東京より埼玉の方が良かったと感じた理由は 単に
全体が見えるか否か 特に合唱の全体像が ということかも
楽器については 慣れている諦めているというより
見えなくても聴こえていれば何とか耐えられる(例外アリ)が
合唱は 特に今回のような複雑な構成のものについては
目視することでやっと理解できることが多いので
なんかこれ毎回書いてるかな自分 恥ずかしいな
東京の方が先だったのに
この席はもういいかな とか思ってしまった瞬間があった
あの席に今までどれだけたくさんの恩恵を与えられて来たか
考えてからモノを言えってんだ
とはいえ ロ短調ミサについては
合唱が本当に複雑なのでね 全体を見たいわけですよ
キラキラツートップについては
もうそれが普通になってて誰も何も言わない書かないだけかもだが
本当に 素晴らしいし素敵だった
練習風景など一生拝めないだろうから
声楽なしの演奏を聴きたいくらい
何が素晴らしいって
なんでもできる技術と才能があるのに
飾り過ぎないところが素晴らしいので
マエストロの指揮であっても 他国の話だけど
えぇっ? ってほどアレンジする演奏家もいて
それがバロック音楽なのかもしれないけど でも
ちょっとだけ宝石を付けてみたよ
ちょっとだけ花束で飾ってみたよ
という飾り方がものすごく素敵で
このような方法というか思想?を
私は強く尊敬している
ちょっと話がそれるが 全然違う話に
何度も聴かせてもらったからこその感想かもしれないけど
楽曲への向き不向きというのはあるなと正直思った
これって結局 こちらの好みの問題でしかないのと
それまで聴いて来たものがベースになるわけだから
次に来たものに違和感を覚えるのは素人が過ぎるが
これはもう何を書いてもどうにもならないからもう書かない
自分のためにもならない
すごい素晴らしい素敵! と思える箇所と
そう思えない箇所とが出て来るくらいに
私もちょっとずつ成長しているということで
そういう意味でも
楽しみな箇所はそれをはるかに超えて来た
期待とか 心配とか 私のあれやこれやは
何ひとつ役に立たないことを理解したので
なるべく無心で
まぁ聴いてる最中あれこれ考える癖はなかなか消えないんだけど
なるべく無心というか平常心でいると
すべては素敵にうまく回るもので
特に埼玉では 上手に聴けたかな
とても楽しかった 本当にお腹いっぱい!
ここに書いたか忘れてしまったけど
卒業式を境に
本当に 何かが大きく変わってしまって
それが人の 子どもの成長というものだとしても
今まで自分がしてきたこと全てが間違ってる気がして
自分に存在意義はあるのか と
今でもまだ 感じる瞬間がある
自分の声の音波が 波長が 波動が
どんどんひどくなっていることに
自分で気付いているのに
直せない そもそも
自分の声がどうあれば自分が納得できるのかすら
ぜんぜんわからない
コンサートホールの席で
行儀よく 微動だにせず(今回は文字通り)
当然ながら無言で
音楽の中で生きている自分が
本当の自分だと信じて
なんとか乗り越えて生きましょう





