私達は1つの同じ意識。悪も善も同じ意識。ならばどうするのか…? | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 さて、記事の更新がなかなかできず、自分的にも足踏み状態が続いているような昨今。でも、それも、私に与えられたスケジュールなのかも…と素直に受け取り、一昨日まで志賀高原にスキーに行っていました。最近はリフトに乗ると植物を眺め、植物のオーラを見る練習をしている(参照:見えない世界の話(15) 植物のオーラ)。自分の手のオーラほどはっきりとは見えないが、そうかなと思って見ていると、何となく見えるような気がする時がある。これは多分、意識のチューニングの練習次第ではないかと私は思っている。有名なヒーラーのバーバラ・アン・ブレナン氏も練習を積んで、植物のエネルギーフィールドを感じられるようになったという(参照:目に見えない世界の話(13) 感覚を研ぎ澄ますこと)。

 

 さて、本題。前記事愛とは「自我」を消した状態 すると 神が降りてくる!?、で保江先生の「神様につながった電話」を読み返していて、「我々が1つにつながっている」ということの、とてもわかりやすい説明があった。こちらは前にも一度、深夜の雑感(11) 私たちが本当につながっているのなら...そこにヒントはないかなに一部メモしたのだったけれど…。今日はそれを再びメモしよう。3度の臨死体験をした木内鶴彦さんから教わった話である。

 

 

   

 

----------- ここから

 

 木内さん(木内鶴彦氏)は、あの世は意識でできていると言った。

 あの世を作っているのものは、意識。

 僕は魂と呼びたいが、ここは彼に従おう。

 意識というものがある。これはライプニッツのモナド理論、単子論に近い。とにかく意識というものがある。意識があるから、意識できる。個別の意識という意味ではなく、普遍意識とか神の意識、絶対調和、そのような表現に近い。その意識が「退屈」になる。

 木内さんも三度死んでいるからわかったそうだが、死んだら退屈。なんでも思いどおりにできる、それではつまらないそうだ。あの世の実体である意識が、つまらないからつまるようにしようとして、その意識の中に、ディスターバンス、つまり擾乱、グチャグチャに崩れた部分を創る。

 あまりにあの世が平々凡々で、シーンとしていて、普通で、どこに行っても同じで、おもしろくない。そこであの世の存在、つまり意識が、意識の自分自身を一部分グチャグチャにした。グチャっとした意識が平々凡々な意識に戻ろうとする、その戻る動きの部分、それがこの世。「あの世」の中のグチャグチャに散らかった部分、それが自然に整頓された方向に戻っていく。その動きが、我々がこの世と認識しているものだという

 グチャグチャっとなったものが、素粒子になり、それが組み合わさって原子核になり、電磁場になり、光になる。そのグチャグチャが元に戻る動きの中に、この世、この宇宙の成り立ちのすべてがある。

 そのグチャグチャした部分がどう戻っていくか、あの世の意識はわかっている。だがおもしろくするためにせっかくグチャグチャにしたのだから、おもしろくしなければならないので、グチャグチャになった意識に集中していく。それが我々個々の意識。

 だからもともと同じ、あの世の均一な意識。

 だから本当はみんなつながっている。

 昔はみんなつながっていることがわかっていた。だんだんつながっていないと思い込むようになって、僕らは他者や他の物とは離れた独立な存在であるかのように感じはじめ、やがて今日のような乖離が生まれてしまった。

 

 我々の中には、あの世の構成要素、つまり意識が入っている。だから当然あの世につながっている。あの世でどんなふうにこの世を作り、それが均一に戻っていく途中でどのように動くかということは、あの世から、つまり我々の意識の奥底から見ればわかる。それゆえ、全てを記述する方程式は、既に我々の意識の中にあることになる。

 

 結局、僕が僕だと思っているこの意識も、あなたがあなただと思っている意識も実は同じもので、それはあの世そのものなのだ。あの世の一部でもなく、あの世そのもの。僕の意識もあなたの意識も、実は同じものなのだ。脳が自我、アイデンティティを勝手に生み出して、自己防衛本能で納得させて、自分というものを作り上げて、他人と自分とは別物だと思い込ませているから、わからなくなってっているだけなのだ。

 僕やシュレーディンガーの体験のように、極限状態までいくと、本当に、そこは遥かかなたにある「あの世」なのだ。あの世そのものだから、「この世」の中でグチャグチャになった僕らがどのように動いていくのかがわかるのは当然だ--- と僕は木内鶴彦さんからそんなすごい真実を教わったのだ。

 

------------ ここまで

 

 この文章は何度読んでもすごいなぁ…と思う。それと、ここでもライプニッツのモナド理論に触れていたこと…に初めて気が付いた。この本を読んだ当初は、モナド理論など知らなかったから気にも留めていなかった。

 

 さて、この話を昨今の世の中の流れについて考えてみよう。コロナ騒ぎから始まり、今もなお粛々と進められようとしているWHOのパンデミック条約だとか、我が国の事で言えば、憲法改正、マイナンバーカード等々…。全体主義への流れが加速しているように見える。何とかしてそれらに抗おうとする人々がいる。私も全体主義への流れは反対だ。

 でも、そういった全体主義への流れを推し進めようとする人々も、我々一般の人々も、実は同じ意識なのだ。神様がグチャグチャにした意識そのもの。え、河野太郎ちゃんと私は同じなの?キッシーも同じなの?自民の裏金議員とかも同じ?えー、一緒にして欲しくないわーと思う(特にあの下着泥棒の高木さんね)。そして、ビル・ゲイツもテドロスもファウチもみんな同じ1つの意識?そして、彼らのバックにいる方々。

 

