開場が早いのでこんな画像も撮れる

けどここでこんな画角で聴いたことまだ一度もないかも

 

マダムのおかげで 今年こそ空席にせずに済んだ

完売だったみたいだからなおさら

 

座って下さった方にとっても

なかなかグッドな席で私もほっとしたけど

「見えなくても聴こえれば充分」と言われ

えぇぇぇっ ちょっと恥じ入ってしまった

見えないのが辛くて 辛過ぎて

もう1枚買う私って むむむむ

 

それでも 毎年そうだけど

がんばって取って良かった 今年も

 

今年のマタイもすごかった すごいって 言い方

テンポとか 表現の仕方とか 仕方って 言い方

毎年本当に少しずつ違うんだよね で今年のは

どれもかっこよくて好きなタイプだった 言い方

 

音の粒とか緊張感とか 言い方がわからないけど

そういうものも完璧で すべてがすばらしかった

 

今年のマタイはこんな感じ を初めて知る日で

聴いている私にも無駄に力が入ってしまうのか

そもそも超ハードスケジュールな土曜日の合間に

差し込んだせいか 終演後ものすごく疲れた

2日連続って無謀だったのか いやいや

3日連続の演者の皆さんの方が

もっともっと大変に違いない

舞台上ではそうは見えないところがまたすごい

 

暇な時 なんてホントはないんだけど 敢えて

暇な時(笑)のお楽しみの通奏低音で

若マエストロの足さばきが見えた時

 

ピアノもチェンバロも そんなでもないけど

オルガンは弾いてみたいかも と思った

今はやりたいと感じたことはすぐにやれ

と昨今のスピ系動画でよく言われるので

どきっとしたけど そこまででもないような

でも 右手と左手と左足とで弾く姿が

似たようなことをしていたはずの若かりし私を思い出させ

こういう場合 なぜか泣けてしまうので

考えることをやめた

 

君様が独り光り輝く時間の後

胸の前で見えない何かが爆発しそうになった

本当に爆発したらヤバイよね

 

開場が早くないので敢えて遅めに入ったらこの大入満員

 

全体としては前日の方が良かったのかな

会場の大きさや音の向きとかも関係あるのかわからないけど

マタイに関しては 初台くらいのキャパがあった方が

いいのかなと思ったりもした

いずれにしろ贅沢な空間と時間だった

 

最終日ということもあるのか

時々すんごい お宝レベルの名演奏も飛び出して

!!!(@O@)!!! みたいな顔して聴いてた

これ↑久しぶりに書いたな~(笑)

記録に残らないのが残念でならないけど

それが音楽の素晴らしいところでもあるし

 

前日は全く見えなかった右サイドが

またすんごい豪華な布陣でびっくりして

今日はそちらを中心に見ようと決めたけど

視覚的情報が多過ぎると

無駄な考え事も増えるらしくて難しかった

音楽の世界に完全に入り込むには

聴覚だけに絞らないと私はダメみたいで

会場で生音を聴くこととどうしても矛盾しちゃうけど

もうこれはしょうがない

 

前日は 明日1日もつだろうか と不安もあったけど

前日の疲れを少しずつ拭い去ってくれるような時間で

帰宅後 昨日みたいに疲れてないね と息子に言われた

 

 

会場でお話し出来る人が増えることは

友達付き合いが今まったくない私にとって

素直にとても嬉しいし楽しい だけど

その中で 思いがけない名前が飛び出て来た時

フツウに ナニモナイように 振る舞う術は

身につけているつもりだが だったが

あまりに思いがけなかったもので

ちょっと顔に出ちゃったかもしれない 修行が足りない

 

既存のコミュニティを

よく知ろうとしたり

ましてそこに割って入ろうなんて

全然思わない 本当に全然思わない

身近なところから縁遠い世界まで

 

私はもう

1対1の関係性にしか興味がなく

そのように向き合うと決めている

 

その人と私の間にしかわからないことが

ひとつあれば もうその人との関係性は

なんていうか 成功っていうか 満点っていうか

物理的な距離とか回数とか時間とかも

そりゃ近い方がいいし多い方がいいけど

でもそういうものも きっと超えられる

 

