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スペイン鉄道暮らし

 メルクリンZゲージを中心に N&HOゲージの車輌コレクション 
 これまで訪れた国の鉄道に関するスナップ写真や記事を掲載しています

12月のラストロ 

先月は日本に帰国していたので2か月ぶりの模型市。

曇天で雨が降りそうな日曜日。こういう日は遠出を控えて市内で過ごそうという家族連れが流れてきます。午前中はまあまあの人出だったとのこと。鉄友会の知り合いの挨拶をして縁台を物色。

購入品はトミテックのバスコレ路面パーツ。

スペイン製イベルトレン Nゲージ 旧型木造客車2両。

2015年12月号 Via Libre 通算602号 

メイン記事はスペイン新幹線サモラ~マドリッド線の99km区間の開業と新幹線30輌の新規購入。

お目当ては日本の鉄道草創期に関する記事。貴重な錦絵などの図が載っています。

1854年 資料編纂所の版画 

1872年 勝海舟の画 

1871年 神奈川入河景蒸気車鉄道図 

1872年 東京汐留を通る列車 歌川国輝筆
 

1873年 新橋駅で列車を待つ客 三代目歌川広重筆 

1874年 横浜海岸鉄道蒸気図 


1879「高輪内町に雲に隠れた月の下の風景」小林清親 



「日本の美術における鉄道」

1854年、アメリカ人は日本の鎖国体制を打破し、商業交易の道を開きました。

蒸気機関車のスケールモデルの贈り物は多大なる衝撃を与え、当時の日本人の画家たちの興味を惹きました。

1860年代の10年間に日本政府は鉄道網の建設を命じました。1872年、日本で最初の商業用鉄道として、東京の新橋から横浜までの路線が開業。日本の技術が西洋化していく過程における大きな象徴となります。

当時は浮世絵が盛んで、庶民の間に人気がありました。伝統的な画題は風景、武士、歌舞伎役者、着物姿の女性、河畔の情景などで、木版画は有名な画家の作品であっても、中産階級の家庭が所有することができました。1834年の葛飾北斎の版画を見たことが無いという人がいたでしょうか。


鉄道は浮世絵のテーマとして取り上げられ、センセーションを巻き起こしました。この絵では機関車が港の埠頭に沿って帆船の前を走っている様子が描かれています.運河に架かる橋を渡り、駅に到着します。

絵画や鉄道アートが存在しなかった時代には、時代ごとに多様な様式をその母数に組み入れました。

1872年に勝海舟によって描かれた墨絵は、それ以前の絵画の一つの典例です。1879年の小林清親「高輪内町に雲に隠れた月の下の風景」に見られます。

企業によって時刻表や案内書が出版されると、浮世絵スタイルのイラストや伝統的な図法の路線図に挿絵が加えられて存続し、20世紀初頭の大きな変革の時代まで続きました。



スペイン語原文 Jordi Font Agusti

抄訳 by ルイス





実家で見つけた古い写真。


国鉄郡山工場 8620

小学校5年生の時に社会科見学で訪問。
プレートには 78693 と読めます。

8620形式蒸気機関車のあゆみ 

1C形過熱テンダー機関車 

大正3年国産車として登場 

汽車会社等の民間会社で製造 

主要性能

 重量(空車) 機関車44,54t 炭水車15,50t 計60,04t

 牽引力 692馬力

 最大速力 95km/h

 動輪直径 1600mm

この形式の蒸気機関車は大正初期の国鉄を代表する機関車で、旅客列車専用として設計されて国産されたもので、各地の幹線の旅客輸送に良好な成績を収めました。この形式の車輌は670両製作されました。

開成山公園 D51

蒸気機関車について

 型式 D51 264

 重量 機関車 70,07t 炭水車 19,40t (空車)

 長さ 19,730m 幅 2,936m 高さ 3,980m 

略歴

この機関車は昭和15年に幹線貨物用として郡山鉄道工事で4番目に製造されたものです。昭和15年から昭和36年まで東北本線を走り、その後は関西本線、城東貨物線で活躍したなじみの深いものです。走行距離169,8314km。

昭和45年3月、30年間の長い間の使命を果たして、生まれ故郷の郡山市に戻ってまいりました。この機関車は鉄道史上、機関車の名称として、また郡山市発展の記念物として、永久に保存されることになり、国鉄から郡山市にその管理を移されたものです。

昭和45年5月 郡山市教育委員会。

郡山駅西口に建っている高層ビル「ビックアイ」

 

