえて自分の分だけ煮て食べる。
午後はインターネットで旅行検索して行った気になったり、

映画を観て過ごしたりする。

近くのデパートにお買い物に行って、三割引の服や食品を買って帰ってくる。

そうして夜がやってくる。

まるで一人暮らしと変わりがない。


わたしの休日にみかげ君がいない。

彼もまた同じような時間を送っているのだろう。
日が暮れてもう寝ようかと思う頃に、みかげ君は帰ってくる。

今日はまだいない。


生まれてくる命があるのかな。

その話をいつ持ち出そうかとタイミングを逃がす日が数日続く。

ただ生理が来なかっただけかもしれない。だけど今日はちゃんと話そう。


 時刻は11時を過ぎていた。みかげ君の帰りは今日も遅い。

テーブルの上の煮物もすっかり冷えきっている。

 

わたしはあきらめて寝ようと立ち上がり、

ダイニングを出て玄関近くにあるお風呂場へ向かう。
『カチャリ』

タイミング良いのか悪いのか、みかげ君は帰ってきた。
「おかえり」
「ただいま。お風呂入るところだった?いいよ、気にしなくて」
「うーん、まあ、いいの。夕食は食べてないでしょ?」
「ああ」

家に上がってダイニングのテーブルを見て

「夕食ありがとう。いいよ。自分でチンして食べるから」

とみかげ君は丁寧に礼を言う。
わたしは冷蔵庫を漁る。
「ビール飲むでしょ?」
「うん、一本だけ」
「めぶきちゃんも飲む?」
「うーん、わたしは大丈夫」
旦那はレンジでチンして、わたしは冷蔵庫から出した缶ビールをグラスに注ぐ。

そして保温してあったご飯とみそ汁を出す。


レンジがチンとなって、二人はテーブルにつく。
「どうしたの?お風呂入るんじゃなかったの?」
「あのね。多分なんだけど、赤ちゃん」
「え、ほんと?」
わたしは黙って頷いた。
彼は泣きそうな、喜んでいるような、不思議な笑みを浮かべていた。
「そっかあ。そうなのか」
「今日は行きそびれたんだけど、今度の休みに産婦人科行って、それからだから」
早とちりにならないよう、慌てて旦那を諭す。
「ああ、わかったよ。楽しみにしてる」
「うん」
みかげ君はグラスのビールを一気に飲み干す。

さぞかし美味しそうに。
 

喜んでくれて良かった。ただそれだけ。

それだけがわたしの心を安心させた。

次の休みに産婦人科へ行った。

青空に、暖かな空気が漂う、すがすがしい一日だった。

 

わたしのお腹に新しい命が宿っていた。
いるらしい。それがわたしの感想だ。

みかげ君はどんな風に喜ぶだろう。

母には、父には、

職場の人には、いつ伝えよう。

そんな微かな不安と共に、一人秋の夕暮れを歩いていた。