見えない世界の話(15) 植物のオーラ | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
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分野は多岐にわたります。

 3月の終わりに信州にスキーに行った。だいぶ日常的に自分の手のオーラが見えるようになってきたので、植物のオーラも見てみたいと思い、リフトに乗りながら目を凝らして、木の幹とか眺めていた。うっすらと紫がかったものがあるような無いような…。まだまだ修行が足りないみたい。

 

 植物のオーラについては以前に、過去記事(目に見えない世界の話(13) 感覚を研ぎ澄ますこと)にメモしたことで、きっとそういうものがあるんだろうと思っていた。こちらの記事から再掲。

 

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 森の中でのそうした静寂の瞬間、私は拡大した意識状態に入り込み、通常の人間の経験領域を超えた物事を知覚できた目で見なくても、小動物がどこにいるかわかったのを覚えている。その様子を感じることもできた。森の中を目隠しして歩く練習をしていたときには、手で樹木に触れるずっと前に樹木の存在を感じたものだった。樹木が目に見えるよりも大きいことにも気づいた。樹木は周囲に生命エネルギーのフィールドをもっており、私はそのフィールドを感じていたのだ。後に、樹木や小動物のエネルギーフィールドを見る方法を学んだ。

 

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 上記抜粋は、バーバラ・アン・ブレナン著「光の手」から…なんだけど…。

 

 

 このエネルギーフィールドというのはいったいどういうものだろう。この著書のごくごく初めの方に次のように書かれている。

 

---------- ここから

 

 誰でも肉体を取り巻き、内部にまで浸透しているエネルギーフィールド(オーラ)を持っている。このエネルギーフィールドは健康と密接に関わっている。超感覚的知覚は通常の人間の近くでは捉えられない物事を感知する方法である。それを用いれば、普通は知覚できない物事を、観たり、効いたり、匂いを嗅いだり、味わったり、触れたりすることができる。それは、通常の視覚を用いないで、心の中に現れる映像を通して「見る」方法であるが、想像ではない。ときに透視として言及されることもある超感覚的知覚は、あらゆる物質を取り巻き、浸透する生命エネルギーのフィールド(一般的な意味でのエネルギーフィールド)と相互作用するダイナミックな流動的世界を明らかにする。私は人生の大半を、私たちが存在する、生きているエネルギーの海とダンスをしながら過ごしてきた。そして、エネルギーが私たちを支え、養い、私たちに命を与えてくれていることを発見してきた。エネルギーによって私たちはお互いに知り合う。私たちはエネルギーの一部であり、エネルギーは私たちの一部なのだ。

 

中略

 

すべてのものが周囲にロウソクの光に似たエネルギーフィールドをもっていることを私は発見した。すべてのものがそうしたエネルギーフィールドによってつながれていることや、エネルギーフィールドがなければいかなる空間も存在しないことにも気づき始めた。私を含め、すべてのものはエネルギーの海の中で暮らしていた。

 

---------- ここまで

 

 通常の視覚を用いないで、自分の心の中に現れる映像を通して見る…っていうのは、とても興味深い。網膜に入った光を見るのではなく、心にダイレクトに現れる映像を見るのである。これが訓練によって見えるようになる…ようである。著者も最初は例えば皮膚から2.5cmのオーラしか見えなかった…。けれども、熟達すると、もっともっと遠くまでエネルギーフィールドが拡がっていることが見えるようになったという。

 ここは単純に興味で、私も様々なもののエネルギーフィールド(オーラ)が見えたら、おもしろいだろうと思うのである。それでスキーから戻ってから、この本に植物のオーラについて書いてあるところがないかしらん…と探してみたら、もちろんあった。以下、抜粋。

 

---------- ここから

 

