これぞミシマ! は

もう難し過ぎてどうにもならなかった

何度か読んだことあるはずなのに

あちこちというか全体的に忘れてるし

お寺が舞台ということもあって

とにかく言葉が難しい

読めない熟語が多過ぎて

全集で読むデメリットを感じた

専門用語だから読めなくてもしょうがないかもしれないが

これを書いた人の凄さを思い知った

 

自分が美しいと感じるものを

どのように言葉に置き換えるか

最高峰ともなると

もう手が届かない感じ だけどそれは

表現的な難しさに

思想的な難しさが相まって

手が届かないと感じるのであって

ワタシテキなそういうもの は

確かにあるな と思える

 

作中 またというか

「音楽」という表現が使われていたけど

私の場合は その対象が

音楽なので だからというか

どのように言葉に置き換えるか を考える場合

形として存在しない音楽を対象にすること自体

そもそも難しいし

そんなことできるのか? ってレベルだけど

金閣寺という 物質化されている(ように見える)

ものが対象であった場合に

どう立ち向かうか

 

建築も絵画も

すぐに見飽きてしまう私は

難しい! を連発しながらも

とても興味深かった

 

そうそう 昔 確か村上作品で

たとえフィクションであっても

むやみと人を無くすのは我慢ならない

と先生に訴えたことがあり

それが主人公の在り方や生き方に影響を与える重要な出来事であってもか?

と問われて それでも嫌なものは嫌なのだが

今回は あぁなるほど こういう使われ方があるか

と素直に受け入れた箇所があった

まぁ 素直でもないか でも今回は

そのことの重要性は理解できたというか

 

序盤で既に感じた

戦争というものが

いかに重く暗く

直接的のみならず 間接的にも

世の中を支配していたか

同じ三島作品でも 谷崎作品でもそうだけど

戦中戦後の上流社会を描いた作品は

なぜだか興味深く読めてしまうけど

この作品においては

2025年を生きる私に暗く重くのしかかって来るようだった

 

実際に起きた出来事を素材にして

小説を書く場合の「匙加減」に対して

激しく憤る案件が最近あり

あまりに気分悪いので私は読まないけど

この作品は ウィキペディアを読む限り

かなり 実際の事件に近い というより

詳細に取材して書かれた作品であることも

興味深かった もちろん書かれた「時」を

加味して考えなければいけないけど

 

同じ本に『美徳のよろめき』が入っているので

次に読みます

読書系YouTuberさんで

『音楽』を読み始めました という方がいらして

私も読んでみた

 

正直 「音楽」という言葉の

この作品での使われ方に違和感は残るけど

正直 本当に正直に言うと

この作品の中に 私の中のイタイ箇所を

鋭く突っつくものがいくつかあって

私も読んでみよう という偶然には

なるほど意味があるのだなと思った

 

作品内での限定的な意味ではなく

作者が「音楽」という言葉で表現したかったものは

いくらか 理解できるとは思う いくらかね

何度か読まないと

作者が伝えたかった意味には到達できないなとも思う

 

せっかく分厚い重い全集を借りて来てもらったので

『夜会服』も読んでみた

よくまぁこんなに若い女性の心理がわかるものだと

感心しながら読んだ(笑)

ただ後半 他の登場人物の心理描写が増えて

義母はともかく 夫となる彼の心理とかは

放っといてもよかったんじゃないかと

つまるところ この物語の主人公は

義母だったのかもしれない

その視点で読んでもおもしろいかも

 

4作品とも比較的読みやすい作品だったので

(書いている)今日から読み始めた

『金閣寺』は やっぱ毛色が全然違って

大変だ~という感じ だけど

これぞミシマ! って作品読みたいよね

 

 

すんなり手に入って良かった

去年買った2冊も未使用だけど

この色味がツボなので買っておくことにした

 

これ(右)も敢えて直営店に行って買ったのに

あっさりLOFTに置いてあるしさ

素人が深堀りすべきじゃないねロル沼は

でも右の アメリカのデビルズケーキだけど

私にはシュヴァルツヴェルダーキルシュトルテのは

どうしても欲しかった そんなに気に入ってるなら

全種類買って来れば良いのに買わないで

後になってあのちっこいの買えばよかったと後悔

左のホットケーキは 今使ってる今年の

緑地のホットケーキと同じ柄だけど

背景の色がなんとも素敵で

今と同じ雑記帳というか

体調と読書の記録しかしてないけど

として使う予定で同じくA5を購入

でさ ダイヤリーって

紺バンド一択になったの? もともとそう?

