それでは この続きを 。。。
ワタシのことなので、テキトーにお暇なときに読んでくださいね。
前回は幼稚園の時代に、耳の手術
こちらは、手術をすれば治るものでした。
その後、小学校に入り、とにかく体を動かしたくって、体操の選手になりたいという夢もちつつ、
外国の方と話したい!!って
思っていた小学生でした。
小学校の卒業アルバムの夢の欄には、「外国の人と結婚したい‼」 って書くほど
でもこの夢は担任が、
こんなのは夢ではないって言われて、なりたくもない「タレント」って書き換えさせられました
小学校4年生くらいからは、水泳に力を注ぎ、プールの時間外の強化特訓生にチャレンジ。
夏は真っ黒少女で、裏表がわからない!!って。
忘れもしない、小学校6年の夏休みに入ったころ、
父がクーラー風邪?かもしれない、、めったに寝込むことのない父が具合悪そうでした。
母と急いで虎ノ門病院へ。
その日、父はそのまま入院に。
家に戻ってきた母が私たち家族に
『パパはもう家に戻れないかもしれないから…』
スキルス性胃がんでした。
その日から母は、父の病院で寝泊まり、調子が良い時には一時帰宅したり。。。
ワタシは夏休みの間はそんな感じで過ぎたので、水泳大会も参加できたりしてました。
9月に入り陸上クラブの朝練にでて、教室にもどるところで
担任がきて、
『お父さんが・・急いで帰りなさい・・・・』と
兄は高校生だったので、学校から直接病院へ
ワタシと姉は、叔父の車で病院へ。
父の最期には間に合いませんでした。
父が亡くなって、冬に入ろうという時期に、身体に蕁麻疹がでました。
目も結膜炎のような赤さと痛み。
この症状がでたので、学校で 悪ガキ男子が
『おい、うさぎ・・・』ってからかわれたりして。
このころ、父が亡くなったけれど、身体を動かすスポーツ中学に行きたくて、
母に頼んで、学校をみにいったりしました。
公立に行きたくなかったので、受験する体制に。
身体の症状がでるのと同時に、ちょっとした読みができるようになってしまって(いわゆるスピリチュアルです)
見えないのですがね。
こんな症状のまま、受験。
誰もが受かると思っていなかったのですが、ラッキーにもうかりました
そして、蕁麻疹と目の赤みと痛みはひどくなりましたが
入学式へ参加
新しい学校に通いながら、目が悪化してきたので、目の専門医のいる病院、
蕁麻疹の専門の病院と・・・
何か所も良いと言われる病院に行きました。
つづく・・