今年のマタイが終わった後

素敵な贈り物をいただいた

この先しばらく 私を勇気づけてくれるだろう

あたたかい贈り物で とてもとても嬉しかった

それを思い出すたび 自分が震えるのがわかる

 

素敵な音楽と時間を

ありがとうございました

 

カタカムナだとピンと来なかったので

こちらを観てみた

おもしろかった なるほど 合ってる

背中を押してもらえた感じ

 

でもこちらの方がもっとおもしろかった

これもすごく当たっているというか

僭越ながら あぁすごい 本当だ と感動した

だからあんな風に皆に頼られているんだなって

 

他の動画で 名前は自分以外の人が付けるからこそ

使命がうんぬん という内容に対してのコメントに

そうではなく 生まれる前に自分自身で決めていて

それを親に名付けさせているんだというのがあって

そうなのか と 自分で決めて来てるのか

 

だから私はこういう人生なのか

最も楽しいはずの

周りは皆楽しそうだった頃の自分を

不毛 と表して来たけど

不毛 でなければならなかったのだ

他の女の子たちのような楽しく明るい十代では

都合が悪かったのだ うっかりすると

何かを踏み外し 全然違う道を辿ったかもしれず

それでは 今の私 に辿り着かない

だから私はこういう名前なんだ

 


今年のマタイは最後のつもりで乗り込んだ

この席が毎年取れる保証はないし

いつ何がどうなってもおかしくないし

 

でも 実際その席に座って

長い長いマタイを最後まで聴き通した後は

最後のつもりだったなんてすっかり忘れてる

 

来年のチケットも無事に取れるよ 大丈夫

 

 

追記

 

激痛で終演後しばらく立ち上がれなかった

第九 でもそれでわかったこと

立ち上がりたくなければ

立ち上がらなければいい

 

席テキになるべく早く退出した方が好ましいだろう

私だが今回は勇気を出して? 最後まで座ってみた

 

気にCが取柄かつ弱点の私には

なかなか勇気が要ることだけど

それだけの見返りというか

幸せがそこにあった

がんばれ私!

年をまたいでの2ヶ月半

長いなぁ でも当日になったら

あっという間だったなぁって思うんだろうなぁ

と思いながら過ごしていてその通りになった

 

その間 向こう側は大忙しで

それなりに情報は入って来てたけど

あぁ行けばよかったみたいなことは思わなかった

 

本当に どうでもよくなった 大抵のことは

一喜一憂の瞬間沸騰が持ち味?だったけど

今はホント どうでもいい

世の中の 表のニュースも 裏のニュースも

重要なんだろうけど どうでもいい

 

どうでもよくないになりそうになった時 ←日本語

いつもの席に座って ステージに登場して来た時の

幸せな気持ちを先取りする をやっていた

 

実際にその瞬間が訪れた時のリアクションって

自分なんだかな~っていつもなるんだけど

よかったね うれしいね と

自分に言う とああいう変なリアクションになる

 

マイナーなカンタータなのかもしれないけど

私にとっては数え切れないほど聴いた

超有名で大切なカンタータ それが目の前で

完璧に そう完璧としか表現しようがないのよ

完璧に美しく流れていくのを目撃していることが

とても嬉しかった

 

2ヶ月半の後半 最近になって

自動思考を止める という案件を少し齧ってみた

311の夜だったか 家の中がすごく荒れて

久しぶりに大泣きして 翌朝突然

頭の中がしーんとしてて

なるほどこの状態か と納得した

3日目辺りから元に戻ってしまったけど

 

自動思考なのかエゴ思考なのか知らないが

確かに 余計な事を言って来たり見せて来たり

するヤツは自分の中にいる 頭の中に

かわいいと感じているのに

ぶさいくだと言ってみたり

悲しむべき場面で不適切なことがちらついたり

こういうのってその人の問題や欠陥ではなくて

人間だれしも持っているものらしいというのは

少し前に何かで見聞きしたんだけど

 

せっかくコンサートホールで聴いているのに

余計な事を考えてしまうというのは

多分に この余計な事を考えさせる何かが

関係しているっぽい 個人の感想デス

 

超絶技巧の後に続く美しいメロディは

実は苦しい状況を表していたなんて

若マエストロのお話を聞くまで知らなくて

こういうとこホントだめな私 でも

 

