愛とは「自我」を消した状態 すると 神が降りてくる!? | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 先の記事波動を合わせ、残った想念と共鳴する話で、周藤丞治著「いざ高次元世界へ」からこんなことをメモした。

 

「そうした波動を受け取るうちに、愛というのは、自分と他者の区別がなくなった精神状態のことだと理解できました。つまり、自我を完全に抜け出した状態です。他者も含めて、すべてが自分自身であると認識する状態です。」

 

(「そうした波動」というのは、ここでは古代から続く代々の天皇の波動を言っている)

 

 これを読んで思い出したのが保江邦夫先生の「我を消したご婦人」の話である。保江邦夫著「神様につながった電話」にある。

 

   

 

このご婦人は見事に我が無い方なのだそうで、この方がいるだけで、病気が治るという。(医学界の敵ですねぇ)

 

------------ ここから

 

 森永裕子さんという女性にあった。

 ごく普通の奥さん、門人で治療家の吉野太さんが治療していた人だった。ある日、吉野さんは「この人には見事に我がない」と気がついた。以来注目して見ていると、まさに完璧に我の消えた人。吉野さんはこの人はすごいことができるのではないかと思った、。彼女はご自分の興味もあって、ヒーラーとして高名なアメリカ人女性のセミナーに行ったりして、治療家としてある程度の教育を受けていた。吉野さんが彼女の我のなさに気づいて、「あなた、他人の体をいじっている必要なんかないよ。ただ患者さんの側にいて、じっと座っているだけで患者さんに必要な神様を降ろせるから。患者さんを治しててくれるのは神様だから」と伝えた。森永さんがそれに応じて治療院で実行してみると、本当にできるようになった。吉野さんの患者さんをはじめ、いろんな人が即座に治るようになった。たまたま僕はそれを聞いて、拓さんの人の流れで森永さんを紹介された。

 僕は12年ちょっと前に左の耳がほとんど聞こえなくなった。病院に通院し、ヒーラーや鍼治療や気功家に診てもらい、神社にも行き、様々なことを試したが、全然だめだった。吉野さんから、「森永さんで治るんじゃないですか」と誘われ、森永さんのところに行った。「ほんのさわりをやってみますね」と試しにやってもらった。本来は1時間半ぐらいかけるらしい。

 森永さんはただじっとしている。こちらはただボンヤリ坐っているだけ。

 そうしていると、僕にいちばんつながっている神様が降りてきて、その後は神様の出番。森永さんは後ろに立ってじっとしている。ただ自分を無にして、何も考えない。ずっと何にも考えないことができる人。治してあげようとか、うまくいくかしらなどと、ちょっとでもそういうエゴが出ると、神様が降りてこないから治らない。森永さんは何もしないで立っていられる普通のおばさんだった。いろんなヒーラーや癒し人に出会ってきたが、みなさん、それぞれお独自の存在感、悪くいえばアクのある、治してやるという我が感じられた。彼女にはそれがない。

 5分間だけやっていただいた。

 えっと驚いた。すぐ聞こえるほどではないが、何かが違った。

 左耳は聞こえないだけではなく、中の感覚も皆無だった。ところが、12年ぶりに、耳の中の奥がかゆくなった。喉とつながっている耳管の辺りがむずがゆい。つながっているその管がモニャモニャと何か動いているようだった。


------------ いったんここまで

 

このあと、インターフォンのピンポーンという音が左耳でしっかりと聞こえた保江先生。

 

---------- ここから

 

 彼女はただ自分を無にして、何も考えていない。たぶん悩みもない。煩悩もない。そういう暮らし、そういう人生を送って来られたのだろう。完全に我が取れている人とお見受けした。そういう人物を発掘した吉野さんの眼力もすごい。

 あんたはそこにただ座っていてくれればいい。そうしたら神様が降りてきて勝手に治療してくれるからと彼は懇請した。実際そうなった。治療家の吉野さんが自分の手に負えない難病の患者さんを彼女の前に座らせ、患者さんの快癒を何度も経験したという。

 

 中略

 

 森永さんから教えられたのはヒーラーや超能力者たちが「我」を捨てなければいけないということだけではない。患者さん、つまり普通の人たちも「我」を捨ててしまえば、そこに神様がやってくるということもだった。その段階になると、ヒーラーや超能力者はいらなくなる。自分で我が取れるなら、だれも呼ぶ必要はない。森永さんの存在も不要になる。自分で我が取れれば、誰かに来てもらって治すのではなく、自分お力でいい。自分でそれができる。それがベストの道、文字どおりのセルフケアだ。

 

--------- ここまで

 

 我を失くすと神様が降りてくる…。それは愛に満ちた状態なんだろうな…と、何となく頭ではわかった気になる。とはいえ、我を失くす…って、結構難しいことかもしれない。常日頃から、自分の正当性を主張してみたり、人と比べて自分の優位を確認してみたり…、人によく見られたいと思ってみたり…と、言葉に出さないまでもそういう思考は自分の中にいつもあると思う。こんな記事を書いている時でさえ、そういう思考は潜在する気がする。時には、自分ていじわるだな…とさえ思う。

 でも、冒頭の周藤氏の言葉

愛というのは、自分と他者の区別がなくなった精神状態のことだと理解できました。つまり、自我を完全に抜け出した状態」を心に留めて、普段から自分を客観的に見つめる癖をつけてみたらどうだろう。神様はそう簡単に降りてこないかもしれないけれど、「類は友を呼ぶ」で、我の少ない人間が共鳴して集まって来て、自分の周りは心地良い空間、愛に満ちた空間になりそうだ。保江先生も同著でこうおっしゃっている。

 

---------- ここから

 

 自分のエゴについては成り行き、出まかせだ。

 でもだんだんエゴの少ない人が周りに集まってくるようになった。だから自然に、自分からエゴを出さないですむ時間が長くなった

 

------------ ここまで

 

ポイントは…、まず、自分から…ってところかな…。