私は家から出なくてよさそうだ と思ったら

体調崩した これが風邪なのかわからないが

おなじみの症状じゅんぐり

前回は用事が詰まってた時期で

ちょっとしんどいです! と祈った瞬間

ふっと軽くなって救われた その残りを

今回消化せよ ということかもしれない

朝だけ早く起きて あとは

帰りを待てばよい五日間で助かったが

せっかくの五月晴れをふいにしてしまった

でも代わりに どこかのだれかの体調が

良かったなら 良しとしようじゃないか

 

 

前にも書いたけど この時期に公表されても

飛行機もホテルも高くて手が出ないし

公演チケットも既に発売中 って酷過ぎると思うのだが

日本からのこのこ聴きに行く物好きはいない

と考えるのが普通なのか

 

ブレーメンにも想い出はあるけど

やっぱりインスブルックに興味が湧いた

調べさえしなければ なかったも同じ なのだが

今回は思い切って 思い切りがなぜ必要なのか

自分でもわからないが 調べてみたところ

 

私が座るべき席は まだ残っていた

ここは私がポチって 一瞬だけ思い切ってポチって

そこから頑張って 航空券取って ホテル取って

着いてからのあれやこれやも なんとか頑張って

これはイケるんじゃないか って 今もまだ思う

 

前回はチケットがまだ販売開始前で

最初に取ったのがホテルという だいぶ無謀な挑戦

だから チケット取れた→航空券取るぞ→ホテル取るぞ

あとは出発まであれこれ調べるぞ は至極順当に思える

 

けど 今回のブレーキの効きは素晴らしくて

久しぶりにANAのサイトで検索したら

同じような結果に見えて 細かいところがなんか違う

金額が前回の倍を超えることは

どうでもいい 気にするべき要因ではない

それ以上に

金額以外のあれやこれやを理解することが

面倒だと思ってしまった

 

経験にコスパも何もない わかってる

それでも強くブレーキがかかったのは

この2年間の 確約された時間と場所を

まっとうすることが今の私の務めであり

その間は特に大きな冒険はせずともよいのではないか

という感覚のせいかなと

 

あの長い空の旅を経なくても とりあえず今回は

日本にいて 次を楽しみに待っていればいいのかな

という感じ

 

そこに座ってカンタータを聴いている自分を

思い浮かべることが出来てしまうからこその

さびしさはあるけど

それが出来るなら そうやって聴けばいいよね

 

明るさ調整など出来なくて残念

前日のザルツブルクでのモヤモヤから一変

インスブルックでの数時間はとても楽しかった模様

一時的ではあったが 楽しい出会いがあって

そのことばかり思い出しがちだったけど

画像めくったら素敵な教会いくつも巡ってて

会場となる修道院にも行ってたじゃん自分!

と一瞬驚いたけど 残念ながら勘違い

片道20分の教会まで行った記憶ないな~との

最初の記憶が正しかった

 

なによりミュンヘンからの鉄道旅が最高だったんだよね

車窓からの景色が本当に素晴らしくて感動しまくってた

だから今回はフランクフルトじゃなくて

ミュンヘンの直行便を初めて検索してみたけど

実はトランジットが出来ない(恥)

チューリッヒで乗り換えれば安くなるんだけど

荷物は 検査は 出口は ハードルが高過ぎる

 

この雲がなっかなか取れなくて

行ったり来たり 時間つぶして

最後の最後に綺麗に晴れたのに

結局撮れなかったんだよね

スキージャンプ台の次の画像が

ライプツィヒのホテルまで飛んでてびっくり

そうだ ミュンヘンで雨に濡れて

ライプツィヒではちょっと体調崩してたんだった

 

 

この間もそう

大切な日が晴れるって

本当に素晴らしい と心から思う

インスブルックを離れる直前

一瞬だけ雲が切れてくれた時の感動を

今 表現するとしたら

祝福されている という言葉になるかな

意識をいつもの席に座らせて聴くようにしたら

次まで長いな~ という気持ちが

あまり起こらなくなった それでもやっぱり

自分ちで パソコンから出て来る音を聴くのと

ホールで すぐそこから出て来る音を聴くのとは

当然ながら全然 迫力も感動も違うわけで

 

こないだのマタイの追記

ハーフタイム後

オーケストラの皆様が出て来て 来たのに

拍手が起こらなくて えーー どうしよう

どうしようって おまえが手ぇ叩けよ!!