 宇宙エネルギーフィールドを観察するためのもっとも簡単な方法は、ただ単に天気の良い日に芝生の上に仰向けに寝ころび、青空を眺めることだ。しばらくすると、青空を背景にして、オルゴン(精神医学者ヴィルヘルム・ライヒが発見したとする自然界に遍在・充満するエネルギーのこと)の小さな球体がくねくねとしたパターンを描いているのが見えるようになる。微小な白い球のようなもので、黒点を伴っているときもある。

 今度は青空を背景にした梢の端に視線を移してもらいたい。木々の周りに緑の靄がかかっているのが見えるかもしれない、。不思議なことに、その靄の中には球体がないことに気づくかもしれない。しかし、よく見ると、緑の靄の端に球体があり、くねくねとした模様を変えながら、木のオーラの中に流れ込み、消えていくのが見えるだろう、どうやら木のオーラが小さな球体を吸収しているようだ。、木の周りの緑は、春や夏の展葉期(発芽から葉が開いていく時期)に現れる。春の早い時期、ほとんどの木のオーラは、木の赤い芽の色に似たピンクがかった赤みを帯びた色合いをしている。

 観葉植物をよく見ると、同じような現象が見られる。植物を、背景を暗くして、明るい照明の下に置いてみてもらいたい。葉の成長方向に沿って青緑色の線が点滅しながら上昇していくのが見えるだろう。青緑色の線は突然点滅するが、その後、ゆっくり色褪せていき、植物の反対側で、再び点滅する。それらの線はあなたの手や水晶を植物のオーラの近くにもっていくと、反応するだろう、植物から水晶をひっこめると、植物のオーラと水晶のオーラが接触を維持するために伸びるのが見えるだろう、まるで水飴のように粘つくのだ。

 

                 

 

 

------------------ いったんここまで。

 

 ここでいう「オルゴン」って、ヨーガ行者の成瀬雅春氏の言う「プラーナ」のことでしょうか。「プラーナ」とは身体の内部と外の世界、すなわち「宇宙に満ちている生命エネルギーの総称」ということだった。

 それにしても…こんなふうに植物のオーラが見えるのかぁ。毎年2月も終わる頃になると、桜の木は少しピンクがかって見えるけれど、あれは桜のオーラなんだろうか。今年は終わっちゃったけど、来年、しっかり観察してみることにしよう。

 そして、水晶と植物とのエネルギーのやりとり…とはおもしろい。もちろん、植物と人間とのやりとりもあるだろうし、人間と水晶の間のやりとりもあるだろう。パワーストーンと言われるものは、エネルギーの流れが強いのかもしれない。

 

---------------- 再びここから

 

 私は葉のオーラを観察した。純粋な水色をしていた。葉を切ると葉全体のオーラが血のようなえび茶色になった。私は後ずさりし、植物に謝った。1~2分後に水色に戻ったとき、欠落した部分の痕跡がはっきりと残っていたが、キルリアン写真で見たような鮮明なものではなかった。

 

------------ ここまで

 

 キルリアン写真とは、Wikiによれば「対象物に高周波・高電圧を掛けて発生させたコロナ放電による発光現象を撮影した写真のこと。 撮影時には、周波数 3 kHz 前後・電圧 30 kV 以上が用いられる。 対象物から発散する水蒸気の電離・発光現象を撮影するため、撮影対象物は水分を帯びた物体であれば生体・非生体を問わない。」 とのこと。

 

 こんな話を読んでいると、今、おそらく5Gのためにばっさばっさと切られている樹木たちがえび茶色のオーラを出しているだろうと想像する。きっと泣いている。亡き坂本龍一さんが反対していた神宮外苑再開発。

 

 

 こういった植物のエネルギーフィールドも私たちのエネルギーフィールドにつながっているという。植物は何も言わないけれど…、私たちは負のエネルギーを受け取りそうである。

 そうそう、以前にこんな記事もメモしました。 植物の気持ち -キャベツだって痛い...!?  キャベツは人間に刈り取られることを察知して、叫び声をあげるというお話。