結局翌日にアーカイブ配信を買い

30日の夜ギリギリまでメサイアを流し続け

配信が切れた後は第九など聴いたりして

この日がとても待ち遠しかった

 

時間の感覚が一層おかしくなっており

先月は3週続けて聴きに行けていたことに

半券の日付を見て気付くような状態で

何ヶ月も空いてしまったわけじゃないのに

 

YouTubeでいろんな演奏を観て

だいぶ聴き慣れたこともあるのか

聴きどころも覚えたし

この日をとても楽しみにしていた それは事実だけど

 

まさか本当に 現実的に レクイエムになってしまうなんて

そんなこと 望んでいるわけがないでしょう

 

 

少し前に数人で集まってくれた時

どうも彼は話したいことがあるようだ とは聞いていて

その後に送ってくれたメールにも

いつかふたりには話すね と書いてあったから

何か込み入った事情があるのかなとは思っていたけど

彼女がこの世を去るなんて

1ミリも 0.00000001ミリも

考えもしなかったから

だるま落としの 足を綺麗にすくわれた直後に

一番上の頭を叩き割られたようだった

 

かける言葉など何ひとつ見つからないとはいえ

この場合 書くのは私の仕事で

とにかく メールを読んで事情を理解したことは

今すぐ伝えなければと思い 画面に向かったが

 

常識的な慰めの言葉を並べるよりも

今の私が確信していることを

今の彼には酷かもしれないことを承知の上で

正直に伝えることにした

 

彼女は今 あなたのそばにいるから

話し掛けてあげて欲しい

彼女はいなくなったわけじゃない

何かを共有できなくなるわけじゃない

今そこに確かにいる彼女が悲しまないよう

話し掛けてあげて欲しい

 

 

有限なのは肉体だけで 魂は不滅であり

肉体が終わったら 源のところにいったん戻って

またあれこれ設定し直して 次が始まる

これは たくさんの人が同じことを言っていて

もう 100%確か らしい

 

亡くなった方が 嘆き悲しんでいる家族を

上から見ていて といった話はよくあるので

私もそういう情景を思い浮かべた

 

だとしたら 彼女はとても寂しいに違いない

彼女がどんなに話し掛けても

彼が気付いてくれなかったら

とても寂しいし悲しいだろうと思った

だから 今は 自分の悲しみを抑えて

彼女が笑顔になるように 寂しくないように

なんとか踏ん張って欲しかった

 

 

そんなこと言われたって

魂は不滅だ それが真実だ なんて言われたって

今の彼の悲しみをやわらげることは出来ないとわかっていた

だから 酷だな と 何度も思い返したけど

私に伝えられることはそれしかなく

私のことはいくら恨んでもらってもいいから

今 伝えようと思った

後は任せた 私は もう会ってもらえなくてもいいから

 

人間ドックで引っかかって

専門医の予約日を待つ1ヶ月の間

私も いろいろと考えた 考えて

残される悲しみも

先に逝く悲しみも

両方 想像出来た

それは 同じ大きさと重みがあり

どちらも耐え難く辛かった

 

だから 今の彼の悲しみと苦しみは

肉体の苦しみから解放された彼女にとっても

同じボリュームを持つ悲しみと苦しみであり

彼が悲しんだり苦しんだりすると

彼女も同じだけ悲しんだり苦しんだりするから

どうか それに気付いて

彼女のために 彼女を安心させるために

笑って 話し掛けてあげて欲しかった

 

 

その夜は 言葉を選ぶことで精一杯だったが

次の夜は 感情的に抑制が効かなくなった

我慢せず ひとしきり泣いた後

なんというか すっきりしたというわけではないが

この 泣けるだけ泣く という行為は

とても重要だと感じた

 

恩師の告別式の時も 会場に入って

読書会仲間のマダム達の顔を見た途端

涙が止まらなくなり

あいつはいったい誰なんだ? と

訝しがられていたんじゃないかと思うくらい

散々泣いた 全然止まらなかった

 

だけど 黒い車を見送ったら

なぜか 気持ちが収まった気がして 涙も止まった

なんというか 自分の中で 踏ん切りが付いた感じ

 

大切な人を亡くすということは 結局のところ

残された者が受け止めなければいけないことで

自分の中で それをどう受け止め 消化するか

それに尽きる と 今は思っている

消化という表現はいまいちフィットしないけど

時間が解決する という表現の方がいいのかな

それと

自分の中に生きている

これは 本当だと思う

一緒に生きて行く 人もいるだろうし

時々思い出して話し掛けるだけでも

自分の中に生きている と言えるはず

 

