こころもりょうちのJFJ-桜島一周
またまた長い時間が空いてしまった。世界はインターネットで繋がったと言っても、まだ完全に自由なわけではない。携帯ならいつでも繋がる。そしてその携帯も進歩している。モバイルパソコンも進化しているし、i-padも出た。でも僕はまだその世界についていけてない。
インターネットカフェを探し回って、久々にブログを更新する。
一週間も経つといろいろな事を忘れてしまう。
写真を見ながら一週間前の事を思い出している。
7月30日の事からだ。桜島を一周した。
まずはフェリーに乗って、鹿児島から桜島港へ。
自転車250円で、乗れるのがうれしい。
船の交通は、鹿児島が優れている。
(フェリーターミナル)
フェリーターミナルより北へスタート。
民家のある海辺が広がる。
ここが本当に桜島という土地なのかわからない普通の町の風景が広がる。
サイクリングにはちょうどいいんじゃないかとさえ思えてくるような道。
(民家のある写真)
しかし道は途中から険しくなり、黒神地区へ到達する。
そして溶岩の世界が姿を現す。
(昭和溶岩地帯 桜島の荒々しい姿を見せる)
途中雨が降り、雨宿りをしようとすると、
(埋没鳥居)
大正の大噴火でこの地が埋もれ、多くの人が亡くなったんだなあ。
僕にその事を知らせるように雨は降り、僕はその事を知る。
それでもまた、黒神には学校があり、人が住んでいる。
今も桜島は噴火を続けている。人はこのような危険地帯に住み続ける。
近くには小学校がある。
そんな危険なところになぜ住むのか?
その理由はその土地の人にしかわからないのかもしれない。
南側には国道が通っていて、いかにも桜島らしい姿を見せる。
観光という部分ではこちら側だけで十分だ。
展望台から桜島の山頂部が見える。
天候が悪かったので、若干雲がかかっていた。
溶岩の中に植物が育っている。
人も住み続けるが、植物もあきらめずにまた芽を出す。
生命の力を感じる。
ぬくぬく育った僕には住めない世界だ。
さまざまな形で生きようとする姿が、人を世界中に広げた。
人間の偉大さ、生命の偉大さを感じる桜島一周の旅立った。
(つづく)
こころもりょうちのJFJ-鹿児島番外篇
指宿市から鹿児島市まで来る途中に、自転車で旅をする人に出会った。
その人は、旅を一年以上続けている。だから自転車の荷物も多量である。装備もフルスペックといった感じだ。
彼は時間に決まりのない旅をしている。お金に限りはあるのだろうが、ほとんどテント暮らしのようなので、お金もあまり掛かっていないようだ。時としてどこかで泊めてもらったり、知り合いになって飯を食べさせてもらったりする事もあると言う。
腰の据わった旅人といった感じだ。
毎日、今日はいくら使ったかを考え、どこに泊まるかを考え、いつまでにどういうルートをとって沖縄までたどり着こうかと考える僕の旅とは大きく異なる。
彼の周りでは緩やかなペースで時間が流れている。しゃべり方や雰囲気にもそれを感じる。
彼は僕に屋久島や八重山諸島をお勧めの場所として勧めてくれた。
「屋久島は2,3日いるつもりだったんだけど、キャンプしてたら周りの人に引きとめられて3週間くらいいたんだよね。楽しくてねえ」
みたいな事を言って、数日は観光をしたけど、あとは夜周りの人と飲むのを楽しみに毎日を暮らしていたと言う。
沖縄には2カ月くらいいたそうだ。
お勧めされる八重山諸島(石垣島など)にはフェリーがない。だから飛行機jで行くしかなく、本来自転車では行けないのだけれど、彼は運輸会社の船に自転車を乗せ、自らは飛行機を使って、石垣島に渡ったと言う。僕も当初は石垣島まで行こうと考えていたけど、そういった航路の問題や飛行機代などを考え、今回の旅ではパスする事としている。
それから北海道も勧めてくれた。北海道は自転車旅やバイク旅のメッカのようでまずはそこから始める人が多いという。彼もその感じで、北海道それから四国のお遍路をやって、それだけじゃ物足りず、ついに満足いくまでの日本全国の当てのない旅に出たという。満足いくまで、というのがきっと彼にとってのゴール地点のようで、まだまだ旅は終わりそうにない感じだった。
だから僕にも「満足いくまで」とか「せっかくだから」という点を強調して伝えている感じがした。
でも僕は8月中旬までには東京に帰る予定だ。お金のリミットもあるし、先の事もある。いつまでも旅行をしてられないなと、考える。
中途半端なのかもしれないけれど、僕はそう思う。
人それぞれだ。
彼もそれは言っていた。「せっかくだから行っといた方がいいよ」とは言っていたけど、人それぞれ。
旅人は自由の中にいる。でもいつだって限りがある。時間や生活費の限りがある。それを越えてしまえば本当の自由人になれるかもしれない。でもそれじゃあホームレスのようなものだ。
旅は自由な時間。でも、限りはあって、何にどう使うかは人それぞれなのかな?
