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父が亡くなり、ワタシの体にも病が襲ってきてました。
中学に入学して、一か月。
良いと言われる病院に、都内ですがいろいろ行きました。
どこに行っても、原因も病名もわからない・・・
対応しようがない状態
そこで近所に、当時、小児アレルギーで超有名な馬場先生というかたがいる病院があると
母が探してきてくれて、その病院へ行きました。
日本ではGW明けの時でした。
馬場先生でも、診たこともなければ、こんな症状は・・・
とりあえず検査入院しましょう!
とそのままワタシは小児科へ入院。
まずは3種禁 大豆・たまご・牛乳
これらを抜いた食事にして、1週間後くらいから、そのものだけを食べてみるという
食物経口負荷試験 (今は探すと出てきますね、馬場先生考案のアレルギーマーチ)
パッチテスト
あらゆるテストをしました。
研修医が診に来るのは常で、肌には蕁麻疹の動きをみるためにマジックで書かれたあとだらけ
検査入院1週間が・・・10日へ
何やってもわからないまま・・・入院生活が長引いてきました。
4人部屋だったのです。
お隣は同い年のこ、お向かいは赤ちゃん(ママと一緒に寝泊まり)、もう一人は空いてました。
小児アレルギーで有名だったので、病室は常に満室。
大部屋には大きな大人がいて驚いたものでした。
(これは後になってわかったのですが、小児アレルギーの人は一貫して診るという病院の体制上、成人しても小児科で診てもらってましたね、当時は)
中学に入ったけれど、学校にかよったのは一か月。
それでも、クラスメートが毎日訪ねてきてくれて、嬉しかったですね。
余談・・なんですが、
この時代は、まだまだこの病院戦後のままの建物で
入院施設だけ新しい建物。
お見舞いに毎日来てくれる母、姉。
面会時間8時をすぎると、古い建物の霊安室の前を通らなければならなくって
それが怖いって。👻
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