目に見えない世界の話(13) 感覚を研ぎ澄ますこと | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 ここのところ寒い日が続く。昨日、一昨日と、外の水道は凍結していたし、昨日は川もところどころ淀んでいる場所に氷が張っていた。が、しかし、こんな寒さが続く中、今日、庭仕事をしているとモンキチョウが現れた。東京ですよ。

 私の周りを飛んでいる…。へっ?今頃、チョウチョっているんだっけ…。思わず調べた。モンキチョウが生存するのは普通は3月から11月だそうで…。うーん、また、誰かの魂が乗ってやってきたのかな。

 私は保江邦夫先生の本を読み始めて、見えない世界のこと(神様だとか、おおいなる宇宙の意志だとか…)を少しずつ受け入れるようになったら、やたらとカマキリが現れるようになった。

 これは去年の11月ぐらいに、ちょっと落ち込み気味の私の帰りを門柱で待っていてくれたカマキリ君。私が元気を失くすとよく出て来てくれる。

 

      

 

 私はもともと科学技術分野の人間なので、神様とか、霊とか、一般的な科学では証明できないような事柄とはちょっと距離を置いていたのだけど、保江先生の本を起点にいろいろと読み進めているうちに、所謂、フツーの科学分野でトンデモ扱いされるような世界の方が、実はとても重要なんじゃないかと思い始めてきた。

 

 そんな私がここのところ「すごっ」と思って読んでいるのが、ヨーガ行者の成瀬雅春氏の著書である。とは言っても、すぐには理解できないことも多く、自分でいろいろな行法を試しながら、ヨーガも試しながら、また、読み返すと、新たに発見がある…というような感じである。

 

 さて、私達は自分が知らないだけで、実はいろんな能力があるのかもしれない…ということは最近しみじみ感じていることである。先の記事、私達の意識の力 祈りそして瞑想(3) 世界水まつりの実験結果 にも、私達の祈りによって水が浄化されることをメモした。

 そして、ヨーガ行者の成瀬氏や、ヒーラーのバーバラ・アン・ブレナンさんの本を読んでいると、私たちの知覚はかなり未発達で、もっともっと磨けば、いろんなものを知覚できるのではないか…そんな風に思えてくる。

 そういう能力を身につけたら、様々な可能性が拡がっていくのではないだろうか…。今日はそんな話をメモしよう。

 

 成瀬雅春著「シャンバラからの伝言」

 

 

        

 

------------ ここから

 

 地球を救う救世主の出現は、夢物語や他人事ではなく、われわれ1人ひとりの問題なのである。

 自己の霊性を高めようとする人がひとり現れることが、ある意味でのマイトレーヤの出現になるのである。1人ひとりの魂を磨く修行が、世界を救う大きなパワーになるのである。

 魂を磨くとは、正しくは魂を曇らせている汚れを取り除くことで、具体的には「五感を磨く」ことである。「五感を磨く」というのは、第六感を働かせることではない。

 一流の芸術家や作家、科学者、スポーツマン等は、各分野で五感を磨き上げた人たちである。

 五感を磨き、五感の領域が拡大されると、その中に第六感や超能力が含まれるが、しかし五感が拡大するというのは、単に第六感が働くのではない。人間の能力があらゆる方向に広がり、自己洞察が深まり、自分のすべてを識る(悟りを得る)ようになることである。

 

 その修行に、私は「五感の拡大」を選んだ。

 

触覚

物に触る、人と触れる、大地との接触などから人間関係や社会とのかかわり、宇宙の運行などを肉体感覚としてつかめるようになる。

聴覚

すべての音を聞くことが、あらゆることの理解につながり、宇宙を構成している要素の発する音は、すべて聞き取れるようになる。

視覚

物を見る能力の拡大は、空気や音を観たり、心の動きやエネルギーの流れが見えたり、さらには、宇宙のあらゆる出来事を瞬時に見通せるようになる。

味覚

味覚の能力が正しく拡大すると、肉体が浄化され、菜食、穀物食指向んひなり、最終的には栄養を大気中から取り入れられるようhになるので、一切飲食せずに生き続けることができるようになる。

