学校で全員に配られたと持ち帰って来た

紺色にアルファベット1文字の帽子

かつて好きで通っていたチームのそれだとは

教えてもらわなければわからなかった

 

義父の影響なのか なぜか野球盤を欲しがり

やっと手に入れたものの

基本的ルールも知らない男子なんて

昭和育ちの女子としてはアリエナイ

しばしスパルタで教え込まれた後は

独りでナイター中継を観戦してたりする

チーム名もリーグ名もよくわかってないくせに

 

 

今は下宿とは呼ばないのだろうが

大学のそばの狭いアパートから

直線距離にすれば大して遠くないはずなのに

ちょこまか何度も乗り換えてやっと到着するあの場所に

今 君様が通っている とわかった時は

ビックリでも 感激でもなくて

そうなんだ みたいな 不思議な感じだった

 

初めて訪れたのは高3の夏

学校見学に行く名目で友達と示し合わせて

学校見学はちゃんとしたんだけどね ちょっとだけ

後で親にけっこう叱られた記憶がある

 

翌年からはファンクラブみたいなのに入って

友の会って言ったかな

指定席と自由席の入場券が数枚ずつ送られて来て

定期的に通っていた

最後の年の自由席は

何枚か手元に残ったように思う

 

敢えて別競技の用語で

本来はホーム側の席を取るべきなのだが

私はアウェイ側の席にいつも座っていた

お気に入りの選手がよく見えるように

 

 

せっかく希望の大学に合格して上京したのに

精神的にも肉体的にも地元に片足を突っ込んだまま

今から思えば 中途半端で不安定な生活をしていた

そこそこ出来る高校生から 出来損ないの大学生に転落

家のこと何も出来ないまま一人暮らし

そのくせ土日は渋谷でバイト

たぶん いろんな意味ですごく無理をしていて

肉体的には あちこちに故障を抱え

精神的には 自分では楽しんでいるつもりでも

黄金時代だった某民放局の深夜番組ばかり観て

徒歩5分の教室に着けず授業を飛ばしたりした

 

大学に通っていた私も

渋谷に通っていた私も

球場に通っていた私も

同じ時間軸の4年間に収まるはずなのに

そう思えない なんかバラバラに感じる

別人のようだとは思わないまでも

 

一緒に行っていた人の記憶も無い

一緒に行っていたことはわかる でも

そこで過ごした想い出みたいなものを

まったく思い出せない あるはずなのに

 

唯一 そこの名物だった

冷たいお茶 お に産地が入る

たぶん甘味が加えられていただろう

まだ生ビールを美味しいと感じるところまで

成熟していなかった私の 唯一の想い出

しばらくして その売場が見つからなくなり

私自身も その場所に行かなくなっていった

 

 

思い出そうとしなければ思い出さなかっただろう

あの場所の記憶は

消えてしまってもかまわない という程度のものに

なり下がっていたのに

今 君様が通っている とわかったことで

楽しくも苦しかった大学生の自分を

肯定できるようになったように思う

それまでは 無為な4年間だったな と

否定していた

もっと別の過ごし方があったろうに と

 

フライブルクからの約15年と同じく

あの場所からは その倍の約30年も経って

あこがれの人に 自分の人生を肯定してもらうって

なんかもう すごいとしか言いようがない

 

その無為な4年間があったから

今の私がいるかもしれないんだから

否定しちゃっちゃ 自分がかわいそうじゃんね

 

 

息子にくっついて毎週土曜に

渋谷に通うようになった時も

人生わかんないもんだなと思った

バイト先のお店は無くなっていたけど

同じ建物の上の階に

私の髪を理解してくれる美容師さんを見つけた時も

ほんと人生おもしろいなと思った

 

片足を突っ込んだまま4年間も過ごしたくせに

地元に帰る気はぜんぜん無かった

無かったというより ちゃんと考えられなくて

だから ちゃんと答えられないし決められないしで

結果的に 意識的にではないとはいえ

あちこちに迷惑をかけていたのかもしれない

 

ちゃんと決められなかったけど それは

結果的に 今につながっていて だから

ちゃんと決まっていたんだと 今はわかる

 

フリーきっぷ使用日 途中下車して

窓口でチケットを買った帰り

橋の上で写真を撮っているご夫婦がいて

振り返ったら 空がこんな感じに燃えていた

交通費ゼロ 手数料ハンターからも逃走成功

よく考えたらチケット代の方が高いのに

でも こういうのに達成感を感じる(笑)

 

私はもう 行くことはないかな

同じ県内 だけどこの県ってムダに広くて

反対側に住んでる私にとっては大変に遠い

 

濃い青か 薄い青か どちらにしても

今年もあの場所で

楽しい時間を過ごしてもらえることが

私もうれしいです

 

あけましておめでとうございます

 

 

水色だったそのチームでも

競技が替わって

サックスブルーのチームでも

近場のレッドなチームでも

同じ あるいは似た 背番号なのは

何か意味があったのかな

今は この数字からは卒業したような気分