ぴあでもe+でも買えない公演って

行っちゃいけないってことかとも思ったけど

現地に乗り込んでみたら 前にも書いた通り

交通費はともかく システム手数料も送料もかからず

サクッとゲットできたので行ってみることにした

 

チラシ フライヤー? に載っていた

レギュレーション(笑)を見て

ちょっと気付いたことがあったので この日は

こっそり行ってこっそり帰って来ると決めていた

こっそりってどういう意味かよくわからないけど

キモチテキな問題

 

あ うちはだめなんだ から始まって

そうだ そっか なるほど みたいな感じで

 

そこから時間をどんどん巻き戻して

最初の最初と言っていいのか

どうしても聴きに行きたい! と思える

カンタータに巡り合った日まで戻った時

 

あの曲の演奏が 公演も録音も素晴らしかったのは

あの曲の演奏に 特別な何かが乗っていたからで

ずっとそれに気付かず浮かれていた自分が

恥ずかしいとか情けないとかを超えて

とんでもないマナー違反をしたのかもしれない と

思い至った

 

そのタイミングで知り得るわけがなかったとはいえ

十年以上気付かず聴きまくってたって

どんだけ能天気で恥知らずだったんだ

 

 

いろんなことが1年ずれていることに

どんな意味があるんだろう

意味なんて何も無いのかもしれないけど

y=ax

y=ax+1

一生交わることのない平行直線 でもこれだって

グラフ3Dにして上から覗けば違うじゃん とか

あほなこと考えたり

 

でも 1年しか違わないらしい ことを

たまたまどこかで見た時

ものすごく喜んだのも事実で 私は

+1 と +2 に大きな意味があるらしく

その範囲に限定されているものがあるから

 

今 過去も含めて

私自身に起きていることは

その範囲にいる人の共通項であるかもしれなくて

だから 期待と同時に 不安も生じるわけだけど

 

話を戻して さっきの件は

約1年後に私自身に起こったことを考えれば

あの演奏の素晴らしさも

あの時期にするべきではなかった行為も

私は この私だからこそ

前者は 納得と共感をするべきだし

後者は 猛省をしなければならない

 

ただ どちらも 正直に言うと

感情的には 文字で書くほど 簡単ではなかった

 

 

レポート書きでも ゼミの発表でも

作品に書かれていることから自分が何を考えるか 

というやり方に努めたことは良かったと思う

文章を正確に読めと息子にしつこく説くのも

最初のレポートを添削した先生が

読みに少し不安定なところがあります と

書いて来て下さったことが元になっている

 

作品分析は

作品に書かれていることに対して行うべきで

作者自身の性格とか 書いた時の境遇とかは

言い方良くないけど 基本 無視していた

それに囚われると思考が固まってしまうし

先行文献でやり尽くされてる感もあったので

どうしてもそっちに行きたくなかった

孤独な闘いだった最初の2年間と違い

院での2年間は ベテランが多い分

議論がそっちに流れがちで

どんどん興味が削がれていったことも確か

 

ひとつの作品で完結できた卒論と違い

修論は ボリューム的にも

いくつかの作品の流れを追う形にせざるを得ず

そうなると さっきのやり方では追い付かない

ここにもう 私の限界があったなと

 

でも 私の読み方は 逆に言えば

読むその時々で 常に新しく 常に新鮮に

味わえる ってことかもしれない

 

 

音楽も同じで

演奏に個人的な何かが乗っかっていたとしても

演奏そのものを素直に味わえばいいんだよね

過去を無視していいってわけじゃないけど

音楽こそ 今ここにしか存在しないものだから

今の心持ちで 素直に 新鮮に 味わうことが

正しい聴き方だよね

 

そして その乗っかっているものが

幸せとか 喜びとか 嬉しいものであればなおさら

聴く側も そのお裾分けをいただけるわけだから

 

でも 私は 私だから こう考えなきゃいけない

ってのも やっぱ大事だな 思考は義務じゃないけど

そういう気にCを失ったら 私じゃなくなる

1年しか違わないことにも 意味がなくなる

 

