2015年12月号 Via Libre 通算602号
メイン記事はスペイン新幹線サモラ~マドリッド線の99km区間の開業と新幹線30輌の新規購入。
お目当ては日本の鉄道草創期に関する記事。貴重な錦絵などの図が載っています。
1854年 資料編纂所の版画

1872年 勝海舟の画
1871年 神奈川入河景蒸気車鉄道図
1872年 東京汐留を通る列車 歌川国輝筆
1874年 横浜海岸鉄道蒸気図
「日本の美術における鉄道」
1854年、アメリカ人は日本の鎖国体制を打破し、商業交易の道を開きました。
蒸気機関車のスケールモデルの贈り物は多大なる衝撃を与え、当時の日本人の画家たちの興味を惹きました。
1860年代の10年間に日本政府は鉄道網の建設を命じました。1872年、日本で最初の商業用鉄道として、東京の新橋から横浜までの路線が開業。日本の技術が西洋化していく過程における大きな象徴となります。
当時は浮世絵が盛んで、庶民の間に人気がありました。伝統的な画題は風景、武士、歌舞伎役者、着物姿の女性、河畔の情景などで、木版画は有名な画家の作品であっても、中産階級の家庭が所有することができました。1834年の葛飾北斎の版画を見たことが無いという人がいたでしょうか。
鉄道は浮世絵のテーマとして取り上げられ、センセーションを巻き起こしました。この絵では機関車が港の埠頭に沿って帆船の前を走っている様子が描かれています.運河に架かる橋を渡り、駅に到着します。
絵画や鉄道アートが存在しなかった時代には、時代ごとに多様な様式をその母数に組み入れました。
1872年に勝海舟によって描かれた墨絵は、それ以前の絵画の一つの典例です。1879年の小林清親「高輪内町に雲に隠れた月の下の風景」に見られます。
企業によって時刻表や案内書が出版されると、浮世絵スタイルのイラストや伝統的な図法の路線図に挿絵が加えられて存続し、20世紀初頭の大きな変革の時代まで続きました。
スペイン語原文 Jordi Font Agusti
抄訳 by ルイス