こういう自分がホント嫌い 日本人丸出し

 

別の団体名義の公演の時 同じことがあって

なるほど いつもの定期公演は特別なんだな

と学んでいたから 今回は

お客さんの多い公演だとこういうこともあるのか

と学んだ次第 それよりなにより

自分のダメさ加減に 今思い返しても幻滅する

 

あと 公演後のカーテンコール? で

最後にヴァイオリンの皆様にも拍手があって

私 前から なぜヴァイオリンは無しなのか

一番お忙しいのはヴァイオリンではないのか

と常々疑問だったので これは良かった(ナニサマ!)

 

飲まなきゃ良かった 頭が回らない 指も

土日飲まなかった分 余計に回ってる

 

 

女の勘というのがサッパリ働かない人生だったが

最近はいくらか 直観的なものが当たるようになり

 

小さな情報を組み合わせて こうだろう というのはともかく

先日は たまたまテレビを観ていて

今ここにいるんじゃないかな とふと思って

どうやら当たっていたらしい とか

正誤はともかく なんとなくそんな今日この頃

 

自分は何もできないし 正直なところ何もやりたくないし

これから何をすればいいのかもわからないし というのは

時々ドカンと来る 月のサイクルが重なると倍増する

 

でも こないだふと思ったのは とりあえず

このまま生きていていい という感覚だった

 

本当に何もしてなくても 心底だらしなくても

そのままでいい とりあえず 生きていていい

 

あともうひとつ とりあえずは

「おしごと拝見」が私のしごと

だから行ける時は行くべき という感覚

ひとつ 取ればいいのに取ってないチケットがあって

まだ迷ってる自分は 間違ってる気がする

 

 

顕在意識と深層意識はまだ理解できてないけど

願望と言い換えた場合

 

表層的な願望が叶わない人生だった

こうなればいいのに みたいな願いは

ことごとく蹴散らされた(笑)

 

でも 今になって思うと

深いところの 例えば

経済的に困らないとか

危ない目に遭わないとか

信じていた人に裏切られるとか なんというか

生命にかかわること? については

なんだかんだ ここまで無事にやって来られた

守られていた というべきかもしれない

 

前者に関しては 身体的な問題 肉体的な問題 に

相当 悩んだり苦しんだりして来たし 今もそうだけど

生命にかかわるところまではいかないレベルの問題で

ある意味 気にさえしなければ大丈夫なこと

ただね 一応女だし 一番イイ時代を棒に振った

という気持ちはまだあるね

夏服とか 水着とか

普通に コンプレックス無しで 着たかった

 

それと引き換えに 強力に守ってもらえたのかもしれないので

あまり文句言っちゃいけないけどさ

 

大きな願いは叶わないらしいことは

少し前から気付いてた その代わりに

自分と 自分の大切な人たちが

安全に 健康に 幸福に 生きていられるなら

私の願いなんて まぁどうでもえぇじゃないか

 

だから

私が緊張したり心配したりするのは間違ってて

私は安心して 信頼して むしろぼーっと(笑)

いつもの席に座っていればいいのだ

そうすれば すべてうまくいくのに

ときどき 気にCが発動してしまう

 

そうであって欲しい が 修行の足りない私は

そうですよ 合ってますよ と 誰かが言ってくれれば

楽なのに と考えてしまう

該当チェックポイントを挙げている動画がいくつかあって

かなりの割合で該当するのだけど

決定的なところが外れてて あぁ だめだ 違うかも と

ガッカリしてしまう

いつも笑顔 とか 声がやさしい とか あとなんだ

とにかく 私の属性に わっかりやすく合わない内容なのよ(涙)

