かもさんの山歩き

かもさんの山歩き

毎週末、山を歩いてスケッチしてます。
漫画も描きます。

1ヶ月以上、山歩きをサボった。


 てきめんに体力が落ちている。



 今日は6号路を高尾山頂を目指すつもりであったが、高尾山口から6号路入り口まで歩いて、予想以上に体力が落ちているのに気づいた。


 情なか! 

 仕方ない。 


 6号路途中から琵琶滝方向に入り、1号路に霞台で合流。


 ここで茶屋をスケッチしてから1号路で山頂か。

スケッチしているうちにすごく眠くなる。







 寒くて色を塗り終わらない。

山頂はパス。

来週末は、また6号路から歩き始めて最後まで。


高齢者の場合、一週間安静にしていた場合、元の体力に回復するのに1ヶ月かかると聞いた。



やはり繁忙期でも、仕事をやりくりして、週一回は山を歩こう。






今日のスケッチ。

たぶん、昭和30年代の町風景。

フエイスブックの写真から。

 

場所が書いてないが、どこにでもある昭和の風景。

都城の牟田町の風景であってもおかしくない。

絵を描く時に一番気をつけるのが、縦の線。

 

例えば道が手前から奥の方に延びている。

 

道の両側に建物が並んでいる。

 

右側の私より目線が上にある軒や、屋根の線は、左下がり、右側の目線が下の道路の端の線は、左上がりになる。

 そこまではいい。

 

本来は真っ直ぐである柱の線が、左下りや、左上がりの線につられて傾いてしまう。

 

描き終わってから、柱が傾いていた事に気づく。

 

だから、そうならないように、下描きの途中で、紙を離して見ては、傾いていないか、チェックする。

 

しかし、これが案外難しい。

 

点検しても、斜めの横線に惑わされて、まっすぐだと判断してしまう。

 

 

わずかな傾きでも、絵の印象が変になる。   

 

町中で家並みをスケッチしている時に時に、気になるのが、電柱の傾き。

 

ほとんどの電柱は真っ直ぐに立てられているが、時々は大きく傾いて立てられているのがある。

 

あれは地盤や土壌の関係で、傾けた方が倒れにくい場合や、電線が両方の電柱を引っ張っているので、引っ張られる方向とは逆の方向に傾けて立てられるケースもあると聞いている。   

 

 

電柱を全て真っ直ぐに描くと、逆に不自然だし、傾いたまま描いても、絵を観る人は、やはり不自然だと思う。

 

私としては、見た通りに描くしかない。

 

街なかの電柱は、街の美観を壊すから、電線は全て地中に埋めるべきだと言う人がいる。

 

私は電柱のある風景が好きだ。

 

寒風で電線がピューピュー音をたてるのも、冬らしくて好きだ。

 

宮沢賢治に電信柱を兵隊に見立てた詩?童話?「月夜のでんしんばしら」があった。  

 

それ以外で、電信柱や電線のある風景を描いた詩や小説を思い出せない。

 

日のハガキ絵。

 

水木しげるの自伝的エッセイ本「ほんまにオレはアホやろか」の表紙を模写。

 

漫画家の書く文章は、独特の味がある。

 

 

戦前の岡本一平の漫画漫文。

 

私が感心するのは、ゲゲゲの鬼太郎の水木しげると、ねじ式のつげ義春。

 

水木しげるさんは、ガロにエッセイ風の物を書いていて、絵と同じようにとぼけた味があった。

 

つげ義春さんは、義務教育も終えておらず、赤塚不二夫が住んでいたトキワ荘に遊びに行くと、藤子不二雄らが映画の話をしているのを聞いて、トキワ荘グループはインテリだと劣等感を持ったらしい。

 

たぶん画風から、つげ義春とトキワ荘グループとは漫画感や生き方の違いがあっただろう。

 

しかし、つげさんは、小説はかなり読みこんでいるらしい。

 

私はつげさんの、いわゆる旅行ものといわれる漫画が好きだ。

 

私はその漫画に、井伏鱒二の紀行文を読んだような味わいを感じる。

 

つげさんは旅行紀も書いていて、旅先で出会った人達の描写に、どことなくユーモアを感じる。

 

文章はわかりやすくて、気負いがなくて淡々としている。

 

自分の内面を表現するのにも、あれだけ気取りがなく書ける人は珍しい。

 

つげ義春が、新作漫画を描いたのは、1987年の「別離」であり、それ以後は新作を発表していないが、十数置きにつげ漫画のブームが起こり、そして今は、フランスでつげ漫画の絵がアートとして評価されている。

 

つげ義春の文章も、優れた紀行文や日記だと高い評価をうけているそうだ。

 

実は私も、つげ漫画だけでなく、貧困旅行記や日記などを、何度も読み返している。

 

つげさんの才能は、不思議な才能だ。

 

再評価される漫画家や小説家はいるが、つげサンは再評価され続けている。

 

つげ漫画が評価され始めた頃、つげ漫画の絵をアートとして評価する人はいなかったし、文章を評価する人はいなかったはずだ。

 

 

そういう評価に、一番戸惑っているのはつげさん自身であろう。