「自由の限り」を思う。縛られる事に反する者が旅に出る。僕の自由は彼の自由に比べれば、大きく限られていて、彼のような旅を思うと自分の旅がとても窮屈なものに思える。でも自分の旅は今のままでいいはずなんだ。
彼に出会い、少し考えさせられる。
答えとしては、どこに行ってどれだけの時間を過ごしたか?という事より、自分にとっての満足点はどこにあるか?という事なんだ。行けなかったところを思えば、心残りはある。僕は、またいつか、と来れるか来れないかは別としてその気持ちをとっておく。彼は、またいつかという感覚のない満足に至ろうとしているのかな?
旅の終わりも近づき、僕は何かの答えを探そうとしている。
答えはないのかもしれないけれど。
(旅は終盤へと続く)
こころもりょうちのJFJ-大隅半島・薩摩半島
九州の最南端、ずっと東京から来て、ここまでやってきた。
遠き沖縄が少し別世界に感じられ、ここまでが自転車で来る最南端のような気もする。
フェリーを何度も使ったけれど、橋で渡ろうと思えば、自転車で来られるのはここまでなのだ。
薩摩半島の南端にある山。開聞岳。桜島だけでなく、鹿児島にはこんな山がいくつかあるみたいだ。
大周りで行くこともできたが、ここはパス。
旅のテーマの一つとして、太平洋の海沿いを行くというテーマがあったが、鹿児島では鹿児島湾のある内側を通tってきた。また南端である佐多岬には行こうと思ったが、南大隅町の土砂崩れの通行止めが解除されておらず、ここもあきらめた。僕がフェリーで指宿に渡ったのちに解除されたみたいだけど、今から戻って行こうとは思わない。
旅の終わりを感じているせいか、佐多岬の行き止まり後、僕の旅に対するテンションも落ち目だ。
鹿児島で感じたこと。
まず最初に泊まったのが鹿屋だった。
調べるとこの街には電車も高速道路も通っていない。だからあるのはバス停のみのようだ。
街は静かだった。電車も高速道路も通っていないと、大きな街でも何かとても別の世界に来たような僻地イメージを受ける。
街中には夜の店が多いようで、スナックなどが目立つ。通りはシャッター通りのような感じだ。
何となく寂しい街だと感じる。
大隅半島が全体的に寂しさを感じる。やはり高速道路や電車がなければ、街の発展は望めないんじゃないかと感じる。
個人的にはふとそんな事を思う。
何となく寂しい街並み。朝の写真なので、そのせいもあるけど。
自家用車を使わなければ、バス停が交通手段。街の中心は駅でなく、バスの待合所になるのかな?
これがこの街を支えている一部でもあるようだ。
そして佐多に向かった。
鹿児島は地盤が緩いせいか、土砂崩れがおきやすいようだ。いたるところに土石流危険渓流の看板がある。岩盤のしっかりしていないフラットでない道も自転車ではなかなか疲れる道だった。
土石流危険の看板。
というわけで、錦江町から指宿へ、大隅半島から薩摩半島側へワープした。
指宿では雨などもあり、しばらくのんびりした。
のんびりしていて、写真とかもあまり撮っていない。
こちらには電車もあるので、観光地化されている。残念ながら、僕の感じる限り、あまりおもしろい場所はない感じだ。
鹿児島の交通路はバスやフェリーの方がメインに見える。
指宿⇔錦江町のフェリーは小さいが客もいっぱいになるので、程よい。四国を渡ったときの無駄な大きさもない。この点は鹿児島のフェリーは素晴らしい。
まだ使ってないけど、桜島フェリーやこの先のフェリーも期待が持てる。
交通は大事だ。さまざまな交通機関が程よく発達してなければ街の繁栄は難しい。
そんな事を思う鹿児島、半島の旅であった。
こころもりょうちのJFJ-宮崎南部
さて、宮崎県南部の旅となる。
このあたりでは、神社とビーチの繰り返し。
まず、朝は宮崎神宮からスタートした。
九州に来てから、神社や寺めぐりがぐっと減っている。
紀伊半島では熊野三大社、四国では八十八ヶ所巡りと有名な神社や寺が多くあるが、九州はあまり知られていない。九州そのものの歴史は古くからあるが、多分京都が日本の中心になって、その後東京に移って、西の端である九州の神社や寺の歴史は遠ざかってしまったのかもしれない。
まあ、これは僕のイメージであって、僕が少し九州に疎いせいかもしれないけれど。
宮崎がどんなところかはよく知らない。古墳も多くあった。奈良時代より前の歴史とでもいうのか、宮崎には古い歴史がある。だから発展する。
国道220号を進んでゆくと、まずは青島の標識を目にする。
きれいなビーチが広がる青島。
この日は日曜日とあって、多くの海水浴客でにぎわっていた。
家族連れや若い夫婦やカップルを見ると、一人でいるのが非常に寂しい感じ。
途中、宮崎の総合運動場では、中学生のスポーツ大会をしていて、何のイベントだろう?ってくらい賑わっていた。
当たり前の日本の光景かもしれない。でも、家族や恋人というのは僕にはちょっと遠い世界の光景です。
青島の神社。島の中央に位置する。歴史とかより、美しい場所だとただ感じる。
そしてさらに南下してゆくと、富土海水浴場にぶつかる。
静かな富土海水浴場のビーチ。こちらも休日の海水浴客で賑わう。
のんびりとゆったりとした休日が過ごせそう。
そしてさらに南へ行くと、鵜戸神宮がある。
ここも、景色がいい。海沿いの神宮は本当にきれいだ。
南国と神社、この光景も意外と合う。
鵜戸神宮入り口。同じく観光客で賑わう。
亀の形をした岩の真ん中にある穴に石を投げ込む人たち。
うまく入ると願い事が叶うと言う。願い事を忘れ、入れる事に夢中になってしまっている感じだけど‥。
最後に高松海水浴場。220号から串間へ。鹿児島との県境に近いところにあり。
と、まあ、宮崎の南部はいろいろと楽しめる。チャリだときついけど、ドライブなら最適だ。
ここはもはや休日気分満載の楽園だった。もっといろいろなところに行きたかったけど、とりあえずいっぱいいっぱいだ。
皆さんもこの夏は宮崎南部の海岸で過ごしてみては?とてもお勧めの場所です。
今回の旅はただそれだけです。
(つづく)
こころもりょうちのJFJ-宮崎の現在
さて、宮崎県までやってきた。
宮崎県というと?