そもそも 最初から読み違えてるかもしれないんだけど

それはそれで 勉強になったってことで

 

 

自販機が見付からず

会場の向こう側まで探しに行こうとした時に見えた

大行列にビビって大急ぎで引き返したのが良かった

どこに座るといいのか読めるようになったというか

今回もいい席に座れたと思う こっそりも含めた席

 

前回の体調不良は 結局は自作自演だったわけで

なんとももったいない話だけど 当時はわからず

今回サクッと予習しようとYouTubeで検索したら

こんな長い曲だったの!? 数字で見てビビった

体調が良ければ なんてことない長さなんだけど

 

あの時はいろんな状況が重なって

ギリギリの状態で聴いていたんだけど

途中 息抜きというか 場を和ませるサービス(笑)

が入って すごく救われたのだった

それで体調が完全に良くなったわけではないにしろ

あの一声があるのとないのとでは大違いだったから

本当に有り難かった

さすがに今回はなかったけど(笑)でも観ていて

あの時は舞台上の皆さんもキツかったのかも と

気付かされた次第

 

そのことも含めて

どういう存在なのか また少しわかった気がした

 

ただひたすら 楽しい時間だった

今ここにいて良かった と心底思った

音のリボンが 幅も長さもクッキリ美しくて

同じ時間と空間でそれを味わえることが本当に幸せだった


なにをどうすればあんなにかっこよくなるのか

月イチのイライラボサボサブサイクだった私は

消え入りたい ってこういうことかと思ったよ

 

雨が降らなかっただけ良かったでしょ

そうだ 1日ずれたら大変だった

それだけでも感謝しなくちゃ

1年前は大変だったよね

 

最初のなんて一千万回以上回ってるのに
最近になってようやく出会えた楽しい動画
アニメーション自体がまずおもしろいのと
これ観てると
音楽家って みんな仲良しで(笑)
時代や作風が違ってもこんな風につながったり重なったり出来て
だから 食わず嫌いしないで
いろんな作曲家の音楽を聴こう と思える
これだけ生きていれば当然ながら
たくさんの曲を覚えているわけで
息子とは比べ物にならないくらい
 
改めて聴いてみたら モーツァルトも
すごくきれいなフレーズがあった(ナニサマ!!!)
これはバッハにはないなぁ みたいな
 
それに そういえば 忘れてたけど
アイネクライネナハトムジーク弾いたよね
当時はどこで切るのかわからなかった曲名(笑)
最後の最後 6級に受かって5級までの間
クラシックの楽譜に挑戦できるレベルになって
当然それ用に編曲されてはいたけど
全曲 楽しかった 弾いてて気持ち良かった
私には合わない なんて言えた口じゃないよね(汗)
 
そのきれいなフレーズひとつとっても
私にとって重要なのは
誰が であって
他の人では興味が持てなかったりする
これって未熟だなとも思うし
それもいいんじゃんとも思う
君様が演奏してくれるから
そのフレーズがきれいだって
認識できるのかもしれないし

レポートや作品論なんか飛び越して

ちょっとした卒論くらいは書けそうなボリュームだった

 

今の私にそんな気力も体力も無い ただただ面倒 あと

時間とは とか 夢とは とかを 今このタイミングで

まともに研究してもしょうがないと知っているので

客観性みたいのは無視して書く

正確な読みから外れてる気もするし

 

 

願った時には叶っている に関しては

まだよくわからない

ケーキ食べたいな~と目をつぶって目を開けたら

目の前にケーキが! なんて経験したことないし

そういう意味合いのことでもないんだろうけど

引き寄せとかも 結局なんにも学んでないし

 

これって 願望実現の話ってより

時間の概念のことなんじゃないかと思った

 

ファンタージエンにおいて アウリンの力を借りて

バスチアンが願いを叶えると の願いが叶うと かな

彼の記憶が 人間世界での記憶が ひとつずつ消えていく

これが一体どういうことなのか ぜんぜんわからなかった

 

彼が物語を作ると その瞬間に

その物語の内容が 過去も未来も包括して ホウカツ!

