『なぜ君は絶望と闘えたのか』
[書籍紹介]「光市母子殺害事件」の被害者遺族の闘いを描く門田隆将渾身のノンフィクション。光市母子殺害事件とは、1999年(平成11年)4月14日に山口県光市の新日鐵の社宅で発生した殺人・強姦致死・窃盗事件。女性と性交したいと強烈に望む少年Fが排水検査を装って室内に入り、主婦の本村弥生さん(23歳)と夕夏ちゃん(11カ月)を殺害した。主婦の首を絞めて殺した後、その死体を屍姦し、泣き止まない夕夏ちゃんを床に叩きつけ、紐で首を絞めて殺した。まさに悪魔が乗り移ったとしか思えない残虐な行為だった。夜、帰宅した夫である本村洋(23歳)が警察に通報、犯行の4日後、近所に住むFが逮捕された。やっかいだったのは、Fが18歳30日の少年であったことだった。家庭裁判所に送致されて、「保護処分が相当」との判断が下されれば、Fはそのまま少年院に送られ、そうなれば、遺族さえ何も知らされることなく、非公開のまま事件は闇から闇に消えてしまう。そして、少年院を出た少年は、何も処罰されずに、社会に戻ってしまうのだ。しかし、一カ月後、家裁はFを地検に逆送致し、刑事裁判が開かれることが決定。事件が闇から闇に「消える」ことはなくなった。被害者遺族・本村洋には長い闘いの日々が待っていた。犯人が未成年だと分かった途端、マスコミは犯人を匿名で扱う。被害者側は実名で報道されているのに。主婦が屍姦されたと判明すると、そのことは報道しない。しかも、事件の詳細は本村洋のもとには、警察は一切の情報を遮断する。少年法に規定があるからだ。事件の詳細を本村洋ら遺族が知るのは、初公判の検事による冒頭陳述だったのだ。そして、法廷でのFの行動は反省のかけらもないものだった。また、遺族の写真を法廷内に持ち込もうとして、拒絶される。初公判が終わり、本村は「週刊新潮」に手記を発表した。犯人の名前を実名で書いた。たとえ少年であっても、これほどの残虐な重大犯罪を犯し、公開の法廷で裁かれている人間は実名報道すべきだと思ったからである。その間、本村は会社に辞表を出している。会社に迷惑をかけるからとの理由だったが、受け取った上司は拒否し、言った。「君は社会人として発言していってくれ。労働も納税もしない人間が社会に訴えても、それはただの負け犬の遠吠えだ。君は社会人たりなさい」しかし、本村の苦悩は深い。妻と娘を守ってやれなかったことで自分を責める。自殺さえ頭をよぎる。そんな時、誘われて、犯罪被害者の遺族の会合に出る。犯罪者の権利ばかりが守られる中、自分の無力さを訴える本村に自身も妻を殺された被害者遺族である岡村勲弁護士は、こう言う。「本村君、それは、法律がおかしいんだ。そんな法律は変えなければいけない」そこから、犯罪被害者の闘いが始まった。本村はそれこそ、自分の「使命」だと感じていた。しかし、地裁の判決は、死刑ではなく、無期懲役だった。それは、前例を踏襲し、裁判官の保身を図るものだった。その前日、無期懲役を予想した本村は、自殺しようとした。2人殺したなら無期懲役、3人殺したなら死刑、という前例主義に対応して、自分が死ねば3人殺したことになるという思いからだった。パソコンにあった「遺書」を発見した先輩によって、自殺の試みは阻止されたが、そこまで本村は思い詰めたのである。少年法第58条には、少年の無期刑は7年で仮釈放することが出来る、という規定がある。あんな残虐な犯罪をした人物がわずか7年の刑期で社会に戻ることができるというのだ。判決後の記者会見で、本村は言う。「司法に絶望しました。控訴、上告は望みません。早く被告を社会に出して、私の手の届くところに置いてほしい。私がこの手で殺します」日本中がこの発言に震撼した。そして、こうも言った。「判決の瞬間、僕は司法にも、犯人にも負けたと思いました。僕は、妻と子を守ることもできず、仇を取ることもできない。僕は無力です。今は二人の遺影を見るのも辛いです。妻と娘に何も報告してあげることができません。司法にこれほどまでに裏切られると、もう何を信じていいかわからなくなりました。結局、敵は、被告人だけじゃなくて、司法だったように思います」そして、こうも言った。「遺族だって、回復しないといけないんです。人を恨む、憎む、そうした気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしないといけないんです」その後、山口地検に行った本村は、担当検事から意外なことを言われる。「僕にも、小さな娘がいます。