今回も以前書いた記事の書き直しです。この頃になると段々こなれてきており、端折ったり間違っていたりが少なくなるのですが.....。まぁ、何となく書き直してみました(笑)。

 

問題は、コメントがついた記事ですね。この選手以来になると、数少ないバスケ仲間からコメントがあました(そう言えば、最近はコメントねーな、〇ー〇ーさん?)。記事を書き直したからといって削除してしまうと、コメントも消えてしまいます。コメントが付いた記事をどうするかは、考えます。

 

という訳で ( って、どんな訳じゃい? )、今回紹介するのはかつぼうさんも大好き レジー・ミラー ( Reginald Wayne MILLER ) です。いつもは敬意を表する意味も込めて ファミリーネーム で記載する事が多いですが、今回は大好きな選手イエローハーツなので親しみを込めて、以降「レジー」と記載します。

 

インディアナ・ペイサーズに入団して、高確率で決まるスリーポイントシュートを武器キラキラに18年間どこにも移籍せずに戦いました。

 

レジー01

 

ペイサーズのピンストライプのホームユニってカッコいいですよね!

 

レジーは、カリフォルニア州のロサンゼルス郊外のリヴァーサイドという街で生まれています。ミラー家は、その街でも有名なスポーツ一家です。お兄さんのダレルはMLBエンゼルスのキャッチャー、お姉さんのシェリルはオリンピックで金メダルを取って殿堂入りまでした有名なバスケ選手、妹さんのタミーはバレーボールの選手。素晴らしい環境ですね。レジーはプロ入りしてからも、暫くはお父さんと頻繁に連絡を取って自分のプレーに対するアドヴァイスを貰っていたそうです。

 

その中でレジーのライバルは、同じバスケをしていたシェリルさんでした。何度挑んでも全く歯が立たず、実際 「 姉に負けるのが悔しくって悔しくってしょうがなかったえーん 」 とコメントした事もあったそうです。どんなに好選手でも負ける事は必要。負けが糧になる事もある。小さい頃から負ける悔しさムキーを知ってたのが、NBAでの活躍にも繋がったでしょうね。

 

ラモナ高校から名門 UCLA に進学。かなりの差があるっちゃありますが、大先輩のカリーム・アブドゥル=ジャヴァーに次ぐ大学歴代2位の得点をあげてニコニコ、1987年NBAドラフトで全体11位でペーサーズが指名。同チームに入団します。↑にも書いた通り、以降キャリアの全てを過ごします。レジー入団時のペーサーズは、はっきり言ってあんまり強いチームではありませんでしたてへぺろ

 

ですが着々と力を付け、レジー加入後3年目でプレーオフに進出します爆  笑。ま、一回戦で負けてしまいましたが.....。その後も、プレーオフの一回戦で負けるシーズンが数年続きました。ですが神様ジョーダンが野球から復帰した時のシーズン(1994~1995)のプレーオフで、カンファレンスファイナルに進出します。相手は、ペイサーズの宿敵ニューヨーク・ニックスです。その第5戦目で、レジーは伝説イエローハートを作りました。配色濃厚だった敵地での試合でレジーは第4Qだけで25点を取り ( しかも凄まじいブーイングが響き渡る中でです! ) 大・大・大逆転勝利炎を掴みました。結局その後連敗してしまい、NBAファイナルには進めませんでしたが、その大逆転はいまだにNBA好きの語り草になっています。

 

そして翌年 ( 1995~1996 ) も再びです。カンファレンス準決勝第1戦、相手はニックスで場所は敵地。残り16.4秒でニックスが6点リードしていたのですが。神がかったレジーが立て続けに3Pシュートを決め同点。ファウルゲームに持ち込み、FTを得たニックスの名手ジョン・スタークスがまさかの2本外し!リバウンドを取ったレジーがファウルを受けて、今度は逆にレジーのFT。レジーはそれを2本とも決め、逆転炎しました。そのままカンファレンス決勝に駒をすすめています。当時のニックスのファンで、レジーを好きな人なんていなかったゲッソリでしょうね。

 

ドリームチーム3のメンバーにレジーが選ばれアトランタ五輪で金メダルを取った活躍を挟み、1997~1998シーズンにかつぼうさんも大好きな ラリー・バード がペイサーズのHCに就任爆  笑するとチームが躍進!レギュラーシーズン58勝爆弾というチーム記録を作り、カンファレンスファイナルで神様ジョーダンのラストダンスシカゴ・ブルズに挑みますが..........。7戦目にもつれ込む死闘の末、敗れてしまいます。この時のNBA好きは、どっちを応援すべきか迷った人も多かったんじゃないかな?ジョーダンの花道も飾らせたいけど、ファイナルでプレーするレジー&それを指揮するラリー・バードHCも見たい。かつぼうさんも悩みました、3秒くらいですが(笑)てへぺろ

 

常々ラリー・バードHCは 「 チームを指揮するのは3年 」 と言っており、その3年目の2000~2001シーズンにペーサーズは念願のNBAファイナルに進出爆  笑しますが.....。コービー&シャックのLAレイカーズにやられてしまいましたね.....ショボーン

 

その後のレジーはプレータイムは減ってきてはいたものの、リーダーシップを発揮(※)してチームを引っ張っていたえーそうですが.....。

 