 

そうであって欲しい ていうかさ

ここまであれこれ 違和感だの 生きづらさだの

そこまで深刻でなかったとはいえ

ひととは違う を抱えて やっと自覚できたのに

ブー! あんたは違う あっち側! って言われたら

いや~ 笑うしかないよね~(笑)

 

ほんでも すべてに理由があるなら

自分の名前と誕生日を 信じなきゃいけないのかも

そこに何か 何かって決まってんだろって話だけど

込められているものを信じて

そのように どのようにもわかってんだろって話で

生きていればいいのかも そこまでわかってて

なんでそのように生きられないのか 幻滅する

追加購入のレギュレーションが変わってしまって

来年も同じ席に座れるかどうかわからないから

今年は最後のつもりで聴こう と決めていたのに

 

のんびりおにぎり食べてから中に入ったら

調布のチケットが売られててビックリ

とはいえ選択肢は残っておらず

今買うしかない! 現金のみ? 足りる? 等々

あれこれやらかした後 やっと自分の席に座って

対岸のマダムに向かって手など振ったりしてたら

3行目に書いたことなど 完全に忘れてしまった

 


これでだいたい10回くらい聴いたはずなので

Y子さんじゃないけど 私も

自分のマタイ人生を振り返ってみようと思う

Y子さんて少なくとも3人はいらっしゃって

皆さん今のところ音信不通状態なんだけど

元気にしてるかな~ と思ったことで

元気にしてることは決定しているので 心配しない

 

記憶違いもあるかもしれないけど

敢えて確認しないで書く

 

理不尽な延期が解けたトップバッターが

マタイだったはずで

この時はいつもの席に座っていて

最初の音が聴こえて来た瞬間

私にしては珍しく泣いてしまった

正対しているソプラノの方々に

見られてしまった気がして恥ずかしかった

 

半分は

やっと生の音を聴けることへの感極まり

半分は

音は聴こえるのに姿が見えないことへの悲しみ

 

翌年のサントリーホールで

初めて逆側に座るチャンスをもらって

その時の感動をうまく思い出せないんだけど

それまでの視界と全てが違ってて なんというか

すごくショッキングだった気がする(笑)

 

その後からの3回は

「いつもの席」に座り 対岸から手を振って

今に至る わけだけど

 

サントリーホール以降の私は

それまでの それを知らなかった自分を

かわいそうだった は筋違いかもだが

よく耐えたね よく頑張ったね と

今でも思う(笑)

 

 

マタイは長いので 自宅で聴くことは滅多にないんだけど

席に座っているつもり で聴くことを覚えたので

今回は何回も聴いて行った

騒動が起きる前年の 超~豪華だったマタイの音を

久しぶりに聴いた時

懐かしい と思った

 

きっと皆さん この音を聴きたくて

毎年欠かさず 足を運ぶんだと思う

 

だけど 今年のマタイが始まった時

全然違う と思った

全然違うマタイが始まった と思った

 

今年わかったことは

すごく難しいことをしているんだ ということ

 

上手な人は 難しいことを簡単にこなすので

ちっとも難しそうに見えない

とはよく言われることだし私もわかってるけど

さすがに年を取ったので 今は

簡単そうに見えることこそ 本当はすごく難しい

とも思うようになった

 

見ないで聴いていた時は CDを聴いているように

ただ音を追っているだけだったけど

見ながら聴くと どの曲についても

難しい っていうのとは違うのかもだけど

重圧や緊張や責任みたいなものを背負って

演奏しているんだろうな と感じる

ご本人はそんなこと全く感じてないかもしれないし

いつかの「プレッシャーがかかる」という言葉は

多分にリップサービスが含まれていると解釈してた

 