母親のもとに必死で這っていく赤ん坊を床に叩きつけて殺すような人間を司法が罰せられないなら、司法はいらない。こんな判決は認めるわけにはいきません」「たとえ上司が反対しても私は控訴する。百回負けても百一回目をやります。本村さん、司法を変えるために、一緒に闘ってくれませんか」しかし、広島高裁での控訴審も無期懲役。最高裁への上告後、3年半もたって、弁論が開かれた。それまでの間に、総理大臣に働きかけ、「犯罪被害者等基本法」が施行された。被害者遺族が法廷で意見陳述することが許された。被告への弁護団が再編成され、20名を越える大弁護団になった。公判の日、弁護団は欠席した。ようやく開かれた公判で、弁護団は傷害致死を主張。しかし、最高裁は高裁への差し戻しを命じた。そして、再控訴審で、Fは今までの供述と違うことを言う。Fが弥生さんに抱きついたのは、自殺した自分の母への恋しさから、赤ん坊を押し入れの天袋に入れたのは、どらえもんの二次元ポケットだから、死体に姦淫したのは、山田風太郎の「魔界転生」の復活の儀式だ、と意味不明のことを言い、日本中から非難を浴びた。そんな供述を認めた弁護団にも非難は及んだ。また、Fが刑期を終えて世間に戻った刑務所仲間に出した手紙が証拠採用され、その内容から、Fが反省などしていないことが証明された。本村は意見陳述で、こう言う。「私は、家族を失って家族の大切さを知りました。妻と娘から命の尊さを教えてもらいました。私は、人の人生を奪うこと、人の命を奪うことが如何に卑劣で許されない行為かを痛感しました。だからこそ、人の命を身勝手に奪ったものは、その命をもって償うしかないと思っています。それが、私の正義感であり、私の思う社会正義です。そして、司法は社会正義を実現し、社会の健全化に寄与しなければ存在意義がないと思っています。私は、妻と娘の命を奪った被告に対し、死刑を望みます。正義を実現するために、司法には死刑を科していただきたくお願い申し上げます」そして、判決は下った。「主文。第一審判決を破棄する。被告人を死刑に処する」エピローグで、著者はFと面会したことを記す。死刑判決で死と直面したからか、憑き物が落ちたような表情だった。そして、死刑判決を受け入れていることを確認する。そして、あとがきで、門田は、本村と一緒に墓参りした時のことを記す。当初、絶望と怒りの海の中で彷徨っていたこの青年が、やがて,目標を定め、社会に大きな影響力を持っていく過程を筆者は見てきた。九年間、一度も揺らぐことなく闘いつづけ、ついに山のように動かなかった司法の世界を突き動かしたのである。犯罪被害に遭ったものが泣き寝入りし、加害者だけが手厚く遇される国など、真の民主主義国家とはいえまい。この青年に課せられたのは、戦後の日本の民主主義が育んできたエセ・ヒューマニズムに対する痛撃だったのではないか。差し戻し第2次控訴審での死刑判決は2008年4月22日。この本が上梓されたのは、2カ月後の6月。文庫版は2010年7月。つまり、上告審はまだ開かれていない時点での書籍だ。そこで、その後の経過を記すと、2012年1月23日、最高裁判所で、第二次上告審口頭弁論公判が開廷。2月20日に判決公判が開かれ、差し戻し控訴審判決を支持してFの上告を棄却する判決を言い渡した。つまりFの死刑が確定した。これを受け、毎日新聞を除く全国メディアは実名報道に切り替えた。犯行当時少年の死刑が確定するのは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生、2011年判決確定)以来であり、続く平成の少年事件では市川一家4人殺害事件(1992年発生・2017年に死刑執行)、つまり、連続リンチ殺人事件以来3件目、計5人目となる。これら2件はどちらも罪状に強盗殺人が含まれる死者4人の事件なのに対し、単純殺人事件及び死者2人での犯行当時少年の死刑確定は、平成の事件では初。犯行当時18歳1か月での死刑確定は最高裁が把握していた1966年以降の少年事件で最年少だった。死刑確定後、死刑囚Fの弁護団は2026年(令和8年)までに広島高裁に対し、3度の再審請求を行っているが、いずれも棄却されている。死刑判決が確定してから14年もたつのに、今だ死刑は執行されていない。国費でFは安穏と暮らしている。死刑判決後の記者会見で、本村は「嬉しいとか、喜びの感情はない。彼(F)にとっては大変残念かもしれないが、罪はきっちりと償わなければならない。判決を受け止めてほしい。自分の人生を絶たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います」と述べた。