植物の気持ち -キャベツだって痛い...!?  | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
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分野は多岐にわたります。

 今日はキャベツの気持ちの話を書こう。キャベツ畑にキャベツを切ろうと包丁を持って入ると、キャベツがギャーギャー騒ぐという話である。この話はこちらの本にあった.木内鶴彦×保江邦夫「あの世飛行士 未来への心躍るデスサーフィン」。

 

 

 銅金裕司先生という、植物と意思の疎通をしたいと考えている先生がいらっしゃるという。この先生が、キャベツの根っこのほうに電極をつけて計測するとキャベツがストレスを感じるのがわかるという。

 この実験を体験させていただいた木内鶴彦さんは、キャベツたちが包丁の磁気を感じて騒ぐのかと思い、プラスチックの包丁を持って入ってキャベツ畑に入ってみた。木内さんが「さて、切るぞ」と思うと、キャベツたちは人間の気持ちを感知して、ギャーギャー騒ぐという。逆に普通の包丁を持って入っても、切るつもりがないときは「ギャ?」という程度で済むそうで,植物は人間の気持ちがよくわかっているのだそう。

 

 この話はずいぶん前に読んでいて、おもしろいなぁと思っていた。そしたら、最近読んだこちらの本にもキャベツが痛がる...ということが出ていた。秋山眞人/竹内睦泰/布施泰和「正統竹内文書の日本史「超」アンダーグラウンド①」という本である。(キャベツの話は、おそらくこの本の中ではあまり重要ではない情報だと思う。)三氏の対談本である。

 

 

 秋山氏と竹内氏はキャベツを包丁で切ると「痛い」という声が聞こえるという。わかる人にはわかるらしい。とくに千切りというのはキャベツにとって阿鼻叫喚地獄だそうだ。だから、まだ手でちぎったほうがいいという。

 

 食べるという行為は、他の生き物の命をいただくこと。何かの生き物の死とともに存続している人間の生があると秋山氏は言う。「いただきます」とは古神道の「アマツチノメグミイタダキマス」その略なのだそう。

 秋山氏によれば、植物はある瞬間から覚悟を決めるようで、「私を食べてくれるなら大事に活かしてね」というようなすがすがしい明け渡しのエネルギーがあるという。これは大切にありがたくいただかなくては。

 

 おもしろいなと思ったのは、万葉集に「草木ことやめて...」という歌があるそうで、これは、もう草木とはお話ができなくなってしまったことを嘆く歌だという。つまり、それ以前の人々は植物と会話ができていたらしい。万葉集の時代の人でも、既に植物との会話ができなくなっていたのか...とも思うし、それ以前の人々っていったいどんな...?とも思う。興味はつきない。

 

 なにはともあれ、料理をする前にも、まな板の前で手を合わせたくなるようなお話。お残しなんてとんでもない。そうだ、野菜の屑でスープでもとってみようか...。