この時は その自動思考すら止まっていた

それくらい それを黙らせてしまうくらい

完璧で美しく素敵な演奏だった

以前 あまりに感動し過ぎると泣けない

って書いたことあるけど

余計な思考なしのまっさらな状態で聴くと

涙が出ることがわかった

 

ただ私は感激屋で泣き虫なので

涙腺が一度緩むと大変なことになるので

そこでぐっと我慢しておいた

 

そうそう 順番を戻して

この日の演奏会は なんと

クリスマスから新年にかけての曲であることも

若マエストロが話してくれなければ

知らないまま帰るところだった ふぅ~

 

以下は真偽はともかく

敢えて真だと決めつけて

自分に言い聞かせている側面もあるけど

この日に生まれて こういう名前が付けられて

周りとだいぶ違った価値観を持って今に至る私は

ちゃんと神の子である と

いや、全ての人が神の子なんだけど。だけど、

私も ちゃんとそうなんだから

そのように思って 信じて この先も生きよう

みたいなことを考えながら聴いていた

考えながら聴いちゃいけないんじゃないのか?

 

カッコイイところも キラキラなところも

ちゃんとその通り むしろそれ以上のレベルで

目の前で展開していく それは

当然なのか 奇跡なのか どっちにしても

全てが完璧で とても楽しい時間だった

 

 

もうひとつ

人間が想像できることは必ず実現できる

と言われるけど 私はこれを

技術的な意味合いのみで捉えてたんだけど

 

願望というものは願うと叶わない というのも

こちら界隈では常識みたいで

なるほどわかりました までは言えるんだけど

自分に引き付けて考えると

あ~ だから実現しないのか~ ということが

多過ぎる人生である。

 

想像できることは 脳としては

もう実現したことと認識しちゃってて

だから こうなったらいいな~ なことは

物理的には実現しなくって 逆に

想像してなかったこと 例えばニアミスみたいな

が突然起こってビックリ!!

これが正解じゃないかな

 

こないだ何か見てて

想像とは自分を守る行為 とか何とか

すんごい腑に落ちてしまったよ

確かにそうかも 守るというか

自分テキには 逃げてるんだよね

意識的に守ってるというより

無意識的に逃げてるという方が

合ってる気がする 耳と心が痛いけど

 

吉岡純子さんのタフティの解説とかも観て

タフティそのものを読んでないくせに
こういうとこホントだめなんだけど

 

そもそも

願望というものを

明確に立てられない

将来何になりたいか

どんな仕事をしたいか

明確に言えない人だった

 

願望がないなら

自分も宇宙も

叶えようがないよね

 

とりあえずというか

この辺りに真面目に取り組んでみる

 

ただ 明確な目的や目標があって頑張るというより

今やっていることが楽しいからやっている

という人生だった これは間違いない

受験とか 仕事とか だから逆に結果が出た

反対に 楽器とか 学問とかは

目的や目標が設定されている場合 迷走した

ただ弾く ただ読む ただ考える は 確かに楽しかった

手芸なんかも 作ってる間は楽しいけど

出来上がったもの見てガッカリするのは

過程が楽しかったんだよね 没頭している過程がね

 

だから 今大事とされてる「今ここ」は

すごく良く出来てるとこと

全くもって出来てないとことあって

でもさ 全てのことを「今ここ」にするのって

少なくとも今までの社会では許されなかったでしょう

あとこの思想というか考え方が

なかなか息子に伝わらないんだよね

自分で気付くまで待つしかないのかね

 

 

こないだの都市については

私にとって いつか再訪したい街だったので

とても嬉しかったです と言いたかったのに

書き切れてなかった

私の代わりに なんておこがましいけど

あの街を楽しんで下さったのなら

これほど嬉しいことはないです ありがとうございます

と書くべきだった 今やっとわかった 遅い

 

今ちょうどそのカンタータが流れてて

なんかもう 本当に素敵だった 本当に

だけど 巻き戻したいとか 箱に入れたいとか

あまり思わない そりゃ何度も再生したいけど

なんというか

そういうネガティヴな気持ちは出て来なくて

 

