O友社のマーラーの「コンプリート・ディスコグラフィ」なるものを入手。一部の筆者の文章を除き、誠意も愛情もない仕事に憂鬱になりました。これが今日のこの国の音楽ジャーナリズムの実態なのでしょうか。
7/21 18:13

抜けているものがあるとか基準が恣意的であるとかいうこと以前に、序文のような位置にある文章の6ページにいきなりアブラヴァネルが史上初の全集を録音したという俗説が堂々と出てくるとは、いやはや。
7/21 20:12

アブラヴァネルの録音(演奏そのものは今日もっと聴かれるべきものだと思いますが)が史上初のマーラー交響曲全集であるという俗説をめぐっては、クラシックジャーナル039で中川右介編集長が詳しく論じています。
7/21 22:11

レコード会社からリリースされるものとは異なった形で出される非売品の自主制作盤についていくつか例を挙げてみましたが、もう一つ、レコード会社から正規の「商品」として出されるのではないけれども、決して無視できない大きな魅力を持っていたり、さまざまなことを教えてくれるものがあります。


各種の「非正規盤」と呼ばれるものです。これは、どのようなものを含めるべきかということが大変難しい…。1990年代を中心に大量の「珍しい」音源をリリースしていたARKADIAやHUNTなどと今日のもっぱらCD-Rで出している数多くの「レーベル」とを同列に論じていいか迷うところです。


例えば、ブルーノ・マデルナがRAIのオーケストラを指揮した第3,5,7,9番の71年~73年の録音を収めたARKADIAのセット(CDMAD 028.4)は、録音には全く恵まれなかったこの人のマーラー演奏の一端を窺うことのできるたいへんに貴重なセットであると思います。第7,9番には別の録音もありますが。


(Twitterから「なう」への自動投稿がうまくいきませんでしたので、記事としてアップしました)



「ディスコグラフィ」について考えるために、まず、比較的珍しい(とは言っても、中古市場にはかなりよく出てきますし、それほど高額でもないので、持っている人は意外に多いのではないかとも思いますが)ヴァルターとマルティノンの、一般には発売されたことのないレコードを例に挙げました。
7/11 16:13

これは、これらのレコードが絶対的に重要だと私が考えているからでもなければ、これらの重要性を主張しようという意図を抱いているからでもありません(あくまでも「個人的」には好きなレコードであることは確かですし、特にハーグ盤は大好きなので多くの人に聴いてほしいと思っているのですが)。
7/11 16:13

これらが重要であるということが言いたいのではなくて、このようなレコードが存在していて、それはもしかすると大変に重要なものであるかもしれないし、また、思いがけない方向からの全く新たな問題を提起するものになるかもしれないという可能性があるのではないかということが言いたいのです。
7/11 17:11

一般的に言っても、ある事柄をめぐっての資料を収集し整理しておくことの意義というものはそのようなところにあるのでしょう。いつの日にか、単独で見ていたのでは捉えられなかった面が発見される端緒になるかもしれない、全く見えていなかった新しい文脈が見えてくるかもしれないということです。
7/11 17:11



「ディスコグラフィ」というものが、演奏の歴史や録音の歴史、更にはある曲の受容の歴史の資料として、また、ある演奏家の資料としても重要な意義を持つものであることを考えるならば、そこに記載するに際しての基準は、十分に検討され明確なものにされている必要があるでしょう。
7/10 16:14

例えば、ブルーノ・ヴァルターのような人の交響曲第2番にも、セッション録音の他にLP時代から何度もリリースされているヴィーン・フィルとの演奏のほぼ半年後(48年12月5日)のニューヨーク・フィルとのライヴが残されてますが、これがなんと英語歌唱なのです。
7/10 16:15

ヴァルターがニューヨーク・フィルを指揮して演奏されたマーラーの第2番が、1948年の時点でも英語版で歌われていたということに関してどのように評価するべきかということにはさまざまな考え方がありましょう。しかし、ともかくこのような事実そのものはもっと知られるべきだと思います。
7/10 17:11

しかし、このヴァルター/ニューヨーク・フィルの48年のライヴは、おそらく日本のワルター協会が会員用にLP化したことがあるだけで、レコード会社からリリースされたことはないのではないかと思います。音は当然あまり良くないのですが、歌唱は意外に聴き取れますし、感動的な演奏です。
7/10 17:11

商用録音以外の例をもう少し挙げてみます。第10番のクック版の最初のセッション録音がオーマンディによる65年になされたものであることは有名なことですが、その翌年にマルティノンがシカゴ交響楽団で演奏していて、それは自主制作盤になっていることはそこそこ知られていることでしょう。
7/10 17:12

しかし、マルティノンとこのクック版とにはもっと深いつながりがあるのですがそちらはあまり知られていないのではないかと思います。マルティノンはこの曲をたいへんに大事に思っていたようで、ハーグ・レジデンティ管弦楽団でも名演を残していて(75年6月13日)これはLPになっています。
7/10 17:12

1976年に急逝したマルティノンの追悼盤としてハーグ・レジデンティ管弦楽団が、74年に演奏されたリストの『ファウスト交響曲』と併せて三枚のLPの形で自主制作したものです。レコード会社からリリースされたことはありません。
7/10 17:13

この、シカゴとハーグでのマルティノンによるクック版の録音の存在というものは、実に多くのことを我々に語りかけているように思います。まず当然第一に、マルティノンというあまりマーラー演奏史に登場しない人が非常に早い段階からクック版に積極的に関わっていたという事実です。
7/10 18:12

(このことは更に、いわゆる「マーラー指揮者」というレッテルのようなものが、レコード会社の商策にすぎないのではないかということを考えさせることにもつながっていくように思いますが。実は思いもよらない人がマーラーを積極的に演奏しています。)
7/10 18:12

このマルティノンによるクック版の演奏、どちらもかなりの快速です。特に第一と第五楽章が早い。そのために、全体での演奏時間も記録的な短さになっています。シカゴ盤は66分台、ハーグ盤はなんと65分台です。クック版の演奏史をたどっていくうえで極めて重要な記録なのではないかと思います。
7/10 22:14



海外にはサイト上で何年も前からマーラーのディスコグラフィを地道に作成し続けている人が何人もいらっしゃいます。私も時々参考にさせていただいたりお世話になったりしています。拝見する中で、ディスコグラフィというものをめぐっていろいろと考えることがありましたので、少々書いてみます。
7/9 16:12

まず、一番気になっているのは「ディスコグラフィ」に入れるのにどのような基準に基づいているのかが明確に示されていない場合が多いということです。予め基準をはっきりさせておかないと「ディスコグラフィ」の中身そのものに混乱を招くことになってしまいます。
7/9 16:13

基準の問題は大きく分けて二つになると思います。一つは、商品として流通しない形で作られたものをどうするかということです。これにはマーラー協会が作ったもの、放送局やオーケストラが非売品として作ったものなどや、アマチュアの方々がプライヴェートに作ったものなど様々なものが含まれます。
7/9 17:11

非商業録音をディスコグラフィーに含めないとすると、例えば第10番クック版のマルティノンのハーグでの録音やフィーラー版のコロラドでの録音等々、数限りない重要な録音が入らないことになってしまいます。一方で入れだすと途方もない数になります。どこに基準を設定するか非常に難しいところです。
7/9 17:11

この問題は何もマーラーの場合に限ったことではありません。「ディスコグラフィ」というものを、ただの「商品カタログ」とか、その時点での「お買い物ガイド」のようなものではなくて、歴史を客観的に認識するための基本資料とするためには、きちんと考えておかないといけない問題だと思います。
7/9 17:12