現実化する というところは

ファンタジーとはそういうものである ということ

物語の登場人物がトイレに行ったり

食事をしたりする場面が無いのはなぜなんだろう

という彼の素朴な疑問 それ私もよくわかる(笑)

これの答えというかね

 

ここから発展させて これは個人の見解だけど

時間とはそういうものである ということでもあるかなと

 

過去は存在しない 記憶の中にのみ存在する

未来は無数に存在しており

現在の自分は 未来を自由に選択できる

という理解なんだけど

 

現在の自分は 現在は というべきか

現在は 過去を内包しているわけで ナイホウ!

過去があるから 現在の自分は

適切な未来を選択できる と言えるのではないかと

 

記憶を つまり過去を 失っていくバスチアンは

望みをもつ つまり未来を選択する ことが

出来なくなっていったから

 

 

最後の夢を掘り出すところ

夢というのは つまり眠っている間 人は

別の世界にて生きていて それも複数同時に

各地であれやこれや活動しているらしく

目覚めた時に人は 今ここ の自分に戻って

あれやこれやの活動を断片的に覚えている それが夢

という理解なんだけど

 

人間世界 バスチアンにとっての現実世界に戻るためには

その世界の夢を見つけ出す必要があった

忘れてしまったら戻れない ということかなと

 

彼が掘り出した夢は

彼にとって大切な過去がたくさん詰まった1枚で

絵の内容自体がとても重要だったんだなぁと

手元に無い今になって気付いた 書きながら

 

 

以上2点は 今の私が興味あることピンポイントだったんで

特に2度目に読了してから あれこれビシバシひらめいた

のに 時間が経つと忘れてしまうんだよね だから書いとく

 

基本的には いかにも ザ☆ドイツ! な

ビルディングスロマーン であり

最後の最後で 一番大切なものは何か に

バスチアンがきちんと気付くところも良かったし

 

ファンタージエンと人間世界とのつながり

ファンタージエンに来た人間がそこで成長し

良いものを持ち帰って双方が発展する という世界観は

とても素晴らしいと思った しかしながら

2回読まないとこれを理解できなかった私って

頭が悪いのでしょうか それはしょうがないか

 

興味深かった箇所

 

イスカールナリの街で

バスチアンが学び 変わっていくところが感慨深かった

それと「いっしょ人」と「ひとり人」が

ドイツ語でどうやって表現されてたのかすごい気になる

 

アイゥオーラおばさまのあり方 というか

あぁ なるほど と いろいろ感じ入った

 

この2箇所は

子どもを産んだ後の私から興味深いのであって

文学部に所属していた時の私だったら

ふ~ん ってなもんだったかもしれない

 

本が手元に無いので Wikipedia に助けてもらってるけど

アトレイユのところ ドイツ語版に

Atréju als Bastians Alter Ego

というトピックがあって 何かちゃんと書くなら

こういうの全部読まなくてはならず

それは無理なのでやらないけど

この字面から あぁ と気付くことも確かにあるなと

バスチアンにとってアトレイユとは何か って感じで

ただ 私の興味はここではないかなと思う

 

幼ごころの君 は

die Kindliche Kaiserin

おぉぉぉ こういうの素敵って思える自分がイイ

 

この作品をドイツ語で読めない自分が残念だ

と最初思ったものだけど

読みたければ読めばいいし

いずれ苦労しなくても読めるかもしれないから

後の楽しみに取っておく

 

過去を内包した現在が未来を選択する

この認識のおかげで

瞬間毎に消えているはずの音楽に

なぜ連続性があるのか という問いに

自分なりに答えが出せた ありがとう

 

 

