波動を合わせ、残った想念と共鳴する話 | 私のおべんきょうノート(ma-windのブログ)

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何でも自分で調べて、自分で考えよう。
本でもブログ記事でも、丁寧に読み込むことで新たに見えてくることがある。そういうものを少しずつメモしていこう。
分野は多岐にわたります。

 先の記事次元の話(2) 高次元世界へ...の入口で紹介した周藤丞治著「いざ高次元世界へ ー精神文明の夜明けー」は、今まで様々な本を読んできてちょっとわからなかったことの答えが多く、興味深いこと満載である。それは、物理学者である著者ご自身の精神世界における体験がそのまま率直に語られているからだろう。私達が生きていくうえでの道しるべにもなると思う。

 この世の真実を知らしめる役割として選ばれた人なりの修行の辛さはあるにしても、何ともうらやましいような気もする。でも、このように著書という形で伝えていただけるのならば、そこにたどり着いた幸運をかみしめて、読み進めることにしよう。

 そういうわけで、なかなか本題の「高次元世界」の話までたどり着かない。それと、こちらの本から学んだことを記事を書いても、何だか薄っぺらい気がして、なかなかアップする気になれない。ご興味ある方は手に取ることをお勧めする。

 

   

 

 今日は、波動を合わせる…ということについて。竹内文書に記されている多くの古代天皇お一人お一人とつながった…という。竹内文書の内容の真偽はわからないとしながらも、そこに記されている古代の天皇たちが存在したということは事実だろうとしている。どうしてつながれるか…と言えば、彼らの想念が残っているからなのだとか。

 想念が残る…と言えば、ヨーガ行者の成瀬雅春氏も「残留想念」と言う言葉と使っていた。北インドのレーにあるゴンパ(寺)で、大聖者の残留想念を感じた…とあった。(参照:聖者がヒマラヤにいる理由)そんなものがあるんだ…と驚いたが、やはりあるようだ。

 

 さて、古代の天皇の想念とつながる…とは…。それを周藤氏はこのように書いている。

 

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 ただ、私が一つ信じていることがあるとすれば、竹内文書に御名を記された神や天皇は、お一人残らず実在したのだろうといういことです。ひょっとすると実際には天皇になっていない方も含まれているかもしれませんし、時系列が正確に記されていない方もいるかもしれません。しかし、少なくとも実在はしたのだろうと考えています。

 なぜそう言えるのかというと、神や天皇お一人お一人の波動に、自分の精神の波動を合わせて共鳴させ、繋がってみるというのが、そのとき指導霊から課された修行だったからです。

 アカシックレコードの修行では、自分の精神をコントロールして、知りたい情報の波動と繋がる方法を学びました。神や天皇の波動と繋がるにはそれを応用すれば良いのですが、さらに精神をこまやかにコントロールする必要がありました。

 御名を呼び、精神の波動を合わせて繋がることで、お一人お一人の波動を感じ取っていったのです。特に有名な御方であれば、祀られている神社があります。指導霊に言われて実際に行き、その神社の波動と自分が感じた波動が合っているかどうか確認したことも、幾度となくありました。

 

中略

 

 波動というのは、何か仕切りがない限りどこまでも広がっていくものなので、あらゆる精神波動は精神世界すべてに広がっています。その中でも、神や天皇の精神波動は、特に力強く広がって、まさに「響き合って」いるのでしょう。

 そうか、もともと響き渡っている波動を感じさせていただくだけなのだ。そう思うと、畏れ多さは徐々に和らいでいき、修行に集中できるようになっていきました。ただ、そうは言っても、この修行はなかなか大変なものでした。

 

中略

 

 昭和天皇までの125名の天皇(神武天皇以降の神和朝)は既に崩御なさっていますが、生前に考えていらっしゃったことが精神世界に波動として残っていて、私はそれを感じることができたようでした。天皇に限らず、すべての人間が生前に考えたことは、死後も精神波動として残ります。それらの波動が整理されたものがアカシックレコードに記録されるので、アカシックレコードに行って過去世を調べることができるのです。全て記録が残るのだと知った私は、あまり変なことは考えないようにしようと思ったものです。

 

--------- いったんここまで

 

 考えるだけでも、すごい修行…。でも、その波動につながると、お一人お一人のお人柄が感じられて楽しい面もあったという。それにしても…、全ての人の想念が記録として残る…ということは、ホント自分も気を付けないと…と思ってしまう。
 

波動を合わせて共鳴させることで繋がるということをもう一度おさらいしておこう。

 

---------- ここから

 

 精神世界にあるものは、すべて波動からできています。波動は、細かさや形が似ているとお互いに共鳴し合って、エネルギーをやり取りして繋がるという性質を持っています(テレビやラジオ、携帯電話やインターネットの無線LANはすべて、こうした波動の性質を使っています。送信する側と受診する側が同じ細かさの電波を作ることで、共鳴を起こして通信しているのです)。

 ですから、私が「知りたい」と思い描いた情報の波動と、ある本の情報の波動が似ていると、共鳴して繋がることがあります。

 

中略

 

 波動を受け容れる状態になるには、心を穏やかに、静かに保つのがコツのようでした。つまり、深い瞑想状態を維持するということです。深い瞑想をしながら、純粋に情報を知りたいと意識するのは、最初はなかなか難しく感じられました。しかし、徐々に慣れていくうちに、やがて本を触って、ページをめくって、情報が読めるようになっていったのでした。

 なぜ心を静かに保つ必要があるかというと、精神世界では何かを思うと、即座にそれと似た波動が共鳴して繋がってしまうからです。嬉しいと思えば嬉しい感情の波動が、悲しいと思えば悲しい感情の波動が、自分を目がけて瞬間移動してきます

 そのような状態では、純粋に情報を受け取ることができません。そもそも精神世界へ行くときには既に深い瞑想に入ってはいますが、精神世界で穏やかに過ごすためには、さらに深い瞑想状態を保つ必要があるのです。

 

------------ ここまで

 

 すごい瞑想だ。私なんか雑念の塊だから、こんな深い瞑想状態を維持するなんてことはできないなぁと思ってしまう。すぐに、あれやこれや余計なことを考えてしまう。まあ、瞑想状態になって様々な波動とつながってみることもすっごく興味深いけれど、この共鳴の考え方は普段の生活にも生かせそう。

 普段から穏やかな心持で過ごしていれば、おそらくそういう精神世界の波動と共鳴して穏やかな波動を持つ人と繋がれる。利他的な愛に満ちた行動をとっていれば、おそらくそういう波動を持つ人が共鳴して繋がって来る。幸せになれる。あ、それって所謂「類は友を呼ぶ」ってやつかな。で、これ、もちろん逆もあり…なんだろう。いじわるなことを考えていると、きっとそういう仲間がやって来るはず。結局、自分次第ってことなのかも…。

 

 読み進めていたら、次の興味深い文に出会った。

 

-------- ここから

 

 そうした波動を受け取るうちに、愛というのは、自分と他者の区別がなくなった精神状態のことだと理解できました。つまり、自我を完全に抜け出した状態です。他者も含めて、すべてが自分自身であると認識する状態です。これを私は自己の状態と呼んでいます。

 

-------- ここまで

 

 自我を抜け出す…。そういえば、保江邦夫先生の著書に「我を消す」ということが書かれていたっけ。我を消すと神が降りてくるという話だった。それがすなわち愛に満ちた世界…ってことなのかもしれない。うーん、深い。