はるか彼方の星からやってきた高度な生物ができるだけ短時日のうちに人間の本性について調査しようと思ったら、マーラーの音楽を避けて通るということはできないであろう……人間にそなわっている特質の、もっとも天使的な部分からもっとも獣のような部分に至るまでの……すべてを発見するためには、マーラー以上に豊かな情報源となるものはないであろう。(カ-ルハインツ・シュトックハウゼンがアンリ=ルイ・ド・ラ・グランジュの『マーラー評伝』に寄せた序文より)


 本日2010年7月7日は、グスタフ・マーラー(1860-1911)の生誕150年という記念すべき日です。


 さまざまなものを包括しているところが「マーラー」の際立った特徴なのではないでしょうか。いろいろ議論すべきこと、探究すべきことは尽きませんが、今日はひたすらに寿ぎたいと思います。



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 マーラーの第1交響曲のオリジナルなLPの第1号にあたるウラニア盤の指揮者、エルネスト・ボルサムスキィについて、たいへんに示唆に富んだコメントをいただきました。

 それは、レオポルト・ルートヴィヒ( Leopokd Ludwig / 1908-1979)である可能性があるのではないか、というものです。

 ご指摘をいただいて、なるほどと唸ってしまいました。今までまったくこの二つの名前を結びつけることがなかったのですが、並べてみると確かに大いにあやしく思えてきてしまいました。


 ということで、今回の記事は、マーラー録音史上におけるレオポルト・ルートヴィヒについての基本的な点を押さえておくことにします。


 今日ではほとんど忘れられた指揮者のようになってしまっている感がある、レオポルト・ルートヴィヒにはマーラーの録音が3点だけありますが、これらはどれもマーラーの録音の歴史の上できわめて重要なものです。


1、『さすらう若人の歌』


 独唱はヨーゼフ・メッテルニヒ。ベルリン放送交響楽団(片面には『亡き子を偲ぶ歌』が収録されていますが、こちらはロルフ・クライネルトの指揮)。

 URANIA URLP7016(1951年7月リリース)

 これは、この曲のLPオリジナルの第1号です。これ以前には二種のレコードが出されていますが(いずれも名盤だと思いますので、いずれ)どちらもSPでした。また、この時期やこれより古い時期の録音が今日何種類も聴けますがどれもCDの時代になってから初めて日の目を見た録音です。


2、交響曲第4番


 独唱はアニイ・シュレム。シュターツカペレ・ドレスデン。

 東独エテルナ 8 20 028

 録音は1957年1月7日と10日、ドレスデン。

 東ドイツでの正確な発売日時がわからないのですが、西側ではDECCA DL 9944と DGG LPM 18359が、1957年12月には出されていたようです。

 このレコードは、いろいろな意味で第1号にあたります。

 まず、東ドイツでのマーラーの交響曲のセッション録音第1号。シュターツカペレ・ドレスデンによるマーラーの交響曲のセッション録音第1号。

 さらに、実は、意外なことに、ドイツ・グラモフォンが発売したマーラーの交響曲のLP第1号であるようです(ちなみに、ドイツ・グラモフォンがこの曲を初めて録音するのは、このルートヴィヒ盤の11年後、1968年のことになります)。

 このようにさまざまな意味での記念すべき録音であるのに、なぜ「忘れ去られて」いるのでしょうか。


3、交響曲第9番


 演奏はロンドン交響楽団。

 正確な録音日時がはっきりしないのですが、米EVEREST SDBR 3050が1960年3月には発売されていたようです。

 欧州では、ワールド・レコード・クラブSCM16-17として1961年の秋には出ています。

 このレコードも、マーラーの録音史上重要な第1号にあたります。

 このレコードこそが、交響曲第9番の最初のステレオ録音なのです。


                        (つづく)

交響曲第1番と「巨人」の問題は、本当のところは実はそれほどにややこしいことではないのですが、NHKの官僚主義や一部の音楽産業の商業主義などがややこしくしてしまっているようです。そのことについてはまた改めて詳しく論じたいと思います。


