ポイ活のクイズか何かに出て来て

せっかくだからと読んでみた

これも不貞寝しながら一気に読んだ

うそ いったん寝落ちしてしまって

もう全部読んじゃおうとがんばった

 

前に読んだのが何歳の時かわからないけど

こんな話だったんだ~(アホ) でも

その時と今とで感想はあまり変わらないはず

 

とにかく

救いが無くてやりきれないのと

やっぱり

戦争というものが

いかに暗く重く 全てにのしかかっていたか

 

古典ってすごいなと改めて思った

時々岩波文庫も手に取ってみよう

 

あと この岩波文庫が新しい訳で

とても読みやすく 私が言うのもなんだけど

すばらしい翻訳だった

誰でも抵抗なく読める翻訳って

あたりまえのことじゃないので

 

2025/9/23  11:15

『金閣寺』の後

『美徳のよろめき』は少しずつ

『永すぎた春』は一気に一日で読了

後者は 確か家が内紛状態で

立てこもった? のが功を奏した感じ

 

こちら系 女性側系というか は

悲惨な出来事とか悲惨な結末とかがなくて

読みやすいけど 読みやすい分

ここから何を読み取ればいいのかな? と

逆にわからなくなる


とにかく日本語が美しい

その分だけ難しい日本語になる

「今」の小説を読んで

同じ意味で感動できるかなと思ってしまう

 

こういう系だと 続けて

『細雪』読みたいかもと一瞬思ったけど

谷崎はいつでも読めるから ってなっちゃうなぁ

 

2025/9/23  11:05

自分は「推し」という言葉が好きではない

と前に書いたことがあって

これは世代的なものかなと勝手に思ってたけど

「推し」という言葉には

他の人に推したい 推薦したい という気持ちが

含まれると書いてあって

ちょっとドッキリ

 

私は 自分が好きな何かを

他の人と共有したい という気持ちが希薄で

あんまり行ったことないけど

芸能人のコンサートやライヴもそうだし

こっちはかなり行ったけど

野球やサッカーを観に行ってもそうだし

周りと一緒に声を出すことが出来ない

ましてや身振り手振りなんてとんでもない

 

小学生か中学生くらいまでは出来てたかも

大学生の時の「終了」コンサートでは無理だった

 

理由はわかる

私は 好きな何かを

独占したいんだ 共有なんてしたくない

「たくさんの人に知ってもらいたい」なんて

こないだ偉そうに書いてたくせに

いや あれは嘘ではないんだけど

 

今 この瞬間 私が味わっている

感動や感激や感謝といったものは

独りで味わうからこそ高まるのであり

共有するとなんか薄まっちゃうような

単にそれが気恥ずかしい ってのもあるし

 

短文でも長文でも

読者を明確にする という指摘があって

それは重々承知の助で

自分だけのために書いているつもりで

実際はそうではないのも自覚している

 

そういう意味でも

共有したいと思うわけがない(笑)

 

ただ どこかの時点で

独り占めしないで

広く知らしめる という行動に

切り替える必要はあるかもしれない 部分的にでも

それが私の務めかもしれないし 違うかもしれない

 

「ヤバイ!」しか出て来ない! というのは

ホント まさにそうだなと思った ヤバイ(笑)

何がヤバイのか

なぜヤバイと感じるのか

そこを突き詰めよう というのは

刺さった この「刺さった」も好きじゃないけど

刺さった としか言いようがないのもわかる

 

声が出せないから

クラシック音楽のコンサートは

最高です(笑)

 

そうそう 忘れそうだから先に書いとく

「積読」という言葉は

三島が作品内で使ってた! ビックリした~

 

2025/9/17 11:45

チケット買えた ふ~ どきどきした

 

 

