顔にあざや傷のある人たちが、偏見や差別の中で生きる苦しみを自ら描いたドキュメンタリー映画「ユニークフェイス・ライフ」を完成させた。デリケートな問題だけに、制作は出演者を決める段階から困難を極めたが、公開も自主上映という限定された形となる。映画づくりにかかわった人々は、この作品が広く公開され、差別をなくすきっかけとなることを願っている。

 映画はこんな内容だ。

 文京区で印刷業を営む久保丈夫さん(32)は「あいさつをしても聞こえないふりをされたり-。(周囲の)視線が怖かった」と、子どものころの体験を語る。母千恵子さんは、出産後に初めてわが子と対面して言葉が出なかったことを吐露し、「主人に似ていたのが救いだった」と振り返った。

 名古屋市の団体職員奥中さゆりさん(42)は、打ち合わせで「両親の撮影は勘弁して」と念を押すが、美容室や友人との食事などの自然な日常を見せてくれる。

 監督である石井さんの愛知県豊橋市の大学や名古屋市の自宅なども訪ねるが、父清治さんは、NPO法人をつくり、見た目の顔の問題の取材を続ける息子を「(あざを)隠して生きていくかと思ったら、逆だもんね。昔は人前でしゃべらなんだのに」と語る。

 撮影担当の八木ケ谷美代子さん(42)がこう話すのがラストシーン。

 「好意ある無関心で見守ってほしい。そんな社会が来ることを願っています」

 久保さんに出演の感想を聞くと「表に出るのはつらいが、自暴自棄になっても始まらない。実態を発信するのが大事と思って出ました。母とも歩み寄れた気がしています」と答えてくれた。

 映画を制作したのは、NPO法人ユニークフェイス(会員約百五十人、東京都文京区)。ユニークフェイスとは「固有の顔」という意味で、生まれつきだったり、病気や事故などで顔にあざや傷ができたりした人たちを支援するため、一九九九年に設立された。

 監督は、同法人会長のフリージャーナリスト石井政之さん(40)。石井さんも、撮影に当たった十二人の会員の多くも、あざなどのある当事者だ。

 撮影期間は、昨年八月から十一月までだが、出演者を決めるまでに八カ月を要した。石井さんたちは、会員を対象に説明会を毎月開き、映画で話したいことがある人を募った。「見せ物に協力したくない」と拒絶する人や「出てもいいが、顔と名前はダメ」と条件を付ける人など反応はさまざま。撮影にこぎ着けても「しゃべり過ぎたのでカットしてほしい」「事前チェックしたい」など、ためらいが消えるわけではなかったという。

 こうして完成した五十分間の映画は、生まれた時から血管腫(赤あざ)を持つ三人の顔を正面からクローズアップにする。撮影する側の悩みも取り込んだ。同法人理事の外川浩子さん(38)は「同じ当事者だから、腹を据えて撮ることができたと思う」と話す。

 石井さんは「結局、主題は『葛藤(かっとう)』になりました。出演するかしないか。世間や親の目が怖いけれど、私は言いたいことがある。その葛藤です」と語った。さらに、「これまでも体験談の本は出ているが(あざや傷という一見して分かる)ビジュアルがテーマの団体なので、映像でやりたかった。メディアの取材を受けても、発言が使われるのはほんの一部。ハードルは高かったが、完成はうれしい」と喜ぶ。

 しかし、プライバシー保護のため、劇場公開やDVD化はせず、上映会のみでの発表と決めた。上映会には同法人の会員も参加し、討論もする場にしたいというが、同法人監事で市民メディアにアドバイスをするジャーナリスト下村健一さんは「情報が自由に入るネット社会だからこそ、あえて丁寧に発信したい」と、この方法を前向きにとらえている。

 映画を見て「私も話したい」という人が出てくれば今後も撮影し、映像を加えていくが、石井さんは「名前や顔を出しても被害の心配がなければ考えられます」と、映画祭や劇場で公開できる日が来るのを期待する。

 東京での上映とイベントは十八日午後一時半から、台東区柳橋二の国際観光専門学校で。参加費二千円。問い合わせは同法人=電03(3814)1580=へ。

 文と写真・吉岡逸夫

 ◆紙面へのご意見、ご要望は「t-hatsu@tokyo-np.co.jp 」へ。


 顔にあざややけどのある人々でつくる特定非営利活動法人(NPO法人)が当事者に取材し、ドキュメンタリー映画を制作した。撮影も当事者が務め、偏見や差別に苦しみながら家族や仲間に囲まれて生きる姿を伝えている。同法人は「多くの人に当事者の思いを知ってほしい」として、今月から各地で上映会を開く。

 映画を制作したのはNPO法人「ユニークフェイス」(東京・文京)。4日には東京都内で関係者を招いて、初の上映会を行った。

 

血液型別 オンナの口説き方

血液型別 オンナの口説き方

“血”を制する男が女を制す?

