チームラボ バイオヴォルテックス京都に行ってきました!
こんにちは、はるおです!🫡僕はカビがアレルギーなのですが、図書館で借りた本がカビていて、くたばるのを我慢しながら読んでいます。^_^ < グオオオオ…さて、先日はオープンしたばかりの「チームラボ バイオヴォルテックス京都」にお邪魔してきました。そして、僕にとって初めてのチームラボでした。正直なところ、迷子になって何個か見落としてるんですが… < ガビーンとにかく、レポートしていきます!👊一言で言えば、「身体拡張的な体験」でした。コンセプト勝負で頭脳先行な表現って最近多い気がしますが、チームラボさんは結構身体的な反応に立ち返っているなと思いました。(もちろんそれぞれの作品にコンセプトとかはあったけど、チームラボアプリが見にくくて全く見てません…すいません…)チームラボ 「バイオヴォルテックス」京都というだけあって、光はもちろん、水とか植物とか自然モチーフのものが多かったです。これは京都だけなのかわかりませんが。それは、テックを用いた擬似的な超自然の再現なのですが、目眩がするようなトランス感覚、それから浮遊するような錯覚、この追体験が非常に良かったです。ふと思ったのが、宗教音楽で、「メリスマ」と呼ばれる1つの音節(母音)に対して複数の音をなめらかに繋げて歌う技法(あ〜↑→↓↑〜 みたいな)がありますが、なぜこんな歌い方なのかという話。中世の教会建築では、「残響」を生むように設計されていて、いわゆる「リバーブ」や「ディレイ」がかかるようになっているんですね。そんな中、メリスマで歌う事で反響が重なってリズムにズレが生じ、ポリリズムを形成して身体的に作用する。この身体的な作用が、神の降臨を錯覚させたのだという事。音楽に限らず、やはり自然という脅威的な存在。西洋的な価値観が前提となり、自然はお金で買えるものになってしまった。しかし自然というのは偉大な本質であって、洞窟に差し込む光、闇に浮かび上がる滝、湿った空気が身を包み、目の前に広がる草花が色彩を拡散させる光景、こういったものに生命が宿っていると思うのは当然だと再確認するような体験でした。身体的な体験を通して見えてくるのはこうした、自然に立ち返るという本質的な営み。「メディア」というものは身の回りの何かしらの情報を媒介するものであって、手段としての「テック」を通して身体感覚を拡張できている、そんな表現を体験できてのはとても貴重な体験でした。その意識があるか無いかは重要で、「メディアアート」として位置付ける時、メディアを通した身体的な拡張体験を催すものでなければ、「アトラクション」となんら変わりはないのだろう。身体的な体験という意味ではとても本質的な経験になったと思います。では🫡