嗅覚

嗅覚の拡大は、動物的能力の開発に始まり、植物的能力、鉱物的能力から、気体のレベルに至り、宇宙の始まりから現在までの一切を把握できるようになる。

 

--------いったんここまで

 

 それぞれの知覚について、その拡大にともない、認識できる世界がとんでもなく広がったり、様々な能力が開発されるという。もちろん、これはかなりの修行をしたうえでの話だけれど、それでも、本来そういう能力を人間は持っているのだろう。

 例えば、聴覚についてはこんなふうに詳細に記されている。

 

---------- 再びここから

 

水の行法 ナーダ行法

 

 ナーダ行法の「ナーダ」というのは音のことである。ナーダ行法とは「音を聴く行法」のことだが、単に音を聴くだけではない。両耳をなるべくしっかり塞いだ状態で、耳を開けているときには聞こえない音を聴くのである。

 耳をちゃんと塞いでいれば、どういう塞ぎ方でもいい。ただひたすら音を聴くという行法に徹するだけでいい。心が落ち着くにしたがって、いろいろな音が聞こえてくるので、それをしっかり聴き取るようにする。最初は聞こえてくる音を淡々と聴き取るところから始めて、途中からは積極的にあらゆる音を聴きとるようにする。

 

中略

 

 このナーダ行法は、聴覚の拡大に非常に有効である。これを進めていくと、霊聴につながる。宇宙にはあらゆる音が満ち溢れている。その多くは、いわゆる「音」というよりは、もっと精妙なものだが、それがどういう音なのかは、実際に聞いてもらうしかない。

 われわれが普通に聞いているのは、ほんのわずかな範囲にすぎない。だから、聴覚の幅をほんのちょっと広げるだけで、いろいろな音が聞こえ、いろいろなメッセージが入って来る。

 

 聴覚を拡大していって聞こえてくる音というのは、体内音だけでなく、森羅万象の音である。宇宙全体に音が渦巻いているので、インドでは、宇宙で発せられるすべての音がまとまると「オーム」の音になるといわれている。オームは宇宙の創造主ブラフマンの象徴音であり、存在のすべてを表しているとされている。

 

 ある領域を超えると、聴覚と視覚は、枠がなくなって同じレベルになってきてしまう。例えば、シャンバラの会話が入って来る場合、そういう会話は「聞く」というより、「見る」という感じになる。向こうが何か言おうとすることが、「見える」、聞こえるのだけれど、「見える」

 

------------ ここまで

 

 宇宙の音、森羅万象の音…とはいったいどんな?と思う。普通に考えると…、音は空気の振動であって、それに応じて鼓膜も振動する。鼓膜の振動から変換された電気信号が脳に届き、私達は音として認識する。耳を塞ぐと、空気の振動はシャットされてしまうから、そこで認識される音っていうのはどういうものなのだろう。

 でも、確かに耳を塞いでも、音として認識する何かがある。聞こえるものがある。この行法を続けているうちに、宇宙の情報が入って来る…と成瀬氏は書いている。

 これらの能力を得るにはもちろん行法を積み重ねる努力が必要なのだろうけれど、部分的にはこういった能力を既に持っている人もいる。人のエネルギーの流れが見える人とか、不食で生きている人とか…、霊聴ができる人とか。

 

 さて、次のバーバラ・アン・ブレナン氏はエネルギーフィールドが見える人。彼女はどうやってそういうものが見えるようになったのか…。

バーバラ・アン・ブレナン著「光の手」より、メモしてみよう。

 

      

 

 彼女はヒーリングを施す相手のエネルギーフィールド(オーラ)がこの著書の表紙の絵のように見えたりするのだそう。

 

----------- ここから

 