ぜひ今の今 息子に読んでもらいたかったが

読み切るには相当タフだし 途中いろいろあって

結局そのまま返しちゃった でもこないだ

これ読めるようになりたい って言って来た

なんとか今年中に読んでくれたら嬉しいけど

厳しいかな 時間が足りな過ぎるよね

5日間頑張らなきゃ とか言ってたら

見事に その前の日から体調が崩れた

私だけ一向平気なのが不思議だったんだけど

やっぱ来る時には来るようで

 

美容院の後こっそり行けちゃうかも と

リセール情報が届くように設定したのに

一向に飛んで来ない上に

肝心の美容院までキャンセルする始末

そりゃ飛んで来ないわけだ

 

ほんでも初日の学校関係をなんとかこなして

2日寝込んで(笑)

土曜日の塾→大遠征からもなんとか帰還して

1日寝込んだ(笑)

ま 寝込んだと言っても

高熱出して唸ってたわけではないけど

私は熱が出ないタチで

発熱以外の症状が順繰りに回って来るタイプ

 

最後の日の最後の最後に味噌が付いて

痛い喉をさらに痛めるというオチ

ほんでもさ どこの世界に

2時間かけて両手に提げてった差し入れ

自分の子は食べられなかったって聞いて

あぁそうですか で済む親がいるんだよ

 

普段あまり寄らないようにしてるお菓子コーナー

あれこれ見定めて買うのは楽しかったけど

裏見て あんまし食べさせたくないなぁ(汗)と

思っていたことは確か だから

ほら 食べさせないで済んだでしょ

そうしてあげたのに なに怒ってんの? と

上から聞こえて来る 気もする だから

心底ガッカリ で終わらせるのが正解だってわかってる

 

そこまでわかってて まだ折り合いが付かないのは

お菓子みんなで分けて食べたよ! と

息子が笑顔で言ってくれなかったのが

やっぱり この私でも 堪えたからだろう

 

 

学校から戻って 本格的におかしくなって来て

ふとスケジュール見たら

初日と2日目の過密さにビビった

マタイも似たようなものかもしれないけど

自分の体調が悪い分だけ

大変なお仕事だなと改めて感じた

 

体調不良は私が引き受ける! みたいなことを

勝手に思ってたことも確か だから

実際に体調が崩れても ばっちこーい ってな

もんだったんだけど

最終日 ぶり返して臥せってた時

オイコラ そんだけ言うなら

どんな重病でも難病でも引き受けられるのか?

と問われた気がして それに対して

そんなん当たり前っしょ! ばっちこーい と

即答できなかった自分があまりに情けなかった

でもこれは逆に

誰かの問題を引き受けることは出来ないんだよ

と諭されたようにも思う

 

横になって頭がぐるぐるめぐってる間

 

声をかけたら 人が集まってくれる

一緒に仕事をしたい と言ってもらえる

頼りにされる 慕われる 教えを請われる

そういう人って 本当に素晴らしい と考えていた

そういう人 そういう人生 に

私はなれなかったけど 少なくとも

そういう人って 本当に素晴らしい と思えるだけ

私は恵まれているし 幸せだな と

 

でも振り返ってみると

私は下について動く方が楽だし得意だったかもしれない

大学とか 職場とか すべてにおいてそうだった

だから 自分でも意外なんだけど

同い年に囲まれて どう振る舞うべきか

常に考えなければいけなかった十代より

年上の人達に囲まれて過ごした二十代以降の自分の方が

ずっと楽に振る舞えていたように思う

キャラクター設定をちょっと変えれば良かったのかもな

十代失敗した(笑)

 

常にそういうキャラクターでいられるから

ドイツの生活が楽しかったのかもしれない

 

この看板?にグッと来て写真撮影開始

つっても こういう陸橋?も

 

パンタグラフの無いワンマン2両編成も

ワタシテキには全然珍しくないんだけど

 

なんて見事な単線! と動画撮影開始

以下は動画のスクリーンショットなんで画質アレだけど

 

やっと乗り込む電車がやって来て

 

上下並んだ~! 達成感ある~(笑)

この絵面見て思い出した

 