この先 過去も未来も現在も

いっしょくたに持てるようになるなら

そんな悲観しなくても大丈夫 って感じかな

やっぱり って適切じゃないかもだけど

やっぱり何事もなく日は過ぎて

次の大きな公演に突入していく

次は 正直得意ではないジャンルなので

今回はチケットを取らなかった

今回も だな すみません

 

やっぱり とはいうものの

若マエストロが書いていた通り

どう見ても超大変なスケジュールを

皆さんが元気に楽しくこなしていくのは

ホントすごいと思った プロってすごい

ほんの断片しか垣間見えなかったけれど

 

私もまた行ってみたいけど

小麦を減らしている現状では

ヨーロッパに行くなんてとても無理

もしかしたら現地はどこでも

グルテンフリーのお店が充実していて

そんな心配要らないのかもしれないけど

 

今日も 腸にイイご飯をおいしくいただいて

腸がおかしくなった またしてもまたしても

腸が活発になり過ぎるのかもしれない

金曜と音楽鑑賞前は避けた方が良さそう

とてもおいしいのに 今はもう落ち着いた

 

 

卒業旅行については

前にも書いたかもしれないし

書いてないかもしれないけど

詳しくは長くなるのでやめておくとして

その街は 私を連れ出してくれた友人が

彼女は海外旅行に慣れていて

私と生活レベルが全く違う人だったのでね

まだ行ったことがない国がいいと言うので

おまかせしたら名前が挙がった国の

3都市目 その旅行を締め括る首都だった

 

英語が得意な人になるための大学に入って

ひとっことも英語を発しない私に

終始イライラしていただろう彼女も

その国の言葉も通貨も初めての経験で

おつりごまかされたりしながらも

その国の食べ物はおいしかった

日本人の味覚に合ってる気がした

 

それと その最後の街の

細くて曲がりくねる坂道を

路線バスに乗って

建物すれっすれを攻めて行くのが

とても楽しかったことを憶えてる

上る途中にかわいい教会があった

 

ほんの断片とはいえ

知りたいことを知らせてくれる方がいて

とても幸運だった

またひとり 頭が上がらない人が増えた(笑)

 

 

これから大イベントが始まるって時に

あれなんだけど

次からの6回は

この十年来 文字通り十年を超えて来てて

ビビるけど それくらいの年月の

しかも序盤によく聴いていた

カンタータがかかるみたいで

とても楽しみでもあり

とても なんていうか

無駄に気が張ってしまいそうな気がする

私が緊張したってしょうがないのだから

ゆったり楽しませていただこう

と思えるところまで成長したはずなのに

 

君様のソロの曲だけ選んだプレイリストを

序盤の私は本当によく聴いていた

最近はこういう

見取り狂言テキな聴き方はしなくなったけども

 

その頃の自分に嫉妬されてるのかね(笑)

まぁ あなたも一緒に聴きなさいな

 

12分頃からの話

これ 前に感じた

胸の前に箱があって っていうのが

まさにこれじゃないかな

 

パソコンから出て来る音であっても

聴いてて凄まじく感動する 感動できる時がある

そういう時 自分の中で

何かが激しく震える感じがする 実際にする

 

コンサートホールで生音を聴くという

貴重な機会に立ち会わせてもらっていても

そこまできちんと味わえない時も正直あって

その日の体調とか ちょっとしたあれこれとかで

ブレちゃったりするんだろうけど もったいない

すごくもったいないから

凄まじく感動できる自分に整えて

残り6回を楽しませていただこうと思う

 

10回すべてが終わる頃には

いろんなことが大きく変わっているはず

 

 

今年はチョコレートを買わなかった

パン屋さんで作ってる

グルテンフリーのチョコレートケーキを

自分用にしたけど 予想の倍の大きさ(笑)

 

高級店の物でも 裏見たらガッカリ

ってこと ホントよくあるので

よっぽど気を付けないと

憧れの人に差し上げるなんて無理だし

そもそも このイベント自体さぁ

って 成長した分 年も取ったな はぁ

あっというまに1月が終わっちゃう けど

長い長いお休みが1か月分終わったと思えば

 

年末 29日の朝だったか

夢に三浦春馬さんが出て来た

 

彼は コッチ界隈では

アイコンというか 非常に特別な存在なので

夢の中の私 もしかしたら

どこかに存在している別の世界線の私 も

お会いできたことをとても喜んでいた(笑)

 

すごく嬉しいんだけど

そういうはしゃぎ方は全然してなくて

その私は 大胆というか無敵というか

 

 どうして私を見つけてくれたのですか?