 

これこれ 去年も紺バンドだったか なら別にいいや

 

他にもちょこちょこ買ったりして

私はそれはしないと決めていても

「積んロル」になってしまうみたい

本当は(書いてる)今日も某直営店に行って

良いのがあったら買うつもりだったんだけど

自宅待機になっちゃって 残念

 

ちなみに息子のはコレ

学校で支給された といっても

お金払ってるのは保護者だけど

連絡帳が記録のメインになってしまい

たまに数学関係ちょこちょこ書いてたけど

今はほとんど使ってない模様

とりあえずダイヤリーは1冊買っておこうと

自分で選ばせたらコレになりました

あちこち振り回して 空振りもして

申し訳なくてアイス食べたんだった

夏休みの『モモ』お疲れさま

去年のこの頃に初めて読んだんだね

 

 

読書系YouTubeを観てて改めて知った

「積ん読」という文化?があることを

正しい姿勢だと素直に思う

私は 本は基本買わないで

読むと決めた本をピンポイントで図書館から借りるという

ある意味よろしくない方針なので

 

大型書店に行くと

本に囲まれる生活に憧れてるくせに

猛烈に疲れる あと 毎回ではないけど

やまだよしこ症候群にも見舞われる

それはまぁ 図書館でも同じなのだけど

読んでいない膨大な冊数の本達に囲まれると

読んでいないことを責められているようで

いたたまれない

 

あと 買うと

買って読まない が確かに起こる

それでも買った方が良いことはわかっている

 

でも 大型書店に行ってわかった

本には「今」の本ってのがあるんだ

今 文字通り「今」

書かれて 刷られて 読まれる

本がある

至極あたりまえのことなんだけど

私の好みから少し離れた位置にある

 

 

人間の関係性と言ってもいいし

率直に 恋愛と言ってもいいけど

敢えて後者を取ると

 

一定の距離が置かれることで

成立する恋愛がある

 

二度と会わないことで

成立する恋愛がある

 

そうかもしれない と納得しながら

そうかな そうでもないんじゃない?

と何かを期待したりもする

 

2025/8/30  19:30

ふだん全然読まないくせに

本に囲まれて過ごせる宿泊施設の動画ばかり眺めてたら

生まれ故郷に出来ていたというサプライズ

両親が教えてくれなかったら

違うホテルを予約するところだった 感謝

 

しかも市立図書館の本も読めるというすごい仕組み

しかし私 この仕組みの理解が中途半端で 

息子が実家に持って行こうとしたらキンコンが鳴り

図書館員さんが飛んで来てしまった

なるほど建物の外には持ち出せないってことね(アタリマエ)

息子の本は父のカードで借り出したが

私のは分厚いし そこまでしなくてもと

手続きしなかったがために

あとでとんだめにあった

 

こちらで紹介されていた『命売ります』が

とてもおもしろそうだったので

前もって検索して 全集の巻の番号?

何巻に入っているのか調べておいたので

スムーズに探せたのだけど

どちらも分厚くてびっくりした

三島の全集は借りたことなかったかな

 

『命売ります』は 紹介されていた通り

シンプルにとてもおもしろい作品だった

『肉体の学校』は ひとことで言って

「恋愛の教科書」という感じ

この作品を教科書だと感じる辺りが

私の 私にしかわからない特徴を

よく表しているのかもしれない

 

開いた瞬間の旧い文字の並びが素敵だった

こういう頁を かつては数え切れないほど

めくったものだった あまりに美しいので

最初の頁を息子に見せて力説したはいいが

子どもの前で頁を繰ることは出来ない(笑)

 

登場人物たちの生活感の無さが

私には大変 心地よかった

実生活のあれやこれやに振り回されない

ごくごく一部の人々 しかも

実際は大して昔の話ではないはずなのに

今とは全く異なる 遠い昔の 異国のような

舞台設計が以前から好きなのはなぜなのか

今はよくわかる

自分の生活が整っていないからだ

ホテル生活が好きだったこともそう

今回はホテル不眠に悩まされることなく

結果的には とても楽しい4日間だった

 