息子が小さい頃よく観た動画

駅名を覚えてたんでなんとか探せたけど

 

絵面テキにはこの動画かな 並んでる感じが

浅草駅ホームの急カーブもおもしろかったな

 

 

文字にしたら現実化するかもしれないので書いてみる

 

ナクソスで知った3人の作曲家の作品を

君様の音で聴きたい

個人的には 今日び わざわざ円盤の形にすることに

どこまで意味があるのか疑問なんだけど

CDにしないとナクソスには上がらないのかもだけど

とにかく 君様の演奏を CDでも動画でもいいので

いつでもどこでも何度でも

完璧に再生できるものを手に入れたい

 

どのCDも よく眠れるのよ これが(笑)

違う ってわかってるからだと思うけど

でも最近この 違う ってのに耐えられないというか

満足できなくなってきた

君様の音で聴きたい

 

 

別の話 すんごい昔 もとい前の

バッハじゃないCDを聴くのがマイブームなんだけど

それとか だいぶ前のバッハもそうなんだけど

聴いてる最中に ふっと

すんごい若い君様の顔が浮かぶようになった

これはね~ ビックリした(笑)

一度もお目にかかったことがないのに

単にYouTubeの観過ぎかもしれないけどさ

これも ブックレット見て なるほど って

わかってるから起こる現象なんだと思うけど

 

時々でいいから 時空を超えて

音楽を聴かせてもらえたらいいのにな

 

こんな文章書けるくらい体調戻ったっぽい ふぅ

 

 

あと1年ちょっとしたら

ずっと聴きたかったカンタータが聴ける

あと1年 それまで あんまり怒らずに

明るく楽しく 頑張ろう

『モモ』を借りようとして ちょっと迷って

『はてしない物語』を先に読むことにしたんだけど

やっぱ意味があるんだなと思った

「瞬間は永遠」とか

「願った時には叶っている」とか

今のこの時代に必要な要素があちこちに書かれてる

数年前にしっかり読んだはずなのに

話ぜんぜん覚えてなくて

後半はストーリー展開に引きずられた感じで

集中力を欠いていた もっかい読んでみないと

 

 

次の曲に進んでる段階で前のこと書くのもアレだけど

こないだはお酒入った状態で書いてて

自信がなくて書かなかったことがあったので追加する

 

楽しみにしていた曲のうち

 

前半のは いつもよりちょっとゆっくりで

鬼気迫る! に慣れた私にはちょっと聴きづらかった

聴きづらいのは演奏しづらいのと関係があるのか

あるわけないけど

丸みを持たせたバージョンとすれば当然かもだけど

 

テンポ問題ってのは 結局のところ

その人のデフォルト値がどこにあるか ってだけで

議論にならない というのを読んで納得してたので

いつもよりちょっとゆっくりだな~ で終わり で

良かったんだけど あとであちこち眺めてたら

そうだ 昔 もとい 前はこんな感じだった と

思い出して 久しぶりに前のCDを聴いてみたら

ほんとにそんな感じだった ということは

デフォルト値も変わり得る ということで

いちいちあれこれ言っても仕方ないわけだ

 

でも 自分の好みというか

こういう演奏が好きだ というのは

大切にしないと と思う

具体的には 特にバッハに関しては

高速演奏は欲しない

一音一音が大切にされない速さは好きじゃない

 

シングルカットして欲しい曲にしたって

シングルカットされてたじゃん(汗)

でもそのおかげで この曲は即 頭に浮かぶ

曲の流れに影響されない

 

最後の曲は 渾身の とひとことで書いたけど

ひとつひとつのフレーズが

スラー単位というのか とにかく

ひとつひとつが丁寧で綺麗で 心と力がこもってて

本当にすばらしかった

 

後から思えばだけど さっき書いた

「願った時には叶っている」って

こういうことを言うのかな と

ちょっと 言いたいことと違う気もするんだけど

こういう演奏を聴きたい という無自覚の願いが

目の前で実現されていく そんな感動をもらった

 