クラシックジャーナル〈041〉マーラーを究めるに書いたことと多少重複しますが、資料を検証しながら見ていきたいと思います。


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

エルネスト・ボルサムスキィ指揮/ベルリン放送交響楽団

URANIA URLP 7080


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと



・1953年5月にリリースされた交響曲第1番のオリジナルのLP第1号にあたるものです。

・録音:1953年,ベルリン

・先の記事で紹介したように、ミトロプーロス/ミネアポリス盤が先に出ていますが、SPからの再発売なので、オリジナルのLPとしてはこのボルサムスキイ盤が第1号にあたるとするのが適切だと考えられます。


・Ⅰ 13:07  Ⅱ  7:02  Ⅲ  9:13  Ⅳ  18:20  (LPからの実測値)

(第1楽章が13:07というとかなり速いと思われるかもしれませんが、呈示部の繰り返しをしていないためで、それほど速いわけではありません。)


CDでの再発売が最も望まれるもののひとつです。


 実は、このエルネスト・ボルサムスキイですが、どのような人物なのかいろいろと調べているのですが、いっこうに何も見えてきません。見えてこないどころか、謎が深まるばかりです。

 それに次に挙げるようなCDが出ていて、このCDにはマーラーの交響曲第1番の録音が1949年とされています。


アレグロ・オルディナリオ~マーラーを中心としたクラシック音楽のことなど

Dante LYS 429/30

 

 一体どういうことなのでしょうか。

 〈ボルサムスキイ〉という人の存在そのものを疑う人もいて、また、誰か他の指揮者の偽名なのではないかとする説もあるようです。

6月21日の記事に追記をして再アップしています。


「北欧からコンニチワ」 でお馴染みの「里の猫」様に今日お目にかかり、とても楽しい時間を過ごすことができました。



アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

何か熱そうなものを食べております。


でも、それ以上に熱い話で盛り上がった数時間でした。


お知らせしたいことがいろいろあるのですが、それはまた、おいおいということで。



【6月26日追記】


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと

こちらは「里の猫」様のカメラによる写真です。

この映りの方が断然いいような気がしますので、「里の猫」様の了解を得て転載させていただきました。
「里の猫」様、ありがとうございました。

クラシックジャーナル〈041〉マーラーを究める。 の方に詳しく書いたのですが、交響曲第1番と『巨人』とは厳密に言うならば別の曲です。


ごく簡単にこの曲の成り立ちを書いてみます。


1、1889年11月20日にブダペストで初演された「二部からなる『交響詩』」。5つの楽章でできています。


2、1893年10月27日にハンブルクで初演され、翌年6月3日ヴァイマールで再演されたもの。やはり5つの楽章でできていますが、ブタペストで初演されたものにかなり改訂を加えたものです。ハンブルクでの演奏に際して楽章ごとの、かなり詳しいプログラムと「ブルーミネ」という第2楽章のタイトル、並びに曲全体に対する「『巨人』、交響曲の形式による音詩」というタイトルが与えられました。


3、1896年3月16日、上の2つの段階にはあった第2楽章を削除し、全体的に大幅に改訂を施して『大オーケストラのための交響曲ニ長調』としてベルリンで初演されました。この時、『巨人』というタイトルも全体のプログラムも削除されました。これ以降も『巨人』というタイトルはまったく使われていません。


つまり、マーラーが、『巨人』というタイトルを付けたことがあるのは、第2段階のハンブルク稿だけだったのです。しかもその時も、他人から言われて渋々付けたというのが真相のようです。


交響曲第1番としてベルリンで初演された1896年以来、出版譜(最初のものは1899年)の表記も含めてこの曲は「交響曲第1番ニ長調」とだけ呼ばれてきました。最初に出されたレコードももちろんそのような表記になっています。

交響曲第1番の最初のLPは、1940年11月4日に録音され戦前にSPで出されものをLP化した次のものです。


ディミトリー・ミトロプーロス指揮/ミメアポリス交響楽団


アレグロ・オルディナリオ~マーラー資料館とわたしの大切なこと
米COLUMBIA ML4251(1949年12月リリース)