このロビーでは 3日目の客室清掃の間

1時間半くらいかな 読ませてもらった

先日 なぜ通勤電車では読めたんだろう と書いたが

そんなの分かり切ってる

「本を読むしかない」状況だったからだ

今回の帰省中は 誰かと会う予定を作らず

借りた2作品を読了して帰ると決めて籠った

このロビーも レストランでの朝食も

かなり目立つところに陣取っていたのだが

偶然知人とばったり! も一度もなかった

 

何年振りだかわからないくらい久しぶりの帰省

両親のためというより むしろ自分のために

ホテル宿泊 基本別行動 を申し出た

息子だけ迎えに来てもらい 私は毎回の夕飯と

夕陽を観に行く時だけ 同行させてもらった

 

行くまではいろいろあって

出発前のおかげ庵デビューの辺りから

急激にお腹の調子が悪くなり

せっかくの母の夕飯も全力で楽しめず

特に前半はキツかったのだけど

基本独りでいられることは

ものすごく大きな なんというか

良い効果があった そしてそのことで

実家で暮らした十代の自分自身が

どういう状況に置かれ

どういう困難を抱えていたか

はっきりと自覚し理解した

 

これがインナーチャイルドを癒すということなのか

よくわからないけど 少なくとも

当時の自分の悩みと

そこから出られない苦しみ

子どもというのは

家の中での悩みを抱えっぱなしで

それを解消することはほぼ絶望的で

毎日そこへ帰らなければいけない という現実を

五十を過ぎて 明確に言語化できた気がする

 

恵まれた十代だったことは明白で

それは素直にありがたいと思っている

でも客観的に計れる恵まれ加減と

私という個人の個人的な悩みとを

天秤にかけてどうこうなんてできない

 

3日目 3人の水族館からの帰りが

予想外に早く まだ読み終わってなくて

続きを読んでしまいたいのに持ち出せず

手持ち無沙汰な実家でただ寝転んでいるだけの

数時間 これ これなんだよ キツいの

ご飯作るの手伝えよって話だけどさ

大学生の時 膨大な時間を

こうして無駄に消してたはずなのに

今はもうできない

 

最終日も実家に行くと言う息子

荷物をまとめるため私は遠慮し

がんばって読み切って返却に行き

半泣きで戻って来た息子と一緒に

チェックアウトして特急に乗り込んだ

今年は行かなきゃいけないと思ってた

確かに 今 行くべき場所だった

行ってみたら また行こうと思えた

 

2025/8/10  23:23

 

『肉体の学校』こちらの動画で紹介されてました

持ち物がひとつ多いな とはすぐに思った

 

1日経った今なら

心配という行為は

相手のことを信頼していない という表れになるので

子どもに対しても

心配ではなく

信頼して 何事もやらせる 外に送り出す

ということをちゃんと思い出せるけど

 

その時は単純に

心配という感情は波動が低いから

だめ そうじゃなくて

私がイイ気分になれば

私の世界は望んだ通りになるんだから

私がイイ気分になろう と

Akaneさんが教えてくれたことを何度も思い出して

 

でも 悪い癖は直らんもんで

私がこの席に座っているのがいけなかったのか

とか 思ってしまったりした

 

いやいや

私がどこに座ろうと

私がいくら心配しようと

何も変わらないって とにかく

お願いはするだけして(笑) ←かなりした(笑)

あとは 私がイイ気分に というか

安心して 心配しないで ここにいる

お願いする時は 曲に合わせて

目をつぶって集中するようにした

集中の方向が違うのはわかってたけど

昨日の私にとっては

ただその1点だけが重要であって

全体的な味わい みたいなものは

完全に手放した それは

私以外の二千人がやってくれる

 

思考の現実化が速まっている という話も

丸ごと信じて そしたら

本当に 願ったように

目の前の世界が展開され始めて

あぁ よかった ほんとに

うれしかった ありがとう

 

私は 例えば

体調不良を押して仕事をする ということを

放棄して久しいのだが

それがどれだけ大変かは体感としてわかっていて

だから ただ能天気に座っているだけの自分を

責めるというか

何も出来ないことが

そもそも何か出来るわけもないのだが

無念で だから

私がこの席に座っているのがいけなかったのか

みたいに 無駄な自責を始めてしまう

そんなの気休めと自己弁護だろう気持ち悪いよね

 