 いま巷では血液型による占いや性格判断が大ブーム。B型の男にA型の女が振り回される「B型の彼氏」なる韓国映画も本日(28日)から公開中だ。「人間を4つに分類するなんてできやしないさ」と一笑に付すことは簡単だが、もし血液型で女を落とすことができるとしたら……。信じている人も信じていない人も、まず必読!

「血液型によって性格や心理はだいぶ異なります。それを踏まえて女性を口説けば、成功率はグンとアップしますよ」

 と説くのは、心理学者の樺旦純(かんばわたる)氏。

「血液型性格心理学」(日本文芸社)の著書を持つ樺氏に、血液型別・女性の口説き方を聞いてみたゾ!

【保守的お嬢様タイプの「A型女性」】

「真面目で引っ込み思案な性格が多い」(樺氏)。恋愛経験は少ないが理想が高く、ブランド志向だ。面倒見がいいのでバツイチや単身赴任者にはもってこいだが、しつこいので別れ際は苦労しそう……。

■攻略法

 連れて行く店…保守的でブランド志向なA型には、雑誌で紹介されているようなお洒落なレストランがおすすめ。味や値段より「流行」だ。

 プレゼント…定番だが、イヤリングやネックレスなどの貴金属を。有名ブランドのシンプルなデザインを選ぶべし。

 口説き方…下ネタ厳禁。話しベタなのでうまく話を引き出し、聞き役に徹しよう。寂しがりやでペットを飼っている可能性大。「キミのワンちゃんに会いたいな」と頼めば、部屋に上がり込めるかも。

【恋多き女優タイプの「O型女性」】

「情熱的でロマンチック。恋に恋する傾向アリ」(樺氏)。外見にこだわらず、「自分を愛してくれる男」が好みだ。最初のうちは甲斐甲斐しいが、次第に「愛しているなら○○して!」とワガママになるので要注意!

■攻略法

 連れて行く店…ロマンチックなO型を連れて行く店は、夜景のきれいなホテルのラウンジなど雰囲気重視。薄暗い個室レストランもいい。

 プレゼント…バラの花束などベタな物ほど効果大。昔の恋愛映画を参考にするといい。

 口説き方…直球勝負!「キミが欲しい」など強烈にストレートを投げ込もう。一瞬引いたように見せて、実は心と体は熱く火照っているのだ。

【自由奔放な芸術家タイプの「B型女性」】

「好きな男性には自分からアプローチ。ただし、相手の都合を考えないのでフラれることが多い」(樺氏)。束縛されるのが嫌い。面食いなのでハードルは高いが、常識にとらわれないので不倫に応じる可能性は大。

■攻略法

 連れて行く店…好奇心旺盛なので、エスニック料理や屋台など意外性のある店が喜ばれる。

 プレゼント…高級なジュエリーであろうと、好みでないものは受け付けない。逆に値段にはこだわらず、趣味に合えば安い雑貨などでも喜ぶ。

 口説き方…男にフラれることが多いので、失恋の愚痴を辛抱強く聞いてやると道が開ける。甘い言葉より「人生は虚(むな)しい」など哲学的、文学的な言葉に弱い。

【クールな美人秘書タイプの「AB型女性」】

「知的でクール。上昇志向が強く、男に自分にないものを求める」(樺氏)。恋の駆け引きが上手で手ごわい。付き合っても気持ちを表に出さないので気疲れするかも。

■攻略法

 連れて行く店…会員制クラブや高級料亭など社会的ステータスの高い場所に弱い。仕事の人脈と経費をフル活用すべし!