会見の最後に「被害者がいつまでも事件のことを引きずって下を向いて生きるのではなく、事件のことを考えながらも前を向いて笑って、自分の人生をしっかりと歩んでいくことが大事だと思います」と話した。会見の最後に、自身が、同じ職場に勤める入籍当時40歳代の女性と再婚したことを公表し、現在の生活や現妻について深入り(=詮索)しないことをお願いする形で締めた。本村さんには、幸福になってもらいたい。さて、私の意見。もし、娘が残虐な方法によって殺されたら、私もその犯人には報復すると思う。だから本村さんの言うことはよく分かる。次、少年法だが、要するに、更生の機会を与える、だから、保護する、ということだろう。それはよく分かる。まだ未熟な子どもの時にしたことだから、大人になれば改めるだろう、と。ただ、殺人は違うと思う。時としては殺意にとらわれることがあるとしても、思うことと、実際にやることとは、深い淵を飛び越えなければできない。それをできてしまうことは、その人間は本質的なところで欠陥があるからだ。だから更生は無理。本件のFも、少年といっても18歳。もう分別ができる歳だ。それなのに、強姦する相手を探して、排水検査を装って家を巡り、美人だった弥生さんに襲いかかり、殺してから、その死体と交わるという恐ろしいことをしている。このおそましさは、人間のすることとは思えない。たとえ少年だったとしても、許されることではない。そして、1歳にもならない赤ちゃんを床に叩きつけ、首を紐で絞めて殺すなど、頭の中に、そういう要素がある人間で、更生は不可能だと思う。だから死刑判決は妥当。筆者(門田さん)が面会した時、死に直面して納得したようなことを言っているが、犯罪者は嘘付きであることを忘れてはならない。その証拠に最高裁で死刑が確定した後も、3回も再審請求している。死を受け入れているとは思えない。その入れ知恵を弁護団がしているが、あの弁護士たちのお粗末さは驚異的だ。確定判決で納得しているのだから、ちゃんと死なせてあげればどうか。重ねて言うが、死刑が確定してから既に14年。法務大臣は何をしているのか。Fは現在45歳。自分の大切な人生を棒に振っただけでなく、二人の人間の同じく大切な人生を奪った。何のために生まれてきたのだろうか。[ドラマ紹介]本日紹介した門田隆将の著書「なぜ君は絶望と闘えたのか 本村洋の3300日」を原作としたフィクションのテレビドラマ。WOWOWのドラマWで2010年9月25日と26日に、前編後篇を2夜連続で放送された。原作はノンフィクションなので、ドラマとして再構築。主人公は門田隆将を彷彿させる週刊誌の記者で、その視点から被害者家族の司法との闘いを描くという体裁になっている。週刊誌の名前は週刊新潮から週刊潮流に、門田隆将は北川慎一に、本村洋は町田道彦に、殺された妻子の名前は佳織と夏海に、犯人Fは秋山譲という名前に変えられている。秋山の顔は最後まで写さない。冒頭、「一部の公人名、団体名を除いて、登場する人物名等は全て仮名です」と出る。北川慎一の周辺に部下の新人女性記者、週刊潮流の編集長、北川慎一の大学時代の友人で報道番組のディレクター、更に北川慎一の元恋人らを創作上の人物として配している。シングルマザーの元恋人の子どもが北川のこどもらしいと匂わすなど、少々安っぽい。全体的に安直な設定が目立つ。裁判の過程はかなり丁寧に描かれ、遺影の法廷持ち込みの阻止や控訴審で判決後、裁判長が町田に対して頭を下げる様子も描写される。北川慎一を江口洋介、町田通彦を眞島秀和、 その他、高橋克実、小澤征悦、木村多江、ミムラ、 井川比佐志、佐藤B作、田口浩正、矢島健一、志賀廣太郎、田山涼成、西岡徳馬、市毛良枝、益岡徹、山本圭、柄本明、草笛光子ら錚々たる顔ぶれで、小さな役にも名の通った俳優を配し、WOWOWの力の入れ方が分かる。脚本は長谷川康夫、吉本昌弘監督は石橋冠。ギャラクシー賞月間賞文化庁芸術祭テレビ部門、ドラマの部で大賞を受賞。(後篇)東京ドラマアウォード2011単発ドラマ部門、作品賞、ATP賞テレビグランプリドラマ部門、優秀賞ドラマ化の時点は、差し戻し控訴審の死刑判決までなので、ラストに「光市母子殺害事件は、2008年4月2日に広島高等裁判所が下した差し戻し控訴審の死刑判決を受け、被告弁護団は即日上告し、現在も係争中です」と出る。書籍の紹介で書いたように、その後、最高裁判所の判決で死刑は確定したが、再審請求を繰り返し、今だに死刑は執行されていない。被害者遺族の苦悩は続く。