もしかしたら今書いてることって

プロの音楽家に対して失礼なことかもしれないな

すべてのことを いとも簡単にこなしているのが

プロフェッショナルかもしれないのに

私はそういう風に 何かを極めるという経験が

出来なかったし そこまで努力もしなかったし

こういうのを おこがましい って言うんだな

 

 

皆さん絶対に楽しみにして来ている

美しいアリア達は 今回も本当に美しくて

今 この場で 聴ける幸せを

しっかりと味わいながら聴くべきだったが

そんなことを冷静に考える余裕が無いほど

本当に美しくて とても素敵な時間だった

 

これも皆さん同じだと思う

最後の曲が始まった瞬間

あぁぁ 終わってしまうぅぅ と

寂しくなるよね

あぁぁ やっと終わるゼ! って人も

何人か いるかもしれないけど(笑)

 

今年は特に早かった 早かったというか

時間の感覚が失われて

肉体的には しっかり3時間強分だけくたびれてるんだけど

意識的には あっというまに終わってしまった


最初と最後の曲は 私にとって

すごく不思議な調というか

とても独特で特別な マタイにしかない調に感じる

んなわけないんだけど

 

でも この音楽の世界の

始まりと終わり 入口と出口 と考えれば

特別で不思議なのも うなずけるかもしれない

 

 

去年のマタイの後

来年のマタイを 今年と同じ心持ちで聴く人はいない

といったことを書いた記憶があるけど

結局のところ そんなことはなかった

表面上そう見える(見えない)だけで

内実はかなり違って来ているのかもしれないけど

見えないものは見えないし

たぶん 気付けた人なんて そんなに増えてない

 

でもこれって 私がとやかく言うことではなくて

私は 私の問題にだけ集中していればよくて

 

人は手に入らない ということを

私は知っている

お金も 物も 結局は同じことだけど それを知る前に

人は手に入らない ということを

理解していた

経験していた と書くべきかもしれない

 

人が手に入れられるもの

所有できるもの という表現がいいかはわからないが

それは 経験と 記憶 しかなくて

それが 一時的で すぐに消えたり

いつか忘れてしまうようなものであっても

それしか 人は手に入れられないし

それしか 手に入れる価値はない

 

 

本意ではなかったけど ちょっと早く席を立って

トイレで鏡見てビックリ

マジで10歳は老けてた

ハーフタイムの時はまだマシだったのに

後半戦にいったい何があったのか

それだけ真剣に聴いていたということで

勘弁してやろう いや 勘弁して欲しい

あぁもう 早く出て良かった ひどいよもう

 

なぜ舞台上の方々は年を取らないのか

公演中 真面目に考えてたんだよね

毎日良い音波に浸ってるからかな

君様に至っては確実に若返ってるし

あれ気のせいじゃなかったよ

なんで私だけ こんな順調に老けていくのか

 

ほんでもさ 逆よりいいじゃん

私が若返ったって しょうがなくはないけど

だから これでいいんだってば 悲しいけど(笑)

 

 

調布は遠いので ずっと考えて来なかったのだが

曲目を見た瞬間 これはもう連れて行くしかない

今回聴かせないと もう二度とないかもしれない

と腹を括っていたので

福島並の砂被りだけど 即決即金 現金のみ

プレオーダーだの 会員限定だの これこそ

レギュレーションの難しい公演だったので

とにかく取れて良かった

 

ほぼぴったり 10年ぶりになることに

チケット買ってから気付いた

 

三行目に書いたことを完全に忘れてしまったのは

そんなことにはならないから心配無用

って意味だと解釈して 心配しない ことにする

 

咲き始めってのも とっても綺麗なんだなって

今日初めて知った

ぴあでもe+でも買えない公演って

行っちゃいけないってことかとも思ったけど

現地に乗り込んでみたら 前にも書いた通り

交通費はともかく システム手数料も送料もかからず

サクッとゲットできたので行ってみることにした

 

