今日のスケッチ。
塩山市、甘草屋敷。
元日は松川峠の松川荘に泊まった。
2018年夏の松川荘のスケッチ。
客は私1人、小屋の管理人は75歳のオヤジさん。
大晦日は、泊り客は一人もいなかったそうだ。
管理人さんは、あまり話をするのが好きではないらしい。
6時になると、はやばやとストーブの火を消したから炬燵のある寝部屋に行くしかない。
炬燵に入っても、足元以外はシンシンと冷えている。
ランプの小屋だから読書もできないし、スマホの電源も入らないから、早々と布団に入るしかない。
ただ、豆炭のアンカのサービスは嬉しい。
これがテントだと、外が暗くなれば6時でも寝入ってしまうのだが、山小屋ではそうはいかない。
自然、布団の中で、今までの大菩薩を歩いた思い出にひたる。
50年前に初めて大菩薩に登った時は、やはり裂石部落から上日川峠経由で登った。
今は廃道になっている富士見山荘跡から賽の河原を目指す、クサリやロープの多い山道を歩き、大菩薩峠に着いた。
富士見山荘、10年前のスケッチから。
まだ朝早い時間帯で空には雲一つなく、峠から見る富士山は見事だったはずだが、富士山より、奥多摩や南アルプスの山また山の連なりが印象に残っている。
介山荘から一山越えた記憶があるから、たぶん熊沢山を乗り越して石丸峠に行き、そこから日川林道に下りたと思う。
介山荘と熊沢山。10年前の夏。
少し登りかえして、裂石に下った方が、そこからバスに乗れて楽なのだが、まだ山に詳しくない私は林道を延々と歩いて、初鹿野駅、今の甲斐大和駅まで歩いている。
おかげで、武田家滅亡の跡や姫の身投げの場所、天目山の古戦場跡など武田家のゆかりの戸を見られた。
石丸峠から林道に出たら、測量器具を持って歩いている人たちと出会った。
今、ここいらにダム湖を作る計画があるから、そのために測量しているとのことだった。
「お兄さん、あと数年後にはここいらは大きな湖になるよ」
「へーつ、こんな山奥にですか」
20年前、山の会で大菩薩峠に登った時、バンビちゃんから、「蒲生さん、あそこに見えている湖は、なんていう湖?」と聞かれた。
大菩薩湖と富士山、2011年のスケッチ。
その時初めて、以前、測量の人達から、ダム湖ができる話を聞かされたのを思い出した。
それまで、何度も大菩薩に登っているのに、湖は見過ごしていたのだ。
そのバンビちゃんとは、その後また大菩薩峠に行き、かえりに天目山温泉に寄っている。
50年前は温泉などなかったが、武田家に関する石碑を見ただけでも懐かしかった。
大菩薩の思い出と題したが、いろいろあり過ぎて千字以内にはまとめきれない。
続きはそのうち。