この2曲は うっかりしたら

もう二度と聴けないかもしれなくて

記憶の中に確かに刻まれているはずの演奏を

完璧に再生できない自分が悔しくてならない

でも そんな深刻に落ち込まなくても

大丈夫かもしれないし

 

 

ちょっと前 学校で琴に触れて来た と言われて

『春琴抄』の想い出などぺらぺらしゃべくった後

オイコラ 春琴は三味線だろがい で今度は

『蘆刈』の想い出などにふけりながら

そうだもう青空文庫に入ってるんだよね~と

延々と続くひらがなを眺め始めてようやく

『吉野葛』にたどり着くというテイタラク

 

今の私からすれば どうしてあんなに

谷崎作品にハマっていたのか 不思議に思う

先生にも指摘されたように 他の作家の方が

当時の自分は ずっと書きやすかったはずなのに

 

褒めてもらえたか否かも関係してるかもだけど

卒論はともかく 修論は ほとんど覚えてない

記憶から抹殺したいほどの黒歴史 でもないが

なんというか もう興味が持てないのと

 

当時は 言いたいことが言語化できなかった

何も 誰にも 伝わらなくて でも

肝心の 言いたいこと も 自分自身でも

明確に理解できていなかったのかもしれない

 

 

今わかるのは

ただ 読んでいたかった それだけ

心にひっかかる作品を与えてもらって

問題を探して 自分なりの答えを考えて

文章にまとめる という作業は楽しかった

でも 私がしたいことって 結局

誰かに認めてもらうための発言や論文を生み出すことではなくて

好きな文章と一緒に時間を過ごす

ただ それだけ

ほら 社会的に成功するわけないでしょう(笑)

 

これは 『はてしない物語』のあとがきの

エンデの言葉を読んで気付かされたことで

それもまた なんて情けないんだって話だけど

 

今はよくわかるんだよね

音楽を聴いている自分がまさにそうだから

 

音楽だって 聴いた瞬間から消えていくけど

消えるから無駄だなんて思わないでしょう

好きな音楽と一緒に時間を過ごす

今の私が最も価値があると思う行為で

思い返せば 昔からこうだったような

何も変わってない でも気付いてなかった

 

そういう意味では 谷崎作品って

凄まじく魅力がある世界なのでね

ハマってしまうのもわかる

私が言うのもなんだけど(笑)

 

そこまでわかっていて

どうして息子には

反対のことばかり言ってしまうのか

彼が『モモ』を読んだら

反対のことばかり言われて来たことに

気付いてしまうだろう

それはそれでいいのだ 正しいことだから

 

 

音楽を聴く時は

コンサートホールに行って いつもの席に座って

ステージを見ている自分 になって なりきって

聴くことにした

本を読んでいる時は 用意された時間と場所に

招待される感じだけど

音楽を聴く時は 記憶の中にある時間と場所

もしくは これから訪れるだろう時間と場所に

意識を座らせて 過去に経験した

もしくは これから経験するだろう

感動を 今に持って来る感じ

意識にとって 時間と場所なんて

どうにでも扱えるわけで

実際そうやって聴くと

気持ちが何倍にも膨れ上がる

 

最後の曲への感謝と感動を

チョコレートに変えて贈ることができないことを

残念だと思ってしまう辺り

私もまだまだだな

 

 

写真を見ちゃうとなおさら

やっぱりチケット取っとけばよかった

 

でも ちょっと前のテレビ番組

家にいたのでオンタイムで観て

けっこうお腹いっぱいになった

五千円は払っていい内容だった

 

魔笛の間は 珍しく用事が詰まってて

千秋楽まで 私も頑張らないと

結局は何も起こらなかったわけだから

ほら 何の問題もなかったでしょ? と

また諫められちゃうのかもしれないけど

 

マエストロのお話はとても興味深かったのだが

最後の最後 もう無いかなと油断してた案件が

話題に上がった瞬間 メンタル崩壊

 