 プレゼント…電子辞書や万年筆などスキルアップに役立つものが喜ばれる。ただし、ちゃんと花束やメッセージを添えるべし。細かい気配りをAB型は見逃さないぞ。

 口説き方…相手の女性が部下ならこっちのもの。「今度の案件、キミに任せたいんだ」など“期待されている”と思わせるのがコツ。専門的な知識を披露して、自分にないものを持っていると思わせることができれば、尊敬が恋愛感情に変わる日も遠くはないゾ!

さらされる顔と私
~ユニークフェイス大阪 松本 学
「容貌」から「顔」へ向かって

 松本学さんは今、広く「顔」が「普通でない」人たちの自助グループ「ユニークフェイス大阪」の世話人として活動しています。松本さん自身、顔の左側が「腫れて」います。限りなく「ふつう」に近く、少しアンバランスな印象を受けるだけですが、それが原因で、いじめをはじめとして、いろんな生きずらさを経験してきました。人間にとって顔とは何なのか? さまざまな角度から考えます。今回は「容貌」と「顔」の違いを考えました。

◆松本 学(まつもと・まなぶ) 1972年1月栃木県生まれ。94年東北大学文学部卒業。99年大阪教育大学卒業。現在大阪府立大学総合科学研究科修士過程。「ユニークフェイス大阪」代表世話人。問い合わせ、連絡先は〒547-0033 大阪市平野区平野西5-9-2-607 [Email]uniqueface@geocities.co.jp


左の頬に「腫れ」がある私

 私の顔。「ふつう」に限りなく近い。しかし、「ふつう」そのものではない。では、いったいどういう顔なのか? 左の頬からあごにかけて、大きな腫れがある。そのため、今まで「おたふくかぜ」といわれたり、「歯が痛いのか?」とたずねられる。左眼のまぶたもはれぼったい。ウインクをしているようでもある。一目見て、「あれ?」ともう一度見なおしてしまうような、顔。しかし、おたふくでも、歯痛でもない。これは生まれつきなのである。そして、腫れているからといって、痛みがあるわけでもなく、悪性のものででもない。ただ、腫れているのである。生まれつきこの顔なのである。これを医学では、「リンパ管腫」という。これが私の顔である。リンパ液の入った小さな粒が顔の左の医頬から首にかけて、無数にある、らしい。顔面神経の下にまでこの粒はもぐりこんでしまっているから、手術をしても、とり切る事が不可能である。
 このような顔を持つことの困難、生きづらさは、さまざまな常識によって隠蔽されてきた。そして当事者は、孤立を余儀なくされてきた。私もその例外ではない。「生きて」はいける。しかし、幼稚園にはいったころから、顔が原因でのいじめをうけた。同級生はおとなしい私の頬をつねったり、頬を膨らませて私のまねをしたりした。小学校では、顔の腫れによるいじめに加えて、手術あとのキズでのせいで「整形手術失敗!!!」とまでいわれた。教師達はまったく助けてくれなかった。異性が気になる年頃になると、「自分は相手にされない」とあきらめつつも、形成外科での手術で、「ふつう」の顔になる日のことを夢見ていた。高校2年の夏、二度目の手術をうけ、手術前と手術後でほとんど変わりがないことに失望する。しかし、それを感情に出すことはなかった。「それほどかわらないだろう」とうすうすはわかっていたからだ。あの夏、私はこれ以上自分の顔が「ふつう」になることをあきらめた。これでやるしかない。「変な顔」といって私を見下したり避けたりした人たちを見返してやろう、人は顔ではないのだ、そう思った。
 しかし、私がどんな思いで生きているか何てこととは無関係に、人は私の顔に必要以上に注目し、「どうしたのか」と聞いてくる。「よけいなおせわだ!」とおもう。しかし、人はどうしても「ふつう」と違う顔、私の左頬に注目してしまう。そして好奇心を膨らませてしまうのだ。大阪に住んで、電車に乗っていても、人ごみを歩いていても、私の顔を見ている人はいる。私には人ごみの中にまぎれるということができない。人ごみにまぎれるかわりに、部屋に閉じこもるしかない。それとも私の顔の皮を何十にも重ねてしまうか。

