ワタシの事⑤ | グリーンカード当選⭐️アメリカに住む

グリーンカード当選⭐️アメリカに住む

グリーンカード応募からの道のりを備忘録として書いておりましたが、
アメリカ(ミシガン)移住しました。( 2018年 アメリカ入国)
愛犬 Latte&Arale情報・
学校・アメリカで家を買う・その他いろい綴っていきます!(^^)!

おはようございます。



土曜日にながれたテニス🎾試合、暑い中行われました。

相方が怪我してしまいましたが(捻挫)

最後まで棄権せずに頑張りました!拍手拍手


あと木曜日のRegional大会で終わります


ワタシも娘ちゃんも、、倒れそう笑い泣き

いくら寝ても眠い🥱💤




 

 はい、ワタシの時間⏰ですよ!

時間があるときにこのシリーズ仕上げていきますおいで笑

 

 

ワタシの事③ 

ワタシの事④

 

中学入学とともに、1年間の入院

新たに新中学1年生を迎えました。

 

1回目の中1の時に、クラブはバトン部に入部。

2回目の中1もバトン部に入ったので、先輩は元同級生照れ

 

先輩からしたら、やりにくいかったかもです。

 

 

都の難病指定者となり、やっと治療費などが軽減されました。

病名は 重症多形滲出性紅斑 (膠原病ともなう)

  多形滲出性紅斑とは、境界明瞭で円形や環状の紅斑が四肢を中心として左右対称に多数形成される疾患である。 

 病因は感染アレルギー(単純ヘルペスウイルスなどのウイルス、マイコプラズマ、溶血性レンサ球菌など)や

 薬剤アレルギーが多く、その他昆虫アレルギー、膠原病、寒冷刺激、造血器腫瘍などの悪性腫瘍でもみられる。

 

 

 

この病名、今だとすぐにでてきます。

当時はまだまだちゃんとした病名?はなく、膠原病の一種との扱いでした。

未だに原因はわかりません。

 

 

この病名を知ったのも、高校生くらいになって、新聞を読んでいたら

日焼けによる病気

というコーナーで出ていたので、まさしく私の症状だ。と

 

 

2回目の中1からも、入退院の繰り返しでした。

 

その年は、病院から学校へ通いました。

大部屋には、ワタシと同じような中学生・高校生が入院生活。

これがまた大変なの、朝一に親が迎えに来て、学校から戻るときも親がこないといけない

母は車運転できないので、大変でした。

時には兄が大学ない時には車できてくれたりと・・・

 

 

小児科なので、消灯時間が早いのです。

消灯時間後にプレイルームで9時半まで宿題ができたものでした。

 

 

 

その頃はステロイドつかいましたが、悪化する一方でした。

 

この時期に母は、担当医から

『この子はもしかしたら20歳を迎えられないかもしれません』

と告げられていたそうです。

アメリカに留学する時にはじめて、母から聞いたのです。

 

自分が母となった今は、子供が死の宣告されて通常の振る舞いができるのだろうか?と・・

やはり母のようにはできないかも、強い女性です。

 

 

 

こんな入退院の繰り返しが、高校3年まで続きました。

 

 

学年末になると、ワタシの出席日数問題で、母はいつも学校によばれてましたが・・

なんとか成績は良かった笑ので、進級できました。

 

 

高校3年生、いまの娘ちゃんと同じ時、

ワタシは女子高でしたので、外にでたいと思い始めました。(男女共学が良いなぁーと)

 

小さいころからの夢、外国のかたと話したい!!って思いから、病気があるのにアメリカに行きたい!って

母に言ってみました。

 

その時は、中1のころよりは体調も良かったのですが、

母からはまずは日本の大学に行ってみては?と

(そうですよね、母はこの子は20まで生きられない・・なんて言われているから外には出さないですよね)

 

高3の冬に受験勉強はじめて、これまたラッキーにも短大に合格。

 

そうなんです、この学校にいったのがワタシの身体にものすごくよい作用が起きました。

 

 

 

つづきまーーす