 信じらんない…のが普通だと思う…。だけど、それはさておき、もし、同じだとしたら…と考えてみよう。彼らに対しては、どうしたって敵対心が起きる。よくも一般民衆をこんなに欺いてくれたな…と。コロナワクチンで超過死亡は既に45万人超えという。どうしてくれるんだと…。

 

そこで 「高次元の世界へ」周藤丞治氏のこの言葉をもう一度。

 

「そうした波動を受け取るうちに、愛というのは、自分と他者の区別がなくなった精神状態のことだと理解できました。つまり、自我を完全に抜け出した状態です。他者も含めて、すべてが自分自身であると認識する状態です。」

 

 周藤氏は竹内文書の古代天皇たちと波動を合わせることをしたが、日月神示のイシヤたちとも波動を合わせてみたという。これも一つにつながっているからこそできることなのかも…。そして得られた答えを今日はメモしよう。周藤丞治著「いざ高次元世界へ」には、我々の心構えとしての答えがあった。

 

   

 

------------ ここから

 

 日本を追い込んで打ち負かす勢力を、日月神示ではイシヤと呼びます。このイシヤについて、巷ではフリーメイソンと呼ばれる人々のことだと解釈されることが多いようです。フリーメイソンは元々、石工の集まりとして始まったので、イシヤという言葉と通じるものがあるからです。「表向きは友愛団体だが、裏では地球世界を牛耳っている秘密結社」というイメージと共に、様々な都市伝説が流布されています。

 

中略

 

 この「悪の仕組み」や「悪の計画」については、日月神示の中でも説明されていますが、「シオン賢哲議定書」という文書の内容と合通じるところが多いことが指摘されています。

 

中略

 

文書の大まかな内容はこうです。

 我々(長老)はマスメディアを牛耳って、一般大衆に相反する情報を同時に与えるようにするべきだ。彼らは右にも左にも耳を傾けて、どちらが正しいか判断できずに混乱してしまい、やがて考えることを止めるだろう。

 また、金融を発達させて、一般大衆を金儲けに熱中させるように仕向けるべきだ。そうすれば、彼らは目の前の小さなことだけで精一杯になり、社会を良くしようなど、大きなことは一切考えなくなるだろう。

 さらに一般大衆に権利を主張させるようにするべきだ。特に、自由と平等を求めるように仕向ければ、それらは決して両立しないため、必ず自己矛盾に陥って、社会は混乱することになるだろう。その混乱をマスメディアが煽れば、戦争が次々と起こり、地球世界は破滅するだろう。

 そのときにこそ、我々は地球世界を破滅から救う者として、一般大衆の前に登場するのだ。そうすれば、いずれの洗脳からも免れた我々のような優秀な者だけで意思決定を行う、理想的な地球世界を創ることができる。

 

中略

 

 彼らが目指すのは、自分たちを一般大衆(他者)と区別して、絶対的な優位に立とうとする、いわゆる自我による地球世界の支配であると言えます。果たしてこれはうまくいくのでしょうか。日月神示にはこう書かれています。

 

「目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ。(中略)善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地ぢゃと、くどう知らしてあろうが」

 

 自我によって物質世界だけを良くしようとしても、うまくいかないと言うのです。実際、自我がうごめく世界(幽界)は、自分と他者を区別しない愛の世界(霊界)に繋がっていて、さらに生命が輝く世界(神界)へと繋がっているのでした。そして、これら物質世界を超えた高次元世界と繋がることで、あらゆる権力の源泉となるのが天皇の役割でした。

 そうやって生み出された権力によってこそ、地球世界はうまく収められるのです。いかに優秀な人々であっても、自我によって理屈で治めようとしては、うまくいくはずがないのです。

 

中略

 

 先ほども言ったように、悪とどのように向き合うかが、やはり大切であるようです。例えば、イシヤを憎んで叩き潰すべきだと考える人がいるかもしれませんが、それでは意味がありません。なぜなら、それは自分とイシヤ(他者)を区別して、自我で考えているからです。自我と理屈で地球世界を治めようとするイシヤと同じ失敗を繰り返すことになってしまうと思います。

 

中略

 

 そして最後は、イシヤとしっかり手を握ります。これこそが「一厘の仕組み」であると言って良いと私は思います。いずれイシヤにも、自我と理屈で突き詰めて考えた自分たちの計画が、結局うまくいかないことに気付くときが来ます。そして、迷いに迷って彷徨い続けた挙句、やがて愛と生命で輝く神々の世界に辿り着くことになるのです。

 物質世界だけでどうにかしようとするのではなく、精神世界や生命世界と繋がりを取り戻すことこそが、地球世界を立て直す唯一の方法であると理解することになるのです。そのとき、神々はイシヤとしっかり手を握ります。それが実現してこそ、素晴らしい地球世界の未来を創っていけることになるのです。

 

--------- ここまで


 気が遠くなるような話にも思えるけれど、一筋の光を見たような気になる。悪を憎んで叩き潰すことは、何の解決にもならない。それでは、イシヤと同じことの繰り返しになってしまう。そして、周藤氏の次の言葉…、うなずいてしまう…。

 

--------- ここから

 

 この世界のすべては、究極の神から生み出されています。物質世界は精神世界に、精神世界は生命世界に、生命世界はこの究極の神に生み出され、守られているのです。

 これらの世界にある、すべての善も悪も同じ究極の神から生まれていて、それぞれの役割を持って存在しています。そして、究極の神はすべての存在に自由意志を持たせているのです。

 ですから、神の力で地球世界を立て直すというならば、悪の自由意思であっても尊重しなければなりません。悪が自分の自由意思で納得して改心するよう、導かなければなりません。これこそが王道であり、この道しかあり得ないと私は考えています。

 

--------- ここまで

 

 では、どうやって…?それは、また、次の記事に。