広島みなと夢花火大会
今朝7時過ぎ頃、町のサイレンがけたたましく鳴った。
「火災発生」
場所はなんと、町内にある(らしい)花火工場!
この花火工場、先週土曜にあった広島宇品の花火大会の打ち上げを担当していたらしく、ここ数日、地元メディアにも多く取り上げられていた。
私もアンガールズがテレビでスタコラしていたのを観て、初めて知った。
ところで、この、広島みなと夢花火大会。
我が家の子供たちはまだまだ手が掛かり、なかなか熊野から宇品まで出かける勇気はなかったのだが、「熊野町の業者が打ち上げる花火」と知ったので、せっかくだし、
絵下山の頂上から花火を見下ろそう!
と当日私の思いつきで絵下山頂上を目指した。
が、あと少しで頂上…のところで大渋滞。。。
頂上の小さな駐車場などとっくに満車みたいで、しかも狭い山道の路肩にも多くの車が停まっていた。
そんな状況で、登る車と諦めて降りる車がにらめっこ。
もはや花火どころではない。
私たちは運良くUターンできて、早々に下山できたのだが、降りゆく途中にも次々と車が登ってゆく…
結局家に帰って、広島の花火の音だけ聞きながら、子供たちとコンビニで買った花火をしましたとさ。
でも、あれ、頂上で無事花火を見れたとしても、誰か仕切らないと下山できないよねぇ。
広島の花火を絵下山で見ようと思っている方は、十分に調査して臨んでください。
──閑話休題。
そんな花火大会を仕切った業者の花火工場で火災。
幸い30分ほどで「鎮火」の放送がかかり、大したことはなかったようです。
よかった。
【東方見聞録】vol.11 大谷石
食事を終えた私たちは、観光名所である「いろは坂」を経由し、その後宇都宮方面へと帰路に就く。
途中、大谷石で造られた土蔵に興味を持った私のために、「それじゃせっかくだから」とさらに寄り道をしてくれた。
大谷石。
栃木県宇都宮市の大谷町附近一帯で採掘される石材で、柔らかく、加工がしやすい。
耐火性や調湿性に優れているため、古くから外壁や土蔵などに使用されているそうだ。
ちなみに、こちらが道中、私が興味を持った土蔵たち。
外壁に大谷石を使用されており、こういった外観の土蔵は、広島では珍しい。
写真は上記2点のみだが、この附近一帯の土蔵は、ほぼ全て、この大谷石を外壁として用いたものばかりであった。
さて、先ず到着したのは「うつのみやろまんちっく村」という道の駅。
外壁に大谷石を施した現代風の建築が点在していた。
大谷石を間近で見てみる…
「石」と言うには柔らかい質感で、それでいて加工のしやすさを伺わせるエッジの表情が、何とも面白い。
道の駅から少しばかり南下し、今度は「大谷公園」というところへと向う。
公園の案内板を撮影しておいたので、こちらの紹介についてはそちらに委ねることにしよう。
どうでもいいことだが、我々建築に携わっている者にとっては「北」が「下を向く」というのはとても気持ちが悪いので、できればやめてほしい…(苦笑)
写真がぶれていて文章が読みにくいのだが、ご容赦を。
せっかく友人が案内してくれたのに、雨が強くなってしまい、ドタバタの中での見学でした…
大谷公園の一番の見所である「平和観音」。
こちらの足元にも案内板が見えるが、写真がない…
なので、少しばかり補足。
昭和23年から6年の歳月をかけて、総手彫りで造られた、高さ88尺8寸8分(26.93メートル)の磨崖仏。
背後の階段から間近で見ることができ、像上から大谷の町を見晴らすこともできるらしいが…、残念ながら階段は登っていない。
「平和観音」の近くには、「大谷観音」と呼ばれる国の重要文化財「大谷磨崖仏」も存在するらしい。
こちらには千手観音像や釈迦三尊像が大谷石の洞穴の壁面に掘られており、平安時代から鎌倉時代にかけて制作と推定されているようだ。
次の機会があった際には、是非こちらの「大谷観音」も見てみたい。
大谷公園周辺の風景。
かつての採掘場が風化して、何とも言えない不思議な景色になっていた。
そして最後に宇都宮駅近くの「松が峰教会」へ。
大谷石は多孔質石材であるため、柔らかく加工しやすい反面、吸水率が高く、風化しやすいという特徴も併せ持つ。
「風化しやすい」=デメリット、として捉えられることが多いが、状況によってはそれが良い方向に向かうことも珍しくない。
私はこの松が峰教会を見ながら、ヨーロッパの古い教会を思い出していた。
こういった宗教建築は、風化することによってより存在感が増し、建築として威厳や風格を備えることになる。
これは西洋の建築だけではなく、日本の建築にも当てはまる。
さて、その後私たちは宇都宮市内で友人たちと束の間の休息を楽しみ、そして別れた。
これにて「東方見聞録~栃木編」は終了である。
ホテルで一泊した私は、翌日、約10年ぶりの東京へと一人で向かった。
そのお話は次回vol.12から…
永久の旅路へ就いた最愛なる友人へ
感謝の気持ちを込めて
【東方見聞録】vol.10 霧降の滝
さて、日光東照宮を後にして、ランチタイム!