でも 願いが叶い始めたら

私がここにいてもいなくても

同じというか なんと言えばいいのかな

私がここにいるといないのとでは

何かが違うんだろうけど

少なくとも私自身が認識すべきことは

私はここにいてもいなくても

同じで

私がどう 私はどう みたいなことを

消して 欲を消すという感じかな

大切な人の状況が少しでも良くなることが

一番うれしいことなのだと

書いてみると至極あたりまえのことで恥ずかしいが

これを学んで 少しだけ成長したかなと思う

もちろんこれは私の目から見た世界のことで

実際のところはわからない

でもそれはどうでもいい

私にはわかり得ない

 

ちょっとずれて撮影

これくらい上がった方が

邪魔?にならなくて良いのかもしれないけど

取ってしまったものは仕方ない

 

世界には私しか存在していなくて

私が見えているもの 認識できるものが全て

であるなら

相手から見てどうこうという考えは

まったく必要ない

そうなんだけど

行き道 ちゃんとがんばったはずなのに

あぁ今日もまたイケてないなぁ

とガッカリしてしまったことは

良くなかった 思ってはいけないことだったな

やっとこさ地上に出て日傘を開いたら

すぐ目の前を

キラキラツートップのお兄さんが歩いているという

逆?サプライズ あゎゎゎゎ

一度も振り返られることなく

まぁあったとしても何もなかったんだろうけど

それでもかなり緊張した(笑)

 

しかし1時間前で此処? との疑問符は

そこそこ聴き込んで行った甲斐あって

それほど動揺の元にはならなかったし

開演後 あぁ なるほど と納得

 

登場人物が少なめ 話もシンプル

それほど酷い出来事も起こらない

という私にとっては有難い作品

対訳を見ながら聴く修行もしたけど

聴いてると結局音楽に引っ張られて

あれ今どこ? になっちゃうので

やっぱり字幕があると助かる それと

その役のソリストが今そこで歌っている

ということ以上のわかりやすさはないと思った

当たり前だけどね

 

そうそう セキュリティコードのあたふたで

仕方なく選択した席だったんだけど

きっとこれが最適解なんだと信じて行ったら

本当に レーザービーム級に

君様がよく見える席で感動した

ツートップのお兄さんは残念ながら

ほぼ見えなかったから本当に奇跡的

 

つごう3パターン(1録音2公演)

聴いたり観たりしてから行ったんだけど

1曲だけ 完全に初めて聴くアリアがあった

正直 聴き慣れたのを聴いてみたかった


 

抱っこ紐でお買い物してる女性を見ると

すごいなと思う

あの状態で 初めてのデパ地下に行って

お弁当買って パン買って ホテル戻って

ご飯食べさせて 寝かしつけて なんて

今の私には信じられない芸当 でも

あの時の私はそれをやってたわけで

なんかもう 信じられない(笑)

 

抱っこ紐の中に収まってたのに

数値的には3倍になって

私の背丈をそろそろ超す

靴が小さいって こないだ買ったばっかじゃん

ノートの数式は もう完全にちんぷんかんぷん

 

ロ短調ミサでアレだから

3時間超のオペラなんて

まだまだとんでもないけど

毎日さんざっぱら聴かされたせいで

いろんな曲を口ずさんでてすごい

いつかぜひ会場で聴いて欲しい

 

 

エンディングを見つめる

初めて見る表情だと思った

かつての自分自身が重なったのかもしれないし

ぜんぜん違うことを想っていたのかもしれない

 

前日までの予習が

子どもの存在をなんとなく排除した形での

それだったこともあり

あの場面で 自分が

素直に感動できないでいることを恥じた

 

でも 古典劇に心理的に没入することは

諦めている 私のあり方に合っていない

だからこの日も

音楽を素直に楽しもうと決めていたし

同じ空間で同じ音楽を聴いていること

そのものを大切にしようと決めていた

そう出来ない時間も多々あったけど(笑)

でもやっぱり 特別だった

言葉にし得ない 心の震えがあった

 

 

ツートップのお兄さんも

行きがけにチェックしていた

クラフトビールの屋台は

帰りは見事に閉まってて

今回も駅までダッシュ

寝過ごして乗換駅を変更したりしながら

なんとか2時間 乗り切った

これが出来るなら

静岡にだって行けそうなものだが

今の私には 新しい街に出掛けて

独り歩きするだけのパワーがない

もうしばらく お預けみたい