ユニークフェイスとはなにか

 このような生きづらさを背景として、1999年3月、大阪梅田で、ユニークフェイス大阪が発足した。東京、中部と足並みを合わせてである。99年11月末日現在の会員数は全国で約120名。そのうち、大阪30数名、そのうち女性が大半である。このユニークフェイスとはどのようなグループなのであろうか。これには少しく説明を要する。私たちのグループは、「容貌」と「顔」の問題を抱える人たちのあつまりである。あざ、キズ、麻痺、病気などによって顔が「ふつう」と違うとされてしまう人々の集まりである。ここで注意してほしいのは、このグループが、たとえばリンパ管腫だけで、集まってくるのではない。今までに、疾患ごとといった学問的分類にしたがって、集まった集団は多くあった。難病のさまざまな患者会、精神病などのグループ、アルコール依存、薬物依存などの嗜癖から立ち直ろうとするグループなどである。しかし、私たちは、そういった既成の枠組みではなく、「見た目」の問題という新しい枠組みで集まってきている。今までに存在した患者会の枠をこえた、大きな枠組みなのである。見た目の問題があるといえば、たとえば、やけどの会フェニックスがあげられようし、先天性四肢障害児父母の会、口唇口蓋裂の親の会なども、「みため」の問題を抱えることがあろう。また、どこかの医学部の医師によって半ば強制的に集められたわけでもない。私たちは、非常な偶然と、何人かの強固な意志によって結び付けられた当事者集団なのである。
 あざやキズ、麻痺、病気といったものをひとくくりに「疾患」と考えたとき、あざやキズなどを持つことは、「疾患によって固有の容貌をもつ」ことといえるだろう。この顔/容貌を、私たちの言葉では、「ユニークフェイス」という。顔/容貌が「ふつう」ではない、ということは非常に大きくて多様な問題をはらんでいる。そして、この多様な問題は、社会的常識と大きくかかわっている。常識とかかわるということ、これは、顔の問題を抱える人たちが、非常な困難を強いられるということを暗示している。つまり、常識によって当事者は虐げられ、とじこめられる。どのように顔の問題が社会的常識によって隠蔽されているか。顔の問題を抱える当事者はこの常識による隠蔽によってどのような生きづらさを感じているか。こういったことを社会に対して、訴えるためにこの会は立ち上がったのだ。

「顔」と「容貌」の違い

 私はここで、「顔」と「容貌」との違いを指摘することで、これからの話を進めていきたい。私たちはふだん、顔を何気なく見ることで、日常生活を送っている。しかし、顔という場所には二つの意味の違いが存在する。ひとつは、デザインとしての顔。医学写真の顔などは、その顔に人格を見ることはふつうしない。症例を指し示すために使われる顔。カタログの顔。これを私は、「容貌」と呼びたい。たとえば眼や鼻のかたち、輪郭などはデザインである。
 一方、私たちは、人の顔に、デザイン以外のものをも見出す。それはどのようなかたちで現れてくるか明らかにはならないかもしれないが、確かに顔という場所に現れてくる「その人」そのものである。このように、容貌という土台の上に、現れてくるようなその人そのもの、これを「顔」と呼びたい。
 このような区別がどうしてここで出てくるのか訝(いぶか)る向きもあるかもしれない。つまりこういうことである。ユニークフェイスをもつ人は、その人の人格、内面などが現れてくるような「顔」ではなく、実は、デザインとしての顔である「容貌」の特異性によって、いろいろな問題を抱えている。だから、ユニークフェイスを持つ人の目指す地点は、「容貌」ではなく、「顔」をみてもらうことなのだ、ということである。ユニークフェイスに対して、ある種の感情を抱く人は、恐らく「容貌」の特異さを、「顔」の特異さ、つまり人格の特異さにまで押し広げて解釈しているのだ。これはユニークフェイスを持つひとにとって、非常に不本意なことである。

 容貌を過剰に意識させる「常識」

 会が実際にはじまって、改めて感じたことがある。今まで日本ではこの問題が大々的に取り上げられなかったということだ。これには、いくつかの側面がある。まず、ユニークフェイスを抱える本人とその家族は、ユニークフェイスであることをいかにも些細なこととして、扱ってきた。これには、いくつかの「常識」が影響している。