チラシ フライヤー? に載っていた

レギュレーション(笑)を見て

ちょっと気付いたことがあったので この日は

こっそり行ってこっそり帰って来ると決めていた

こっそりってどういう意味かよくわからないけど

キモチテキな問題

 

あ うちはだめなんだ から始まって

そうだ そっか なるほど みたいな感じで

 

そこから時間をどんどん巻き戻して

最初の最初と言っていいのか

どうしても聴きに行きたい! と思える

カンタータに巡り合った日まで戻った時

 

あの曲の演奏が 公演も録音も素晴らしかったのは

あの曲の演奏に 特別な何かが乗っていたからで

ずっとそれに気付かず浮かれていた自分が

恥ずかしいとか情けないとかを超えて

とんでもないマナー違反をしたのかもしれない と

思い至った

 

そのタイミングで知り得るわけがなかったとはいえ

十年以上気付かず聴きまくってたって

どんだけ能天気で恥知らずだったんだ

 

 

いろんなことが1年ずれていることに

どんな意味があるんだろう

意味なんて何も無いのかもしれないけど

y=ax

y=ax+1

一生交わることのない平行直線 でもこれだって

グラフ3Dにして上から覗けば違うじゃん とか

あほなこと考えたり

 

でも 1年しか違わないらしい ことを

たまたまどこかで見た時

ものすごく喜んだのも事実で 私は

+1 と +2 に大きな意味があるらしく

その範囲に限定されているものがあるから

 

今 過去も含めて

私自身に起きていることは

その範囲にいる人の共通項であるかもしれなくて

だから 期待と同時に 不安も生じるわけだけど

 

話を戻して さっきの件は

約1年後に私自身に起こったことを考えれば

あの演奏の素晴らしさも

あの時期にするべきではなかった行為も

私は この私だからこそ

前者は 納得と共感をするべきだし

後者は 猛省をしなければならない

 

ただ どちらも 正直に言うと

感情的には 文字で書くほど 簡単ではなかった

 

 

レポート書きでも ゼミの発表でも

作品に書かれていることから自分が何を考えるか 

というやり方に努めたことは良かったと思う

文章を正確に読めと息子にしつこく説くのも

最初のレポートを添削した先生が

読みに少し不安定なところがあります と

書いて来て下さったことが元になっている

 

作品分析は

作品に書かれていることに対して行うべきで

作者自身の性格とか 書いた時の境遇とかは

言い方良くないけど 基本 無視していた

それに囚われると思考が固まってしまうし

先行文献でやり尽くされてる感もあったので

どうしてもそっちに行きたくなかった

孤独な闘いだった最初の2年間と違い

院での2年間は ベテランが多い分

議論がそっちに流れがちで

どんどん興味が削がれていったことも確か

 

ひとつの作品で完結できた卒論と違い

修論は ボリューム的にも

いくつかの作品の流れを追う形にせざるを得ず

そうなると さっきのやり方では追い付かない

ここにもう 私の限界があったなと

 

でも 私の読み方は 逆に言えば

読むその時々で 常に新しく 常に新鮮に

味わえる ってことかもしれない

 

 

音楽も同じで

演奏に個人的な何かが乗っかっていたとしても

演奏そのものを素直に味わえばいいんだよね

過去を無視していいってわけじゃないけど

音楽こそ 今ここにしか存在しないものだから

今の心持ちで 素直に 新鮮に 味わうことが

正しい聴き方だよね

 

そして その乗っかっているものが

幸せとか 喜びとか 嬉しいものであればなおさら

聴く側も そのお裾分けをいただけるわけだから

 

でも 私は 私だから こう考えなきゃいけない

ってのも やっぱ大事だな 思考は義務じゃないけど

そういう気にCを失ったら 私じゃなくなる

1年しか違わないことにも 意味がなくなる

 

そもそも 最初から読み違えてるかもしれないんだけど

それはそれで 勉強になったってことで

 

 