またどうでもいいことだらだら書いちゃったと後悔した

でもああやって想いを文字にして打ち込んでいくことが

私にとっては生きるのに必要な作業なんだとも思う

せっかくロルバーン買ってるんだから

手で書きゃいいのに なんか出来ない

消したり順番変えたりみたいな作業が

もう必須になってるのもあるし

手で書くのは 重い と感じる

想いを叶えるジャーナリング っていうのを

敢えて調べてないのがその証拠かもしれない

 

前回は あんな長々しく書く必要なくて

ただただ 舞台に登場する瞬間が楽しみで

その瞬間から 舞台の袖に隠れる瞬間まで

本当に幸せだった 本当に

 

少し後になって理解した

あの時の自分であればいいんだ 常に

皆さんが言う イイ気分とか ワクワクとか 高波動とか

あれこそがその状態で

あの状態を維持できれば

私はもう「完璧」なんだ わかった 理解した

 

やっぱり修行が足りなくて

元に戻ってしまうのだけど

 

あの状態が最高なんだってわかっただけで

ものすごい意味があった

なるべく頻繁に それを思い出して

自分自身をその状態に持って行けばいい

 

そして その最高の時間を

引き延ばしてもらったことが

ものすごく嬉しかった

それが私のためではなくても

本当に嬉しくて感動した

ありがとうございました

 

 

ずっと座って来た席にしようか迷ったけど

この先「いつもの席」になるかもしれない

例の席がちょうど空いていたので

迷わずポチった 無事購入完了 ふぅ

 

私がいることで何か悪いことが起きるなんて

ありえない そんな考え自体気持ち悪い(笑)

それと

相手からどう見えるか という考え方は

卒業したんだった

もちろん気にしなきゃいけない部分はあるけど

それは最低限の マナー的なことであって

それより 私自身がどうしたいか を

最優先に考えなきゃいけないんだった

 

この公演は私から私へのプレゼントだから

もうそろそろ少し贅沢をしてもいいだろう

価格が跳ね上がることをビビっていたけど

勘違いで 大したことなかった

 

私がいてもいなくても同じなんだから

私はいてもいいんだ

悪いことなんて何ひとつ起きない

しかも完璧な自分に近付ける

 

このことを理解するために

あの年 悲惨な出来事があった年の暮れ

私はメサイアと出会ったのかもしれない

先週は体調不良であっさり自宅待機にしたのに

いつもの土曜の工程の真ん中に差し込むという

無謀というか大胆というかはどこから来たのか

見事にお腹の調子も悪くなるし

これってもう精神的なものとしか思えない

表ではポジティヴを保ってるつもりでも

潜在的には 不安はともかく

緊張してるんだろうな

緊張すべきことも何もないのに←これがそもそも嘘なんだよね

 

大切なイベントだからといって だからこそ

あまり特別扱いしないで 色々温存しないで

日常の中にさりげなく? 取り込んでみよう

という気持ちがあった

 

最終的にはぐったりのばたんきゅーだったけど

何もしないより

やることたくさんの方が

ラクだったり

うまく回ったりする場合もあるのかも

なにより公演の間は

心身ともにパーフェクトだった 感謝

 

 

もう十年超えてるし

それなりに書いても良いと思うので書くけど

今回の公演は特に

今日これから行われる方の会場がベストであって

昨日の会場の場合は ちょっと何か変えてもらわないと

演者を増やすか

場所を狭めるか は出来ないから

私の耳が拙いのかもしれないが

もっと聴きたい音が聴こえない

フォーメーションチェンジの意図は理解できたし

見た目からしてわくわくして好きだけど

そこまでの効果は 私の席からは感じなかった

今日同じことをやればだいぶ違うはずだけども

 

とかなんとか言いながら

皆さん同じことを書いておられるが

本当に あっという間で

時間のあり方が変わったなと実感した

 

今 聴きながらこれ書いてるけど

本当に どの曲も楽しい要素があって

私のチケットは割引入りで五千円ちょっとなんだけど

もう激安! ただみたいなもんだと思う

 