「顔は問題じゃない」という建て前

 はじめの「常識」は、「見た目の問題」は、「人間の人生にとって本質的なことではない、二次的な問題である」ということである。この「常識」の与える影響力は大きい。たとえば、「顔はもんだいではない、こころこそが大切である」という言い方。とくにユニークフェイスを持つ人が男性である場合、容貌ではなくて、内面性で自分を表現するように求められる。内面性という土俵で勝負すれば、必ず評価してくれるという慰め。しかし、そういう「常識」と表裏一体となって、非常に強力な「デザインの美至上主義」が存在する。この「常識」は、先の「内面イコール本質」という「常識」があるがゆえに、存在することができる。「本質的には内面が大切である」と留保することで、建前としては、前者をかたり、現実の行動には、後者を適応する。これが、「ふつう」の人の戦略のひとつであろう。この「常識」に裏打ちされた価値観がもっとも反映されているものが、テレビである。テレビに登場する俳優は美男美女であり、一般に「性格俳優」といわれる俳優でも、ある一定レベルの容貌の規準を満たしている。たとえば、久本雅美が、美しさで売っていないといっても、それは、一般の人が安心してみることのできるレベルの顔である。その程度の顔は、すでに折込済みなのである。つまり、私たち(「ふつう」の人と、ユニークフェイスを持つ人)は、「容貌」という言葉とその言葉が意味するものの範疇をあらかじめ予想している(ここで、ユニークフェイスをもつ人は、「ふつう」の人に負けず劣らず「容貌の美」にこだわるということは十分に考えられる。実は、かくいう私もそうであったかもしれない)。つまり、ユニークフェイスをもつ人は、「ふつう」の顔の規準から外れてしまう。ここに、さまざまな問題が生じるのだ。換言すれば、「容貌」と「顔」はちがうものであるはずなのに、私たちは、この二つのものを一緒に論じてしまっている。いっしょに論じてしまうがゆえに、ユニークフェイスを、美醜の問題にひきつけて議論してしまうという傾向が生じるのだ。その結果、当事者は、美醜という観点からは、どうすることもできない、また、美醜は本質的なことではないということから、問題を隠蔽するのだ。一方、「ふつう」の人は、「美は本質ではない」という「常識」を隠れ蓑にすることによって、堂々と美至上主義へと入り込む。ここに、ユニークフェイスの問題は入り込む余地を見出せないのである。
 ユニークフェイスにかかわる「美至上主義」のもうひとつの例として、化粧があげられる。とくに女性の場合、あざを持ったりすると、ファンデーションで隠すことが可能になる。あざを、隠すことに特化したファンデーションがいくつかの化粧品会社から出されているし、専門のメイクを有料でするところもできてきている。このことは何を意味するのであろうか。化粧というのは、自分のあざやキズを隠すことである。そして、隠蔽することによって、「ふつう」の顔に近づけようとする手段である。しかし、ここで問題が生じる可能性がある。化粧によってあざを隠蔽すると、化粧をした本人にある種の後ろめたさが生じることがある(ここで私は化粧によって本人が得られる社会的自信、リハビリ効果を否定するものではない)。また、化粧をするということは、それを落とすときがあるということであり、隠蔽するということは、逆に暴露される可能性におびえたり、いつかカミングアウト(自ら名乗ること)しなくてはならないという気持ちが本人に沸き起こる可能性を否定できないということとつながる。つまり、化粧とは、「ふつう」の美しさにどこまでも近づこうとする営みであるが、それゆえ、ユニークフェイスを持つひとにとっては、限界を突きつけられるものになるということである。
 さらに、「男らしさ」「女らしさ」ということも大きく影響するように思われる。実はユニークフェイスの会員は女性が大半なのである。これはどういうことを意味するのであろうか。私は、いつも自分の顔を気にしたときに、「男は顔じゃない、ハートだ」といわれつづけてきた。確かに内面は重要だ。しかし、それは男であろうと、女であろうと、関係のないことのはずだ。「男は……」というところに、「男は顔について語るな」という規範が存在するように感じる。その反対で、女性の場合は、「美しさ」を常に求められてきた。「女は顔が命」というのは、いまだに大きな影響を与えている。これは、会員の男女比に明らかではないか。では男女のどちらが、よりつらいのか? それは、どちらともいいきれない。すくなくとも、会員数をもってしてはいえない。男はユニークフェイスの問題を持っていて、それによって生きづらさを感じていても、問い合わせすらできない可能性がある。「美しさ」について語ることができないのだから。