かつぼうさんもめっちゃ怒った2004年11月のピストンズ戦でペーサーズのバカどもが起こした大乱闘事件の三か月後、レジーはお姉さんのシェリルさんを通してそのシーズン限りでの引退を発表しました。レジーの最後のシーズンなのに乱闘が起きてしまった事が残念で、「 乱闘を起こしたバカどもを全員クビにしてレジーにもう一年やって欲しい ( そうすれば、ちょうど40歳でレジーが引退する事になった )。」 と、当時のレッズ戦で多くのサポ仲間に言っていたのですが.....。誰も覚えていないだろうな(笑)。

 

2007~2008シーズン前に、ビッグ3ポール・ピアース、ケヴィン・ガーネット、レイ・アレン ) が集まったボストン・セルティックスでレジーが現役に復帰するという噂があり、心が躍りました。大好きなレジーがセルティックスのユニを着る!と思うとわくわくウインクしましたが、結局噂のみで終わりました。

 

 

有名な選手ですので、逸話も多いうえに有名です。

 

・試合終盤にレジーがシュートを高確率で決め始める時間を 「 ミラー・タイム 」 と言いました。これは、「 ミラー 」 という銘柄のビールのキャッチフレーズでもありました。

 

・シューティングフォームは、正直あまり綺麗ではありません。ですが高確率でシュートが決まった ( FG成功率47%、3P成功率39.5%、フリースロー成功率88.8%!!! ) のは練習したのもあるでしょうが、味方と協力してフリーになる場面が多かったからです。あと。フェイダウェイもめっちゃ上手かったですよね。ジョーダンのを研究したのですかね?

 

・劣勢なのに、終盤のシュート連続成功で試合を見事にひっくり返す事が多かったです。また、レギュラーシーズンよりプレーオフで活躍したと言う印象があります。実際、レギュラーシーズンよりプレーオフの平均得点の方が高いです。劣勢になったり大一番になったりすると、「やる気スイッチ(笑)」が入ったのでしょうね。

 

・常に日が当たる場所を歩いてきて注目されていたからなのか、超我儘で超強気です。試合中に強気なのはまぁ良いのですが、試合後の記者会見でも強気だったのは少々ヤバかったです。実際、集まった記者さん達の顰蹙を買ったのは、一度や二度じゃありませんでした。

 

・ブーイングが響き渡る敵地での試合でも、観客に対して超強気でしたね。かなり煽っていましたっけね。

 

・記者や相手チームのファンには顰蹙を買った超強気発言ですが、TV向きだったみたいで.....。現役時代から、TV番組の司会を務めていたそうです。

 

・トラッシュトーク ( 試合中相手に話しかけ、怒らせて冷静でなくする ) が有名ですが.....。いかにもやりそうなゲイリー・ペイトン(笑)は兎も角、大人しそうなラリー・バードやジョン・ストックトンだってかなりやっていましたし、神様ジョーダンも時には酷いトークをしたそうです。トラッシュトークを全くしない大選手を、かつぼうさんは知りません。そんなの、みんなやってるじゃん?何でレジーだけ非難するの?

 

・ただ、レジーのトラッシュトークに神様ジョーダンがキレちゃって殴り合いになったのは有名ですね。ま、トークだけでなくレジーがジョーダンを突飛ばしたりしていたのも原因でしたがね。確か双方が退場で1万ドルの罰金と、レジーにだけ次の試合の出場停止処分が下されています。

 

・ラモナ高校時代でのある試合で、レジーが39得点してチームは勝利。得意になって自宅に帰り、夕食の席で「今日は39点取ったんだ!」と自慢したレジーに、お姉さんのシェリルが一言。「あら、おめでとう!ま、私は今日の試合で105点とったんだけどね。」。レジーはポカーンとするしか無かったそうです(笑)。シェリルさん、凄過ぎです。

 

・その、シェリル姉さんと組んだ「賭けバスケ」でのお小遣い稼ぎは、めっちゃ有名ですね。バスケが得意そうな2人にミラー姉弟が勝負を挑み、最初は油断させる為に負けたそうですが.....。最後には勝ってお金もゲットという、中々狡猾な(笑)姉弟だったみたいです。

 

・レジーの凄さの一つは、稼働率の高さです。キャリアを通して70試合を下回ったのは、現役最後の年の66試合のみ ( ロックアウトの年は除く ) 。全試合出場 ( 82試合 ) と81試合出場 ( 欠場は1試合のみ ) が5回ずつ。79試合出場が2回です。平均出場時間も34.3分で、決して悪くはありません。よく考えると、レジーが怪我をしたと聞いたのは皆無です。ジョーダンでさえ、2年目に足を骨折してかなりの試合を欠場しています。それを考えると、恐ろしい程怪我に強かった選手だったって事ですね。節制もあったでしょうが、素晴らしいですよ。

 

・ゴールデンステイト・ウォリアーズのシューター、ステフィン・カリーに対して 「 俺の方が凄いシューターだよ 」 とコメントした事があるそうです。ですが「自分が一番じゃないと気が済まない」サッカーの神様ペレなんかとは全っ然違って、とてもカリーに対する期待と愛情があるコメントでした。「 現時点では俺の方が凄い。でもカリーがこのまま頑張っていけば、間違いなく俺を追い越すだろう。 」 という、要はレジーなりのエールでした。あれだけ我儘で刺々しかったのに、年取って丸くなったんですねぇ(笑)。

 

 

(※)何だか、ヤンチャだったレジーがリーダーシップを発揮したってちょっと違和感ありますね(笑)。