こんなこと書いたって

私自身 あまりに経験不足で

だいぶ取り乱すだろうな とは思う 思うけど

魂は不滅であり すべての人は 自分の人生を

ある程度決めてやって来ている ということも

確からしいので それがわかっている同士なら

ある程度は なんとかなるのではないかと たかをくくる

 

 

本当のレクイエムになってしまったとわかった時は

ちょっと心配だったんだけど

席に座った瞬間 なんて薄情なんだと我ながら思うが

いろんなことが 吹っ飛んでしまった


YouTubeでは 繊細過ぎて聴こえない音にも

どう頑張っても表せないだろう迫力にも圧倒された

低音部の真上だからこうなのかと思ったけど違う

オルガンだと思うけど すさまじい重低音で

多少の体調不良なら治療されちゃうんじゃないかってほど

まぁすごかった(笑)

 

位置的に 音テキにはどうかな な席だったが

そんな小さいこたぁどうでもいい大迫力だった

特に ソリストの歌声が本当に素晴らしくて

月並みな表現で申し訳ないが 大変感動した

 

どれだけ美しい音だったか

拍手の大きさが表していた

いつもと少し違う角度からの視覚的にも

とっても美しくて この

美しさに感動した時の表現の仕方がわからない

伝わって欲しいけど どうかな

 

 

失うということは

どこに座っても見えない ということで

目をつぶれば聴こえるでしょう なんて

字面的に慰められることじゃない

 

私が設定して来ている体験要素ではないので

それは起きない そんな悲しいことは

前回までの人生で既に体験済みか

耐えられずにその後の人生を放棄しそうなので今回は無し

のどっちか いずれにしろ 無い

 

逆に関しては まぁどうでもいいのだけど

年間シートを買った以上

そこを空席にすることは許されない という姿勢

私の席は ある意味ちょっと目立つので

オイなんであそこが空いてるんだヨ! と

叱られる感じだしね

 

いろんな人が前もって語っていた通り

結局なんだかんだ 2025年までかかりそうな気配

そんなら 2024年度と2025年度の定期公演

ぜんぶまるごと聴いたる! みたいな覚悟を 覚悟か?

決めたところだった だから

空席にはしない マタイも望んでた席が取れたし

チケットが取れたってことは

聴きに来ていいよ と言われている と解釈する

 

 

端の席は メリットしかなさそうに見えるが

デメリットもあって 気にCのワタシテキには

極力 公演直前に座るのがベターだし

公演後は速やかに出るのがベターだしで

前はともかく 後とか 休憩前とかは

不本意な離れ方をすることが最近多かった

 

この日はカラの舞台を眺めているだけで大興奮で

かなり早めに座ってしまっていたのだけど

私の隣のご夫婦が いったん扉の外に出て

わざわざ逆側から座りに来られて恐縮した

私ひとりが一瞬よければよかっただけなのに

 

隣が年配の男性だと ちょっとな~ な時も多いのだが

その紳士は全然そういうことがなかった

終わった後 ○○さんあそこにいたんだね~ と

少し前にtwitterでプチバズリした方の名前が出て

私もそれで気付いた次第 パンフ読んどけよ~

いや 読めないんですよ ピント合わないもんで

その方の演奏している姿も好きだから

公演中は見えなかったのは残念だけど

隣の紳士のおかげで気付けて良かった

 

何の話かというと 最後の最後

気にCな私は多少気にしながら残っていたのだが

見るからに素人な私が頑張って拍手を続けていたからか

私が立ち上がるまでそのご夫婦も退出を待って下さって

最後まで座っていられたことがうれしかった という話

 

舞台から出て行く姿を見送ることが出来たら

舞台に出て来る姿を次また見ることが出来る という話

 

それと そのために ではないにしろ

そういう状況を残してもらえたことがうれしかった

ありがとうございました とてもうれしかったです

 

 

すべての人は自分の中で生きているということを

気付かせてくれてありがとう

もうしばらく 彼のそばにいてあげて

 

 

Alte Oper って スタジアムからHbfまで戻って来て

自由席だから次のICEで帰れる男の子と別れて

指定席だから乗るICEまで時間が余ってしまった

ne-さんとふたりで散策し始めたまではよかったが

同じような建物が立ち並ぶ金融街

どこ歩いてんだか皆目わかんなくなって

うろうろうろうろ ひたすら歩いて歩いて

あれ たぶんオペラ座だ! とやっと地図が読めて

ここから引き返そう って決断した地点かな

1年目は携帯だけレンタルして

敢えてカメラ持って行かなかったもんで

画像が無いのが残念でならない