「顔の美」の価値

 これまで述べてきたこと、これからユニークフェイスというムーブメントが目指していくものは、どういうものだろうか。
 ユニークフェイスは「もうひとつの美しさ」を価値観として、社会に認めさせることが必要だろう。確かに「容貌の美」というのは、存在する。デザインの均整が取れていることなどはそうだろう。しかし、もうひとつの「顔の美」という価値を考えることもできよう。「わたし」の内面がにじみ出るような顔、これは確かに存在する。たとえば、私たちが写真を撮られるとき、「いい顔」に撮られたと思ったり、「だめ」な顔に撮られたりする。「いい顔」に撮られるとき、どういう状況だったか、振りかえってみるとよい。とてもいい気分だったり、写真を意識しないような要因が働いている。これはたとえばカメラマンが気のおけない友人であるとか、恋人であるというような例である。こういった場合、私たちは撮られることの緊張を解いて、私そのものとも呼ぶべき、なにものかを放射しているのだ。

あえて容貌/顔をさらす

 ただし、ここには、ある種の修練が要求される。「顔の美」は、容貌からにじみ出てくる美しさであり、ただ見るだけでは、見るものの前に現前しない。そのように困難な顔の美を、「ふつう」の人が見つけられるように、私たちは活動しつづけなければならない。そのために私たちは、メディアにも出つづける。今まで隠蔽されてきた容貌/顔をあえてさらす。そこには、見世物小屋を見るような、好奇の目が存在することはわかっている。そして、こうした好奇の目がもっとも隠微な差別であり、もっとも強固に身についてしまっているということも確かだろう。それでも、少なくとも私は、少しづつ顔の美を認めてもらうために、容貌の美だけで人を判断してしまうような社会の規範に対して、異議申立てをしていくつもりである。こうして、彼らに、私の容貌と顔を、容貌と顔の違いをつきつけることで、私たちの問題が、わずかでも理解されていくために。



女性10人と謎の同居…初老男性、結婚・離婚繰り返す

 東京都内の民家で約10人の女性と集団生活を送っている50歳代の男性から、この集団生活に加わるよう誘われたうえ、「誘われたことを口外すると危ないことになる」と脅されたなどとして、若い女性が警視庁などの関係機関に対し、被害を訴え出ていることが24日わかった。

 男性はこの約2年間に、大半が20歳代の女性たちと結婚・離婚を繰り返しており、集団生活している女性はほぼ全員が男性の姓を名乗っているという。不自然な集団生活について、関係機関は近く男性から詳しく事情を聞く方針。

 関係者の話などによると、男性は1995年、東京・多摩地区に3階建て住宅を新築、最初の妻や子供とともに都内の都市部から転居して生活を始めた。

 複数の女性との集団生活が始まったのは、最初の妻と離婚した後の2002年暮れごろからとみられる。そのころから男性は、女性との婚姻届を出しては約1~2か月後に離婚の手続きをとり、その直後に別の女性との婚姻届を出して、また離婚するという不自然な行動を繰り返しているという。男性は、離婚手続きをとった後も、その女性と同居を続け、03年10月には、過去に結婚した9人の女性に自分の土地を贈与して共有するなどしていた。

 これらの女性との間には、子供も出来たという。

 警視庁などに被害を訴えた女性は、昨年秋ごろ、男性に集団生活に加わるよう、数時間にわたって執拗(しつよう)に誘われたという。女性が参加を拒否したところ、男性から脅されたという。

 男性らが集団生活している民家は、山林に囲まれた集落の一角にある。周辺住民の話などによると、女性らは外出する際、帽子を深くかぶるなどして、顔を見られないようにしているという。男性と複数の女性が車で一緒に外出することなどもあるという。

スナック女性客に「デブ」、侮辱罪で大月市議に拘留刑  


スナックで女性客を「デブ」とけなしたとして、侮辱罪に問われた山梨県大月市大月町、同市議小俣武被告(55)の判決が19日、都留簡裁であった。  


丸尾真実裁判官は「人格を無視した卑劣極まりない言動」として、求刑通り拘留29日を言い渡した。甲府地裁によると、侮辱罪で拘留刑が言い渡されるのは珍しいという。  小俣被告は公判で、一貫して「見ず知らずの女性にそんなことを言うはずがない」と主張しており、判決後、「冤罪(えんざい)の典型だ」として控訴した。