 

と聞いた そしたら彼は

 

 夢で会ったから

 

って答えたんだよね

 

夢というのは 単なる脳内作業

記憶の整理とか何とか

ではない と理解している私にとって

ものすごく重みのある

感動的な言葉だった

 

無数にある世界線のどこかの私は

もしかしたら彼と同じような志や使命を持って

溌溂と生きているのかもしれないのに

 

今ここ の私は

毎日ぼんやり

自分の使命なんか未だにわからないし

 

 

コッチ界隈の情報をつまみ食いしてる身としては

なんでまたこんなタイミングでヨーロッパに

と思わざるを得ないんだけど

毎度そう 勝手に心配したところで

結局何ひとつ悪いことは起きないし

全て大盛況に終わることもわかってて

それでいて なんでまた とか

余計なことを思ったり書いたりする

 

それでも 経験を重ねたせいか

単に歳を取って鈍くなったのか

豪華絢爛なコンサートホールを見ても

あぁ 住む世界が違う みたいな悲しさは

感じなくなった 感じなくなってしまった

 

住む世界は 全員違うのだ

1人1宇宙 らしいからさ

全ての魂が 創造主なんだって

源から雫が1滴 ぴょいっって

飛び出た感じ らしい

厳密には切り離されてないかもだけど

 

 

メサイアは配信最終日まで

アーカイヴでも楽しませてもらった

 

アンコールは ちゃんと聴いてた

記憶もあった 記憶というか

 

あとで聴きながら思った

 

全ての魂が 創造主なのなら

私も 毎日ぼんやりしまくりの私も

書くのもおこがましいけど

そういうことであって それなら

 

メサイアも

クリスマスオラトリオも

きよしこの夜も

私のため と思って聴いていいんじゃん

 

もちろん 全ての人のため だけど だから

私のため でもあるよね

 

私が生まれた時

このような こういう楽曲に表現されている

幸福が そこここに生まれただろうことは

私にも想像できるし

数十年後に同じことが私の身にも起きて

実際に体験している

 

私は肉親に感謝を表現することが苦手で

それをわかっていてもやっぱり出来ないのだけど

表現するしないはともかく

この幸福や感謝を再認識させてもらったことは

忘れないようにしないと

 

そのような日に生まれて

そのような名をもらって

しかも

ものすごく強力な漢字が付いてて

なんでこう 毎日ぼんやりなのか

それはそれで 意味があるのかね

 

この色すごくキレイだけど

すぐ変わっちゃう

これは建物にかぶっちゃってるけど

 

いつもの位置で撮ると

ウサギがわかりやすく写ってくれる

しっかし毎度思うけど

最初を超える作品ってなかなか出せないよね

 

あと肉眼を超える写真は私には無理

写真の神様みたいな人と同じ町の出身なんだけどな~

で 肉眼で見るならココ な場所を決めて来た

大きく綺麗に見えるYO

 

 

何人か

もう一度会ってみたい人がいるのだが

もう二度と会えないかもしれない

という予感の方が当たっているかもしれない

 

周波数とか次元とかいうものによる

分断というとアレだけど

棲み分けがこれからどんどん進んで

近くにいるはずなのに

なぜか姿が見えない(出くわさない)人は

確かに出始めているように思う

 

そのうち その人たちは

私の認識の中から消えてしまうかもしれないし

憶えていれば たまに思い出していれば

いつかまたどこかで会えるのか わからない

 

ニアミスの意味は ある時期までは

ある情報を私に伝えるためのもの

という認識だったけど 最近は

 

 その人はあなたの世界にいますよ

 心配しなくても大丈夫

 

というメッセージじゃないかと思ってる

 

距離の長短に意味はないのかも

最短は 直近のあれではなくて

新幹線だし(汗)

 

 

後半も楽しい滞在になりますように

薬なしで最後まで乗り切れるとは思わなかった

第九の後 飲まなきゃいけない状況には

一度も陥らなかったとはいえ

第九でこれなら メサイアの時は

どのタイミングで何回飲まなきゃいけないんだろうって

絶望してた時期もあったから

 