自販機が見付からず

会場の向こう側まで探しに行こうとした時に見えた

大行列にビビって大急ぎで引き返したのが良かった

どこに座るといいのか読めるようになったというか

今回もいい席に座れたと思う こっそりも含めた席

 

前回の体調不良は 結局は自作自演だったわけで

なんとももったいない話だけど 当時はわからず

今回サクッと予習しようとYouTubeで検索したら

こんな長い曲だったの!? 数字で見てビビった

体調が良ければ なんてことない長さなんだけど

 

あの時はいろんな状況が重なって

ギリギリの状態で聴いていたんだけど

途中 息抜きというか 場を和ませるサービス(笑)

が入って すごく救われたのだった

それで体調が完全に良くなったわけではないにしろ

あの一声があるのとないのとでは大違いだったから

本当に有り難かった

さすがに今回はなかったけど(笑)でも観ていて

あの時は舞台上の皆さんもキツかったのかも と

気付かされた次第

 

そのことも含めて

どういう存在なのか また少しわかった気がした

 

ただひたすら 楽しい時間だった

今ここにいて良かった と心底思った

音のリボンが 幅も長さもクッキリ美しくて

同じ時間と空間でそれを味わえることが本当に幸せだった


なにをどうすればあんなにかっこよくなるのか

月イチのイライラボサボサブサイクだった私は

消え入りたい ってこういうことかと思ったよ

 

雨が降らなかっただけ良かったでしょ

そうだ 1日ずれたら大変だった

それだけでも感謝しなくちゃ

1年前は大変だったよね

 

最初のなんて一千万回以上回ってるのに
最近になってようやく出会えた楽しい動画
アニメーション自体がまずおもしろいのと
これ観てると
音楽家って みんな仲良しで(笑)
時代や作風が違ってもこんな風につながったり重なったり出来て
だから 食わず嫌いしないで
いろんな作曲家の音楽を聴こう と思える
これだけ生きていれば当然ながら
たくさんの曲を覚えているわけで
息子とは比べ物にならないくらい
 
改めて聴いてみたら モーツァルトも
すごくきれいなフレーズがあった(ナニサマ!!!)
これはバッハにはないなぁ みたいな
 
それに そういえば 忘れてたけど
アイネクライネナハトムジーク弾いたよね
当時はどこで切るのかわからなかった曲名(笑)
最後の最後 6級に受かって5級までの間
クラシックの楽譜に挑戦できるレベルになって
当然それ用に編曲されてはいたけど
全曲 楽しかった 弾いてて気持ち良かった
私には合わない なんて言えた口じゃないよね(汗)
 
そのきれいなフレーズひとつとっても
私にとって重要なのは
誰が であって
他の人では興味が持てなかったりする
これって未熟だなとも思うし
それもいいんじゃんとも思う
君様が演奏してくれるから
そのフレーズがきれいだって
認識できるのかもしれないし

レポートや作品論なんか飛び越して

ちょっとした卒論くらいは書けそうなボリュームだった

 

今の私にそんな気力も体力も無い ただただ面倒 あと

時間とは とか 夢とは とかを 今このタイミングで

まともに研究してもしょうがないと知っているので

客観性みたいのは無視して書く

正確な読みから外れてる気もするし

 

 

願った時には叶っている に関しては

まだよくわからない

ケーキ食べたいな~と目をつぶって目を開けたら

目の前にケーキが! なんて経験したことないし

そういう意味合いのことでもないんだろうけど

引き寄せとかも 結局なんにも学んでないし

 

これって 願望実現の話ってより

時間の概念のことなんじゃないかと思った

 

ファンタージエンにおいて アウリンの力を借りて

バスチアンが願いを叶えると の願いが叶うと かな

彼の記憶が 人間世界での記憶が ひとつずつ消えていく

これが一体どういうことなのか ぜんぜんわからなかった

 

彼が物語を作ると その瞬間に

その物語の内容が 過去も未来も包括して ホウカツ!