今は噂の口蹄疫が気になってしまう。
もういろいろと解除されたらしいが、
消毒箇所が何箇所かあり、軽い渋滞を作っている。
関係車両のみだと思われ、見てる限りでは車は徐行して通り過ぎてゆく。
一時期はもっと渋滞だったのだろうか?
影響としては、
ルピナスパークという場所が閉鎖されていた。
川南町の畜産センター。このあたりには牛でもいたのだろうか?
とても静まり返っていた。
しかし、僕の見てきた限り、これらの世界はごく一部の事のようだ。
もちろんその関係者にとっては多大な損失であっただろう。
報道だけを見ていると、町が一個なくなっちゃうんじゃないかというようなくらいの印象さえ受けていた。実際の町は田んぼや畑ばかりだし、漁場もあるし、工場もある。養豚所や牛の飼育所がどこにあるのかはかなりしっかり探さないと見つかりそうにない。
深く考えるよりは、宮崎を楽しむ方が良さそうに思えた。
消毒係の人も休憩時間は笑みがこぼれていた。危険状態を達したからかもしれないし、それほど思い悩んでもしょうがないことだからかもしれない。
とにかく宮崎はそればかりじゃない。
高鍋には茶畑が広がっていた。
オリジナルな物が飲める。この暑い季節には水分が欠かせない。この自販機にしかないオリジナルドリンクで宮崎は最後まで楽しめそうだ。しかも大手のやつより安いから嬉しい。
川南町にあった、そのサンAの工場。
畜産が全てではないね。
そして、夏らしく、たくさんのビーチがあちこちにある。
たしか、日向市の伊勢が浜だったと思う。すっと通り過ぎてしまったが、きれいなビーチだった。
富田浜の浜辺。遊泳禁止ではあったが、長いビーチ。潮干狩りをする人やサーフィンをする人がいた。
宮崎市のサンビーチ一ツ葉。土曜日とあって、多くの海水浴客でにぎわっていた。
日南に向けてさらにいろいろビーチがありそうなので、休憩ついでに寄りたい。
宮崎牛の炙りとろにぎり。何も気にすることはない。おいしくいただく。
そのほか、地鶏やなんやらいろいろ、宮崎はおいしいものが多い。
番外編
宮崎として思い出すのが、シーガイアである。
大学のころ、宮崎出身だった同級生の父親がここに勤めていて、負債となって、大変な目に合った。不幸がつきものの男だったので、ネタの一つとしてしかならなかったが、僕は宮崎と聞くとここを思い出す。
あの波を作り出すオーシャンドリーム。今はひっそりとたたずんでいる。
でっかく聳え立つシェラトンホテルのビル。
全体をうろうろしたが、なんとも落ち着かない空間だった。とても静かで夏休み入りの土曜とは思えない。バブル期の時代遅れ感もある。プールは大人1500円。楽しむ家族連れやカップルもいたが、何かとしっくり来ない空間に感じられた。
時代の流れからしたら、イオンのショッピングモールの方がすごい。たくさんの人で賑わっていた。
東京のアリオにいるのとなんら変わりない。この空間の方がしっくり来る。まさに今の時代だ。
さらに宮崎市の中心街。がんばろう宮崎があるが、街の中心は今も昔もここなのだろう。
郊外化してゆく流れに負けずに、中心であり続けられるだろうか?
そしてこれからはどんな空間が広がってゆくのだろう?
ショッピングモールは永遠だろうか?シーガイアのように過去になってゆくのか?中心地は空洞化してゆくのか?
時代の流れと共にできる巨大建造物。
時代の流れと未来を宮崎に想う。
次回へ続く



























