大磯砂でドライ濾過を実施するのは無理があったのかもしれない。

 

まあ、そもそもそういう形状ではなかったのだが。

 

設置して2ヶ月、大磯砂を入れている底砂ネットで作った容器の下の方に汚泥を発見。

 

最近、水槽の水が緑になってきたのはその影響もあったのだろう。

 

ということで、近日中に掃除予定。

 

容器の形状も検討する予定。

 

 

やっぱり、大磯砂による濾過には限界がある。

 

目に見えるゴミサイズであれば濾過出来るが、それ以下のサイズは厳しい。

 

まあ、そりゃそうか。

 

フィルターという名の藻水槽を掃除したほうが早かった。

 

 

でもまあ、毎日水換えしても改善しなかった緑水が、鉄の針金の投入と藻水槽で改善されたのは確か。

 

ついでに、金魚の健康状態も。(こちらは藻水槽設定後)

 

あとは、どの程度藻水槽を掃除するのかだが、オールクリーンにしてしまうと藻水槽の意味が無くなる。

 

水切りざるに付着した藻によるフィルター効果をメインとして、容器の方は割と雑に90%程度掃除するのもいいのかもしれない。

 

ドライ濾過も、どの程度の頻度で掃除すればいいのかよく判らない。

 

とりあえず、昨年よりも金魚にとって良い環境になってはいる。

 

そういえば、石巻貝も合流させたんだった。

 

まだまだ手探りの状態が続く。

 

 

最近たまに、ポテロングの袋入りバージョンがダイソーに売ってあることがある。

 

長さ不揃いのものをお買い得価格で提供しているとのこと。

 

内容量が通常パッケージよりも多いにも関わらず値段は安い。

 

適度に砕けて若干粉っぽくなっているのもあってか、むしろ通常版よりも美味しい気がする。

 

みんなそれに気づいているのか、店頭に並ぶと2〜3日のうちには消え、次回の入荷待ちとなる。

 

ということで、ダイソーに行ったらついお菓子コーナーを見てしまう。

 

そこまでポテロングにこだわりはないのだけど、通常版を買うきっかけにもなった。

 

他のお菓子でも似たようなことをしてくれると面白いなと思いつつ。

 

ダイソーではないけど、既に「割れせん」とか、そのために割ってる?というものもあるけど、美味しければ良し。

 

 

 

調べてみると、商品としては結構前からあったらしい。

 

天草に入ってきたのが遅かったのか、最近までお菓子コーナーが小さかったためなのか、自分が単にそこに近寄っていなかっただけなのか。

その全部かな。

 

 

このことについて考えてみたのは、石巻貝をいつ引っ越しさせるかということから。

 

石巻貝の引っ越しなんて水合わせすら必要ないという話もあるけれど、ダメージは少ないに越したことはないので。

 

ということで、普通に検索しても石巻貝を労る情報など出てこなかったので、視点を変えて、月齢リズムから考えるといつが最もダメージが少ない時期になるのかなと。

 

水槽リセットは、その中で生きている生体の生活環境が大きく変わるということ。

 

月齢で考えてみると、その生体活動は満月の時が一番活発に、新月の時が一番沈静化していると捉えている。

 

人間でも、満月のときに手術をすると出血が多目になり、新月の時には少なくなるという話もある。

 

針灸でも、新月の時期には軽めに打つという施術師の方もいるらしい。

生体としては活動を抑制している時期なので、針による活性化効果を控えめにするということなのかと思っている。

 

あと、月齢伐採とか。

新月の時期には根の方に水分が集まっているため、要は葉の方の活性が抑えられていることもあって、建材として水分量が少ない良いものが伐採出来るという話もある。

 

という感じで考えてみると、外部環境とのエネルギー交換が活発化してそれに対応した生体状態となっている満月の時期よりも、沈静化している新月の時期の方が石巻貝の飼育環境を変えるのに適しているのではないかという所。

 

引っ越しは、石巻貝専用の苔水槽から本来の場所である金魚水槽へ。

今月27日頃を予定中。

 

そういえば、昨年夏は藻水槽で水温上昇対策を実施していた苔水槽でさえ石巻貝が1匹☆になったが、その前年は金魚水槽でなんともなかったなということで外気温度を比較してみた所、最高気温が2023年は35℃代、2024年は38℃代だった。

昨年は金魚水槽でも危なかったかもしれない。

今年は金魚水槽で夏を超えさせる予定ではあるが、今年も保冷剤の投入が必要になるかもしれない。

それ以外の水温降下対策も実施予定。

 

 

多分、これまでにもあったと思うが、今日明確に認識したので記録がてら。

 

夢の中で、行動している自分の姿を外から見ていた。

 

それは、夢の中でうっかり失敗していた事が解り、それをなんとかしようとちょっと焦っていた時。

 

その瞬間に視点が切り替わり、外からその「自分」の姿を見ているにも関わらず、それをごく普通の事として認識していた。

 

その時、そこで動いている「自分」の感覚とは切り離され、完全に外から見ている視点だったが、その動いている「自分」は自律的に行動していた。

 
しかしそれを不思議にも思わなかった。
 
思い起こしてみれば、これまでにもそうした状況になった夢をたまに見ていた様な気がする。
 
夢の中では、自分の体の外に視点(意識)が移動するのはごく当たり前の事らしい。
 
そういう事に気づいた。
 
 
夢の中では、現実世界とは異なる信念体系に従って考え行動しているということかな。
 
あるいは、現実世界のそれがとても限定されたものであるということも考えられる。
 
発見されていない法則があるという点では、限定されていると言えなくもないが。