「何食べたい?」
という友人の問い掛けに
「何でもいいよ」
と日本人的な返答をする私。
それはさておき…
お昼のメニューは地元の友人たちに任せ、しばし車に揺られる。
北へ向かってるのか、南へ向かってるのか、それすらもわからない。
やがて車は、山間に建つレストランに到着した。
今回、写真を改めて見ていると、「霧降の滝」という案内標識が写っていたことに気付いた。
名称を頼りに地図で位置を確認する。
どうやらこのレストランは、日光から少し北上したところにある「霧降高原」という場所のどこかにあるようだ。
だが、ピンポイントでわからない…。
「霧降の滝」も探してみるが、みつからない…
しかもこの滝、レストランから臨むことができて、友人たちがわざわざ紹介してくれたのに(汗)
ちなみにこんなカンジ。
写真では比較対象がないので、いまひとつ大きさがピンとこないが、それなりに大きかった気がする。
しかも雪解け水の影響か、水量もかなり多めのようだった。
でも場所がわからない…
ごめんよ、二人とも。(^ー^;A
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記憶の中の風景
先日、ずいぶん前に私がUPしたブログ記事に、見ず知らずの方からコメントをいただいた。
その方は、私と同じ小学校に通っていた、3学年ほど先輩の方であった。
ブログのタイトルは、
当時小学校にあった「円形校舎」を懐かしんで、コメントを寄せてくれたようだ。
いくつかコメントレスを繰り返しながら、私も久しぶりに記憶の中の母校に想いを馳せることができた。
記憶の中の風景を確認しようと、写真をあさってみた。
が、写ってるのは幼かった私ばかり…(まぁ、当然か)
校舎のカタチが見えそうで見えない。
正門で撮ってる写真も、もう少し引いた写真なら全体が見えたのに…
そこにある水飲み場を見たいのに、俺が邪魔で見えねー!
そんなカンジで、私のノスタルジックな感情は、満たされることはなかった。
唯一、人物画ではない写真があったのは、卒業アルバム。
ちなみにこちら。
航空写真。
周辺の小さな路地一本一本が、記憶の中の風景として残っている。
2~4年生を過ごした円形校舎(左)と、5~6年生を過ごした北校舎(右)。
あぁ、ノスタルジー。。。
校庭からの風景。
斜めに50mの直線をとるのがやっとの、小さいトラックだったよなぁ。
学校前にあった文房具屋や駄菓子屋の風景が気になるものの、今となっては確認するのは容易ではない。
路地の一本一本に記憶があっても、覚えてるのは両端だけで途中の記憶が空白になっていたり、あるいはその後夢で見た風景と融合してしまったりもする。
記憶の中の風景は実にあいまいである。
「建築家として」は、この際置いといて…
数十年後の我が子のために、人物ばかりでなく、建物や周辺の風景も写真に残しておくのも悪くない。
あ、でも、「記憶の中の風景」だからこそ、頭の中で美化されていいのかな?(笑)
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【バンクーバー】vol.31 バンクーバー美術館
バンクーバーオリンピックすら、もはや遠い過去の出来事になってしまったが…
とりあえず、続き!(苦笑)
一通り買い物を終えた私たちは、バンクーバー美術館へと向かった。
カナダを代表する画家、エミリー・カーの展示をしているようだ。
せっかくなので、ネイティブ・カナディアンの雰囲気に触れてみることにしよう。
ところでこちらのバンクーバー美術館。
元々は裁判所だったものを現在美術館として利用しているようだ。
メインエントランスへと続くアプローチの途中に、何やらメッセージの刻まれた銅板が設置してあった。
「この建物が裁判所だったことが書いてあるのかな?」
と推測。
英語のわからない私は、帰国してからゆっくり読んでみようと、取り急ぎ写真をパチリ。
で、改めて読んでみる。
どうやら私の推測は間違っていたようです。(汗)
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吹雪
仕事で山陰に行く機会がここ数年続いている。
ありがたいことである。
17日も、工事中物件の打合せのため、島根県益田市へと向かった。
が、天候が大荒れ。
今年は雪が多く、県北に入ると路面コンディション最悪な状態が今までも何度となくあった。
しかし、この日は路面どうこうよりも、吹雪が凄かった…
まったく前が見えない状態。
上記の写真は一段落ついてから撮ったので、まだ全然マシな方…
流石に途中で断念。
打合せをキャンセルして引き返した。
いや、マジで遭難するかと思った。
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