2001年完成 高さ133m 24階建 


最上階部は郡山市ふれあい科学館、

22階フロアにNゲージのジオラマが展示されています。
3つのモジュールによる展開。


福島の田園風景 

馬車軌道と明治時代の列車 

往年の三春駅 

旧街道筋の集落

昭和初期の郡山風景 

昔の郡山駅の再現 

雪景色は情緒があっていいです。

三代目郡山駅 

扇形機関庫と転車台 
好きなストラクチャーなので何枚も撮りました。

現代の郡山風景

右手にビッグアイのビルも建っています。

現在の駅構内パノラマ 

JR郡山工場 

東北本線で運用された機関車から現役の新幹線。

蒸気機関車の運転台シミュレーション 

ロクハン製のコントローラーと線路を合わせて天賞堂にて購入。


メルクリンZのレールにそのまま繋いで使うことはできないので、ロクハンの純正品を揃える必要があります。道床付きエンドレスセットと直線レール4本。テーブル上のデモ運転には最適。

アダプターとフィーダー線を含めて 計9730円。


レールとラインを繋いでセッティング。

C11-200とオハ35を連結して試運転。

スムーズでデリケートな日本の走り。

天賞堂製 Zゲージ 

165系 直流急行形電車 湘南色 基本3両セット

1963~70年 701両製造 

東海道・山陽本線で運用されていた153系の後継車輌。

上越、中央本線など勾配区間の運転を前提に出力増強。

東北・高崎線でも運用。

急行名としては、

戸隠、房総、軽井沢、佐渡、赤倉、アルプス、駒ヶ根、身延、草津、

赤城、ゆけむり、榛名、なすの、わたらせ、天竜、河口・・

1970年代から80年代半ばにかけての懐かしい名称です。

クモハ165 モハ164 クハ165 

最小ユニットの編成ですが、小規模なレイアウトには充分。

下から目線、というか、上目遣いのアングル。

トンネル出口でのフロントフェイス

鉄道模型のブランド、銀座4丁目の天賞堂  

久々に3階のZゲージコーナーを訪れましたが、

店内ディスプレイが以前と比べて変わっていました。


蒸気機関車のラインナップ

ディーゼルと電気機関車が勢揃い。

カラフルな電車ユニットがズラリ。 

僕が所有している天賞堂&ロクハンZゲージ車輌の殆どは、

自分であるいは友人に依頼して、この店舗で購入したものです。

鉄橋風景のジオラマ 

動力車の購入時には必ずその場で試運転してくださるので安心です。

(注 写真は店の撮影許可を得ました)

日本製Nゲージ貨車 

既存の車輌と実家から持ってきたものを合わせると手持ちは計11両

どちらかといえば客車嗜好なので、貨車はさほど数量がありません。

1970年代の価格は、KATO 450円、 Tomix 300~350円。

トミーは香港製、早い時期から海外生産を始めていたのですね。

連結するとそれなりに壮観 

初代C11に牽引された貨物列車。

四十数年前に楽しんだ編成の再現。

KATO EF57 電気機関車

1940~43年 15両製造 

戦前最後の旅客用直流電気機関車 

最高速度95km/h 2CC2配置 出力1,650 kW 


当時小6であった弟が買ったもの。ケースの中に残っていた紙には、1979年(昭和54年)に福島の新光堂で購入した旨が記されていました。価格は4800円。繁華街すずらん通りにあった模型店で、現在は移転して営業しているようです。

戦前戦中は沼津機関区に配備。

戦後はEF58の登場で花形機としての座を取って替わられて、普通旅客用として上越線などで運用。

1960年代は宇都宮機関区に配備、上野~黒磯間の旅客牽引機。

1978年廃車。唯一、EF57-7 が宇都宮市に静態保存。

チョコレート色のボディと両端に張り出した古風なデッキがお洒落。
動かないだろうと思いつつ、レールの上に載せて電源を入れると・・

なんと走り出しました。おそらく30年以上は使っていなかった筈。

眠りの森の美女のように長い眠りから目醒めた姿は感動的でした。

ネットで中古品を買おうかなと思っていた矢先だったので、渡りに船。

日本のNゲージ草創期の蒸気機関車   


1971年発売 初代C11 シール式プレート 

購入は発売されて間もなく、小学校5~6年の頃と記憶しています。

価格は3500円、子供にとっては高価でした。

会津線、只見線、日中線、石巻線を現役で走っていて、時折撮影に行って愛着が深かったので、どうしても欲しかった機種です。

クランクロッドは外れて部品は欠損、モーターも動きません。

ボディを外した状態の中身。

後に発売されて現在に至るC11 品番 2002と比較。

ジャンクなりに休廃機として機関庫に配するとサマになります。