 私が用いている療法は、手当療法、もしくは進行療法や心霊療法などと呼ばれている。決して神秘的なものではない。多くの場合きわめて複雑だが、すこぶる直接的な手法である。それは、私たちめいめいの周囲に存在する「生体エネルギーフィールド」と私が呼んでいるエネルギーフィールドのバランスを取る処置法である。誰でも肉体を取り巻き、内部にまで浸透しているエネルギーフィールド(オーラ)を持っている。このエネルギーフィールドは健康と密接に関わっている。超感覚的知覚は通常の人間の近くでは捉えられない物事を感知する方法である。それを用いれば、普通は知覚できない物事を、見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、味わったり、触れたりすることができる。それは、通常の視覚を用いないで、心の中に現れる映像を通して「見る」方法であるが、想像ではない。ときに透視として言及されることもある超感覚的知覚は、あらゆる物質を取り巻き、浸透する生命エネルギーのフィールド(一般的な意味でのエネルギーフィールド)と相互作用するダイナミックな流動的世界を明らかにする。私は人生の大半を、私たちが存在する、生きているエネルギーの海とダンスしながら過ごしてきた。そして、エネルギーが私たちを支え、養い、私たちに命を与えてくれていることを発見してきた。エネルギーによって私たちはお互いに知り合う。私たちはエネルギーの一部であり、エネルギーは私たちの一部なのだ。

 

中略

 

 私の幼少期は、とてもシンプルな生活だった。私はウィスコンシン州のある農場で育った。その界隈にはあまり遊び仲間がいなかったので、多くの時間を1人で過ごした。何時間も森の中で1人で過ごしたものだった。

じっと座り、小動物が近づいてくるのを待っていたのだ、私は風景に溶け込む訓練をした。沈黙や待つ時間の意義を理解し始めたのは、ずっと後のことだった。森の中でのそうした静寂の瞬間、私は拡大した意識状態に入り込み、通常の人間の経験領域を超えた物事を知覚できた目で見なくても、小動物がどこにいるかわかったのを覚えている。その様子を感じることもできた。森の中を目隠しして歩く練習をしていたときには、手で樹木に触れるずっと前に樹木の存在を感じたものだった。樹木が目に見えるよりも大きいことにも気づいた。樹木は周囲に生命エネルギーのフィールドをもっており、私はそのフィールドを感じていたのだ。後に、樹木や小動物のエネルギーフィールドを見る方法を学んだ。すべてのものが周囲にロウソクの光に似たエネルギーフィールドをもっていることを私は発見した。すべてのものがそうしたエネルギーフィールドにつながれていることや、エネルギーフィールドがなければいかなる空間も存在しないことにも気づき始めた。私を含め、すべてのものはエネルギーの海の中で暮らしていた

 

---------- ここまで

 

 森の中の風景に溶け込む訓練とか、目隠しで森の中を歩く練習というのが興味深い。それらも感覚を研ぎ澄ます訓練になるのだろう。また、こういった訓練等をしていなくても、植物の世話をしている人やペットを飼っている人は、そういった生き物のエネルギーを自然と感じているものではないかなぁ…とも思う。

 

 ちなみに私は数年前、足の爪を切っていた時に、自分の足の周りにふよふよとした2~3mmの緑の層があることに気が付いた。え、何だろう、これ…としばらく眺めていて、「これがオーラってやつなのかなぁ」と思った。

 それ以来、足の緑の層は見えなくなってしまったのだけれど、去年、ふと思い出して、自分の手を白いバスタブの前で眺めていると、下の図のように黄緑っぽい層が見えるようになった。手を動かすと、この図のように見えてくる。ただし、昔のラジオでダイヤル回して周波数を合わせるようなイメージで、意識をチューニングすることが必要で、なかなか見えない時とすぐに見える時がある。この図は上記「光の手」から。

 

(縦位置で写真を撮ったのに、何故か横になってしまう。見づらくてスミマセン)

 

 こうなってくると…、もっといろんなものが見えるようになったら、楽しいかもしれない…と思い、お風呂の中では、白いバスタブを背景についついオーラを見る練習に勤しんでいる。これからは耳を塞いで音を聴くナーダ行法も試してみることにしようか…。

 

 「光の手」にはオーラを見るエクササイズもいろいろ出ているので、興味のある方はご一読あれ。