体調が安定しない時期もあって

冗談やポーズではなく

行けないかもしれない とよぎる時は

自分の席に座って 半円の陣形を観ている

自分になりきって 悪い想像を払拭したりした

 

メサイアの時はニアミスの可能性はゼロに近いから

ステージに登場した時の感激を充分に味わえた

ニアミスはとても嬉しいし楽しいけど

あの感激をだいぶつまみ食いしてしまうのでね(笑)

 

今年のメサイアは ワタシテキには

とても素敵で素晴らしい演奏だった

若マエストロの表情や仕草がよく見える席なので

毎年同じように見えて 聴こえて

実は全然違う ことは理解しているけど

今年はいつも以上に 理解できたように思う

 

時間は未来から流れて来て

今を過ぎた時間は消えてしまって

私は次の時間を迎え入れるだけ とわかってからは

少なくとも音楽を聴いている時は

あれこれいちいち動じなくなったけど

若マエストロが常に笑顔で すべてを背負って

瞬間瞬間の音をまとめ上げていく姿は

すごい 頼もしいというか とにかくすごかった

 

これで何回聴いたんだろう

まだ十回行ってないのかな もう超えたのかな

少し前までは 何か書いたり作ったりして

あれこれしてくれたけど 今年はもう

私がそういう風に仕向けて来たせいかもだけど

ほぼ 何もなかった そのことに

夜になって なんかこう 悲しくなってしまった

成長って 嬉しいけど 部分的には残酷というか

 

時間軸がめちゃめちゃだけど メサイアに戻って

この席からの特殊?な眺めは なんだかんだで

デフォルトになってしまってて

現物を買うことはもうないだろう

超高級ホールケーキが半分

しかもクリスマスツリー付き

反対側だったら見えなかったからツイてた

そんな豪華なプレゼントが目の前にあって

他に必要なものなんてあるかい

 

周りの人が帰ろうとしたら

アンコールありますよ って言うつもりだった

そんなこと考えてたからか

本当に隣の人が帰ろうとした のに

言えなかった

その前から 席を立つ人が他にもいて

どこまで楽しむかはその人が決めることだから

まぁ 勇気が出なかった言い訳に過ぎないけど

 

アンコールは ちゃんと聴いてたけど

記憶がない

昨日の「忘年会」を満喫して帰宅して

燃え尽きたように体調を崩した息子の寝床に

行ったり洗濯物干したりしてたら

流してた配信が終わっててまだ辿り着けてない

今は2日後の10:30

 

素晴らしい音楽と時間でお腹いっぱい

もう入らない! という意味ではなく

なんていうか こないだも似たこと書いたけど

もういいや どうなっても みたいな感情がある

何かを諦めたとか飽きたとかでは決してなくって

何がどういう結果になっても

仮に不本意なことが起きても

あぁ そうですか と受け流せそうだな という

感じかな なんかもう

疲れた

 

こういうこと思うの

単に生理前だからかもしれないけど

ならこんなん書かなくてもいいけど

 

カイシャにいた時みたいな

自分がいなくても仕事は回る シャカイは回る

という認識があって そこから

私がいなくても 何も変わらない 誰も気づかない

という失望が生じるわけなんだけど

今となっては そんなこと書いたら

このバカモン 今まで何を学んで来たんじゃワレ

と怒られる案件かもしれなくて そうじゃなくて

何も変わらないように見えても 誰も気づかなくても

私はそこにいなきゃいけない というのが

正解かもしれなくて その証拠に

欲しい席はちゃんと取れた

もしそこにいてはいけないのなら

欲しい席は埋まっていたり売られていなかったり

するはずなんだ だからもう少し

幸せを分けてもらおう

 

開演前に撮影できてしまうという

お仕事帰りの方や 小さなオーディエンスには

かなりタフな時間だったかもしれないね

 

帰りは疲れた 後で調べたら

家から最寄り駅までより

降りた駅から会場までの方が

よっぽど長い距離を歩いていることがわかった

 

それでも

どっか痛いとか 気持ち悪いとか 全然なく

純粋に音楽を楽しむことが出来ただけで

とても幸せだった よかった

 

これから長い長いお休み

 

良いお年をお迎え下さい