現実化する というところは

ファンタジーとはそういうものである ということ

物語の登場人物がトイレに行ったり

食事をしたりする場面が無いのはなぜなんだろう

という彼の素朴な疑問 それ私もよくわかる(笑)

これの答えというかね

 

ここから発展させて これは個人の見解だけど

時間とはそういうものである ということでもあるかなと

 

過去は存在しない 記憶の中にのみ存在する

未来は無数に存在しており

現在の自分は 未来を自由に選択できる

という理解なんだけど

 

現在の自分は 現在は というべきか

現在は 過去を内包しているわけで ナイホウ!

過去があるから 現在の自分は

適切な未来を選択できる と言えるのではないかと

 

記憶を つまり過去を 失っていくバスチアンは

望みをもつ つまり未来を選択する ことが

出来なくなっていったから

 

 

最後の夢を掘り出すところ

夢というのは つまり眠っている間 人は

別の世界にて生きていて それも複数同時に

各地であれやこれや活動しているらしく

目覚めた時に人は 今ここ の自分に戻って

あれやこれやの活動を断片的に覚えている それが夢

という理解なんだけど

 

人間世界 バスチアンにとっての現実世界に戻るためには

その世界の夢を見つけ出す必要があった

忘れてしまったら戻れない ということかなと

 

彼が掘り出した夢は

彼にとって大切な過去がたくさん詰まった1枚で

絵の内容自体がとても重要だったんだなぁと

手元に無い今になって気付いた 書きながら

 

 

以上2点は 今の私が興味あることピンポイントだったんで

特に2度目に読了してから あれこれビシバシひらめいた

のに 時間が経つと忘れてしまうんだよね だから書いとく

 

基本的には いかにも ザ☆ドイツ! な

ビルディングスロマーン であり

最後の最後で 一番大切なものは何か に

バスチアンがきちんと気付くところも良かったし

 

ファンタージエンと人間世界とのつながり

ファンタージエンに来た人間がそこで成長し

良いものを持ち帰って双方が発展する という世界観は

とても素晴らしいと思った しかしながら

2回読まないとこれを理解できなかった私って

頭が悪いのでしょうか それはしょうがないか

 

興味深かった箇所

 

イスカールナリの街で

バスチアンが学び 変わっていくところが感慨深かった

それと「いっしょ人」と「ひとり人」が

ドイツ語でどうやって表現されてたのかすごい気になる

 

アイゥオーラおばさまのあり方 というか

あぁ なるほど と いろいろ感じ入った

 

この2箇所は

子どもを産んだ後の私から興味深いのであって

文学部に所属していた時の私だったら

ふ~ん ってなもんだったかもしれない

 

本が手元に無いので Wikipedia に助けてもらってるけど

アトレイユのところ ドイツ語版に

Atréju als Bastians Alter Ego

というトピックがあって 何かちゃんと書くなら

こういうの全部読まなくてはならず

それは無理なのでやらないけど

この字面から あぁ と気付くことも確かにあるなと

バスチアンにとってアトレイユとは何か って感じで

ただ 私の興味はここではないかなと思う

 

幼ごころの君 は

die Kindliche Kaiserin

おぉぉぉ こういうの素敵って思える自分がイイ

 

この作品をドイツ語で読めない自分が残念だ

と最初思ったものだけど

読みたければ読めばいいし

いずれ苦労しなくても読めるかもしれないから

後の楽しみに取っておく

 

過去を内包した現在が未来を選択する

この認識のおかげで

瞬間毎に消えているはずの音楽に

なぜ連続性があるのか という問いに

自分なりに答えが出せた ありがとう

 

 

ぜひ今の今 息子に読んでもらいたかったが

読み切るには相当タフだし 途中いろいろあって

結局そのまま返しちゃった でもこないだ

これ読めるようになりたい って言って来た

なんとか今年中に読んでくれたら嬉しいけど

厳しいかな 時間が足りな過ぎるよね