2024年にもなって こんなことが起きるなんて

もとい こんな気持ちになるなんて

私もまだまだ 修行が足りない

 

コチラ側からしたら

絶対にやってはいけないこと

なぜなら

届けたい人には届かないから

 

これが

その辺のどうでもいいイベントとか

学校行事とかだったら

1ミリたりとも 何とも思わないのに

 

だめだった

どう思われるだろう とか

嫌われたくない とか

とっくに卒業したはずのネガティヴが

戻って来てしまって

 

音楽とは切り離さなきゃいけないとわかっていても

時間がかかってしまった

 

待て待て 私が一足先に会場を出ればいいだけじゃん

誰も何も 私すら 気付かないし傷付かないし

と気付いたのは

ハーフタイムに競歩でベンチ取って

作って来たおにぎり食べて

席に戻ってからだった

最近はなるべく平常心で臨むようにしていて

平常心ってのは 洗濯したり お米炊いたり

つっても 家事はまるきりできないのだけど

なるべくいつもどおりのことをして家を出る

炊き立てのご飯で作ったおにぎり美味しかった

朝息子に持たせたおにぎりは美味しくなかったかも

 

本物の善意から行動している人には

真実を伝えても わかってもらえない

 

複雑だったが こういう場合は

今までして来てもらったことを思い出す

私は 特にこの数年間 たくさん助けてもらった

息子が突撃した時も 快くお話しして下さったり

 

感謝しかない 本当に

 

だから私も 魂を売るようなことはしない

 

 

ケルンからのライヴやCD録音とは違って

丸みのある感じだった Facebookの解説の通りだった

個人的には ケルン方面の

鬼気迫る! という感じの方が好きかもだけど

今日のは今日ので 興味深かった

 

生で聴けて嬉しかった曲のうち

 

前者は 今まであまり聴いて来なかったもんで

どうなってるのかよくわからないところが

とてもおもしろかった

どうなってるのか ってのは

楽譜を見ないと複雑過ぎてわからない って意味

キラキラツートップの役割分担とか

ポジションの受け渡しとか

何度も書く ここだけ切り取って

シングルカットして売って欲しい

 

後者は 終曲ですが これはもう

渾身の という表現しか見付からない

この曲にたどり着くまで

自分のダメさ加減に失望していたけど

この曲がすばらしいと思えただけで

生きている価値があると思った

 

わかりやすく天に上っていく感じのこの曲は

全体を観ながら聴きたかったのに

だめだった(笑)

 

うまく表現できないから書かないで来たけど

君様の音は 言葉みたいというか

言語って意味じゃなくて 言語ではない

メッセージとか 感情とかが

入ってるというか 乗ってる気がするんだよね

 

ほら書くとつまんない 書かなきゃ良かった

 

でも だから 渾身の って思ったんだ

 

 

けっこう急いで出たつもりが

出口付近はいつもと何ら変わらない様相で

ほらね と また言われそう

 

この世界はホログラムだ というのが

未だに理解できない だって

物は触れるし 人だって生きてるでしょう

 

でも 途中で一瞬

舞台が遠くなり 映画のように見えた

 

それはそれでしょうがない

ぜんぶ消えてしまっても

それはもう 私の力ではどうにもならない

そう思ったら なんかすごくラクになった

どう思われるだろう とか

嫌われたくない とかも どうでもよくなった

 

いつのことだったか忘れたけど 三十代かな

いま見えてるものはすべて幻で

本当は何も実在してないんじゃないか

って認識に至った時期があったんだけど

あの時 既に ちょこっと覚醒しかけてたのかもしれないな

 

でもそのままマトモに覚醒していってたら

サラリーマンなんかやっていけなかっただろうし

そもそも 今ここにはいないかもしれない

 

ここ数ヶ月 私の目に映る君様は

少しずつ 微妙に 若返ってるように見える

どのような理由であれ 私としても嬉しい(笑)

 

ビールと赤ワインで酔って観たら超おもしろかった

次から私も飲んでから観よ(笑)