3曲目はそもそも大人気のようで

私も ずいぶん前から この曲の

夢のような って表現力ないなぁ

ドイツ南部の教会の上半分 としておこう

そういう雰囲気が大好きだったのだが

私の記憶が確かならば 以前かかった時

別バージョンの編成で始まって

あぁ こっちか と思ってしまったけど

今回は もうね

 

そう 私はこれを聴きたかったんだよ

良かった 嬉しい なんて幸せなんだ

しかもキラキラツートップだよ

なんてかっこいいんだ ステキ過ぎる

 

すさまじい幸福感に包まれながら

文字通りには考えなかったけど

生きてて良かった

生まれて良かった

みたいな気持ちになった

 

なんとなく 今日はいるような気がして

息子も 両店のメニューを確認しつつも

今日はここかな と前日から言っていたので

それを信じて久しぶりに入店したら

いた! いつものお兄さんがいた!

しばらくお見掛けしなかったから と言われて

うちも何回か来たけどいつもいらっしゃらなくて

来ないな いないな とお互いに思っていて

会えて良かったです とお互いに言い合うという

この喜びったらなかった

息子はもう大きくなってしまって

親しみ過ぎる挨拶は出来なくなって来ているけど

それでも 顔を憶えてくれている人がいることの

ありがたみと喜びを知っていて欲しい

 

だから 同窓会は

誰かが声を掛けてくれたら行こうと思っていた

誰からも声が掛からなければ行かないというスタンスは

よろしくないことはわかっている

そもそも 同窓会というもの自体

避けるべきものに今はカテゴライズされているらしいし

でも 私を初めてドイツに連れて行ってくれた

旧友からメールが来た時 行こうと素直に思えた

 

今 私を認識してくれる人

私に声を掛けてくれる人は

これからの新世界を共に歩む人

だから 家を出て 会いに行く

私にもやっと そういうタイミングが

来始めたのかもしれないから

 

 

何より

元気で楽しそうに演奏している姿を

見られたことが一番の喜びだった

元気とか 楽しそうとか

子どもじゃねーんだよって感じかもだけど

違う これ以上に大事なことなんてない

 

今日も行けたらいいのにとは思うけど

あの会場は やっぱり何か特別であって

私が 私ごときがとは敢えて書かないが

私が行くべき場所ではない気がまだするから

残って応援する

今日も素敵な演奏を 楽しみにしています

 

 

差し込む箇所がわからないから最後に書く

最初の曲 君様がお休みのところ

久しぶりに 音楽が立ち上がるところを見た

3つか4つの音しかないんだけど

それぞれがもう凄まじく美しくて

その音たちが立ち上がっていって

ひとつの建築物のようになる様を

 

あぁそうか お休みじゃないと

私のあれこれが一点集中してるから

こういう立体化を

少し離れたところから眺めるなんて

無理なわけだね なるほど

 

それと これはもうちょっと詰めた方がいいのだけど

自分の中にある音楽

ある特定の楽曲をひとつ取ってもいいけど

目の前で演奏されているそれと

自分の中にあって流れるそれとは

距離があるというか 別物というか

聴きながら 自分の中のそれを

構築したり 修復したり 装飾したり

これって

『金閣寺』を読んでて感じたこととつながる?

主人公にとっての

目の前にある金閣寺と

自分の中にある金閣寺との間にある何か

って感じじゃないかと

 

でも私は

美しいものを目の当たりにした時

それを破壊したいとは全く思わない

むしろそれを大切にしたいし

たくさんの人に知ってもらいたい

そう思う自分

そう思うように育った自分を

もっと認めてあげてもいいかもしれない

自分が認めてあげないでどうするだよね

 

そう思うように生まれて来た自分

が正解だと思うけど

 

ループ再生してて

今3曲目が始まった

視覚的に脳内再生できる間って

ほんと 幸せだ

そのうち消えてってしまうから