判決によると、小俣被告は2004年9月30日夜、知人男性と大月市内のスナックを訪れ、居合わせた客ら10人のうち初対面の20歳代の女性客に対し、知人男性とともに数回「デブ」などと言って侮辱した。  女性客が被害届を出し、大月署が2人を都留区検に書類送検していた。  


丸尾裁判官は「初対面の女性に、身体的特徴を挙げて侮辱した責任は軽視し難い。歓談を楽しんでいたところ、唐突に『デブ』などと言われた被害女性の感情は察するに余りある」と述べた。

顔や身体にさまざまな病変や外傷、先天異常などがある人たちがいます。自らを「ユニークフェイス」(固有の顔) と名乗る彼らが、多くの人とは違う「見た目」をもつことからくる生きづらさを語り始めました。「人間は外見ではない。中身 が大事だ」「個性を尊重しよう」と、私たちは簡単に口にします。しかし現実は決してそうではないのです。
 ユニークフェイスの人たちの生きづらさの背景には、何があるのでしょうか。

男が不能になったら…「欲望」深く濃く描く映画

 愛=SEXでないと多くの人が認めるだろう。では逆に、SEXなしに真の愛は成り立つか-。この秋注目の恋愛映画「欲望」(11月中旬、東京・渋谷のアミューズCQNで公開)は、“男が不能になったら…”というテーマに真っ向取り組む。原作は女性に絶大な人気がある直木賞作家、小池真理子氏の同名小説だ。

 愛の深遠さを濃厚に描いた篠原哲夫監督は、「小池さんは、“性”を介在させる愛のありようを追求してきた方ですが、『欲望』では不能になってしまう男の側から描いている。なるほど、その手があったか、と衝撃を受けました。SEXはできないが、欲望はある。そんな場合、女性は精神的なかかわりを深めようとし、そうならざるを得ない、と」

 主人公の類子(板谷由夏)は、20代後半の独身。同僚の五郎(大森南朋)との不倫で肉体的な快楽を享受している。しかし十数年ぶりに再会した幼なじみの正巳(村上淳)が事故で不能になっているのを知りながら、真の愛に目覚めていく。不倫相手と違う、類子の正巳に対する対照的な愛の形に男性は少なからず衝撃を受けるだろう。

 「男としては、類子がインポの正巳に“わたしを使って試して”と言うのも、不倫相手に“デキないなら帰って”と言うのも、残酷だなと思いましたよ。でも女性ならみんな分かるって言うんですよ」

 類子が、正巳や五郎を相手にみせる大胆な濡れ場も注目だが、篠原監督は、「見えちゃう、見えないではなく、肉体の躍動をちゃんと撮りたい、と取り組みました。その結果、そこで精神の高みが撮れたと自負しています」と語る。

 本物の“愛のムード”に酔える大人の映画。男を“卒業”していない人なら、必見だ。

◇1700→1300円--藤沢の「フジサワ中央」

 「ヲタク1枚」。映画館の窓口でこう告げると、入場料が割引になるサービスが話題を呼んでいる。藤沢市のJR藤沢駅北口、遊行通りにある個人経営の映画館「フジサワ中央」は、公開中の映画「電車男」にヲタク割引料金を設定、入場券を買う際、「ヲタク」と自己申告すると、入場料が1300円となる。

 ◇シャレのつもりがネットで反響

 「電車男」の主人公がいわゆる秋葉系ヲタク。同館が客を呼ぶ工夫として、大人(1700円)と高校・大学生(1400円)の下にヲタク料金を設定した。半ばシャレで始めたサービスがネットなどで反響を呼び、予想以上の入り。当初は7月26日までの公開予定だったが、来月2日まで延長することになった。
 

ヲタクを証明する必要もなく、半分以上がヲタクを自己申告して入場しているという。「中には、『アニ(アニメ)ヲタ』『ガン(ガンダム)ヲタ』と申告される人もいます」と同館も苦笑い。
 

個人経営の映画館は大手のシネコンなどに押されて、どこも生き残りに懸命。同館でも浴衣割引、最終一律1000円上映などさまざまな工夫を凝らしている。「ハードではかないませんから、ソフト面で頑張りたい。ヲタク料金もその一つです」と同館。